複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.120 )
日時: 2018/12/17 22:06
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)




 指先がかじかむ感触はまだまだ僕にとって新鮮なままだ。徹底的に気温が管理された施設で育ってきた僕は、体温調節機能が常人と比べて著しく弱まっていたらしい。夏には熱中症で何度死にかけたことか分からない。冷房の効いた保健室と、今一冷え切らない教室とを行ったり来たりしながら授業やテストを受けていたが、よく人並みの成績を保てたものだと我ながら感心する。
 体育の授業なんかも休むわけにいかない。けれども、せっかく手に入れた人間らしい生活なのだからと思えば、欠席しようとも思えなかった。人間というのはそこそこ成長する生き物らしい。弱かった発汗機能も鍛えられ、何とか高温多湿の日本にも適応できるだけの身体を僕は一度目の夏にして手に入れた。
 けれども、夏があれば冬も来るのが日本だ。地軸が二十三度ともう少し傾いているから、陽の差す時間と角度が変わるから、科学的にはいくらでも理由はつけられると知っている。けれども、何故わざわざ冬が来るのかと愚痴を漏らしても、結局のところ「そういうものだから」で窘められてしまう。愚痴を言うだけの心の余裕なんて僕には無くて、赤くなってしまった指先に、そっと吐息を吹きかける。じんわりと、暖かさが滲んだ。
 今度手袋でも買おうかな。今年は厳冬になるとニュースで見た。テレビは以前から見させてもらっていた。来る日のために社会情勢を学ぶためだ。道徳教育を施すために、バラエティや創作物の類は子供向けのものしか許されなかったけれど。しかし、液晶越しに世界を覗いているとき、僕はまるで鳥かごから解放されたような心地になれた。今となってはその空も、この目で見ることができるけれど。
 暑さには慣れたのだけれど、寒さにはまだ順応できない。春も夏も、秋だって一緒だ。今年が初めて。花粉症こそは、一年目だからこそ無かったかな。けど、秋口の冷え込みにはついつい風邪をひいてしまった。インフルエンザの予防接種なんてものも初めてだった。細い針を、ちくり。琴割さんの躾と比べたら、ちっとも痛くなんてないけれど。じんわりと滲む自分の血を目にすることも、僕には新鮮で。
 生きてるんだって、教えてもらったみたいだった。

「生きているというなら、こうして震えてるのもそうかな」

 下駄箱で靴を履き替えて、知人のいない昇降口を出た。乾いた風がいたく寒い。身体から熱を奪うだけじゃなくて、そのまま肌を突き刺して痛めつけてくるみたいだった。そうやって凍えてしまいそうな今に抗うために、僕は必死に体を震わせていた。意図している訳では無い。多分、意識すれば抑えることもできるだろう。
 けれども何故だか、そんな気分にはなれなかった。不随意の運動だから、それに抗うというのがとても不謹慎なように思えたからなのかな、だなんて。どことなく哲学チックな感傷を、誰よりも幼く見える僕なんかが抱えているのが少しくすぐったくて、誤魔化すためにもより強く体を揺すって見せた。
 鞄からマフラーを取り出して首元にぐるぐると。風が遮られて幾分かましになる。僕には、風を避け合うような友達なんていないから、こういった防寒具は大切だ。これから部活動に勤しもうとしている級友たち、あるいは先輩たちを傍目に僕はただ校門の方へと向かう。
 並んで歩く皆は、互いに大切な友達を、あるいは恋人を木枯らしから守るように寄り添っている。たったそれだけの様子に、眩しさを感じてしまう。小学校以来の友達も、クラブ活動で手に入れた友人もいない。女子から可愛らしいとからかわれるけれど、誰かと親密になるようなこともない。
 僕にとって他人の温もりというのは、きっと暖炉の炎などではなくて————空を見上げる。日は短くなったが、それでも三時の太陽はまだ高い。————あれと同じだ。求めても、求めても、近寄れなくて。近づくほどに傷ついてしまう。
 明るい道に踏み入れば、きっと僕は戻れなくなる。今後廃棄されてしまう未来を思うと、大切な人など作るべきではない。後五年と少し、それが僕に許された僅かな自由だ。その日までに自分の守護神を飼いならせないと、新しい契約者候補を生み出すために知君泰良という物語の幕は下ろされる。
 それはもう、避けようがない。何せ僕にはもう、ネロルキウスと向き合うだけの勇気なんて残っていない。誰かがまた、僕の胸に火を点そうとしない限り。どうせ駄目だという諦めと、言いようのない恐怖が、べったりと、タールみたいにこの心の奥を侵している。
 だから別れの刹那に、悲しいだなんて思わないように。思わせないように。僕は大切な人なんて作らないまま、大切な思い出だけを紡いで、後悔は無かったって、頑張って下さいねと琴割さんに伝えて、そうやって死んでいくんだ。
 植物は夏にぐんぐん育ち、秋に己の集大成を見せつけ、冬には枯れていく。冬というのは死の季節だ。だからなのだろうか、独り道行くその最中に、そんなことばかり考えてしまうのは。ひらひらと舞い落ちる枯葉が、あっちに行ったり、こっちに来たり。まるで、翻弄されている誰かさんのように。
 師走の十七日。そう言えば、例のイベントまで、もう後少しといったところか。赤い帽子に、豊かな白髭。鈴を鳴らし、トナカイと共に雪原でなく夜の帳を駆け抜ける。そんな姿を信じて疑わない子供はまだ今の世の中にもいるらしい。何時の時代も人間は、お伽噺や幻想が大好きだから。
 いや、サンタはいると言えばいる。シンタクラースという守護神がそれに該当するという話なのだけれど。あるいは、ニコラウスさんだろうか。
 校門を横切ろうとした時の話だった、最初それは、僕に宛てたものだとは思っていなかった。

「おーい、無視すんなよ」
「……僕ですか?」
「しかいないだろ、ここにはよ」

 見た顔だった。確か、同じクラスにいる。出席番号は僕よりも先。いつも人々の中心にいて、いつかは捜査官になるんだと豪語する少年。友達が多くて、社交性に満ちていて、僕の対岸に住んでいるような人。
 確か、苗字もそれらしいものだったはずだ。星みたいに、きらきら光っていそうな特別な印象を覚えるような。
 そう、確か、王子くんだったかな。

「あれっ、王子くんって部活動してないんですね」
「おう、ジムとか行って鍛えてるんだ」

 捜査官目指してるからな。そう続けた彼の語調は、教室で聞き慣れたものと全く同じだった。
 直接僕に向けられた声じゃなくて、耳に飛び込んでくるだけの声だったけれど。それでも、その言葉が印象的に残る程には、何度も繰り返し聞いたことがある。
 けれども、どことなく彼からは悲劇の香りがした。蠱惑的な色の花弁が散るようなイメージさえも思い浮かぶ。何となく察してしまった。これもひとえに、ネロルキウスが全知の能力を有しているせいだ。
 彼の守護神は、この直感が正しいとするならば、フェアリーガーデンに住んでいる。
 この人は、いつその現実と直面するのだろうか。その時に彼が如何ほどの衝撃を受けるのかと想像すれば、胸が痛んだ。そんな僕の胸中のしこりなど知らない彼は屈託なく話し続ける。

「今年のクリスマスさ、放課後の教室使わせてもらってクラスでちょっとしたパーティーしないかって話が出てんだよな、知君もこねぇ?」
「……いいんですか?」
「はあ? 変なこと言うなよ。クラスメイトだろ」
「でも、僕はそんなに誰とも仲良くは……」
「だからだろうが。もう一年の折り返し過ぎてんだ、そろそろ俺らとも仲良くしろっての」

 今仲良くない、はこれから打ち解けない言い訳にはなんねえぞと、目の前の彼は僕の肩を叩いた。

「いっつもいっつも話しかけなかったら隅で本読んでるだけじゃねえか。折角頭いいんだから今度勉強教えてくれよ」
「でも、僕なんて……」
「だー、もう。うるせえ、俺たちからの贈り物だと思って黙って受け取りやがれ」

 随分と横柄な口ぶりだ。でも、分かる。その横柄な口ぶりが本意でない事ぐらい。
 ちょっとだけいたずら心が芽生えてしまう。口角を、僅かに持ち上げてしまったことを自覚した。先ほど胸に芽生えた胸の痛みも吹き飛んで、彼の明るさに照らしだされてしまった。
 どうも世界というのは、舞台端に隠れようとしても、スポットライトを当ててくるらしい。有難迷惑なようにも思えるけれども、こんな友人ができるのならばそれは喜ばしいことだろう。

「随分くさい台詞が好きなんですね」
「……うるせえ」
「かっこいいと思いますよ、そんな俯かなくても大丈夫です」
「照れてねえし。とりあえず! 来週! 絶対放課後すぐに帰んなよ!」

 照れてるなんて指摘していないのに。弁明する様子が、何となくおかしくなって、紅潮したまま背を向けた彼の後ろ姿に吹き出してしまう。
 照れ隠しなのだろう、足早に彼は歩き去っていく。
 次第に開くその距離を目にし、思わず僕は彼を呼び止めていた。「王子くん」。そう、僕が呼び止める声は誰も居なくなった校門前の空間に吸い込まれていくように消えていく。立ち止まって、首から上だけ振り返った彼と、再び目が合った。

「ありがとう」
「それでいんだよ」

 最後までかっこつけるようにして、正義の味方は去っていく。
 誰かと共に過ごすことも、誰かから与えられることも、そう悪いことではないのかもしれない。そんな風に思え始めた。
 本当に、死に際に後悔したくないなら、きっと人とのふれあいも大切にするべきなのだろう。誰の手も握っていないのに、他人の体温に触れてすらいないのに、何となく今日ばかりは帰り道の向かい風さえも、暖かく感じられた。

 その後、ちゃんと僕には友人ができた。残念なことに王子くんとは所属する集団が少し違ったようで、中学にいる間に彼とは両手で数えられるほどにしか接さなかったけれど。
 それでも、あの日から。僕にとって初めての友人らしき存在は彼に他ならない。
 震えたphoneに、奏白さんからの着信が入った。あれから大体三年と半年、梅雨の空模様は鼠色の絨毯が敷き詰められたようであった。今にも振り出しそうな天気を目に、同じように曇天の笑顔を貼り付けた彼の表情も目に映る。確かに、笑顔ではある。けれどもあの日、まだ捜査官になれると信じて疑っていなかった寒空の下で見せた屈託の無い笑顔とは、到底かけ離れた代物だ。
 僕に友達をくれた、お節介なサンタクロースに、いつか恩返しがしたい。ただひたすらに、僕は願う。
 いつか彼が、人魚姫と出会えますように、と。
 そんな事を願ったのは、彼が本当に運命の女(ひと)と出会う、ほんの少し前の一日であった。



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こんな過去もあったかもしれない、という寄り道アクセスでした。
時期としては知君たちが中学一年生の頃の話。
それを現在の彼(File0と1の間の時期)が回想している形です。
何となく季節に沿う短編を書きたかったので書きました。
近いうちにちゃんと本編も更新しますので、よろしくお願いします〜。