複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.123 )
- 日時: 2019/01/08 00:30
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
もう、幾度となく繰り返された地響き。瓦礫の打ち付ける喝采は、捜査官一同の死を今か今かと待ち構えていた。それは豪華な晩餐を前にした囚人がごとく、節操も礼儀も知らないまま、あんぐりと大口を開けて唾を呑んでいる。
御仏の慈悲だと宣いながらも、そんな優しさに準ずる感情を持たない従者は、ただ無心に御鉢を抱きかかえていた。その胸にあるはただ、主命を果たさねばならぬという機械的な意思のみ。当然、そこには一分として感情の介入している余地は無い。
磨けば磨くほど、その青銅の巨腕は猛威を奮う。石の表面につやが出る程に、その拳を振り上げる勢いは増していく。動き始めは機体が温まっていなかったと言わんかの如く、徐々にその挙動が鋭さを増していく。
ある意味では、この仏というのは人間と同じなのだろう。そんなことを太陽はふと考えた。人間も寝起きざまはすぐに動けない。恒温動物と言えども、馴らし運転は欠かせない。寝ぼけた状態から、徐々に覚醒し、ベストのコンディションまで持っていく。徐々に熱を帯びていく体は、その拍動に呼応するように、より早く、より強く駆動する。
ただ、最大限発揮される力はえらく違うようだと、立ち聳える障壁の高さに毒づく。人間が如何に努力しようが、これ程までの力は扱いきれない。これはもはや、天災と呼ぶに相応しい。荒れ狂う嵐の方がよほど近い。
地形があっという間に変わっていく。紙粘土をくりぬくように、またアスファルトが吹き飛んだ。吹き飛んで、粉々になり、地面の上を平らにしては、また抉り取られる。目まぐるしく変化する地盤に、いつしか足が取られそうになる。しかし、立ち止まったらその瞬間に終わりだ。飛んでいる蚊を叩くのと同じぐらい簡単に、その大きすぎる手は、足は、この身を打ち砕く事だろう。
「逃げる事だけはお得意のようですね!」
煽っている。その実感はおそらく無いのだろう。おそらく、心の底からそう思っているのだろう。もっと短く終わると思っていたものを、予想に反して誰一人倒れていないため、驚嘆しているのだろう。今度こそ、次こそは、そろそろ一人くらい。そんな事を想っているのだろうか。
ふざけやがって。目の端が不快感に吊り上がる。戦闘前に口にしていた。戦闘中も口にしていた。注意を払っているのは、所詮姓が奏白の二人だけだと。それ以外の人間は等しく、気を揉む必要のない烏合の衆だと言ってのけたのだ。
それを根拠に侮っておいて、いざ自分が使命を果たせないとなれば、逃げの一手だけは得意、と来たものだ。頭に来ずしてどうしたものか。
自分達とて、ここまでフェアリーテイルとの戦いを生き延びてきた、一人の人間だというのに。
かぐや姫の従者、月の住民の価値観など太陽にとって知った事ではない。名前持ち、特別な道具を持たせられた一部の精鋭、そう言った数少ない戦士にのみ、個として存在する意味があるとでも言うのか。有象無象に成り果てるしかない自分たちは、名前も無い雑兵に成り下がるしかないというのだろうか。
「んな訳ねえだろうが」
白雪姫戦において、彼の父は己が契約している守護神、ウンディーネとの契約を断たれた。彼自身その戦局においては充分な活躍などできていなかった。しかし、それでも、その人生は無彩色で無価値なものだったと言えるはずがない。
かぐや姫たちの理屈で言えば、意味がある人生というのは、奏白のような人間が歩む道程を指すのだろう。あるいは、知君が過ごしてきた日々だろうか。圧倒的強者が、その強さゆえに歩んだ痛快な勧善懲悪、あるいはそれ故に嫉まれた悲劇。
しかし、それを彩っていたのはどこの誰だ。本当に、彼らだけで世界は回っていたのだろうか。
いいや、否だ。それを否定したのは太陽では無かった。どこかのお偉いさんが言った訳でも、彼が尊敬し、敬愛している先人の言葉でも無かった。
弱いだけの人間など居ないという事を教えてくれた。
『これは、皆と一緒に戦うためのものだ』
強い人間が、常に強く在る訳ではないということも。
『僕の事を後ろで支えてくれるみんなと繋がっていられるから、勇気を分けてくれるから、自分はもう一度立ち上がれる』
失敗しても、人は立ち直れるということを。誰にだって手を伸ばせるということを。
『来てください、じゃないですね、もう。……行きましょう、ネロルキウス』
そして何よりも。
『ともに歩むということを』
それは王子 太陽という人間が、数か月に及んで妬み、疎んで、遠ざけていた少年の言葉だった。
初めて現れた瞬間から、彼はずっと知君のことを意識していた。弟と同じ制服を着る彼の姿が、まさにその弟と重なってしまったためだ。光葉は、自分が戦えない現実をあれほど苦しんでいるというのに、この芯の弱そうな細身の少年は、弱弱しい笑みを浮かべて戦場に立っていた。
弟が不憫でならなかった。そして、その弟が羨望を向ける自分よりも優れている事実さえ、疎ましかった。これじゃ、まるで光葉が報われない。三年前、彼は守護神と契約できないと事実上の不合格烙印を押された際、どれほどの絶望に呑まれたのか、家族である太陽は知っていた。級友には気丈に振る舞って、自室で泣く姿は、人魚姫と出会えた今でも胸の中に残っている。
才能という言葉が嫌いだった。それを持たない人間は、同じステージに立つことも叶わないと突き付けられているようで。ギフトを貰ったというただそれだけのことで、努力が不要になっているように見えて。自分に才能がほとんどないということは熟知していた。生まれつき自分は、彼らと同じ景色など見れはしないのだと、自分で決めつけていた。
しかし、それは才能が無いと自分を評した太陽自身が決めつけていたことだった。本当に愚かだったと言う外無い。直属の先輩だったのだから、後輩の奏白がいかに努力してあれだけの強さを得たのか、ずっと見ていたはずなのに。いつも苦悶の表情を浮かべて、涙を堪えながら戦場に立つ知君の姿から目を背けていた。
その思い込みと偏見を一息に打ち砕いたのは、天才だとみなしてずっと目を背けてきた知君と真凜だった。恵まれていると信じ込んでいた知君は、力以外何も満たされていなかった。今になってようやく、彼は沢山の人に認められた。しかし、かつて彼のことを真に認めていたのは、きっと二人かそこらだったろう。主人公みたいに颯爽と現れて、人々を救っていく英雄も、助けを求めるのだという事実を教えてくれたのは、人魚姫に叱咤されていたとはいえ、同じく知君の力を嫉んでいた真凜だった。
その真凜も、他の大多数から見れば天才に部類するのだろう。しかし彼女も、初夏の頃はまだ頭角を現しきれていなかった。天才と言っても将来有望なだけで、現時点ではまだ経験のある自分たちの方が優れていると。
そう、天才も、凡人も、あるいはたとえ出来損ないであったとしても、同じ壇上に上がることはできたというのに。その可能性を、彼は自ら否定してしまっていた。努力が届かなかったら怖いから。自分が無価値だと思いたくなかったから。
この歳になって気づいたとすれば、ひどく遅いのかもしれない。でもそれは、あまりに当然すぎる事実だった。当たり前の事だからこそ、直視できなかった。舞台というのは主役だけで作っている訳では無くて、脇役だけでもない、表に立たないまでも活躍する全ての人間によって支えられているということを。
役者が演じる人間を作るのは誰だ、脚本家だ。その役者を最大限見せられるよう試行錯誤するのは演出家だ。フィッターでさえも彼らが僅かでも美しく、格好よく見えるように努めることだろう。
それと同じだ。世の中首相と大臣だけで回っている訳では無い。会社に社員が居なければすぐに倒れるだろうし、天才バッテリーだけでは九回裏まで戦えない。エースストライカー一人ではゴールを守れず、phoneが無ければ捜査官は戦えない。
英雄はたった一人で完結している訳では無い。後ろに誰かがいるから。その涙に曇った瞳を晴らすため。共に並び立つ者と明日も笑い合うため。そんな些細とも見える理由があって、ようやく正義の味方になれる。
そのちっぽけな想いこそが、何よりもかけがえのないピースなのだ。だから自分の存在だって、不要ではない。それを告げたのが誰よりもヒーローに近しい少年だったから。これまで目を背けてきた、眩しすぎる背中だから。ちっぽけな体から、精一杯捻りだした偽りの無い叫びだからこそ、ひねくれ者の太陽でさえ信じるに値した。
「俺は正直よ、その輪の中に入ろうなんて考えちゃいねえよ」
呟きは、喧騒に紛れて誰にも知られず地に落ちた。
入る資格が無い。そのように彼は思っている。かつての過ちを悔いているがゆえだ。知君が暴走した時、『それ』が彼の望みだからと、彼は奏白が予め知君に伝えられていた通りに知君を殺そうとする側に付いた。しかし、ただ一人彼の心の弱音を聞き届けた真凜にばっさりと切り捨てられ、否定された。それはただ言い訳をして逃げているだけだと。自分可愛さしか見えてこない自己満足だと。
彼が多くの人との関りを望んでいる。ならば、彼の親友である光葉の兄として接する、ではなくて。これまでずっと疎外してしまった現実を受け止めて、彼の傍に寄り添うでなく陰からその道を舗装する。それこそが一番の罪滅ぼしになるのだと。
許されたつもりになって近づきすぎてしまうのはきっと、そうしてあげていると自分で自分を承認してやりたいだけだ。傷つけた事実が変わらないからこそ、これ以上傷つけないようにと努力する。
そのためにできることは何か。そんなものは至ってシンプルだ。この戦いで、王子 光葉だけは護り抜く。その笑顔を守るために、自分の命さえ取りこぼさずに抱えたまま前に進んで見せる。死んでも守るだなんて言葉は、使えなかった。それを口にすると、むしろ悲しむ人ばかりなのだから。
だが、決心ばかり大人ぶって、結局目の前の問題は解消できる気配は無い。じり貧になって守り続けているだけで、突破の目途など何一つ立っていない。
振りかぶった青銅の塊が、また太陽へと振り下ろされる。率先して言葉を交わしているだけあって、悲哀の従者は執拗に太陽を狙っている節があった。何とか目の前の空間にかかる重力を強め、拳の前進を減衰させる。急に錘を掴んだかのように、がくりとその鉄拳の進路は下に落ちた。しかし、超人的な反応速度で軌道が修正される。これも、人知の及ばない仏の力だとでもいうのだろうか。
何とか一瞬体勢を崩していた瞬間に跳び退いていたため、すんでのところで轢き潰されるのは免れた。眼前でまた、拳の跡が残る。小学生が雨上がりのグラウンドに、手形を残しているようであったが、それとは規模も脅威も段違いだ。
パワーでは、何一つ勝てない。スピードも、重力制御で不意を突いて誤魔化しているだけで、大きく劣っている。確かに相手にできる事と言えば、その巨大質量兵器である大仏を意のままに動かすだけとも言える。摩訶不思議な念動力も、魔法のように風や火を統べるでもない。だが、純然たる重量と速度のみであるからこそ、根源的な脅威となっていた。
自分にできるのはただ相手を重く、あるいは軽くするのみ。負荷をかけたところで、十倍程度ではほとんど効果が無かった。しかし、これ以上重力を強めようと思えば、効果範囲が嫌が応にも狭くなる。自分から遠く離れたところには作用させ辛く、手と手が触れる程に密着する必要がある。
臨機応変に対応する能力も無ければ、万人が目を見開くような際も無い。華々しい戦歴なども背後には刻まれておらず、凡庸な一人の戦士として、可もなく不可も無い足跡だけを残している。後ろから追い抜いて行った後輩は、一体何人いることだろうか。追いつきたいと思っていた先輩と差が開いたことさえも、両手では数え切れない。
そう言った、置いてけぼりにされた現実と向き合う度、自分の平凡さに挫けてしまいそうになる。実家の門扉をくぐれば、最愛の弟が敬愛を示すというのに、不甲斐ない自分が情けなくなる。あいつらが恵まれているからと、逃げに走った回数なんて、星の数を数えるより難しいぐらいだ。
守護神の能力だけはそこそこ。ただし、自分が誇れるものと言えば何だ。
速い敵には中々対応できない。重量級の相手だと、重力負荷を強めても通用しない可能性がある。負荷を強めれば射程は落ち、効果範囲も狭くなる。相手を嵌める策を模索すればするほど、足りないものばっかりが浮き彫りになる。
あれもダメ、これもダメ。何もかも否定される。自分に何ができるのかと自問する度、何もできないのではないかと自答するしかない。凡人の意地を見せてやれと息巻いたものの、どうすればよいものか宛てさえ無い。
所詮自分は、英雄に守られるだけの凡夫に過ぎないのか。そうやって、肩を落とそうとした時の事だった。鬨の声が響き渡ったのは。
「かぐや姫の付き人について! 報告すべきことがある!」
「この声……」
すぐにその正体が分かる。何度も聞いた、多くの者を牽引するだけの力を持った声だ。奏白 音也、多くの捜査官にとって希望の星であり、目の前に聳える大仏を操る人物にとって、その存在を脅かすほどの男。姿が見えないことから、おそらくアマデウスの能力で上空から直接声だけを届けているのだろう。
「付き人の持っている特別な道具……こっちじゃ龍の珠と子安貝はぶっ壊したから多分仏様の鉢とか火鼠の衣とかその辺だ! そいつの能力は確かにとんでもねえけど、道具そのものをぶっ壊したり奪い取れば無効化できる! 強ぇからって諦めんじゃねえぞ! 倒せなくても、勝てる道はどっかに転がってんだからよ!」
最悪知君に全部奪い取らせろと告げて、その一方的な伝達事項は強制的に終えられた。随分声が荒かったことから、あの奏白でさえ相当苦戦したのだろうと分かる。
従者の様子を見る。見るからに、その顔を歪めていた。仲間の敗北を悲しんでいるのだろうか。それとも付け入る隙があると看破されたことが苦々しいのだろうか。太陽にそれは断じることはできないが、奏白が嘘を吐くとも思えなかった。
突破口は見えた。しかし状況が好転したかと言えばそれは否だ。臍を噛むような思いでより荒々しく暴れ続ける、仏らしさなど全てかなぐり捨てた大仏の姿を注視する。飛び交う鉄拳も、重機のような脚も、その軌道を見極め、逃げ続ける。
奏白の伝言以降、明らかに動きに精彩を欠いた。おそらく、感情が無いとはいえ焦る部分は多少存在しているのだろう。それだけ、先ほどの言葉の信ぴょう性が増したというものだ。
それでも、自分にできることといえば、僅かに動きに違和感を与えること程度。ほんの数秒に全ての出力を集中させれば、動きを完璧に止められるだろう。しかし、おそらく、その次の瞬間には守護神アクセスは解除される。解放された大仏が、再度アイザックを呼び出す前に踏みつぶしてくるに違いない。
「どうしろってんだよ……」
考え事をしていたせいか、隣に立つ他の捜査官と、太陽の肩がぶつかった。お互いに、悪いと謝りながら視線だけは敵から離さない。だが、肩が触れ合ったその瞬間、彼の脳裏に光明が差した。
目を見開き、その考えに至った事、それ自体に驚愕する。どことなく、そんな答えが出てくるのは何だか自分には似つかわしくないように思えたためだ。こんな状況なのに何だか可笑しく思える程に。
そうか、そうだよな。彼は力強く拳を握って、固く、何よりも強く覚悟を決めた。それは、彼が弱者であるからこそより一層、眩しく、鮮やかなものとなる。勝利という者は、日頃それに飢えている者にこそ、芳しく感じるものであるからだ。
「俺だけの特別なもんなんて何も無くても……誰だって持ってるものはそりゃ、俺だって持ってるよな」
策の周知など必要ない。後ろを見て歩く訳にはいかない。隣を眺めて余所見をする訳にもいかない。
ただ、前だけを見つめて。後ろ向きだった彼は、ただ真っすぐに、わき目も降らずに未来だけを見つめていた。