複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.132 )
- 日時: 2019/03/05 16:02
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)
「竹取物語は、実話だったということですか?」
「ええ。竹取の翁は生まれこそ貧しいものの、年老いても家族想いで、聡明な人だったと言います。それゆえにシェヘラザードは、後に貴族になり、その歳から言葉を覚えたとしても、日記という形で後世にかぐや姫の存在を伝えられる人物を選んだと言われます」
当時の貴族社会は今の世以上に出世に貪欲だったと言って差し支えない。暗殺どころではなく、呪いにより殺人を試み、時として己の娘を差し出し上の立場に立つ者に取り入るような世界である。むしろ、政治の道具として息子娘を利用するため、自分自身多くの女性と契った者もいることだろう。
確かに和歌に詠まれるように、色恋の情念も今よりずっと強かっただろう。しかし、光が強ければ影も濃くなるように、心の裏にべったりと染み付いた欲という汚れは疼くものである。
貴族階級が生まれながらにしてそうであるのだから、シェヘラザードは彼らよりむしろ、平民に託すべきだと考えた。かぐや姫はどの時代に送り込んでも、その時代に考えられる最上の乙女になるように紡いだ著作物だ。生まれの貧富に依らず、その名を天下に轟かせる事間違いなし。そう信じ、その時代で最も家族への慈愛に満ちるだろう翁の仕事場に送り込んだのだ。
「竹取の翁が悲しんだのは記された通りです。彼は、その悲しみを余すことなく物語に書き込みました。彼にできる表現の全てを尽くし、万人に自分が持つ無念を共感してもらえるようにと。そして何より、かぐや姫が実在するのだと証明するために」
そしてその証明は、彼がそれを記したことで果たされた。名も無い守護神、あるいはELEVENシェヘラザードの分体のようなものに過ぎなかったかぐや姫は、竹取物語が世に出ると共に、一個の守護神となったのだ。
彼女を知る者たちは皆、彼女にまた巡り会いたいと強く願った。その想いは、『虚構の人物への憧れ』よりもさらに稀有な感情だった。別れの悲しさを描いた、二本のみに伝わる物語である竹取物語、その中から飛び出したかぐや姫がセオリーから外れて位階の高い守護神となったのは、それ故である。本来フィクションの中の人間に向けられはしない感情、それこそが彼女を特別たらしめている。
後世に書かれた物語に、似た理由で強大な守護神となった童話の主人公が存在する。それは、少女愛好家のルイスキャロルが、幼い乙女のために描いたと言われる物語。その少女を主人公に見立てて贈ったとされる地下の国のアリスの改変版、『Alice in wonderland』の主人公であるアリスだ。
シンデレラや赤ずきんのような、コンパクトにまとまった物語ではなく、読破した人間がそれらと比較し少ないであろう児童文学。確かに世界的に有名であり、翻訳された言語数は時としてシンデレラ達を超えている時期もあったろう。
だがしかし、小さな女の子たちは高貴な身分に自己を投影しようと考えるものだ。一般人に過ぎないシンデレラが、王子様に見つけられ、お妃にと選ばれる。普通の人間に過ぎない少女だからこそ、眉目秀麗の王子様に見初められるのを待ち望んでしまう。自分が特別では無いと自覚しているからこそ、特別になりたいと憧れ、灰被りになりたいと自分の姿を重ねてしまう。
一方アリスは、著者にとって特別な少女のために書かれている。アリスという少女自身が何かしら特異性を持つというよりも、迷い込んだ世界が特殊だった創作だ。ファンタジーを好む人間が、その世界に憧れるのは当然とも思えるが、アリスという主人公を心から好きだと惚れこむ人間は、先に述べたシンデレラほどでは無いだろう。
しかしアリスは、知君や奏白が目の当たりにしたように、侮れない強力な兵隊を多数引き連れている。これは、他の多くの童話やお伽噺が持ち得ない特異な感情に由来する。好んだ少女のために書いた著者の想いと、自分のために書かれたという、少女の充足感だ。
特にその充足感の占めるところは大きい。あどけないながらもアリスという守護神は、自分の望みを誰かが叶えてくれるものだと思い込んでいる節がある。アリスのモデルがどうであったかは今更分からない。しかし、彼女は己の武器を熟知していた。自分が懇願すれば大人は望みを聞いてくれるものだと。
「寄り道はそこまででええ。とりあえずフェアリーテイル共にはアクセスナンバーの位階がないから、その物語の特性や寄せられる感情から守護神としての地位やら力量やらが決まっとるいうことやろ」
「はい」
「ったく、回りくどくてしゃあないわ。今のアリスの下りいらんかったやろ」
「例があった方が分かりやすいかと……。いえ、それより。そういった事情がありますので、かぐや姫を侮る訳にはいかないのです。なぜなら……」
「かぐや姫は次期ELEVENとなるために設計されたから、ですね」
後継者、あるいは直接的にシェヘラザードの子供、そう言った方が正しいだろうか。強大な能力を用いて、数多の守護神を束ねるELEVEN。そう在るべき者は誰より並外れた能力を手にしていなければならない。
「先ほど桃太郎が口にしたのは、将としての力です。配下となるガーデンの守護神全員を鼓舞し、使い方次第で癒すことのできる能力。ですが彼女の持つ能力はそれに留まりません」
それは言うなれば、月光を毒とする能力だ。かつて帝が、かぐや姫を帰らせないようにと配備した軍は、月の光を浴びただけで体の自由を奪われた。それは、彼らの肉体が、神経が毒され麻痺していたためだ。
そしてもう一つは、精神を蝕む能力。心を殺すことさえもできるだけの力が、月光には宿っている。そのための手段は択ばない。ただじわじわと、光を見た者に漠然とした恐怖を植え付け続けることもできれば、幻覚を見せて夢の世界に捕らえてしまうこともできる。
「正直なところ、肉体的な被害は出ないに等しいです。身体を蝕む毒と言いましても、実際のところは一時の金縛りのみですから」
むしろ、夢の世界に人間を閉じ込める能力の方がよほど危険だと彼女は言う。余程強靭な精神を有していない限り、かぐや姫の作る幻覚世界からは脱出できない。それは、夢を見ている時に今自分が夢を見ているのだと気が付けないのと同じ理由だ。
青い月の光を見てしまえば、その瞬間に夢の世界に囚われる。先ほどまで自分が立っていたはずの天地さえも不明瞭になり、初めから幻想の国にいたと錯覚してしまう。そのまま眠り続けて、術者のかぐや姫が許すまで、悪夢であったり、その人の望む温かな情景であったりを実現してやることができる。
悪夢でさえ、その世界が偽りであると決めつけることは困難だ。あまりの艱難辛苦に押しつぶされ、思考が奪われてしまう。こんな現実が真実であるものかと思おうにも、既に対面した不幸はリアリティを持って幻覚にかけられた者を追い立てる。身体中を蛆虫が這う不快感に、指先から次第に砂となって崩れ落ちていく恐怖に、愛しい者が第三者を愛していく喪失に、人は嘘だと断じられない。
幸せな甘い幻想ならばことさらだ。それが夢だと決めつけたくない、現実であって欲しいと願ってしまう。辛く苦しいだけの現実よりも、弱い心を甘やかしてしまう幻の世界を。夢に囚われた人間が、自分にだけ優しい世界を手放すことなど、決してできはしない。
そうして肉体を動かすだけの自我を失った人間が、泡沫の悦楽に閉じ込められている間、現実の肉体はかぐや姫に忠実な僕となる。何せ抵抗するだけの意志が、蜜のような多幸感に絡めとられ、身動きが取れなくなってっしまうのだから。
「かぐや姫と戦う時に月を見てはならないというのはそういう理由からです。できることならば光も浴びない方が望ましいぐらいで。身体能力の制限、金縛りの能力は光を浴びるだけで充分に能力が働きます」
そのいずれに関しても、彼女の持つ癒しの聖歌の能力であれば解除できるという。ただし、彼女自身は能力の行使権を譲っている以上、その力を使うことができない。それを振るうとすれば必然的に王子が幻想に囚われないよう、周りの人間で補助せねばなるまい。
「王子くんはやはり人間です。彼女の夢想に囚われてしまえば、脱出は困難でしょう。だから他の皆さんには何を置いても王子くんを守っていただく必要があります」
たとえ犠牲になった護衛がかぐや姫の術中にはまったとしても、それは王子とセイラが健在ならばいくらでも回復できる。
「他のぞろぞろと配下引き連れとるフェアリーテイルと比べたら随分面倒なやっちゃのう」
「ええ。そもそも精神に干渉する能力というのが最も恐ろしい能力ですから」
その点については、そもそもこのフェアリーテイル事件全体を通し、捜査官全員が理解していることだろう。元凶となっていたのは人を洗脳し、心を破壊衝動で蝕んでしまうドルフコーストの能力。そのせいで、何人の犠牲者が無くなったのか今更数えられない。
本人に戦闘能力、破壊に適した能力が無かったとしても、支配下に置いた者がそのための力を、武器を手にしていた時、それを束ねる先導者が世界を壊すだけの力を手に下に等しい。事実、赤い瘴気に心を侵され、身の回りのものを打ち砕く衝動に衝き動かされていた赤ずきんはどれだけの被害を生んだことだろうか。
「ですので、たとえ危険だとしても私と王子くんはクーニャンさんと桃太郎と共に先行すべきです。前線で一部の仲間が洗脳されてしまった時、仲間割れが発生します」
その上、守護神アクセスしていない状態で金縛りの月光を浴びてしまえば王子が身動きとれなくなってしまう可能性が出てくる。そうなる前に、少しでも守護神アクセスを行うことで身体の機能を向上させておいた方が良い。
「もし洗脳された方とそうでない方との諍いが起きていたら、取り返しのつかないことになってしまう可能性があります。だから……先に、行かせてください」
理由の詳細こそ誰からも告げられていなかったものの、彼女は知君がまだ『現段階においては』守護神を呼びだせないという事実だけは察していた。何かを警戒している態度だけは、琴割たちの様子を見ていたら分かる。それを、挑発に乗りやすい王子には伝えられない事実も。
今夜の敵は他の何よりも、琴割 月光の失脚に重きを置いている。そのため、彼専属の私兵である知君が、国際的な条例を無視してネロルキウスの能力を事件解決のために濫用している事実を知られる訳にはいかない。具体的にそこまで人魚姫の思慮は追いついていなかったが、少なくとも知君たちはそのようなことを警戒していた。
「……分かった。実際問題儂はどこまで行っても自衛以外の目的でジャンヌダルクの力は使えへん。わざわざ足並みをそろえる必要も無い。そんなら戦力になれるだけ、お前ら先送った方が有用じゃ」
確かに先に送り出した際にシンデレラなど、残存する敵戦力に急襲される可能性はある。しかし先ほど本人が口にしていた通り、桃太郎とその契約者の少女とであれば、充分に琴割達が追いつくまでの時間稼ぎぐらいはできるだろう。
であれば、考えられる最悪の事態が変わって来る。今の人魚姫の話を聞く限り、こちらの対応が後手に回りすぎたために、多くの捜査官を失う未来の方が余程今後に支障が出るように思えた。
「王子くん……気を付けて下さいね」
「分かってるよ。大丈夫だ」
その表情は確かに、緊張で強張っていた。それは無理も無い。如何に強大な能力を宿していると言っても、知君とて今宵はひりつくような心のざわつきを抱えている。これまで視線を潜った数は本職と比べるとずっと劣る。誰かを失ってしまう不安に常に苛まされる。一つボタンを掛け違えるだけで、向かう未来が百八十度変わってしまう可能性があるのだ。
でも、だからこそ。僅かな恐れと、大きな不安、そして途方も無い緊張感の浮かんでいる王子の顔だからこそ、知君は安堵して送り出すことができた。向こう見ずで、無鉄砲で、上手くいったときの事ばかり考えて、ヒーロー像に自分を重ね合わせる皮算用をしていた頃の彼はもういない。
かつての王子は、盲目で無謀な博打家だった。一歩一歩、未開の地を着実に進む冒険者とは程遠い。己を投げ打つように、命さえもベットして、ハイリターンの勝負に出るだけのギャンブラー。今の彼はそうではなく、震える心身を奮い立たせ、勇気で高い壁を乗り越えようとしている。
気を付けろの声に、無責任な大丈夫を返すこともなく、分かっていると答えた。考えなしでは何ともならないことを理解して、大人の階段を上っている。
そのきっかけを与えた半分は知君だというのに、彼は友人のその進展が、眩しくて仕方が無かった。きっとその変化は、守りたい誰か、大切にしたい人、並び立つ彼女のためなのだろうと判断して。
とはいえ彼が成長した理由のもう半分はそうであるのだから、彼の推察も間違ってはいないのだが。
「必ず追いつきます、ですので」
「何だ? 負けないでください、ってか?」
「いえ……」
セイラと手を繋いだ王子が、呼びかけてきた少年の方へ向き直る。いつも通りの丁寧な言葉で、今までと違った言葉をかける。
彼もまた、幾多の困難を乗り越える度に変わっていった。僕が、僕が。何とかしなくちゃ、護らなくちゃ。そんなことばかり口にしていたというのに、自分がどうにか解決させねばならないと思い込んでいたのに。
いつしか重荷を引き受けることしかできなかった、器でしかなかったはずの少年も、誰かに託すことができるようになっていた。
「シンデレラはともかくかぐや姫一人くらい、先に済ませておいていただいて構いませんよ」
「ハードル上げてんじゃねえよ」
教室で他愛ないことを押し付けるような口調で無茶ぶりをしてきた知君に、小さな笑いを漏らした。お前そんな事いうキャラだったっけかと、呆れた顔を作りながらも、抜け目なくパートナーの人魚姫と「守護神アクセス」の声を重ねている。
握りしめた掌まで、全身が光の粒となって王子の中に吸い込まれていく。真凜のまとうオーラの色とはまた違う、深海のような深い青のオーラに、王子 光葉の身体は包まれた。
「ま、でも今回はどのみち知君の仕事はそんなないはずだしな」
「あたしらも居るんだ、姫様の一人や二人、ぶっ飛ばしてきてやんよ」
忠告通り、空も見上げないままに二人は一斉に駆け出した。人間にはあり得ない程に肉体が活性している両者だ。琴割はともかく、現状ネロルキウスを呼びだしていない知君にとってその速度は規格外と呼ぶほかなく、瞬く間にその背中は胡麻粒のように小さくなってしまった。
「随分落ち着いたもんやのう」
「ええ、そうですね……」
以前ならば、逸る気持ちを抑えきれず、周囲の全員が止めているのに独断先行しようと考えるほどの少年だった。というのに、今日の彼は周りの冷静な人間が、前進するに値すると判断したのを聞き届けた上でようやくスタートダッシュを切った。たかだか数日の短い期間だと言うのに、もはや彼は知君に掴みかかった人比べて、数回り大きくなっていた。
しかし、琴割が評したのは何も彼一人に留まらない。残された知君と、彼らなりに現地へと向かいつつそちらの少年の成長も認めていた。
以前ならばそわそわして、一刻も早く駆け付けようと思っていた彼だ。それは護りたいという欲もそうだが、何より自分以外の人間の強さを信じていなかったせいだ。
けれど、今は違う。自分以外の誰かから助けてもらう経験を経て、知君とて一回り大きくなっていた。
月の光を恐れる必要の無い二人は、空に浮かぶ満月を見上げた。より一層輝きを増した月は、空の玉座に腰を下ろしているようにも思える。
心と身体を縛る青い月光が、雨のように戦地へ降り注いでいた。