複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.115 )
日時: 2018/10/18 23:49
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)


 所詮はただ武器を変形させる程度の能力。その程度に侮っていた。形状を変えるというだけで、これ程までに手数が増えるとは思っていなかったためだ。迫る鎌の刃を避け、途端に姿を変えた鉄槌を横から蹴りつける。流石に隙が出来たかと殴りかかれば、鼻先にはレイピアの先端が触れていた。
 何とか首ごと頭を大きくずらして貫通を避ける。鼻の頭を引っかかれ、そのまま鮮血が踊った。武器を掴んだ腕を突き出している今こそ好機、とはならない。武器の変形に乗じて、アメーバのようにぐじゃぐじゃと輪郭を失ったレイピアはもう片方の手の中に納まった。今度の形状は無骨な大刀。鉈のように押しつぶし、鈍重に斬り裂こうと振り下ろされる。
 いつまでも防戦一方でいられない。剣を握りしめた手首を思い切り奏白は蹴りつけた。衝撃に押し負け、掌から大剣が離れる。しめたとばかりに近づこうとしたものの、次の瞬間にはもう一方の腕の中に槍が潜んでいた。弾き飛ばしたと思った剣はというと、もうとうに姿を消していた。
 子安貝の放つ虹色の光をあの武器が受けると、その能力が発動するらしい。暫定的な奏白の仮定では『ある物質の構成成分を原子ごと変化させ、構造や形状をも自由自在に変形させる』ものだ。自分自身の肉体にかけていなかったり、敵対する奏白の肉体を直接変化させていないことから、何らかの能力発動の制限があると見て間違いは無い。
 ただ武器が変わるだけならば、どのみち回避を続けるだけで済む話であるためさしたる問題ではなかった。この能力で真に恐ろしいのは、武器が手元から離れないという点だ。さらには任意のタイミングで武器を握る手をスイッチさせられる。右手で槍を突けば、本来引き戻さねばならず、嫌が応にも隙が生じるというのにそれが無い。今度は左手に持ち替えて刀で斬りかかるだけだ。
 そもそも変形を生かして、その瞬間に奏白を貫けばいいものをと考えたものだが、それはできないらしい。変形途中の液状化した金属を殴りつけようとしても、実体が無いのか拳が突き抜けた。変形中は質量を持っていないということなのだろう。
 音も無く変形するため、その形状変化を利用した斬撃や刺突などが可能ならば奏白はとうに肉片となっていたことだろう。その制限がかかっている事実は有難い事だ。しかし、それにしても攻めあぐねてしまう。迂闊に踏み込めば首筋に刃が触れていることもある。後一瞬の判断を誤っていれば死んでいた、そういった局面も少なくなかった。
 自分で言うだけあるじゃねえかと、奏白は徐々に目の前の従者の実力を認めていた。炎を吐き出す龍のような派手さは無い。しかし、先ほど面と向かって実感したが、あの龍であれば素直に正面から殴り倒せそうだったのに対し、変幻自在のこの兵士はそうそう手早く片付けられそうにない。
 いつしか戦闘服はところどころ血に濡れていた。それは相手の鼻先を殴った鼻血の返り血であったり、自分のかすり傷から垂れた血潮とが入り混じっていた。一進一退の攻防。徐々に奏白は変幻自在の能力に対応し始めているため、油断しない限り形勢は傾けられるだろうが、それがいつになるかはとんと見当がつかない。
 またしても、拳と刃とがぶつかり合う。ぶつかると言っても側面を弾き飛ばしたり、大気の振動をぶつけて逸らしたりしている程度なのだが。身を捻っては槍の突きを避け、後ろに跳んでは振り下ろされる斧から逃げる。
距離を取れば一塊の鉄球を放り投げてきた。新幹線程度の速度は出ているだろうか。しかし、音速にはまだほど遠い。あっさりと屈みこんでその鉄球を頭上に見送る。そのまま刹那の後に音速に到達、もう幾度目か分からないがかぐや姫の側近、その背後を取った。しかし、おそらくその動きは読まれている。
 奏白が金属弾の投擲を避けた時には既に、子安貝からは光が放たれていた。そして彼の次なる手を見るより早く、従者はというと防御に転じている。虹色の極光を受けた漆黒の砲弾はというと、勢いも全て殺して再びどろどろのアメーバ状になっていた。意志を持って生きているかのように瞬時に楽の兵士の手元に戻り、羽衣と筋肉の隙間に潜り込む。
 そのまま、背中全部を覆い尽くしたかと思えば、その場で剣山を形成した。白銀の棘が無数に羽衣を突き破り、奏白の眼前に迫る。またこれか、ここまでの多岐に渡る攻防の中で幾度となく攻め手を遮った防御手段に舌打ちをする。
 これ以上踏み込めば全身串刺しになってしまう。何とか停止し、舵を切って死角に潜りなおす。しかし隙を与えてしまったに変わりない。ハリネズミのように背中だけ覆っていただけだったのに、いつしか男は毬栗のように全身を棘で覆い尽くしていた。
 このままでは触れられそうにも無い。音の衝撃で吹き飛ばそうにも、密着しきれない以上大した痛手は与えられないだろう。こうなると向こうからも攻められないため、一度仕切り直さねばならない。

「何べんも殻にこもりやがって、びびってちゃ俺には勝てねえぞ」
「ふふ、一度目にそれで腕を傷つけた君が言ってもただの負け惜しみだよ」

 その言葉に苦々し気に顔を歪める。彼のスーツ、その右腕のあたりは鋭利な刃物で引き裂かれたような痕跡が残っていた。覗いている肌には細長い裂傷が見られ、勢いは大したことが無いものの血が流れている。
 スピードで翻弄し、死角から一息に叩きのめそうとした時のことだった、唐突に、一瞬手前の瞬間まで剣の形を取っていた黄金の武器は、瞬く間に身を護る鎧となっていた。それ以降は二度と同じ仕掛けで手傷を負うようなことは無かったものの、こちらからもろくにダメージを与えられていない。
 何分経過したものだろうか、分からない。下でもきっと戦闘は始まっている。先ほどどの従者に対してかは判別できなかったが、太陽が名乗りを上げていたのは感知していた。すなわち、地上でも同様の化け物が暴れているという事になる。民間人は決戦の舞台が東京になると決まった時に避難勧告を出しておいた。事情があって逃げられない人々も居るだろうから、強制はできない。あくまで勧告止まりだ。
 しかし流石に、現実に攻め入って来たかぐや姫たちを見てからという者の、近隣住民だけはもっと遠いところに逃げ出してくれたようだった。そのため、多少下で暴れていても、警官達が足止めをしている内は一般人の被害は出ない。何とか戦場を抜け出している兵士は誰一人いないようで。今のところは治安維持組織としての矜持を保ってはいる。

「あれあれ、こんなもの? あんなに警戒してた奏白音也って、こんな程度?」
「うるせえよ」
「いやいや、確かにすっごく楽しいよ。僕の攻撃も全部防ぐし、避けるし。でもさあ、なーんか期待外れなんだよね。初めの勢いが無いっていうかさ、気を抜けば死んじゃいそうなあのヒリヒリした緊張感が無いっていうか」

 口に手を当てて嘲笑の笑みを浮かべる。なるほど今度は、挑発を楽しんでいる訳だ。思いの外大したことがないものだと嘲って、奏白が地団太を踏み、不快で表情を捻じ曲げるのを期待している。そんな風に己を叱咤し、無力さに嘆く人を眺める事さえ、彼には楽しくて仕方が無いのだろう。
 本当に悪趣味だ。おたまじゃくしは悪食で有名だ。泥を食う、虫の死骸を食う、魚の死骸を食う。そんなものしか食べられないから、生きるために仕方なく。だが目の前のこいつはどうだろうか。楽しむために悪行をしている、ならばまだ理解できる。残虐で、人でなしの行いを楽しい事だと判断して率先して行っているのであれば、憎らしく思うもまだ理解ができる。
 しかし実態は違う。この側近は、万物万象を娯楽だと思っている。とりあえず煽ってみた、楽しい。とりあえず殺してみた、愉快だ。意義も目的も無く残虐な行為を、人でなしの振る舞いを為して、それら全てに享楽を見出すことができる。

「やっぱり人間なんて大したことないね。警戒するべき君がこれなら、地上に残ってる彼らなんて、豚の餌の方が上等なんじゃない?」

 怒るだけの価値も無い。途端に怒りの熱が抜けていく。凶暴化していたドロシーの仲間たちは、太陽たちを嘲ることを、他者を見下す事に快楽を見出していた。それゆえに、その性根を叩き直そうと思えた。だが、こいつはどうだ。怒りも哀しみも持っていないからこそ、あらゆる善行も悪行も、苦しいだなんて思えない。だからこそ、何をしでかすか分かったものでは無い。
 道化という言葉がいやに似合う。何となく、雨に打たれた体から熱が抜けるように、怒りが零れ落ちていった理由が理解できた。哀れなピエロにしか見えないこの男が、同情するべきだと思えたからだ。
 楽しくないはずのものまで楽しんでしまう、こんな悲しい生物は、分身は、早く始末してやるべきだと信じたからだ。楽しいという、本来人間を幸せにするための感情に囚われて、真逆の方向へ進路をとった哀れな人形を、解放してやらねばならないのだと。

「お前さ……多分、楽しくねえだろ」
「何言ってるの、とても楽しいよ」

 そもそもそれ以外の気持ちなんて分からないしね。あっけらかんと、言い放つ。そっかと、小さく、泣き出しそうな声で奏白は返した。別段本気で涙するつもりなど無い、こんな奴のために流す涙などないと割り切っているからだ。
 ただ、それでも、彼の感じる悦楽に愉悦は、否定せねばならない。説教じみていて、独りよがりに思えても、そんな事認めてはならないのだ。
 それは別に聖職者としてだとか、正義に生きているとか、そんな大層な理由ではない。彼が、彼として生まれているその大前提として持つ事実こそが、目の前の男の娯楽を否定するべき根拠となる。

「人生、楽しいことばっかだったら、って誰もが思うんだよ。でもな、結局辛い事苦しい事の方が多いんだ、嫌んなっちまうよな」
「ごめんね、そう言うの分からなくて」
「ああ、その方が幸せだろうなって思うかもしれねえさ。でもよ、それじゃ多分味気ないし、飽きちまうんだよ」

 そう、彼の言葉は、人間として、否定せねばならない。

「辛いことが沢山あるからさ、楽しい思い出が輝いて見えるんだよ。お前さ、楽しい楽しいって言ってるけど、楽しいって気持ちを喜べてないだろ」
「そりゃ、喜ぶ感情は火鼠の奴が持って行ってるからね」
「うん、そっか。そうだよな……。だからそんな可哀想なんだ」

 終わらせよう。救ってやるべき男にすら聞こえないほど小さな声で、一人の男はそう呟いた。

「アマデウス! 一旦全力で行くぞ」
「体にかかる負荷はどうする? シンデレラの相手ができなくなる可能性も……」
「大丈夫だ」

 すぐに片付けてやる。身体にガタが来る前に。彼はそう宣言した。そうかと、短い相槌だけを残す。

「大きく出たね、全然勝てる見込みも無いってのに」

 侮辱という行為に味をしめたのだろうか。目の前の男はひたすらに奏白を煽り続ける。おそらく彼の中に警戒や不安は無い。だからこそ、今の奏白は温存などしていないし、その言葉も強がりに過ぎないと思い込んでいる。
 そんな姿が、契約者だけではなく、力を貸しているアマデウスにとっても憐れに思えた。もしも自分の言葉が届くというなら、彼に伝えてやろうものを、と。嘆息混じりに口にする。我が契約者は、有言実行を為し遂げる男なのだと。

「俺からお前への言葉は、これが最後だよ。『天才』って二文字はな」

 また、消える。否、消えたように映るだけだ、目で追い切れぬだけだ。常人どころか人間離れした動体視力を持つ者にも、音速など捉えられない。
 消えたと思い、従者は息を呑む。また後ろかと警戒するも、奏白は今度は真正面に現れた。わざわざ目に見えるところに現れた事実に面食らうも、それも当然かとようやく頭が追いついた。どうせ目にも止まらぬ早業であれば、直接目の前に現れても変わらない。

「そんな甘くねえんだよ」

 突然、視界が揺れた。防御に意識を向けるのがあまりに手遅れで、気が付けば奏白の脚が首元に減り込んでいた。そのまま筋が千切れて、頭と体が離れてしまうのではないかと感じる程の衝撃が走る。しかし首は千切れることも折れることも無く、踏ん張る大地も無い空中でその身体は半回転した。強すぎる圧迫感に、気道がひしゃげて息が吸えなくなる。何とかかぐや姫から供給されるエネルギーで修復するも、息苦しさは晴れない。
 しかし愚直に攻め込んでくるだけならば、これまでと同じだ。自棄を起こしたのだろうか、それとも速度についてこれないと思ったのだろうか。甘いと奏白に知らしめるために、全身を針で覆い尽くす。これで再び、奏白からは手が出せなくなると判断して。
 しかしその認識こそが甘かったのだと、刹那の後に思い知らされることとなる。
 奏白の手の甲がその剣山の先端に触れると同時に、尖りきったその針は接触した部位から次第に吹き飛んでいった。掘削され、塵となって大気中に消えていく。その様子に目を見開いていただけの須臾の時間に、その拳は腹部を穿っていた。内臓がそのまま勢いで口から飛び出しそうな嘔吐感を必死にこらえる。その吐き気を飲み込めても、痛みだけは呑み込みきれそうにない。
 ただ殴られただけではない感覚が腹部に広がっていた。あらゆる方向への衝撃が、肚の中の臓腑の中心で荒ぶっていた。彼が触れた部位だけ引き千切れ、剥がれ落ちてしまいそうな異物感。見れば内出血のように紫色にうっ血していた。
 その正体に辿り着いたのは、偏に音の鎧と言われる能力が由来であろう。身の回りの空気を音波により強い勢いで振動させ、近づく攻撃を弾き飛ばす空気の鎧。彼はそれを防御ではなく、攻撃に転じさせた。ただ転じさせたのではない。身の回りの大気を振動させるのではなく、己の身体を音波により強く振動させることで、その振動の勢いであらゆるものを破砕する。
 出し渋っていた理由は簡単に察せられた。言うなればこれは、自分自身に音の能力で攻撃している状態に他ならない。身体にかかる負荷が尋常ではないのだろう。音速戦闘を可能にさせる程の肉体を以てしてもだ。
 時間を稼げばいつかは勝手に相手がガス欠になる。ならば逃げるが得策か、そう思った矢先にその発想が絶望に塗れていると知る。何処へ、ではない、どうやって逃げろというのだろうか。音の速さで空をも走るこの男から、どうやって逃げればいいのだろうか。
 ならば守り切ればいい。それさえも絶望だ。たった今、頼り切っていた防衛手段を無効化されたところではないか。
 ここで幸運だったのは、その絶望すら感じ得ぬことだったろうか。逃げも隠れもできないのであれば、迎え撃つしか無いと、脳裏を真っ白に燃え尽きさせることなく切り替えられたのは、彼が逃げ腰の感情を授かっていなかったためだ。
 迎え撃つ、そう決めた後に彼が過ごした十秒に満たないような時間は、これまで過ごしてきた数百年全てと比較しても遜色のない程の量、興奮と、熱狂全てを凝集させた、永遠にも思えるような最期の時であった。
 眼前に迫る拳を避ける。破壊力は充分にもう先ほどまでに学んだ。手で払って受け止める事さえしてはならない。掠めた髪がはじけ飛ぶ。はらはらと舞い散る黒の残滓が、その後の自分を暗示しているようであった。
 もし僕に、悔やむ心を持っていたならば、感謝をできぬことを悔やんだだろう。彼はそう考察した。このあまりにも楽しすぎる今際の時間を、僅かにしか堪能できない事実を悔やんだだろう。もし喜びの感情を持っていたならば、模造品の作られた人生に過ぎない生者としての終わり際に、こんな至上の時間を賜ったことを、主のみならず存在の是非も分からぬ神にさえ感謝しただろう。
 しかし、自分にできることと言えば、一時の快楽に溺れることのみ。命を散らし、身体中を駆け巡る痛みに楽しみを見出すことだけ。ならばせめて目の前の捜査官に対してできる最大限の賛辞を送ろう。この時間を、一秒でも長引かせて見せる。輝かしい笑みを、最期の最後まで彼に贈って見せよう。
 防戦一方ではきっと詰まらない。もしかしたら音という概念を体現した化身の彼には、武器さえも砕け散ってしまうのかもしれない。しかし、無抵抗というのは全霊で挑んでくる者への侮辱に思えた。侮辱も楽しいものだと先ほどは感じたものだ。しかし、しかしだ。全力を尽くす事こそ、さらに楽しいものではないだろうか。
 ならば、手を止めてなどいられない。立ち止まってなど居られない。痛みに意識が溶けていく、衝撃で思考が吹き飛んでいく。舞い散る血霞は、もう自分の血液ばかりだ。秒を追うごとに自由に動かせる体の範囲が狭くなっていく。手にした武器は擦り切れていく。

 それでいい。
 それでいい。
 それだけで、きっと僕は満足だ。
 そうして、心など何一つ持たないまま生き続けた従者は、最後にたった一つの感情だけ与えられ、満たされたまま、甘い蜜の中に溶けゆくようにして、散っていったという話だ。