複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.128 )
日時: 2019/01/31 22:59
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)


「何とか間に合ったみたいだな」
「良かった……」

 上空、整い始めた呼吸と共に、安堵の声を奏白は漏らした。隣に立つ真凜も、ホッと胸を撫でおろす。先ほどまでは冷や汗ばかりであったが、ようやくその不安ごと拭い去ることができた。
 奏白の能力の有効範囲は決まっている。それゆえ、真下に居る太陽たちとは辛うじて意思疎通ができるものの、比較的後方で待機している琴割達の座する拠点までは届かない。それゆえ彼の能力を以てしても、知君達に注意喚起ができず、通信阻害によって本部の者たちは『本人達も知らぬまま』陸の孤島と化していた。
 誰が為し遂げたとも分からぬ電波障害。知君の悪い懸念が当たっていたりはしないだろうかと、端正な顔を歪ませて奏白は眉根を寄せた。だが、少なくとも王子や知君達が無事に済んだのは最低限幸運だったと言うべきだろう。
 何とか戦場に、輸送車を護衛していたクーニャンの到着が間に合った。辛うじてアマデウスにより奏白の声が届けられる範囲内にその足音を捉えたため、急いで奏白は彼女と会話を試みた。今からもう一人かぐや姫の側近と戦うだけの余力を残していない彼であったため、多少気に食わぬ面があるとはいえ、琴割専属の腕利きの傭兵に頼るしかない。
 実力だけなら悔しいが自分と同等以上、であれば相手が特殊な道具を使いこなす従者であったとしても実力は拮抗する、あるいは圧倒できるはずだと見込んだ。それに、彼女自身これまで友のいない生涯だったためか、知君と王子へはビジネス抜きで特別な思い入れがあるのも知っていた。そうして、その期待に見事答えてくれたのが桃太郎の契約者、クーニャンだった。
 不意打ちとはいえ一撃で仕留めるとか。やはり規格外だという他ない。あれだけの力を持っておきながらスマートに闇討ちする手段の選ばなさも、奏白の持っていない強みだ。見栄と、捜査官である誇りが足を引っ張り、彼の場合正面から正々堂々としか相手できない。

「自分が獲物を仕留めようとしている時こそ一番油断しているものとは言うから、そこを突いたのは流石と称してあげるしか無いわね」
「そのくせ自分は油断してないのがあの色黒猫娘の一番怖いとこだよ」

 一応はキビ団子を三個同時に摂取している、彼女自身最高の強化状態であったことも事実だ。最も鋭い一太刀を、一番気が緩んだ瞬間に叩きこむ。如何に強靭な火鼠の皮衣とはいえ、一刀両断されても仕方ない。
 日本一有名な英雄譚であるというのに、少々悪役臭い立ち回りな事には目を逸らさざるを得ないが。

「でも、ここまで来たら後は一息だよな」
「ええ、私達でかぐや姫を無力化する」

 気絶させて王子のところに連れて行き、人魚姫の歌により浄化する。瘴気を払ってしまえば、人に仇為す破壊衝動も止む。全てのフェアリーテイルは、彼女からあの瘴気を伝播されたことに由来している。元凶であるかぐや姫を治癒してしまえば、これ以上の悲劇は生まれない。
 全ての従者は退けた。特別な武器を手にしていない。ただの雑兵も、次第に数を減らしつつある。確かに一騎当千の力を持つ月の民ではあるのだろう。しかし、一連の事件を数か月に渡り乗り越えてきた捜査官一同にとってはそんなもの、脅威であっても絶望になることは無い。

「輸送車は来たけど、まだあいつらには頼れないんだよな?」
「ええ。また感染したら厄介なことになるから」

 まだシンデレラは姿を現していない。時計を見る。そろそろ開戦から一時間が経とうとしていた。今日、満ちた月が浮かぶ夜を指定してきたのはシンデレラ、その契約者である星羅 ソフィアの方だった。しかし、今に至るまで局面は、かぐや姫一人に支配されていた。確かに彼女が黒幕ではあるのだろう。しかし、表立ってフェアリーテイルを率いてきたような、いわば表の棟梁であるシンデレラは、どうして姿を見せないのか。
 不気味と呼ぶほかないように思える。しかし、奏白達筆頭に、第七班と琴割の側近だけはその動機をよく理解していた。機を窺う、不意打ちのために控えている。そういった側面も皆無ではないのだろう。
 守護神アクセスの活動限界。契約者が守護神をその身に宿し、能力を借り受けて行使できる時間は限られている。ソフィアが契約してから二か月程度しか時間が経っていない。その間、活動限界を引き上げるために鍛錬は重ねたのだろうが、それでも長時間戦い続けられる訳では無い。
 初めから二人同時に侵攻した方が有利に事が運んだのではないか。答えは否だ。それ以上の戦力が残されていない彼女らは、全戦力を投じればすぐさま窮地に陥る。それ以上が無い、そう判断すればこちらも余力は残さない。知君を投じるだけだ。傾城に能力が効かないと言っても全く戦えない訳ではない。お互い能力が効かない状態になるだけだ。何らかの手段でいくらでも戦力になる。
 ジョーカーをおいそれと切る訳に行かない以上、知君はまだ出陣できない。そのプレッシャーをかけるためにシンデレラは温存され、かぐや姫はシンデレラを最大限活用すべく戦局を荒らしている。
 知君とネロルキウスの間柄は、つい先日まで劣悪だったと評せざるを得ない。互いの力を、存在をかけて綱引きをしていたようなものだ。それも、時として殺意さえ超えた傍若無人ぶりを見せて。それゆえ、彼の守護神アクセスの許容時間も、およそ長いと言えたものではない。即座にネロルキウスを召喚しなおせばいいというものでもない。ネロルキウスと和解を果たした今でも、接続した際には体に強い負荷がかかる。以前のような、即座に眠りにつき、意識を失うようなことさえ無くなったものの、赤ずきん討伐後は時折腕や足に脱力感があった。
 せめてシンデレラが姿を見せるまでは、知君は戦線に立たせない。ELEVENの契約者に特徴的な超耐性と呼ばれる特質により、能力は受け付けないものの、その身体は脆弱な少年に過ぎない。瓦礫が直撃すれば死に至り、薬物を摂取すれば昏倒する。琴割月光の傍で匿うことが、今できる最善だと判断していた。

「流石にかぐやの窮地には現れるだろうけど……未来予知、今できないんだったか?」
「ごめん。まだちょっとガス欠気味」
「まあいいさ。かぐや姫は赤ずきんよりむしろアリス型。自分の戦闘能力は低いんだろ?」

 かぐや姫の能力の全貌を知っている者は少ない。直接対峙した赤ずきんだけが、その片鱗を知ることが出来た。かぐや姫は、月を媒介に厄介な能力を相手にかけることができるものの、月を目にしなければ能力にかかることはない、と。空を見上げない限りその能力の餌食になることは無い。そして、かぐや姫の待ち構える天の牛車より高い位置に立ってしまえば、もうその時点で恐れることは何もない。
 身体能力はガーデンの守護神の中でも一、二を争うぐらいに弱い。配下である軍隊の身体能力は高いが、率いている頭が屈強な体を持つ必要は無い。むしろ、雅に佇んでいられるよう、美貌だけがあればよい。

「お付きの人は喜怒哀楽の四人全員倒した。残るは本体だけだ」
「持っているとしたら、蓬莱の玉の枝かしら」

 能力の推測は正直なところ困難だ。そもそも、竹取物語に出てくる宝物で、逸話が残っているようなものが半分もあるだろうか。燕の生んだ子安貝、あるいは燕の巣の子安貝などと呼ばれているものは、本当に何の変哲もない、ただの貝殻である。蓬莱の玉の枝もそれと同じ、ただ蓬莱という特別な地に存在する木の枝というだけだ。
 火鼠の皮衣は確かにその耐久性が伝承となっている。しかし龍の首の珠はおそらく龍から見ればただの首飾りに過ぎず、仏の御石の鉢も、仏様の持つものだからとても重いというだけでただの鉢だ。
 下に降りた従者の能力こそこの目では見ていないため、断言はできないのだが、それでも五つの宝物からは、その名前に相応しい特異な性質を持つことが窺えた。燕から子安貝へ、という条件からおそらくあの転身、あるいは変身の能力を得た。龍の首の珠は安直に己の身体を龍と変化させ、文字通り龍の首にある状態を作り出す能力だった。
 ならば、蓬莱の玉の枝はどのような能力を持っているのだろうか。おそらく、枝の部分には何の意味もない。きっとその能力は蓬莱の側に由来すると真凜は断じていた。中国に伝わる伝説で、仙人が住まう土地とされている。そしてその地にまつわる伝承として最も高名なのは不老不死に他ならないだろう。
 可能性があるとすれば、如何に致死量の毒を盛られようと死なず、頭を吹き飛ばされようと、たちどころに全て再生してしまうような能力。死を知らず、老いを知らず、美しいままあり続ける。その能力が働いている限り、制圧は無い。

「兄さん、まず初めに……」
「分かってる。道具の破壊だろ」

 既に怒りの従者と愉悦の従者、二人の側近を倒していた二人にとって、攻略法は今更口にするまでもない。この目でしかと見届けている。かぐや姫本体から託された道具を壊された途端に、戦闘能力が他の雑兵たちと同程度に落ちてしまうことは。
 であれば、かぐや姫自身を倒すのも、同じ道理であるはずだ。まず初めに、蓬莱の玉の枝を破壊する。枝自身が復活するかもしれないため、壊さず奪い取った方が良い可能性もある。それは臨機応変に対応するとして、初めに為すべきはそれだろう。

「今、自分が孤立している状況に気づいてないのかはわかんねーけど、何もしてこないなら今が好機だ」

 体力は万全とは言い難い。しかし、こうなってしまってはたった一人腕力に自信のない女性を取り押さえるだけだ。この二人である必要が無い。攻撃性能がまるで想像できない道具に、本体は弱いと評されているかぐや姫。おそらく今のコンディションであっても二人が遅れをとることは無いだろう。

「どこまで回復してる?」
「あの牛車三回壊すぐらいかしら」
「充分だ」

 作戦をわざわざ立てる必要も無いだろうが、無鉄砲に飛び込んで痛い目を見る訳にもいかない。スタミナの温存、手段の簡便化に走っても仕方が無いとも思えるが、今最優先すべきは身の安全だ。捜査官一人一人の重要性は計り知れない。この後現れるであろうシンデレラとの交戦だけではない。明日も、明後日も。この事件が解決してもしなくても、またどこかで事件は起きるのだろう。
 今度はきっと、人間を相手どることになるだけだ。弱きを挫こうとする強気を、逆に挫かねばならない。そのためには、極力傷を負わずに生還することが求められる。万全を期するに超したことはない。

「私がここから一気に牛車をレーザーで撃ち抜いて壊す」
「本体を確認し次第、蓬莱の玉の枝を奪取、ついでに気絶させられれば万々歳、ってか」

 段取りを相談で決め、互いに頷き合う。骨の折れる時間だったが、くたびれもうけにならずに済んだ。奏白が今だと指示すれば、真凜は即座に溜め込んだ魔力を光線として撃ち放すだろう。
 全身の感覚をもう一度研ぎ澄ます。どれだけ準備をしようと、速度は亜音速のまま変わらない。ただ、手足の先まで動かす意識を張り巡らせておけば、無駄な動作を削ぎ落すことはできる。ミスは許されない。瞬きするほどの刹那であっても、所要時間は短縮するべきだ。対策など、打たれないように。
 急造の策とはいえ、二人の想定は万全だった。事実、この後簡単に目的の内、一つを果たすことはできた。しかしこの時、二人はまだ気が付いていない。
 いつの間にか、思い込みという罠に嵌まっていたことに。

Re: 守護神アクセス ( No.129 )
日時: 2019/01/31 22:59
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)


「いくぞ」

 いつもよりも低い彼の声は、夜の中に溶けるようであった。すぐ傍にいた真凜でも無いと聞こえないような重たい声音は、日頃の明るい喋り方からは想像できない。しかし、ここぞという局面では人が変わったように集中する奏白 音也という人間を、幼い頃から妹である彼女は熟知していた。
 初めは太陽と見間違えるほど明るかった牛車の光は、次第にその力強さを失っていた。従者を倒すごとに、または時間が経つごとに光は弱まっており、今では夜空に浮かんだ月の方が余程明るい程だ。夜の静けさ、さらには闇が戻って来る。
 従者の残存数に依存している、もしくはかぐや姫の渡した道具が破壊される度にこの牛車の出力も連動して弱まっている。そのような仮説を二人は立てていた。考えにくいが、一応その次の案として、秒を覆うごとにかぐや姫にも疲労があるという可能性も。
 ただしそれらの仮説は全てが間違っていた。それに気が付くのはあまりに遅すぎた。
 暗くなった墨色の背景を、蒼い閃光が引き裂いた。流れ星のように空を二つに両断し、金色に煌く荷車を貫いた。貫いた直後に、虹色の天板に衝突し、進路を変える。幾度となく光線は玉虫色の反射板により跳ね返り、四方八方から牛車の背後にある二台を穿ち、砕き続けた。
 構成している素材が、木っ端を上げて砕けていく。時代背景を反映しているのだろうか、それは木でできているようであった。宙に浮かんでいた足場を失い、鎮座していた一つの人影が落ちていく。その手には想像通り、淡い光を放っているものの、神々しい一振りの枝が握られていた。
 彼らの推測は的確だったと評する外無い。それは事実だ。蓬莱の玉の枝が有する能力は、所持者を老いと死、病と怪我から遠ざける万能の快復能力を有していた。奪い取れば、あるいはそれそのものを壊してしまえば無力化されるというのも想像通りだ。
 竹取物語に由来する五つ道具、その最期の一つの無力化こそ成功した両者だったが、撃ち砕いた荷車から落ちる人影を、詳細に確認した瞬間、目を見開いたまま体を硬直させた。そこには、居るはずの者がおらず、居ると思っていなかった者が座していた。

「あれってただの……雑兵?」
「……いや、それは一旦後回しだ」

 突然芽生えた疑問に、呆気に取られてしまった。先に立ち直ったのは奏白の方だ。そこにいた従者は、見る間に怪我が治っていくようではあった。しかし抵抗の意志は無い。それゆえそのまま地面へと落ちていこうとしているが、放置はできないと判断した奏白は須臾の後にトップスピードまで達して追いついた。
 落ちていく従者は、ろくに握力もこめられたものではない。全ての感覚と思考をはく奪されているかのごとく、何に反応することも無く地面へ向かっている。こんなものが上空から落下するだけで地上では大事になる。急いでそのだらしなくぶら下がっているだけの手から蓬莱の玉の枝を奪い取った奏白は、アマデウスの能力を用いて従者の身体を押し潰した。
 これまでの雑兵たちと同じように、血の一滴も流すことなく指先から次第に星屑となって消えていく。殴った時には生身の肉体の感触をしているため、消えていく間際こそ幻想的だが拳の上には肉塊を無理に打ち砕いた嫌な触覚が残っていた。
 持ち主が消えてしまうと、役目は果たしたと言わんがばかりに蓬莱の玉の枝も消えてしまった。かぐや姫本人の意志である。この道具は、術者の意志と関係なく、所有者を回復する能力を持っている。敵に利用されてしまっては堪らないと、奏白達が自分たちに使用する前にこの世から消し去ってしまった。
 取り残された真凜も、ようやくスノーボードを念動力で操作し彼に追いついた。今眼前で目撃した情報を処理できず、茫然としている。かぐや姫が現れると思っていた。優雅に着物を羽織り、長い髪をたなびかせた女性が。しかしどうだ、実際に出てきたのは一人の屈強な男の兵士。それはどう見ても、かぐや姫と呼ぶことはできない。

「どういう事……どうしてあの中に、全然違う従者なんて……」
「側近ですらねえよ。こいつは単なる張りぼてだ」

 そこに居さえすればいい。陽炎のように、その場にかぐや姫が残っていると思い込ませる事が出来れば。御簾の向こうに居る以上、奏白達には人影が一つあることしかわかっていなかった。それを勝手に、大本であるかぐや姫だと思い込んでいたのはむしろ、奏白と真凜の方だった。

「何でだ……何でこんな事に……」
「ねえ、兄さん」

 初めにその思い込みに気が付いたのは真凜の方だった。一体いつから自分たちは、最後まで本体が動かないなどと錯覚していたのだろうか。一体いつから、かぐや姫が最後尾で護られているだけだなどと思い込んでいたのか。

「私達、何で道具が五つあると分かってて、従者が四人だと思い込んでたの?」
「そりゃ、最初に俺たちを出迎えたのは四人だけだったし、そこに本体足したら五人で丁度になるだろ」
「一人この場を離脱した可能性だってあるのに?」
「だけどあいつらの性格見ただろ。喜怒哀楽で合わせて四人、あいつら自身かぐや姫が分割したっていう本人の感情を得て個性を手に入れたって」
「……それは敵の言葉だから、鵜呑みにしていいものじゃないわ」

 初めからブラフだった。そう、考える外無い。
 その可能性を提示された途端に、ようやく彼自身気が付いた。いつからか、誰もそんな事口にしていないというのに、自分たちが都合のいいように戦局を捉えていたことを。攻め込まれている最中だというのに、逃げようとも戦おうともしないかぐや姫、それもまずあり得ない。そして主の下に異分子が二人も現れたのに、四人がかりで制圧してからまとまって地上へ戻ればよかったものを、わざわざ戦力を分散した敵。
 そもそも彼らが最も警戒していたのは王子と知君であるとは、先ほど地上からの連絡で知ることができた上、クーニャンが駆け付けたことから裏付けも取れた。つまり相手陣営にとって自分達二人は、脅威と呼ぶほどではないが戦場から隔離するべき、その程度に認識されていたにすぎないと。

「今この場に、かぐや姫はいない。……途中から、段々空に浮かんでいた荷車の光が弱くなってたの見たよね?」

 彼女の問いかけに、奏白は頷いた。その理由が、今となっては一つしか無いように思われた。その原因は決して、かぐや姫が消耗しすぎたためでも、五つの道具を順次無効化したためでもないのだろう。

「それって……かぐや姫がこの場から段々遠ざかっていたからじゃないの?」

 大して強力とも言い難い、此処の戦闘力で見ると捜査官一人一人を大きく下回る月の民の大軍隊。あれをわざわざ地上まで派遣した目的は、何かを隠すためではなかったのだろうか。日本にも古くからこんな言葉がある。

「木を隠すなら森の中、だったら……」
「かぐや姫を隠すなら月の民の中、ってことか……。いや冗談きついぜ」

 慌てて駆け戻ろうと奏白が即断してしまう前に、真凜は兄の肩を掴んだ。別に未来予知をした訳でもない。自分でもそうするだろうと感じた。感じてしまったからこそ、止めねばならない。冷静さも体力も欠いた今、これだけ周到に準備をしていた相手に挑むべきではないと。

「まず第一に、身を守るための絶対条件。今私達は背を向けているから大丈夫だけど、もう振り返っちゃダメ。月を眼にしたらどんな影響が出るか分からない」

 横目で真凜に視線を送り、同意する。慌てても逆効果だという事も何とか受け入れた。先ほどから自分でも何度か確認していた通り、かぐや姫にできる事と言えばかなり少ない。それに地上にはまだ知君も琴割もいる。壊滅的な被害が出るとしてもまだ先の話だろうと。

「そしてもう一つ……すぐに真下の王子先輩達に連絡とって。もしかしたら、もう……」
「……言われるまでもねえよ、もう繋げた。でもよ……」
「奏白達か? そっちはどうだ。こっちはちょっと忙しくてよ」

 アマデウスの能力は、適用できる範囲内のあらゆる音や声を伝えたい場所に伝えたい大きさで届けることができるため、彼を中心に広範囲に及び、通信機無しでの意思疎通が可能だ。コードレス、どころか受話器さえも必要のない糸電話のようなものだ。それも精度は直に会って話しているほどに優れている。

「こっちはとっくに従者二人倒して……今、かぐや姫の影武者に惹きつけられてたことに気が付いたとこっすよ」
「やっぱ一杯食わされてたか」
「今そんなこと聞いてる場合なんですか王子先輩。そっちの様子はどうなんです」

 噛み付かんばかりの勢いで、急に届いた太陽へ問いを返した。

「大体わかってんだろ? ついさっきの事だ」

 最早、驚く必要も無かった。何せ、そうとしか考えられなかったためだ。わざわざこの場をもぬけの殻にしてまでいなくなった理由など、それ以外に思いつかない。
 王子を殺してしまえば一連の騒動はもはや解決できない。それゆえ捜査官チームとしては、かぐや姫とシンデレラの鎮静のため、王子には現場にいてもらわなくてはならないが、チェスのキングのごとく取られてはいけない大事なピースとして扱っていた。当然、向こうにしてみると彼さえ仕留めてしまえば勝利はほとんど確定する。シンデレラを真の意味で止められる者は一人として存在しなくなる。
 それゆえ側近の兵士を派遣して暗殺を目論んだが、企ては阻まれてしまった。であれば彼女らとしても、サブプランに切り替えるのは必然。
 姿を消したかぐや姫が、地上に現れたのだ。

「お前んとこの少年は、まだ戦えねえのか?」
「ええ……おそらく総監が許可しません。知君がネロルキウス呼ぶ場面を誰かに見られてしまうことを、何より警戒してるんで」
「らしいな。……何でかはよく分かんねえけど」

 琴割が、秘密裏にジャンヌダルクの能力をいつものように濫用して知君を盗撮することを拒絶してしまえば何の問題も無い。というのに、何をそんなに配慮しているのか、疑念を覚えるのは仕方の無いことなのだろう。
 特に太陽は、シンデレラの契約者がソフィアであり、琴割の失脚を目論んでいるとは知らない身だ。その温存がどういった意図を孕んでいるのか、知りはしないだろう。
 しかし、今考察した通り、如何にソフィアがその場面を抑えようにも、琴割が拒絶してしまえば済む話だ。それなのに、なぜわざわざ知君を出す訳に行かないと頑なに待機させているのだろうか。
 まだ、自分たちにさえ知らされていない一抹の不安があるというのだろうか。

「ジャンヌダルクでも対処できない? いや、まさかな」

 そんな独り言を漏らしてしまいそうになるも、すぐ傍に真凜もいることを思い返す。そうと決まっていないのに、余計な不安を煽る必要も無いだろう。だんまりを決め込んだまま、再び彼は地上の様子を尋ねることにした。

「俺たちが向かわなくても大丈夫なんですか?」
「ああ、本体はそんなに強くねえからな。こっちで何とかできると思う。シンデレラ戦を考えて、ちょっとでも休んでてくれ」
「分かりました」
「じゃあな。舌噛んぢまいそうだからもう切ってくれ」

 確かに地上には大多数の捜査官が残っている。今回の作戦においてはフェアリーテイルの対策課だけではなく、別の管轄の有力な警官さえも招聘している。強力な直属配下である四人の従者を倒したともなれば、かぐや姫自体にはそれほど苦戦はしないと言われても頷ける。
 地上と現在地を結ぶ通信でも、消耗があるのは事実だ。一度どこかに地に足ついて休んだ方が賢明かもしれないと、駆け足気味に二人は下降を始める。もし、現場が急変したとしても駆け付けられるように。
 しかし二人が、その現場に間に合うことは無かった。付け加えるならば、その何かはもうとっくに起こった後のことだった。
 彼らが今アマデウスの能力越しに言葉を交わした王子 太陽。彼が既にかぐや姫の能力によって幻覚を見せられていた事実を、二人はまだ知らない。