複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.114 )
- 日時: 2018/10/16 00:55
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
同刻、先ほど地上を炎の鱗で焼き払おうと試みた大蛇の如き化生はと言えば、憤怒に燃えるその瞳を真凜にだけ向けていた。コバエのようにその周囲をうろちょろと跳び回るその姿に、身体を波打たせて空を泳ぐたびに苛立ちを募らせる。
言うまでも無く、彼が授かっている感情は怒りであった。彼がその感情を受け取って直後に行った行為は主であるかぐや姫に対する恨み言であった。他の者へはもっとまともな感情を寄越したというのに、どうして自分にだけこんな迷惑な感情を授けたものかと、煮えくり返る怒りを制御できないまま仕えるべき主にぶつけてしまった。それも仕方ない、なぜなら初めての経験だ。その抑制しきれぬ激情のはけ口を用意する手段も、彼は知らなかったのだから。
そんな従者の不敬を、かぐや姫は笑うことも怒ることも悲しむことも無く、受け容れた。申し訳ないことではあるが、避けることはできなかったのだと。自分を守るには四人の従者が必要。そして、特別な道具を扱うには、それらを使おうとする強い意志、心があるべきだと判断したためだ。特別な個体にならない限り、五人の貴族に求めた夢幻の道具を扱いきれない。
全てが同一の性能を有するかぐや姫の御付きの者たちは、自我らしい自我が無い。彼らの意識は共にリンクしており、彼らという個体がそれぞれ一つの細胞であり、軍隊そのものが動物一個体のように振る舞っている。それゆえ、我こそが特別な賜り物を用いようとする発想が出てこない。すると結果として、誰もその道具を活用しようとしないのだ。
かつてかぐやは地表から月へと帰る際に、地上の生活において必要不可欠だった心を取り上げられた。千年の月日が流れた後、フェアリーテイルと化したその時に、幻獣に管理していた心を五つに砕いて、大部分を己に還し、そして残る四つを側近の内四人に分け与えた。
その内、龍の珠を扱う者は、強すぎる炎を御しきれるほどに、燃え盛る何かを胸に秘めていなければならない。愛だろうか、そうとも最初は考えたがすぐさま否定した。地表を焼き払うために必要なのは、憎悪と怒りだ。それゆえに、人が持ちうる中で最も汚い想いのうちの一つ、怒の情を分け与えた。
どうせ与えられるなら、悦楽の内にただ溺れていられる楽の方がよほど良かったろう。何があっても楽観的に喜んでいられた方が良かっただろう。ただ殻の内にこもって悲しさに涙する方がよほどマシだったろう。それなのに、彼に与えられたのは、敵だけでなく見方さえも焼き払う、そして時として己の意識さえ灰燼と化すような強すぎる激怒。
当然、怒るのも無理は無い。しかしかぐや姫はただ、彼に受け入れろと指図するのみ。その身により強い激情を焚きつけさせるため。その身をも焦がしかねない邪念にまみれた怒りの炎を持って、かつて愛した日の本の国を焼き払うため。
童を怨むのは構わないと、かぐや姫は言った。しかしその恨みつらみは全て地上に向けろ。濁り切った世の中を、より色濃く汚れた業火で焼き尽くすことこそ使命だと、言い聞かせるように。そう、どれだけ強大な感情に呑まれようと所詮は従者。逆らう事など決して許されず、彼女の命令を聞く以外に取れる道は無い。
いつかそんな日が来る。故に、感情を御するどころか逆にその情動に弄ばれるだけの日々を耐え忍んできた。長かった。無感情の千年よりも、逆鱗に触れられたかのような強い憤怒に身を焦がしたこの数か月の方がよほど。
そしてやっとだ、悠久にも思えるような忍耐の日々を乗り越え、溜め込んだこの鬱憤を、抑圧を、全て解き放つ日が訪れたというのに。どうして世界はそれを祝福してはくれないのか。憎い、口の中全部苦々しくて、心臓は早鐘を打ち続けて、頭の中にはカンカンに熱された赤銅色の鉄があるようだ。理性などとうに無くなり、脳からの電気信号よりも心の底から溢れる熱量が体を動かしているような錯覚に陥る。
この耐えかねる汚物のような想いをようやくぶちまけられる日が来たというのに、どうして。
「どうして俺の邪魔をする、何故一層に俺の神経を擦りきらせる。お前がそうならお前が死ぬのも仕方ないな、そうだろうな!」
図体が大きいだけで、動きは呆れるほどに単調だ。フェイントも何も無く、反射的に目の前の羽虫に向かって掌を振り下ろしているようなもの。吸い込んだ空気を吐き出す際に、体表の炎を巻き込む。それにより、灼熱の息吹が長い髪を束ねた捜査官に襲い掛かる。
迫りくる途中でさえ、肌が燃えてしまいそうな炎に、眉を顰めようともせずに防御壁を生成する。真正面からメルリヌスの魔力のバリアに衝突した炎の吐息は力なく霧散する。もう一度と、息を吸い込もうとするその瞬間が隙だ。空を駆けるスノーボードの走る後に、紺碧の閃光が収束する。点のように凝縮されたかと思うと、途端に弾け、夜空のキャンパスを蒼い光が彩った。無数の光線が龍へと襲い掛かる。
「いい加減にしろと言っているだろう!」
身体を捻り、尾を空中で一薙ぎ。凄まじい熱風が放たれ、炎の障壁が龍の身体を覆うように立ちふさがった。熱風自体は漏出した魔力をヴェールのように纏うことで無力化した。双方共に一進一退の攻防、消耗こそあれど無傷のまま両者は向かい合う。
この女は未来を視ることができる。その話は聞いていた。それゆえ、単純な力押しではどうしようもないというのに、怒りで狭まった視界と脳ではそんなこと思いつきもしない。炎も尻尾による重打も聞かぬというなら、喰らい尽くすのみ。とぐろを巻いてその場に座るようにしていた龍がとうとう重い腰を上げた。挙げると同時に、トップスピードで走りだす。
その顎を大きく開き、喉奥に飲み込んでやろうと真凜へと飛び掛かる。しかし、そんな突進さえも真凜は未来視により織り込み済み。サーフボードの舵を垂直に上方に切り、死角を取った。上顎と下顎の牙が力強く打ち付けられる。しかしそんな不快な演奏など耳にしてやろうともせず、後頭部に向かい魔力の弾丸を一射、大砲の弾ほどもある大きな砲弾が勢いよく着弾、光と熱を帯びて炸裂した。
走る衝撃はあまりに強いが、強靭な肉体を持つ龍には、その一撃だけで勝負は決しない。脳震盪を感じるようなことさえない。しかしそれでも、野球の軟球を強めに投げつけられたに等しい痛みが怒りの従者の頭蓋を駆けた。
しかし、戦闘中の興奮状態、激痛に顔を顰めるも、泣き出すことも気を失おうともしない。あまりの痛みに、よりその胸の内の炎を大きく燃え広げさせるのみ。
鬱陶しい。彼としては、そのように叫んだつもりであった。しかし、その言葉はもはや人間の言語の形をしていなかった。まるで奏白の音による一撃と同じような強い衝撃が戦場にて響き渡る。両耳を手で覆っていないと、耳が引き千切れてしまいそうなほどだ。距離を取りながら、耳を押さえる。しかし、目だけは閉じずに龍の動向から意識を離さない。
これはまさに、フェアリーテイルに最もふさわしい。真凜は強くそう感じていた。強い破壊衝動に衝き動かされ、目の前に立ち塞がる障害全てを、全霊を賭して薙ぎ払う。その様子はこれまで見てきたあらゆるフェアリーテイル達に重なった。欲しいものを手に入れようと企むアリスに始まり、強者とただ切り結ぶためにも止まることのできなくなった桃太郎、先日まで殺戮を繰り返した赤ずきん。
それらと変わらないと思えば、まだこの炎の龍は可愛いものだ。赤ずきんの方がずっと手強い、桃太郎の方がずっと速い。いくら未来を予知しようとも勝てるビジョンの見えない絶望など存在しない。堅実に相手どればいつか倒せる。そう思えるだけまだ可愛らしい。
問題は、自分が離れてしまった拠点付近だ。ここで時間をかけ過ぎればその分下が手薄になってしまう。しかし、焦れば結果は奮わない。どころか、この龍がさらに降り立って攻め手が激しくなるだろう。
その選択は、真凜にとっても不甲斐ないものだった。如何に時間がかかろうと目の前に立ち塞がるこの化け物を確実に仕留める。最悪を回避することが、この場で最も重要。すぐに決着をつけ、下へと戻れな自分を叱責するのは、油断に他ならない。敬意を抱くほどに高い壁であるからこそ、最大の警戒を抱えたまま相対せねばならない。
「勇気と無謀は違うから。背伸びしても転ぶだけだから。だから……今私にできることをしないと、だよね」
問うた相手はこの場に居ない。しかし、この場にいないからこそ安堵できた。彼がいれば、たとえ自分が地上から離れていようとも安心だ。いざとなれば、彼が何とかしてくれる。だから、焦らずにいられる。自分のすべきことを、見失わずにいられる。
灼熱の吐息に、真っ向から青白いレーザーがぶつかる。衝突と同時に、火の粉も魔力の青白い粒子も舞い散っていく。綺羅星のように、光の粒が二人が挟む空間を待っていた。星のように思えたかと思えば、舞い落ちる雪のようにも思えた。あるいは光子のシャワーだろうか。赤と青の細かな光の残滓は空を埋め尽くす程の物量を示しているのに、溶け合い、混ざり合うことなく己の怒りを、心の沈着さを主張している。
紫色に混濁することの無いその様子は、まさしく対照的な二人を退治しているようであった。
光のカーテンを目眩ましとして、またしても一本の剣のように、強靭な尾を薙いだ。燃え盛る炎を纏うそれは、橙色の光子に紛れて視覚では捉えづらい。しかしそれはあくまで、真凜以外が相手の場合だ。未来を予め知っている彼女に、そんな不意打ちなど通用しない。
真凜を捉えることなく、その手前で虹色の反射板に打ち付けられた尾は、そのままあらぬ方向へと弾き飛ばされた。勢いそのまま、鏡に当てた光のようにエネルギーのベクトルを反射させる魔力の板。これも、紛れも無いメルリヌスの能力だ。
誰もいない上空へと勢いよくいなされた下半身、それに引きずられて僅かに体勢が崩れた。よろめくその巨躯に次々と、その鱗を纏った胴体に風穴を開ける光線が駆け抜ける。しかしこれでも歴戦の兵、そう容易く突破されてなるものかと鎌首をもたげ、再び大口を開ける。力任せに咆哮でかき消してやろうとその喉を震わせた。
だが、怒りに囚われたままの頭脳では、未だに学習できない。そんな咄嗟の挙動さえも、予め把握されている事実に。吠えるべき、その瞬間の出来事だ。レーザーの進路の上に、虹色の反射板が現れた。このままでは怒号に全て打ち消されてしまう魔術の閃光が、反射板の能力で進路が逸れる。折れ曲がったレーザーは一度龍から遠ざかったかと思えばまたもや宙でその向きを変え、迂回し四方からその肉体に降りかかる。
「小賢しいと言っているんだ!」
瞬時に龍は、わざわざその龍化を解いた。元の小さな人間の姿に戻ることで、巨大な炎に包まれた体を射止めたかと思った魔光は、空撃ちに終わる。その後に再び、炎の鱗に覆われた龍へと再び変化する。本来龍の胴体を穿つはずであった蒼光の矢はというと、雲の上にまで昇り見えなくなってしまった。
「ああ、小賢しや小賢しや小賢しや! そんな事しか出来ないというなら、疾くこの業火に呑まれ果ててしまえばよいものを!」
「そうカリカリしないでくれるかしら? 余裕のない人は嫌われるらしいわよ」
また正面から向かい合う。燃ゆる龍の息吹とエネルギーをこめた閃光が衝突し、爆風を生む。赤い雫が、蒼い雪が、真昼のごとく明るく照らし出された夜空を滑り降りる。異常気象と呼んでしかるべきであるのに、殺伐とした空間であるというのに、両者が描くこの景色はあまりにも美しい。
そしてこれはあくまで、天才の奮闘である。持つべきものを与えられたまま立ち向かい続けてきた、恵まれた者の活劇だ。しかし世間はいつの時代も残酷で、恵まれない人間も同様に存在している。宙に立つ彼らは知っているだろうが、望む力を、才覚を、十全に与えられないまま生まれ落ちるやるせなさを。
地上でもがく仲間たちは、強く、誰より強くその至らなさを感じているということを。
「ああ、可哀想に可哀想に。蟻の抵抗を見ると私は心を痛めてしまいまする。あな悲しい悲しい、巨象のごとき御仏の力を借り受けて、無罪の人々の幸福を踏み散らす現実が」
当然、奏白兄弟が足止めできていない二人の従者は地上へと到着していた。一人は、燃えるような真紅の衣を身に纏い、もう一人は涙を流しながら御鉢をその両手で抱えている。その御鉢の放つ光はとても淡いものであった。しかし、絢爛豪華、煌びやかではないからこそ、その朧げなオーラと呼ぶべきそれは、神々しさを纏っていた。西洋の神々の、眩い後光を放つほどの強烈な存在感ではない。しかし、朧気ながらも見つめてくれる、寺院の荘厳な空気と同じだ。そこに、何かがあると信じてならない得体の知れぬ気配を内包している。
「何だよ、偉そうなこと言いやがって」
「分かります、分かりますとも。私達は貴方のことを何も知らない。奏白音也も奏白真凜も知っているのに、貴方の事は何も知らない。即ち貴方達は雑兵に過ぎないと。ああ、胸が痛い胸が痛い。皆まで言うな、分かりますとも」
所詮貴方達は、居ても居なくても変わらない。
泣いていた。同情のあまりに、御鉢を抱えてその中に雫を溜めるようにして泣いていた。本来の用途とはかけ離れているだろうに、哀情の雨が落ちていく。ひたひたと、御鉢の底に打ち付けられる。
むくりと、地面が隆起した。
「仏よ、私をお許しください。そして祈って下さい哀れで罪の無い彼らが、悲しむことしかできない私の足の裏で、蛙のように踏みつぶされた後の冥福を」
居ても居なくても変わらない。その言葉に、ぴくりと人々は反応した。不快感が故に、その耳が僅かに熱を帯びる。その言葉を否定せんがために。己の誇りや矜持を守るべく。
居なくても構わないような人間では無いと、天下に轟かせねばならぬ。そしてそれは自分を信じてくれる誰かのためにもだ。
「悪いけどよ、俺たちゃ家族にとってはかけがえのないヒーローなんでな」
「ああ、強がる雄姿も痛々しい。そんなに胸を無理に張らずともよいものを」
「言ってやがれ。俺たちはそんな言葉じゃへこたれねえよ。魔王みたいに強い坊ちゃんが、俺らがいるおかげで戦えるとか言ってくれてんだから」
「ああ、そんな強がりさえも無様に映る、こんな傲慢な私をお許しください」
「ったくうるせえな……知らない知らないって嘆くんならここで覚えて帰りやがれ」
幾人かが臆して後退する中、臆することなく一人の男は身を乗り出した。彼はきっと、まだ若い捜査官に区分される人間であろう。奏白とは歳が二つしか変わらない。彼はかつて、妬みやすい人間であった。それこそ、慕ってくれる後輩にさえ嫉妬してしまう程に。
しかし彼もいい大人だ。変わり切ることはできずとも、変わろうと努力することはできる。未だに、劣等感は拭えない。それでも、かっこいい男がそうやって誇れる自分であろうとする姿を見て、学んだのだ。目指すべき強さとは、どういったものであるのか。
脳裏に、妻の姿を思い浮かべる。身重で、今か今かとその時を待ち構えるその姿を。そして来るべき、我が子を抱き上げているであろう姿を。護るべき者を忘れない限り、人は立ち上がれるのだと、目の前で知君は示してくれた。もう二度と守護神を呼べぬのではないかと絶望しても可笑しくない程、一度は途方に暮れていた。唯一の友にも絶縁を宣告された。それでも彼は、再起した。
一回り以上歳の離れている、自分の弟と同い年の少年に、精神でも負ける訳にもいかない。最後の決戦くらい、いいところを見せずしてどうするのか。でなければ、今後生まれてくる娘にも顔向けできない。
「耳かっぽじってよく聞きやがれ。あの天才、奏白に捜査官のいろはを叩きこんだ、王子 太陽って名前をな」
今日ぐらい報われてもいいだろうとは、声に出さないでおいた。