複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.126 )
日時: 2019/01/10 00:55
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 喜怒哀楽の従者の内、三人までは滞りなく撃退できた。太陽たちの目の前では、先立った怒りの感情を得た従者や、享楽に衝き動かされる付き人の後を追うように、哀しみの傀儡である彼も、その姿を消そうとしている。
 屈辱に塗れているのだろうか。それとも、唯一譲渡された哀しみの中にただ浸っているのだろうか。もはや、口を開こうともしない。身体の末梢から次第に黄金の砂のように崩れ落ち、夜の涼しい風に舞い上がっていく。その行動理念こそ凶悪で、思想こそ危険なものの、散り際だけはどうしても美しい。
 彼らも、赤ずきんと同じような犠牲者なのだろうか。高慢に振る舞い高説を述べる様子は、破壊衝動に満たされているとは思えなかった。しかし、そもそも月の民と呼んでいる兵隊たちは怒りや喜びさえも知らないような、機械的な思考回路をしている。そういった破壊衝動さえもきっと、芽生えたところで自覚することがないのだろう。その胸の中にあるのは、自分たちの能力全てを支配し、統括しているかぐや姫への絶対の忠誠のみであろう。
 かぐや姫は確かに、原点である竹取物語のクライマックスにおいて感情を失ってしまう。しかし、それまでは地上の人間と遜色ない感情を抱えていたはずだ。なればこそ、ドルフコーストの能力によって支配され、憎しみと怨嗟の情動に囚われてしまったのだろう。そして主君が誤っていたところで、正義感などあったものではない配下の月上人達は、止めようとも思わない。ただその意に添うように、剣となり、盾となるのみだ。
 正義も悪も何も無く、正誤さえも歯牙にかけない。冷徹とも思える程に、命令を冷静にこなしていく彼らだからこど、逆境に立っても奮い立たない彼らだからこそ何とかこうして勝利を掴めた。
 目の前の荒事が片付き、ひとしきり感極まった喜びの声も鳴り止んだその時、胸に訪れたのは安堵だった。守護神アクセスを解くと同時に、緊張の糸が切れたせいか膝から崩れる。そもそも、体力も気力も既に限界が近い。まだ、かぐや姫本体すら見てもいないというのに。
 元々、かぐや姫というのがフェアリーガーデンという異世界において最古の守護神であるらしい。作者という、作中人物を支配する立場を得たシェヘラザードが王、ELEVENとして君臨しているものの、持ちうる能力は非常に幅広く、どれも侮れない。
 何人もいる側近の一人だけでこれだけの力かと、呆れずにはいられない。確かに、先ほどまで戦っていた男の能力は、多人数を相手どるのに向いていたことだろう。それにしても、十数人がかりで漸く辛うじて鎮圧できたというのに、それが未だ残っている。
 あまり丁寧に竹取物語を知ってはいないが、貴族に求めた道具が五つであるとは太陽も知っていた。別格の能力を与えられた付き人が果たして何人いたものかは知らないが、それを超えることはおそらく無い。もしかぐや姫本体がその内の一つを持っているとしたら上限は四人。喜怒哀楽の感情も四つであるためそれが最も妥当だと思われた。

「一旦呼吸を整えよう。慌ててもむざむざやられに行くようなもんだ」
「ああ、そうだな」

 近くにいた、日頃対策課の四班として行動を共にしていた仲間と段取りを決めて、一度体を休ませようとする。しかし、そうさせてはならないのだと、血相を変えた様子で、一人の捜査官が太陽の下へ駆け寄った。

「休んじゃ駄目だ、王子さん」

 詰め寄って来たその男が、どうしてそれほど青ざめているのか理解できなかった。目下、脅威は取り除き、周囲には誰も居はしないというのに、何をこんなに焦っているのだろうかと。怯え、竦んでいるのではない。逸る心を抑えようとしながらも、急がなくてはならないと冷静さを失いかけている。
 一度落ち着いて息を吸い込めと言ってみるも、それどころではないの一点張り。これまであまり口を聞いた記憶は無いが、自分の一年後輩で奏白の一つ上の世代だとは分かる。名前は思い出せないが、この男はどちらかというと奏白よりむしろ自分寄りの人間だったように思う。

「一人、兵士を取り逃した……。服装がかなり変で、他の従者達と様子が違っていた」
「変ってのはどういう風にだ?」
「……多くの兵隊共は、裸体に羽衣を纏っているだけだけど、そいつだけ真っ赤な装束を着ていた」

 真っ赤な装束、というところでピンと来た者もいた。実際、それが赤いかどうかの記述は原典にはおそらく無い。何せ、本来存在しない代物であるためだ。しかし、火という言葉から連想する色が赤であり、先刻まで対峙していた男のことを思い返すに、導き出される答えは一つだけだ。

「火鼠の衣、それを着た上位兵か」
「おそらく」

 大げさに頷き、太陽の肩越しに推察を口にした男に向け、青ざめたままの表情はその言葉を肯定した。

「だけど、取り逃したってのはどういう事だ? 逃げたのか?」

 今この場にいないのであれば恐れる必要も警戒の義務も無い。どうしてこんなに慌てふためいているのか、縋りつかれている太陽には理解できなかった。

「違う! そいつの目的は初めからここに無かった。もっと別のところなんだよ王子さん!」
「それはどういう……」

 未だに腑に落ちない太陽の肩に、手が置かれる。振り返れば同僚の一人も、緊迫した面持ちのまま静かに、行こうとだけ端的に告げてきた。

「そいつは後方の……総監達が控えている本部に向かっているんだ! 王子さん……あんたの弟さんの所にだよ!」

 何にもぶつかっていないのに、脳髄をおもいきりぶん殴られたような気がした。ひゅっと内臓は縮こまり、沸騰していたはずの血液が途端にその熱を失っていく。身体の芯から凍っていくような錯覚、それに囚われるよりも先に、その足は動こうとしていた。

「待て、今からじゃ間に合わん」
「でも、ここで待ってる訳にもいかないだろ」
「その姿に気づいた連中がそいつを追ってる。一先ずは任せたけど、嫌な報告だ。あちらさんの能力は」
「どうせ防御系の能力だろ」
「ええ。高速で駆け抜けるその背に、ひたすら能力や銃火器で攻撃しているらしい。でも、どれも効いている素振りは無い」

 おそらくこれまでの例からして体術の練度は他の兵士たちと同等かそれ以上に優れていることだろう。
 確かに自分たちからしてみれば、大したことの無い練度。とはいえ、守護神アクセスもせずに後方で待機している王子にとってそれは、ナイフを持った傭兵に襲われるに等しい脅威だ。中学の半ばごろから、長い事鍛錬をしてこなかった上、そもそもあの年齢が故に圧倒的に経験が足りていない。同時に待機している、ELEVENである残り二人に問題は無くても、王子 光葉だけはその不意打ちで充分に死に至る可能性がある。

「なら本部に連絡取れないのかよ! そいつらから連絡は来てんだろ!」
「もうやっている! だけど、誰かが妨害してるみたいで、一向に繋がらない。多分本部じゃ、そんな状態になってることも気が付いていない」
「何でだよ、相手はあの総監だぞ。今回敵対してるのは、シンデレラとかぐやとは言え、所詮は一介の守護神。……あの人を欺ける訳……」
「でも、現実に気づかれていない」

 何が起こっているというのか。どのような隠ぺいであったとしても、今の厳戒態勢の本部への電波障害など隠せるはずも無い。とすればこの偽装は守護神の能力によるものだ。だとしても、ELEVENが二人も待機しているその場所へ能力干渉をただ行ったところで、易々と打ち払われる。
 後出しになったとしても、ジャンヌダルクなら全ての事象を拒絶できるはず。それなのに、既に起こっている電波障害に対応できない、あるいは気づけないままでいる。
 これは果たして、本当にかぐや姫の仕業であろうか。

「やっぱり、間に合わなかったとしても俺に行かせてくれ。間に合わない事より、誰かに任せて見過ごした方がよっぽど、俺は……」
「落ち着け、太陽」
「落ち着ける訳が無いだろう!」

 進路を遮る男に彼は、鼻息荒く掴みかかった。もう精魂尽き果てたはずなのに、剥き出しの感情が暴れている。

「いえ、間に合う可能性はあるわ」

 見ていられないとばかりに、諍いにようやく仲裁らしい仲裁が入った。その声は、うら若い女性のものであろうに、芯の通った凛と澄んだものだった。奏白 真凜がもう少し成長すればこのようになるだろうか、そう重なるほどに居住まいは似通っていた。雪女の守護神を呼びだし、髪まで真っ白に染めた彼女は、捜査官とはまた別、ライダースと呼ばれる部隊において、奏白のようにエースと称される存在だ。
 女帝のごとく、大事にさえ揺らがない精神を持つその姿への憧憬からか、クイーンと呼ばれることもある。

「輸送車が到着したわ。とすれば、足止めを誰かがしていても可笑しくは無いはず」

 何の輸送車か、それを確認する必要は無い。今作戦において、この地に後から訪れるはずの車両は一台しか無い。前日の会議室での詳細説明に際して聞かされた、この戦争における最後の切り札。
 その切り札は、本来倫理的には切ってはいけないカードであったろう。しかし、それを可能にしたのは、他ならぬ王子家に降り注いだ悲劇故であった。その許可を求められた洋介はと言うと、鼻の頭を掻いて恥ずかしそうに「塞翁が馬とはよく言ったもんだ」と前置き、二つ返事に了承した。

「でも駄目だろう。あれは、かぐや姫を討伐しない限りあまりにリスクが高いと……」
「たった一人を除いて、ね」

 いえ、二人かしらとその場の空気を覚ましてやるように、彼女は微笑を浮かべていた。

Re: 守護神アクセス ( No.127 )
日時: 2019/01/10 10:55
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)

 一方、その頃。議題に乗せられた歓喜の従者はと言えば、下卑た笑みを高らかに響かせていた。

「ああ、嬉しいなあ。喜ばしいなあ。可笑しくって仕方ないなあ。寄って集っても蟻は蟻。この皮衣を前になぁんにもできないんだもんなあ」

 夜の市街地に反響する高笑いに、思わず彼は口を噤む。いけないいけない、流石に下品も極まれりであると、先日主からも指摘されたばかりであった。それ以来、一応人前、特に御前ではできるだけ上品にと努めているのだが、どうにもその目が無ければ気が緩んでしまう。
 残る側近の兵士が捜査官の多くを足止めしている間に、彼一人だけは王子のもとへと向かっていた。わき目も振らず、一心に。飛び交う炎に礫の雨霰さえものともせず。それはひとえに、彼が身に纏っていた火鼠の皮衣に由来するものだった。
 火鼠の皮衣の能力、それは火の中に投じても燃えることが無いと言われる逸話に由来する。そこから発展した恩寵として、その皮衣は強靭な耐久力を誇る。ちんけな炎では燃え尽きぬ程に、銃弾であろうとも貫けぬほどに。それだけではない、冷気も、熱気も、衝撃さえも全て打ち消す。空間全体に干渉する重力の強化能力などは流石に遮断できないが、皮衣に当たったエネルギーはその全てが遮られる。
 一部の能力者はこの防護を看破できるようではある。しかし、そういった者の多くは目に見えて暴れている大仏の暴走にかかずらっている。目に見えて巨大で、危機感を煽るその異形の存在に人はくぎ付けになる。勝とうが、負けようが、そこに多くの人間を繋ぎ止めることができる。
 追っ手の数はどうだろうか。振り返れども、たった二人しかいない。その奥から近寄ってくるような息遣いも無い。この二人を処理してしまえばもうどうしようもないだろう。先ほど、味方に連絡を取ろうとしていたようだが、無駄だ。協力者の手により、自分の目的地への通信は妨げられている。後方、つまりは大仏の暴れていた方には連絡を取られてしまったようだが、今や追いつかれることも無かろう。
 ならば、少し遊んででもここで追っ手を沈黙させてしまうべき。理性的に彼はそう判断した。決して、勝利の余韻にいち早く浸り、歓喜の沼に身を投じようとした訳では無い。王子暗殺のために詰め寄った際に、その本部の近くで騒がれては気づかれるというもの。どのみち、ここいらで始末しておくべきというもの。
 いや、始末は不味い。断末魔などが響いてはならない。不意を打ち、締め落とすのが一番だ。気を失わせるだけで充分。入念に殺してしまっては後続に追いつかれる。確かに弱者をいたぶるというのも月上には無い余興ではあるが、主の命令を果たす事こそこの身最大の幸福。なれば、その最短距離を行くべく最善の妙手を打つのが最も優れた民の在り方というもの。
 足裏と地面との間で摩擦が起こる。砂の擦れる音が静けさの中に染み入り、一目散に走り続けていた男の脚が止まる。地上を滑るようにして減速しながら、身体を反転させて追っ手を確認する。一人は炎の能力者、もう一人はよく把握できたものではないが、その手に身の丈程の大刀を携えている。守護神のオーラを纏い、自ら光を放つその大太刀は、本物の武器ではなく守護神アクセスの付随品であると察せられた。
 おそらくは日本の剣士の守護神であろう。たとえ火鼠の毛で編んだとはいえ、布は布。容易く裂けると思ったのだろうか。その甘すぎる認識が不憫であると同時に、既に確定されたような勝利が嬉しくて仕方が無い。思わず、我を忘れてしまいそうなほどに。だが、今はまだ己が為すべき使命の只中にいる以上、理性を飛ばす訳にはいかない。
 炎が踊る。回避するとでも思っているのだろうか、右からも左からも、追い立てるように襲い掛かる。狼が狩りをしているようだなと思うも、火力が軟弱すぎて子犬の戯れにしか思えない。惰弱、惰弱。ニッと笑って従者は、腕の辺りで余っている布を翻らせる。血濡れたような色合いの、真紅の衣が宵闇を舞う。かぐや姫の牛車の直下から離れた位置に来ているため、この辺りは夜の暗闇に包まれていた。
 宙でひらひらとその身を漂わせる布が、真正面から炎を飲み込んだ。炎が衣を飲み込むのでなく、薄い布が、炎熱をだ。あるまじき光景に目を丸くするも、そう言った宝なのだろうとすぐに把握する。
 そこに現れた捜査官は謙虚であると同時に、聡明だった。真正面から燃やそうとしても不可能と即座に理解し、ならばとさらに距離を詰める。今だけは、向こうから距離を詰めさせてくれようとしている。ならば懐まで潜り込み、衣の下から直接焦がせば、自分の物足りない火力でも痛手を負わせられるはずだ。

「そう、考えているな?」

 だが、甘い。うぬぼれでもなく、侮りでもない。純然たる事実として、従者のみが理解していた。そもそもの地力がまるで異なるという現実を。
 そもそも、皮衣の大きさはこの従者が纏うにしても少し大きく、布が余るようになっていた。外套のように頭を覆うように被ることもできる。一度全身に纏ってしまうと、露出している部分など手先や口元程度しかない。
 そしてそこをピンポイントで狙いながら、紅の衣を纏った従者の反撃をいなすだけの器量が、その捜査官にはまるで足りていなかった。後方を、炎の壁が埋め尽くす。退避させない、つもりなのだろう。暗闇を、炎の温かな光が照らし出した。従者の顔が照らし出されるもあまり意味が無い。というのも、他の月の民と寸分変わらぬ相貌であるためだ。強いて挙げるならば、表情だけは大きく異なっているだろうか。初めて、その顔で笑む姿を確認した。これまで相手にしていた、心知らぬ傀儡とは明確に違う。
 実際、これまでは詰め寄ってしまえば、楽に従者は倒せていた。それはあくまで敵兵を倒すに十分なだけの力があったためだ。
 しかし今はその前提が覆されている。ごく狭い領域を的確に狙撃しない限り有効打を与えられず、向こうはその皮衣越しに膝蹴りや肘打ちをしてくる以上、これまでの槍や剣のように、炎で燃やすこともできない。
 顎の辺りを肘がかすめ、僅かに揺さぶれる。脳震盪が起こりかけたのか、少々足元がぐらついた。その隙を見逃す甘い相手でもない。すぐさま後頭部に肘を落とされる。反射的に紅蓮の業火をぶつけようとするも、ちんけな火力では火傷一つ負わせられなかった。
 呻き声一つ上げ、炎を操る捜査官は沈黙する。立ち上がり、追ってくる可能性を完全に断つには、一思いに手にかけるべきであろう。しかし、まだ敵は残っている。大太刀を携えた男は、それまでも剣閃を瞬かせ後ろから斬撃で支援していたものの、どれもこれも皮衣を裂くことも出来ず、肌が見えている位置を斬ろうともしていなかった。
 どんな剣士が転生した守護神なのかは知った事ではない。独眼竜のような武将なのか、より過去の義経や武蔵坊であるのか。佐々木小次郎の線も捨てがたい、何せあの身の丈程の大刀だ。
 しかし、使い手がお粗末すぎる。これまで自身が刀を振るう鍛錬をろくに積んでこなかったのだろう。斬撃そのものは恐れるべき鋭利さを持ち、そのリーチも腕の長さを含めれば非常に長い。接近されてしまうと確かに回避は困難である。しかし、防ぐ手立てのある者にとって、それはあまりに無力だ。
 天高く向けて振り上げた白刃を、宙を引き裂くような気迫で一息に振り下ろす。刀身に跳ね返る月の光が、ぎらりと瞬くも、悲しいかな、その刃は容易く布切れ一枚に防がれてしまった。

「残念至極。この衣引き裂きたくば、日の本一の剣士でも連れてきたまえ」

 もしそれがその守護神だったとしたならば、興ざめもいいところだ。誰であろうと止められない。イージスの盾のような能力だ。特定の、ELEVENのような強大無比の守護神でなくては抑止力にもならないのだから。
 腹部に、重たい蹴りを一つ。それだけで剣豪の能力者は、その場に蹲って動けなくなった。連絡が取れない程度に痛めつける必要はある。そう判断した従者はもう一つ蹴りを放ち、地面の上を転がした。肺の空気が衝撃で吐き出される喘鳴だけを残し、その場でもう一人の捜査官も意識を手放した。

「急ぐか」

 追っ手も消えた任務の続きは、驚くほどに容易だった。溜め息や欠伸を漏らしてしまいたくなるほどに。ものの一、二分。足音を殺して走り抜けるだけで、王子達が控えている本陣へと辿り着いた。
 大げさな設備を搭載した、トラックのような大型車両。そこにはレーダーなど様々な機械が設置され、戦場の状況が即時報告されるようになっている。成程、ここが琴割の居所で間違いないらしい。
 琴割本人を殺すことはできない。それはジャンヌダルクの能力により防がれているため、絶対の真理だ。しかし、彼の信用に泥を塗ることはできる。その失脚の前がかりとして必要なことが、この決戦において、決着をつけぬ内に、あるいはこちら陣営の勝利という形で、十二時を迎える事だ。
 見せしめの形で、ある女が死することで、琴割 月光の正義に墨を垂らす。彼の経歴は真っ白な布のようなもので、悪評という悪評の多くを、ジャンヌダルクの能力により、露呈を拒み隠し続けてきた。そこに、たった一つの汚点を植え付ける。広がるのはあっという間だ。そして、一度ついた染みを落とすことはなかなかできない。
 しかし、この度の失策の機密は守られない。その機密を目に収める男の凶行を、ジャンヌダルクでは防げない。

「王子 光葉。そのたった一人を殺してしまえば詰みだ。もう一人の、戸籍すらない少年に関しては詳細が掴めていないが、傾城にだけは能力が働かないことは白雪姫との戦いで理解している」

 おそらくはネロルキウスだろうと察しはついている。しかし、その証拠だけはどう足掻いても得ることはできない。そのため、それを理由に琴割 月光を法的に追い込むことはできないようだ。
 だからと言って、これは少々回りくどいような気もするがなと、ボスに対して彼は毒づいた。ボスというのは当然かぐや姫でない、黒幕と思われた彼女の、さらに後方に位置する純粋無垢な自己中心主義者。
 歪んだ正義を掲げ続ける永遠の支配者に、自分が主役の物語を紡ぎたくて仕方ないストーリーテラー。全く、ELEVENというのはどいつもこいつも救いようがない。

「キングアーサーの契約者は欧米に住むおどおどした学士と言っていたろうか。ふん、その方が余程生かし甲斐がある」

 とはいえ、油を売るのももう終いだ。
 もう、邪魔立ては無い。この辺りに戦闘員は配置されていない。琴割一人で最悪事足りると断じているためだ。もしかすれば、もう一人の異分子である小柄な少年の存在故、その可能性もある。ただ、どちらにせよ、今この瞬間は油断しているはずだ。
 気配が忍び寄って来る気配も無い。そしてこの自分からも気配を隠し通す程優れた暗殺者など、警察という平和を守る組織に存在する由も無い。
 そもそも自分の存在に気が付いた上で、追いつけるだけの速度を持っている人間が何人いるか。奏白はおそらくガス欠を引きずっている。如何に彼と言えど、上空に残った従者の相手は骨が折れる。
 そもそも、目の前に元凶のかぐや姫が無防備に座していると思い込んでいる彼らが、地上に戻って来る筈が無いのだ。
 人間は、万策尽きた。今度こそそう断定した。もう、予定外など何一つ起こることも無いだろう。
 音も無く、陰に潜むようにして近づく。後数歩もすれば明るい場所に出てしまうが、監視の目もほとんど無い。一息に、理解させる暇を与えることも無く、トラックそのものを大破し、燃料に引火させて爆発させる。王子一人だけなら、それで終わりだ。

 息を呑む。
 これで、三か月続いた、一人の男の我儘に終止符が打たれる。
 自分たちは心をほとんど持っていないが故、破壊衝動に苦痛を感じていなかったものの、他のフェアリーガーデンの守護神の様子は痛ましいものだった。
 しかし、それもここで終わり。人間にもたくさんの死者が出た。そしてまた、自分の目の前で、人魚姫の契約者だからという理由だけで王子 光葉は殺されようとしている。本来ならば慈悲をかけるところだろう。しかし、そんな感情を持ち合わせてはいない。ただ彼の胸の内にあるのは、使命を達した己を躍らせる、一足早い歓喜のみ。
 さあ、これで全てを終わらせよう。勢いよく、彼は闇の中から飛び出した。




 甲高い音が夜空に響き渡る。静寂な夜空に、鍔鳴りが一つ、星の光と同じように、瞬くように走り抜けた。
 鞘に納められた刀の鍔が、鯉口と打ち合う小さな音。静謐の最中、余韻を残すように、暗がりに溶けていく。
 身体に違和感を覚えると同時に、不意に世界が回りだした。前に進もうとしているのに、全く前進している感覚が無い。それどころか、世界が右回りに転がり始めた。段々、見える視界が下向きに落ちていく。
 何事だ、一体何が起きている。頭をしかと打ち付け、何とか起き上がろうとするも、右腕はともかく左腕の感覚が無い。息を吸ってもまるで胸の中に満たされず、首を動かして辺りを見回すこともままならない。
 眼球だけをぎょろりと動かし、周囲の様子を見まわす。そこには、一つの肉塊と、見知らぬ人物の脚が見えた。日本刀を鞘に納めたまま、浅黒い肢体を見せつけている。
 そこに倒れている肉の塊が、己の半身だと気づくのは容易だった。その半身は、火鼠の皮衣を纏っていた。その事実に、戦慄する。今、己の頭が付いたままの上半身にも赤い衣がまとわりついている。この皮衣は一点もの、しかし今や二分されている。
 そう、目の前のこの人物は、火鼠の皮衣を両断してみせたという事だ。

 一体、誰がそんな事を。
 不可能に決まっているというのに。
 今自分に迫っている者はいないはずでは。
 いたとして、誰が追いつけるというのか。
 追いついたとて、どうやって今の今まで気配を殺していたのか。
 生粋の暗殺者が、この国にどうして存在しているのか。

 肺から空気を吐き出せない以上、ろくに声も出ない。情けない音を立て、笛のような音だけ喉から漏らしながら、四人目の従者は見上げ、その顔を拝んでみせた。
 東洋人の女性だった。一体貴様は誰だとの問いを、口にはできない。それゆえ、視線だけでその疑念をぶつける。
 その女は、お世辞にも賢いとは言えなかった。しかし、妙に聡く、直感だけはやけに強い。その視線の意図を瞬時に読み取った彼女は、それを確認するべく、問いを言葉で返す。

「んあ? あたしか?」

 その惚けたような声音に、ようやく合点がいった。
 存在をすっかり忘れていた。初めに戦場に現れていなかった事実から、今日は現れないものだとばかり思い込んでいた。
 奏白音也に匹敵するだけの脚力、気配を完璧に殺せるだけの経歴、そして何よりも、火鼠の皮衣を裂くだけの激烈な暴威。
 皮肉だろうか、奇しくも彼女は先ほど彼自身が連れてこいと言ってみせた、腕の立つ剣士に他ならなかった。
 そう、彼女は彼らにとっては裏切り者の。

「冥土の土産に教えてやるよ。日本一の桃太郎、ってなぁ」

 息絶える間際、その従者が目にしたのは、闇に紛れるような純黒のパーカーに身を包んだ傭兵、クーニャンの得意げな表情だった。