複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.133 )
- 日時: 2019/03/12 17:11
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)
「こりゃ随分な地獄絵図だな」
「今んとこ誰も死んでねーだけましじゃねーの?」
佳境、かぐや姫の降り立った戦場に駆けつけた王子達は、その状況のおぞましさに眉を顰めた。反吐が出そうな不快感を何とか王子は飲み込んだ。並び立つ、日本刀を握りしめた少女はと言えばそれほど堪えている様子は無い。当然彼女は今日にいたるまでの日々でそれ以上の過酷な生活を乗り越えている。そうともなれば、この程度で打ちひしがれる由も無い。
かぐや姫の洗脳を受けた者と受けていない者とで、仲間割れは始まっていた。一刻も早く元凶であるフェアリーテイルを討ち取ろうとしている同僚たちに、数人の捜査官が自分こそかぐや姫の親衛隊だと言わんばかりに立ち塞がる。
数の理としては、正気を保っている人間の方が余程多い。しかし、洗脳を受けないためには月を見ない、つまりは情報を見上げない必要がある。視界の端にさえ映らないようにしていると、視野が極端に狭くなる。ほとんど相手の足元だけで挙動を推測せねばならない上に、その者が本当に操られているかも判断せねばならない。雑然とした戦場では数多の捜査官の立ち位置がこまめに入れ替わっているため、一時も集中を切らす訳に行かない。
それだけではない、今隣に、あるいは背後にいる同胞も、いつ敵方に寝返るか分からない。そんなストレスばかり一身に浴びている戦局だ。一時の判断ミスで上方を見上げてしまうこともあるだろう。警戒と、疑念と、失態と、狂気と殺意と叫喚で、決戦の舞台は混沌としていた。
「おいおい、太陽も洗脳されてんぞ。大丈夫か?」
「兄貴まで……? 全方位に重力場展開されたら不味くないか」
それはないなと、眠たげにクーニャンは否定する。あの場では、少しのミスでかぐや姫に数倍の重力が振りかかる。捜査官達は守護神アクセスしているため、多少の重量は耐えきれるものの、かぐや姫本人は一般女性程度の膂力しか持たない。巻き添えになった際、逆に不利な情勢に傾くようなことはしないだろう。
「でも単純に、洗脳されっぱなしになんてさせてたまるかよ」
「だから落ち着けっての。そのためにぷりんす連れてあたしが先来てんだから」
自分が先行すると、クーニャンは王子に告げた。今のところ周囲に新たな敵の気配は無い。どこかに潜んでいるのか、この場にいないのかは分からないが、シンデレラの介入は無いと判断できた。かつてクーニャンに王子や知君の暗殺を依頼した『あの男』もいないだろう。
何せシンデレラの契約者も例の男も、気配を隠せるような経歴を持っていない。むしろ強すぎる存在感が漏れ出るような人間だ。とすれば、それを押し殺しているような息遣いが僅かでも漏れるはずであるし、そうなれば彼女の直感で容易に嗅ぎ付けられる。
「あたしがかき回してきてやるよ。いつもと勝手は違うだろけどよ、頭おかしくなった連中のケアは任せたぜ」
王子の返答も待たずして、指示を残して少女はかける。小麦色に染まった、豹のような四肢が弾む。細身ながらも引き締まった筋肉は躍動し、一匹の獣がアスファルトの荒れ地を駆けた。未だかぐや姫に支配されていない味方の隙間を縫うように走る姿は、むしろ風と呼ぶに相応しい。
桃太郎の刀を地面に擦りつけ、火花を撒き散らしながら猛進する。威嚇とも取れる行動だが、実際の目的は意識を自分に惹きつける事だ。王子の存在は、能力を行使するギリギリまで気づかれる訳にはいかない。派手な火花を撒き散らし、石畳の地面を軽々と斬りつけながら彼女は、捜査官達にも自分の帰還を示しながら、正気を失った面々に飛び掛かった。
王子 太陽を筆頭に、新たなかぐや姫の護衛が彼女に反応したのは瞬時の出来事だ。そもそも洗脳を抜きにして、この社会の闇の部分で生きてきた、殺しすら厭わないようなクーニャンのことを、実力への嫉妬を抜きにして彼らは嫌悪している。知君の天賦の際に妬き、突き放していたこととはまるで意味が異なる迫害。これなら、まだ彼が受けていた疎外の方がましだと思えるほどの誹りを受けていた。
ただし少女は怯まない。憎々しげに彼女を睨みつける十を超える眼光、それらに焦点を合わせられたことを自覚すると同時に、舌なめずりをして笑みを浮かべた。陽動が成功している確信から来る笑みもあるだろう。そう、それでいいとほくそ笑む高揚。ただ、それ以上に。
戦地に生きる人間として彼女は、その明確な敵意を向けられた感触が愉しくて仕方ない。
「ハンデは、どんなもんだっけな」
一つ一つ、己の不利を確認する。
まず一、敵は増える。味方陣営が空をうっかり見上げれば、それだけで。
二、当然自分も月は見れない。足元の動きだけで、あるいは向き合った誰かが跳び上がったとしたら影だけで動きを追わねばならない。
三、そもそも対処せねばならない被洗脳者の判別などできていない。自分に斬りかかって来る者全てが敵と思う他ない。
四、敵は殺す気でも、こちらは殺してはならない。
四つ目の懸念を思い浮かべた途端に、ふと彼女は首を小さく横に振ってそれを自ら否定した。それは決してディスアドバンテージと捉える必要は無い。そもそも王子が上手く立ち回ればこちらから傷つける必要は無い。ひたすら攻撃を受け流していればそれでよい。
ただし、そうもいかない現実はあるため、多少の反撃は已む無しではあるのだが。
「じゃあ逆に、あたしの有利は何だっけな」
広範囲の重力波は避けているとはいえ、照準を定めた能力行使は躊躇いが無いらしい。クーニャンの立つ足元の地面の色が変わった。別段何が彼女の上に圧し掛かった訳でもないというのに、その両足にかかる荷重が劇的に増加した。途端に関節が錆び付いたかのように、彼女の動きから精彩が欠かれる。
しかし、追い討ちはすぐさま飛んでは来ない。操られている太陽の守護神、アイザックの能力は対象物ではなく対象の空間に働きかける能力であるため、追撃のために踏み込む訳にはいかない。
肉体活性の道具を取り出すと同時に、聴覚に全神経を集中させた。煩雑とした騒音の中から、今まさに自分のことを狙い打とうとしている能力がどれなのかを判別する。彼女の身動きが封じられ、数拍置いた後に鳴り出したものと言えば。雷光の爆ぜる音、炎熱の盛る唸り声、瓦礫を持ち上げようと大地を踏みしめ、靴底が床を擦る音。
氷が割れて軋む音、これは違う。氷雪を操っている女性はまだ操られていなかった。彼女の周りを取り囲む障壁。これはおそらくクーニャンの身を守ろうと作られたものだ。それ以外の能力者は、重力圏外からの干渉手段を持たないらしい。
王子の声は、やっと聞こえてきたところだった。喧騒に紛れているが、確かに聞こえる。全くその声が聞こえていないと、癒しの効力は発揮されないが、主張しすぎると狙いが向こうに向けられる。狙い目ギリギリ、いい仕事をするものだとプロの傭兵として彼女は珍しく少年を評価した。
取り出した丸い塊を口元まで持っていく。その動作さえも今の状態だと難しい。何とか薄く開いた口の中に、柔らかな団子を無理やり押しこんだ。
「ま、あたしのいいとこなんてたった一つだな」
嚥下。喉を鳴らす音が彼女を守るバリアの中にこだました。轟く雷鳴が戦場を駆ける。窮地に陥ったと見える彼女を守護する壁を貫く勢いで衝突した。炸裂する雷光は網膜を焦がしそうな程だが、その程度で女豹の眼は眩まない。瞳孔を引き絞り、処理すべき傀儡に狙いを定める。
見れば、防御壁には大きな亀裂が走っていた。まず間違いなく、先ほどの電撃による影響だ。盾を張り直すような暇も無く、紅蓮に燃え盛る炎がその守りを取り巻いた。穿たれた楔を槌で叩きつけるかの如く、罅は全面に広がっていく。氷の能力で炎を相殺しようとしている者もいるようだが、もはや手遅れらしい。
何も彼ら彼女らも、好き好んでクーニャンを救おうとしている訳では無いのだろう。きっとそういった行動に走っている連中も、彼女のことは少なからず嫌悪しているのだから。しかし、この正念場において未だ力を温存しているのは彼女のみ、自軍の勝利に繋がる要石たるクーニャンだ。多勢に無勢で落とされる訳にはいかない、そういうことなのだろう。
しかし、誰一人として理解していなかった。いや、理解はしていたのだろうが、慎重さが上回ったのだろう。それゆえ失念していた。桃太郎というのは契約者を得る前から既に、多数の捜査官をたった一人で翻弄していたという事実を。
自家用車ほどもある大きな瓦礫を、やすやすと持ち上げる男がいる。その守護神は三好清海入道を由来とする、伝承界に住まう者。持ち前の力は至って単純、契約者を巨腕巨漢の豪傑へと転じさせる。
雄たけびを上げ、操られた男はその瓦礫を投げつけた。味方の作った防壁が受け止めようとするも、それまでに既にぼろぼろの傷だらけになっていたバリアだ。それ以上の攻撃は受け止めきれず、投げつけられた土瀝青の塊がぶつかると同時にばらばらに砕け散った。
そのままの軌道であればクーニャンの頭上を素通りしていたであろう流星が、その軌道を下方へと修正する。まるで彼女に引き寄せられるかのように。それは当然、アイザックの重力操作が続いているため、下方へ向かう加速度が増したためだ。褐色の肌に身を包む、華奢な猫のような体を、斜め上から轢き潰そうと、迫る。
流石にそんなものが直撃してしまえば彼女とてひとたまりも無いだろう。
「こんな不利をひっくり返せるあたしらしさなんてさ」
ただしそれは、当たればの話。一つ食べれば十倍の力、そう謳われる品を摂取した彼女は、いかにアイザックの能力で妨害しようとも、もうその所作にぎこちなさなど介入する余地は無かった。
「ただ強ぇ以外にあんのかよ?」
その剣閃は、まさに一瞬の出来事だった。先ほど戦場を走った雷のごとく、瞬きに等しい刹那の時間に稲光が駆け抜けただけのように。
王子に迫る喜びの従者を切り捨てた時と同じく、甲高い唾なりの音がたった一つだけ。剣を抜いたその瞬間も、振り抜く場面も、鞘に納める姿も、何一つ見えなかった。
それでも、斬撃が放たれたことだけは察せられる。次の瞬間にはそのまま彼女の身体を圧し潰してしまいそうな岩の塊が、鼻先で二つに割けるような姿を多くの者が想起した。しかし、その予想を彼女は遥かに超えていた。
言われてみれば当然のことだ。彼女は赤ずきんの従える猟師の、機関銃の連射をその刀一振りで全て切り捨てたのだから。
迫る巨岩は、目にも止まらぬ無数の斬撃により、塵芥となって風に掻き消えた。
「はぁ……?」
敵も味方も関係ない。彼女の化け物ぶりを見たことの無い人間全員が大口を開けたまま言葉を失った。その隙を百戦錬磨の黒豹は見逃さない。声を張り上げて後方の彼らに呼びかけた。
「おいぷりんす! てめえの声ぜんっぜん届いてねーぞ、もっと腹から声出せ!」
「いや、目立つなってお前が言ったんだろ」
「でも効いてなきゃ意味ねえだろがよ、大丈夫だ、あたしが護ってやっからよ!」
「それはそれで癪だけど……責任持ってくれよな!」
このままでは効果が薄いというその指摘は尤もなことだ。それは王子も感じ取ってはいたが、声を張り上げれば張り上げる程、その狙いはより鮮明になる。その声にかぐや姫が気づいてしまえば、最優先で王子が狙われることは間違いないのだろう。
しかし、臆せば二進も三進もいかない。だとしたら声を、勇気を振り絞るしかない。覚悟を決める外無い、何が何でもやり遂げるという。
戦場に、人魚姫の歌声が響き渡る。それを耳にした、正気を失った傀儡の捜査官達は違和感を覚えた。精神干渉から人を解放する祈りの歌。それにより、洗脳で植え付けられた記憶や使命に疑念を覚え始める。
ようやく王子の所在をつきとめたかぐや姫が操っている人々に指示を下すも、即座に従おうとする者はいなかった。青く瞬く月光の支配が弱まっているせいか、反応が鈍くなっている。
そしてその、命令と本来の理性との狭間で葛藤する僅かな間隙を、強かな彼女らは逃さない。鎮圧すべき敵戦力の懐にまで潜り込んだかと思えば、その顎を的確に打ち抜いた。現れては消え、また別の標的の前に立ち塞がり脳震盪を引き起こす。角度、タイミング、力加減、それらは訓練を受けた時代に身に沁みついた彼女の武器だ。
膝から崩れ落ち、意識はあるが立つこともしばらくままならない彼らにセイラの祈りの声が届く。ただでさえ戦闘不能に陥った中、かぐや姫の洗脳は完全に解かれた。
孤立している訳にもいかないと、セイラの提案に乗って王子は前線のクーニャンと合流した。
「さあさ、月の姫さんよ」
「もうそろそろ気が済んだろ」
「降参するならあたしらが手ぇ抜いてる今のうち、ってな」
月の民、その軍隊は捜査官一同の尽力により、全兵力を淘汰済み。これにより、完全に彼女が孤立した状態が出来上がった。後は誰かが彼女を力ずくで制圧している間に人魚姫の能力で浄化すれば、幕引き。で、あるというのに。
満ちた月は、まだ沈まない。欠ける事さえ許そうとしないままに。