複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス【本編】 ( No.122 )
- 日時: 2018/12/24 22:28
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
「あな悲しや、仏様。無様にも貴方に尻餅をつかせてしまった私をお許しください。そして考えも改めましょうぞ。ネズミとて群がれば四肢をも食いつぶすのだと認めましょうぞ」
うろの様に暗く淀んだ双眸が、ふいと太陽から視線を逸らしたと同時に、号哭と共に慙愧を口にした。彼の思っていた通り、警官の群れとの交戦は終始哀の従者にとって有利に進んでいた。捜査官達は一手として反撃に転じることもできず、天変地異のように暴れ狂う巨大な銅像に抵抗の余地などありはしなかった。
しかし、反撃の糸口が全く掴めていなかった彼らも、次第に学習する。劣った地上の民と言えど、学習能力に関しては目を見張るものがある。主君であるかぐや姫から刺された釘を再認識した。初めから完成されている自分達とは違う、成長という不確定因子を侮るべきではないと。
蹂躙など容易い、児戯のようなものだと妄信していた。しかし、結果はどうだ。確かに逃げ惑う捜査官一同を一方的に追い回してはいたが、満足な結果どころか戦線離脱者さえ一人も出していない。
フェアリーテイルとの戦闘において、その危険度の高さは重々承知の捜査官達だ。まずは逃げ延び、生き延び、付け入る隙を探し出すことこそが肝要。それが定石であり、逸ってはならないと理解している。
そうとも知らない、涙の途切れぬ月の民は、飛んで火に居る夏の虫だとばかりに、辺りに散らばる捜査官達を乱雑に腕を振り回して牽制しているばかりだった。実際は飛び込んでくる虫などではなく、虎視眈々と弱みを探る犬の群れだと思わなければならなかったというのに。迎撃でなく、自ずから攻め立てねばいつまでもその手が届くことは無いのだという単純な事実にさえ、気が付くことができなかった。
「個々で見れば矮小とばかり思っておりましたが……。群れるという特性がこれほどまでに恐ろしいとは」
己の不甲斐なさに彼は震えていた。主より与えられた使命を、行く手を阻む捜査官の殲滅という大義を為し遂げられない非力さが、悲しくて堪らなかった。この能力を、御仏の加護を与えられたというのに。かぐや姫はその手腕を信用して派遣したというのに。
怒りは無い。目の前の彼らとて生存に必死なだけだ。ただ天命の為すがままに命を散らす生命などありはしない。足掻き、苦しみもがいて奮闘した挙句、命運が尽きたその時にようやく生命は覚めない無窮の眠りにつく。ならばこそ、こうして自分に歯向かってくることに何の不満も持つまい。または、楽の感情を賜った同胞のように、高揚するようなこともない。
ただ哀れに思ってしまう。そのか細い命の無為な抵抗が、あまりに可哀想で悲しくて。涙が出るのを抑えられなくなる。どうして、死ぬと分かっているだろうに。散ってしまうと悟っているだろうに、こうして一丸となって前進できるのだろうか。それとも、理解できていないのだろうか。これだけ兵力に差があろうとも、たった一騎のかぐや姫の従者を取り押さえることができない事実に。
もしそうだとすれば、その無知と無謀とが嘆かわしい。知性が追いつかぬというのはどうしてこうも無様であるのだろうか。降り注ぐ重力の力場など歯牙にかけることもなく、ただただ赤黒く淀んだ血涙を、哀の従者は流していた。ぽたりぽたりと地面に落ちては、落ちたところから消えていく。人間であればその赤は見苦しく広がってしまうところが、彼は人ではない。滲んでしまうよりも早く、星屑のごとく瞬きながら消えていく。
操作する仏様は、確かに大地に固定されたかのごとく身動きを奪われている。されど、それは出力の問題だ。好機とばかりに群がる人々の顔には、希望を見つけた光が灯っていた。馬鹿馬鹿しい。彼らに希望など何一つ残っていはしないというのに。
その、無数の灯火を一息に消し飛ばしてしまう己の無残な所業を思えば、涙の堰はもはや、作ろうにも作れない。これ以上、溢れ出る藍色の感情を身の内に留めたままにしておくことなど不可能だ。元来、彼も他の雑兵同様に心など持っていなかった。仏の御石の鉢を賜ったあの日、初めて与えられた喜怒哀楽の一つ、“悲哀”。端から必要の無かった心のダム、それはもはや新たに彼の中に建設する事など不可能だった。それゆえ、とめどなく湧き出でる激流の如き感情を、涙腺から垂れ流すことしかできない。
悲しいのはそれだけではない。彼から見た同胞の様子は、それもまた悲劇的に映っていた。龍化の宝珠を授けられた、憤怒に囚われた戦士においては、その激情が精神と肉体を蝕んでいるとしか思えない。あんな烈火と変わらないものを賜った事実が、同情を禁じ得なかった。あれは、これ以上と無い毒だ。悲しみ知らずして怒りと付随する憎悪のみを知覚している以上、それを嘆くことはできない。怒れば怒る程、薄汚れた感情に毒された己への耐え切れない劣等感がまた沸き立つだけだ。それを悲劇だと嘆くこともできない彼は、苛立っている事実にまた一層の苛立ちを募らせるのだ。
それをわざわざ破壊衝動へと転換させようというのだから、かぐや姫の発想は人が悪いという外無い。最適、ともいえる。古今東西において激怒以上に、衝動的な感情などありはしないのだから。
「誰しもが知り得ぬその悲しみを、私が感じてあげましょう。ならばこその御仏の力。であれば、このような蟻の群れに、かかずらっている訳にはいきません」
鉢から放たれる玉虫色の光がより一層に強くなる。木漏れ日が差し込むのと同じように、光の線が幾筋も走っていた。警戒を強め、突撃をやめて跳び退いた警官一同であったが、その光を浴びても別段体に異変は無い。こけおどし、あるいはただの威嚇だろうか。そう思っていた時のことだ。
太陽が止めていたはずの大仏が体をもたげた。ぴくりとも動いていなかったはずの指先が、次第に動き始める。光が筋となっているような姿から、ようやく察した。この光は糸だ。浄瑠璃の人形がごとく、あるいは傀儡のごとく仏の玉体を操作している。
「おい今重力十倍だぞ……」
「そうでございましょうそうでございましょう。しかし我々が普段住まう地にかかる重力は本来地球の六分の一。しかし、この地上においても変わらず行動が可能です。ええ、我々は元来住んでいる大地の百倍まで耐えられるように設計されているのです」
というのは、月から地上へ進行する可能性だけではなく、地球外の、より強い重力を持つ星の上でも戦えるようにという前提ありきだからだ。かぐや姫、およびその契約者は牛車に乗って宇宙にまで進むことができる。そのために従者である民草には、働き蟻として不足の無いように、完璧な設計が為されている。
そのため、地球のおよそ十六倍の重力までは委細無く体を動かせられる。
「まあ、実際人間ありきの能力ですので地球外に向かうことなどありはしないのですがね。折角の性能を持て余すというのも、また実に悲しいことです」
「はっ、そうかよ」
太陽は反駁する。確かに大きな力を持っているというのはそれだけで胸を張れる事実だ。しかし、その大きな力を、振るう機会が無い世界こそ、自分たちが求めてやまないものだ。
「今、俺たちは、戦争やめるために争ってんだよ。馬鹿馬鹿しいだろ?」
「そうとも取れます。しかし致し方ありません。君主の命は我々従属にとって至上の命題。それに勝り、優先する事物など何一つ存在しませぬ、名も知らぬ警官」
「太陽だっつってんだろ。てめえらの住んでる場所とは正反対だ」
なるほど、そう言われると覚えやすい。悲しみが一旦薄らいだのか、御鉢を抱き続ける従者の男はというと、流す涙を一度止めてみせた。これからはきちんと名前でお呼びしましょうと続ける。ただし、条件を一つ添えて。
「貴方が鬼籍に入るまでの間ですが」
「そうかよ」
効いていないというのならただの体力の浪費、それゆえ太陽は一旦能力を解除した。より強い重力をかけてしまえばいいように思えたが、単純に今から強めたところでアイザックのスタミナが持たない。効果的なタイミングで足元に一点集中して負荷を増やし、動きを止めた方がよほど効果的だ。
加重の倍率をあげるほど、効果範囲を広げる程、消耗が大きくなるのがアイザックの強くなりきれない部分だ。アマデウスはアクセス中、無尽蔵に能力を使えるのとは対照的、どちらかと言えば魔力を借りてそれをエネルギーに転じているメルリヌスの方が近い。
急に体重が軽くなり、羽のようになってしまった大仏の身体がまた揺らいだ。体勢は崩れ、今度は前向きに躓いてしまいそうになる。
「今だ、かかれ!」
後方で誰かが指揮した。それに従って隊列を作った警官達が契約している守護神の能力を一斉に行使した。前に猛進しなかったのは、決して警戒を保っていたためではない。下手に近寄れば、体勢の崩れた銅像の下敷きになると判断したためだ。むしろ、油断しきっていた。本気を出したように見せて、太陽の機転にまんまと嵌まったように見えたせいだ。
暗がりを裂く雷鳴が、空気を砕くような氷の槍が、戦場を彩る炎が、一目散に標的へと降り注ぐ。今にもまた頭から地面に叩きつけられそうな御仏、その巨大な体躯を支える足に、太い血管が浮き出る程に力が込められた。
踏みしめた大地から、再びアスファルトの砕けた粉塵が舞う。灰色の煙が太陽たちの視界を奪うように広がったかと思えば、次々と火炎や雷撃の能力に打ち消されて燃え尽きていく。ただ、倒れ伏してしまうかと思っていた青銅の体躯は地に膝つくようなこともなく、空間を両断するかの如く、大きく腕を横に薙いだ。
弧を描くように並んだ警官が、円の中心を穿つように放った極彩色の能力の断片。それら一切が一息の間に、引き千切られ、掻き消える。ただ腕を一薙ぎした、それだけだ。しかし巨大な質量というのはそれだけで恐ろしい。吹き荒れる突風に、立っているのもおぼつかなくなる。千年生きた大樹のような腕が、天狗の葉団扇を思い起こすような嵐を起こす。先ほどから粉々に砕かれている道路の残骸は、礫となって捜査官一同に襲い掛かった。
「腕振るだけでこれかよ」
太陽は咄嗟に能力を再使用し、降り注ぐ礫を地面に叩きつけた。いち早く反応していた別の警官達も、各々能力で壁を展開したところだ。かすり傷、軽い打ち身程度は負ってしまったようだが、それでも致命傷はまだ負っていない。
「どうしました? 活力が失われたようですが」
「いやいや、冗談きついぜ」
「ご安心ください。既に本気です。これ以上は強くなりませんとも。これ以上の成長が見込めないというのは、嘆くべきことなのでしょうが……此度はあまり影響しないようでございましょう」
なぜなら、蹂躙できるだけの目途は立ったためだ。
「今の奇襲で仕留めきれない。その時点で勝負は決したも同然でしょう。ええ、ここから先は私の苦手な消化試合に他なりません。なぜなら、あなた方の決死の抵抗は、見ているだけで私の胸を打つ。死んでたまるか、負けてなるものか。そんな無情な宣言も、奪わないでくれとの号哭も、命乞いも全てまとめて洗い流してしまう。暴力という名の濁流に任せるがままに」
もしもこの場に居るのが奏白 音也だったならば。相性は最悪だっただろうと仮定していた。大仏は確かに、素早く動くことができる。しかし、それは音速には到底届かない。それ以上の速度で飛び回る奏白 音也には敵うことなく、すぐさま天子より授けられた御石の鉢を砕かれ、無力化されていたことだろう。
そしてその速度は、今述べた通り奏白には愚か、もう一人の要注意捜査官、真凜にさえ届かない。単純に速度で追いつけても先読みまで考慮すると、どうにも捉えられたものではない。それらを上空に拘束できたのは僥倖という外無い。あの両者さえ存在せし得ぬ局面であれば、この御仏の重量だけで無双するに事足りる。
もう一人、残る喜びを授けられた従者は目的の地点へと向かっている。そのための大きな要石を、自分含む三人で構成している。奏白両名のあしどめを為し、見ただけで派手なこの仏の御石の鉢を以て、残る捜査官の多くを釘付けにし、残った一人が王子 光葉を隠密裏に暗殺する。
今までの戦闘を参照するに、フェアリーテイルの治癒を行えるのは人魚姫ともう一人、素性の知れぬ気弱な少年の守護神のみ。少年の方は白雪姫に苦戦していたことなどから、その正体はほとんど割れている。ならば、かぐや姫にその少年は能力を発揮できない。シンデレラに対しても同様だ。
この最後の戦は不平等だと、かぐや姫と『五人の』従者は理解していた。人魚姫の契約者を殺してしまうだけで、もうかぐや姫もシンデレラも止められない。特にシンデレラには、タイムリミットが設けられている。その火薬を用いる必要があるか無いかはまだ分からない。しかし、相手が正義の味方であるからこそ、最終目標が琴割 月光に泥を塗るということから、その時限爆弾は何よりも強い作用を示す。そしてそれを取り除けるのが、王子 光葉ただ一人。
その一人さえ手にかけてしまえば、もはやその時点で、撤退するだけで構わない。
その役目を担っているのが火鼠の衣を与えられた歓喜に打ち震える眷属であるのは、敵方の視点に立てば不愉快なことであろう。唯一勝利を喜ぶことができる兵士こそが、この戦の終止符を打つことになるのだから。
悲しい。捨て石のように自分が使われていることが、ではない。ここで死に物狂いの形相で抵抗している彼らが、まさしく無駄でしかないという事実が、だ。この太陽と名乗った男は、数少ない火鼠の衣を看破できる能力を持っている。最高クラスの防護能力、それこそが火鼠の衣が有している月上文明の恩寵。あの衣を引き裂くことができるのは、それこそ日本一の剣豪でも無ければ不可能だ。
悲しい、その空虚な思いを紛らわすことができる唯一の手段を、仏を手足のように扱うその男は持ち合わせていた。それこそが、一方的な蹂躙と虐殺。彼らが抵抗した意味というのは、死に抗うためという理由によって裏付けることができる。そのためには、ここで自分が彼らの命を散らしてやらねばならない。
「無駄な抵抗でない、無残な玉砕を授けましょう。決してその抗戦を、無意味に等させません」
「まぁた何か言ってら」
それは、王子のすぐ傍に暗殺者が忍び寄る、数分前のことであった。