複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.116 )
- 日時: 2018/10/27 00:36
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
一時はとんだ下衆野郎だと思ったもんだけどな。互いに鎬を削り、捨て身の攻防を繰り返しながら奏白は、彼と過ごしたこの幾何かの短い時間のことを振り返っていた。終わってみれば案外、そう悪く思えないものだ。この心身の削られるやり取りを、心底楽しみ続ける眩い笑顔を見ていれば、嫌悪感も吹き飛んでしまう。
そうかい、俺との手合わせはそんなにも素敵なもんか。声に出して確認する必要など無かった。明確な答えをわざわざ引き出す必要なんて無かった。訊かずとも、答えずとも、もう知っている。彼を悦ばせることができるのは、彼という存在そのものをすり減らすような殺し合いの中にしかないのだと。そして自分が、その期待に、期待以上に応えられているだろうことも。
剣、槍、斧、槌。降り注がれ、突き出され、振り上げられては叩きつけられて。またしてもその姿が変わる。鈍器かと思えば鈍器に代わり、黄金色に瞬いたかと思えば黒塗りの鋼へとまた変遷する。流れる水のように、二度として同じ姿をした武器にはならなかった。剣という括りで見れば同じかもしれない、しかし新たな形を得る度にその詳細な造形は見たこともないものとなっていた。
なるほど、手を変え品を変え。その方が楽しいということだろうか。こんな時までそんな事ばっかり、そう想えども今度ばかりは、叱責する訳にいかない。そういった思考回路を無理に埋め込まれているのだから、その程度の些細な振舞いには目を瞑ろう。
ほとんど勝負は決したと断じて相違ない。全力の奏白の動きに、もはや相手はついてこれそうにもなかった。先ほどからして、何とか全方位に棘を突き出して壁にしていただけだ。それが通用しなくなった今、防御などできないのだろう。
ならばできることこそするべき。打たれながらも、蹴りつけられながらも、次々と殺意を飛ばしてくる。悪意という刃で切り付けてくる。光輝き、そのまま燃え朽ちてしまいそうな眼光を爛々と煌かせて。屈託の無い笑顔だった。実際にしているものなど、ただの殺し合いだ。快楽など本来あるはずもない。鈍痛と負傷に淀んだ澱の中へ沈んでいるだけに過ぎない。
鼻先に迫る短刀を避ける。避けずとも今の状態の彼であれば、触れるだけでその刀を砕けた可能性はある。しかし、油断は禁物。命を奪いかねない刃物なのだから、警戒に超したことはない。
悪あがき、時間稼ぎ。そんな発想が現れてはすぐさま立ち消える。そうきっと、この男はそんなことなど微塵も考えていないのだろう。ただ自分が、一秒でも長くその極楽の秘湯に浸かっていたいだけだ。奏白と相対した強者のみに理解できる、この男と渡り合えているという高揚感に、刹那の誤差に過ぎない一瞬であろうと、それでも長いこと満たされていたいだけだ。
拳を交えて理解できる。この男には勝てないと。こと闘争において反則じみた能力を持つこの男を、認めずにはいられない。だからだ、仕方が無い。英雄を名乗る星の下に生まれたような男に、自分が立ち向かっている事実を誇ってしまうというのは。
これまでずっと一振りの大得物を操って来た従者であるが、最後に彼は手にしたたった一つの武器を何十というナイフに変化させた。子安貝の首飾り、それの持つ能力は言うなれば錬金だ。原子レベルどころではない、中性子や陽子レベルで物質の再構成を行う。能力の対象となる物体には、非生物であることや重量制限など、様々な縛りこそ設けられているが、それを守っている限りは原材料の変化から形状の転換まで全てが術者の思うまま。燕が貝など生むはずはない。それと同様に、鉄の板切れが金貨に変わるはずはない。それと同じ、あり得ないはずの因(おや)と果(こ)の間に縁を結ぶ。
腕に、足に、首筋に。鉛色の切っ先がぴとりと触れた。だがその瞬間、またしても空気は竦み上がり、怯えたように強く震えた。アマデウスの能力により、強力な音波が奏白の全身から放たれた。もはや音と呼ぶにはあまりにも暴力的過ぎる、単なる大気の振動。一時は奏白の肌に触れたはずのナイフも、その皮を切り裂く事も出来ずに砕け散り、はじけ飛ぶ。
小刻みに震え続ける削岩機のような拳が、とうとう従者の鳩尾に再びねじ込まれた。皮膚が破れ、筋肉が露出する。だが、そこまでだ。グッと歯を食いしばり、腹に力を込めてそれ以上抉らせない。腹を貫かれかけてもなお、その目に映る最後の灯火は死せず、より強く輝きを増して。
武器は失ったか。その問いの答えは決して否だ。戦とは、槌で将の頭をかち割るに非ず。槍でその心臓を刺し貫くに非ず。己の胆力を以て敵の矜持を打ち砕き、踏み躙り。たとえ牙が折れようと爪が剥がれようともその命を引き裂くものだ。
外聞も、恥じらいも、歯牙にかける余裕は無い。躊躇いなど、月面にでも捨て置いてきてしまった。己が与えられた命令は何か、腕も足も動かぬ現状でできることは何か。思い至った従者はと言えば、目の前の捜査官の首筋めがけて大きく口を開け、尖った犬歯でその肉を食い破ろうとする。
その意気や良し。だが、辛くも、その牙はかの天才に届くことは無かった。腹に叩きつけられていた衝撃が消える。目の前にいた男の実像すら消える。目の前の情報の処理さえ追いつかず、虚像に縋り、むしゃぶりつく思いで強靭な顎を打ち鳴らせども、手ごたえさえもそこには無い。
背後か、上空か。それとも、眼下か。それらのあらゆる可能性は打ち消される。この期に及んで不意など討たない。奏白は目の前にいた。僅かに身を退き、歯の打ち付けられる範囲外に逃れただけだ。瞬きを一つする間に、いつしか再び眼前へ。肩で切られた空気が乱れる。風が吹き、満身創痍の従者の羽衣を揺らした。その熱量はアマデウスのオーラ故か、体温故か、はたまたその男が胸に灯した情熱に由来するのだろうか、あまりの熱さに焦げ付いてしまいそうになる。
まだ自分とて、灰となって消えてしまう訳にいかない。ひりひりとするやけどのような刺激は全て錯覚だ。炎症も起きていない、水膨れもできそうにない。日中のように明るいとはいえ、晩夏の夜風は冷たいままだ。音の衝撃で弾き飛ばされた刃の残骸を再びかき集めようと、意識を子安貝のネックレスに向ける。しかし、それよりも速く伸びた手が、主君より与えられた宝を掴み、繋ぎ止める意図を引きちぎった。
一繋ぎの神秘が、ばらばらに崩れていく。七色の宝石たちが、一つ、また一つと孤立していく。モザイクの群体が、赤は赤、青は青へと、散り散りに。統制の無い虹色の集合体が、ただ一色の個体となっていく。その方が、一個体として統一された、規則的で美しいものであるはずなのに、何故だかずっと醜く見えた。闇鍋のようにただ豪華に、統率も取れないままに連続した首飾りになっていた方がよほど美しい。
どこかで見覚えがあった。これは一体何と同じなのだろう。散り散りに零れ落ちていく、自分が身に纏っていたはずのタカラガイを見つめながら、薄れゆく意識の中で、ひたすらに走馬灯を見ていた。千年生きたこの自我が、終わり際に余韻を噛み締めるように、無感情に過ごした日々を振り返っている。
その今際の、己が生きた記録の再生の終わり。最後の最後に、彼が気持ち悪いと思い至った、モザイクの群体が個々の要素に切り分けられる様子を目にした。かぐや姫が、わざわざ心を分断し、感情を自分たちに分け与えたあの日のことだ。
奏白の言葉が蘇った。楽しいことを喜べていない。だから自分は奏白から醜く見えてしまったのだろう。これならばいっそ、何も持っていなかった頃の方がよかったのだろうか。常人であればそのように後悔するのだろう。しかし、悔やむ心さえ彼は持ち合わせていなかった。
ともすれば、彼にできるのは一つだけ。もう、肩から先は動かせない。足とてただの鉄棒のようで、膝を曲げる事さえも叶わない。動かせるのは表情のみ、完膚無きまでの敗北だ。あれだけ大見得切っておいて、小悪党のように散っていく自分の最期は、ちっとも面白くなどなかったけれど。
彼は自身の終幕に、目の前の男に対して見せつけるように、破顔してみせた。
口にせずとも、楽しかったよと伝えられるように。
目にした茶髪の男はというと、眉尻を僅かに下げ、馬鹿野郎がと小さく呟くことしかできなかった。
靴のつま先から、あるいは右手の中指の先端から、世界に溶け行くように消えていく。黄金に輝く星屑のみをたなびかせ、散り際に一際大きな光を見せて、蝋燭のように消えていった。
感傷に浸る暇は無い。けれども、数秒の間だけ奏白はただ茫然としていた。楽しかったのは自分も同じだ。だからこそ、相対していたあの側近の男のように、自分もいつしか変容してしまうのではないかと危惧してしまう。
誰かを助けるふりをして、ただ自分が戦場に溺れていたいだけなのを誤魔化してはいないだろうか。強く否定できるだけの自信は、さらさら無かった。
しかし、そうずっとくよくよと立ち悩むこともなく、意識を切り替える。本当に、そんな人間になりたくないのならば、ここで動かずしてどうする。早いところ下に降りて加勢に向かうべきだろうか。
その躊躇を吹き飛ばすように、熱風が背後に吹き荒れた。何事かと振り返れば、黄金ではなく紅蓮の業火。夜だというのに真昼のような光景が広がっているが、とぐろを巻いて全身を炎で覆った龍の姿はまさしく太陽の化身に他ならない。
真凜もまだ戦っている。加勢するとすればそちらを優先するべきだ。即座に討ち倒してしまえば、真凜も無事なまま二人そろって下の面々のサポートに駆けつけられる。
彼の妹がメルリヌスの魔力を用いて解き放つ光線と、龍の顎から溢れ出る熱線とがぶつかっている。先ほど対峙している姿を確認した時と比べ、さらに熱量が上昇していた。流石はここまでその余波が届くまではある。
近づこうにも、融け落ち、燃え尽きてしまいそうな空気に足が止まる。自分の能力ではこれ以上近づくことができないと察した。真凜はというとメルリヌスのヴェールを身に纏い、熱気を遮断しているようだ。濃紺のオーラがスノーボードごと、彼女の身体を中心としてぐるりと取り囲むよう展開されている。
次第にその火力を増す龍の怒号は、まさしく発散されない憤怒が募り募っていく様子と同じだ。より強く、より熱く、より赤く。次第にぶつかり合う二色の砲撃、その均衡が崩れ始める。空色の光線が、次第に押し返されていく。蛇の舌のように、真紅の炎がメルリヌスに絡みつき、呑み込んでいく。
押し負け気味なのは重々承知だ。意地を張り合うつもりは真凜には無い。押し返せないならば別の手段で弾くだけのこと。虹色の天板を多量に展開する。衝突した熱線はそれぞれ明後日の方向に勢いを削がれ、弱体する。何とか威力は減衰させたものの、それ以上のペースでまたも火力は上がっていく。小賢しい手段でしぶとく抗う姿に、より一層ご立腹のようだ。
だが、この灼熱の息吹は吐息の延長。肺の中身全てを吐き出せば限界は来るはずである。その推測も未来視により確定しており、予定通りの時刻に灼炎の嵐は収まった。
しかし、奏白にはそれ以上近づく手段が無かった。オーブンの中と同じように、人の身を焦がすほどに熱された大気の中に踏み込む手段を彼は持っていない。メルリヌスは膨大な魔力を身から放つことで術者が安全な空間を作り出せるが、アマデウスにその能力は無い。周囲の大気を押しのければ呼吸ができず、息を吸えば体の芯から焼け焦げていく。そんな空間に踏み入るだけの能力を、奏白は有していなかった。
胸に蓄えた空気こそ吐き尽くした。されど、その身体の中に燻り続ける憎悪にも似た激情は、未だ燃え盛り続けている。むしろ吹けば吹くほどに、終わらない抵抗へと苛立ちを募らせる。鱗の下に隠した筋には力が込められ、頭には血が昇っていく。腸を煮えくり返らせるほどの衝動は止まることなく体の芯から湧いてきて、それを持て余した天に座す大蛇はと言えば、その怒号を一つ南天に轟かせた。
もはやそれは声ではなかった。意味のある言葉の羅列であるとは誰にも肯定できなかった。死ね、と、許さない、と、さらに汚く聞くに堪えない言葉とが、磨り潰されてどろどろになって捏ね混ぜられていた。
そして尾が打ち付けられたかと思えば、その長細い体が踊る。一直線の軌跡を残し、真凜のいる側へと襲い掛かる。その勢いは真凜が飛ぶよりもずっと速く、予め察知していなければおそらくは回避などできようもない。
その予見があるからこそ、奏白も安心していた。しかし、迫る龍を前にして微動だにしない真凜に違和感を覚える。よくよく確認してみようものなら、彼女はもう、とうに肩で息をするまでに至っていた。呼吸さえも苦しくなってきたか、肺の辺りを手で押さえ、喘ぐように空気を取り込んでいる。
そこまで追い込まれていると気が付けなかった失態に、今更ながら焦燥する。自分も充分に消耗していたのだろう。何せ刻一刻と移り変わる武器の形状に追いつき、受け流し、回避せねばならなかったのだから。その困難は熾烈極まる。変形自体の速度が音速を超えていた以上、常に音也自身も気を配りっぱなしだったのだから。
そもそもその熱気の中に割って入る訳にもいかない。そこに辿り着く頃には間違いなく消し炭だ。そのせいだ、彼には傍観しか許されていないのは。
「おい真凜!」
呼びかける声が虚しい。龍の牙はその声よりも速く、彼女の身体にまで届いてその肉体を突き破ろうとしている。食いちぎり、引き千切り、糧とすることも無く吐き捨てようとしている。
彼の悲痛な叫び声も虚しいまま、彼の目の前で対峙する二人の決着は、無情にもついてしまった。