複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.135 )
- 日時: 2019/03/28 22:31
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: WZM2PwQU)
「おいお前、セイラに何しやがった!」
次第に力が抜けていくことなど歯牙にもかけず、王子が吐き出したのは怒りだけだった。しかしそんな強い語気を向けられても、全く意に介していない。もはや王子とて籠の中の鳥。精一杯の威嚇も強がりとしか思えない。
「なるほどな、鏡に映った月もダメか。それで向こうの連中は不意打ち喰らったんだな」
冷静さを保っていたのは流石としか言いようがない。人魚姫が何らかの精神干渉を受け、意識を失ったというのに、何一つ揺らぐことなくクーニャンは大地を蹴った。人魚姫の無力化に成功し、もう人間側の陣営にかぐや姫の能力を解除する手段は無くなった。これ以上の追撃など必要なく、生身の人間に成り下がった王子への能力行使も遮られた。
どこから相手のしかけた罠にかかるか分かったものではない。自分さえも洗脳されてしまう可能性を恐れ、彼女は思い切って目を閉じた。目を閉じる寸前に把握した視界の情報と物音、気配から一気にかぐや姫を取り押さえようという算段だ。流石にリスキーすぎたため今の今まで踏ん切りはつかなかったが、目を閉じてしまえば術中にはまる可能性はゼロとなる。
脚力に天と地ほどの差があるため、距離を詰めている間に逃げられるようなこともない。衣の擦れる音、隠しようもないだろう存在感。おそらくは元凶であるフェアリーテイルがいるだろう方向に向けて、白刃をいざ振り抜かんとする。
「じゃが桃太郎とその眷属よ、ちと暴れすぎたのではあるまいか」
しかし掌の中から、握りしめた刀の感覚は消え失せた。見えない力に押し出されるように、桃太郎が体から飛び出て転がり落ちる。最悪のタイミングで、守護神アクセスは許容時間を超えて接続が中断された。
無理も無い。そもそも、輸送車の護衛からずっと接続したまま、王子達のところまで駆け付け、リセットする間もなくこちらに戻って来たのだから。心身を削りながらも一時間近く続けていられただけ化け物じみているというものだ。
「何もこのタイミングでそんな……」
「いいから女! もう一度儂の手を取れ!」
「つってもこの青い光やべえぞ、もう腕あがんねーぐらい力抜けてる」
「なら儂の方から行くしか……」
「させんよ」
迫りくる弾丸を、咄嗟に桃太郎は刀の鞘で受け止めた。銃かと思えばそうではない。先ほどから何度も氷の槍を飛ばしている捜査官が、今度は小さな弾丸を高速で撃ち出しているだけのことだ。見れば、次々と飛来する氷刃は、降り注ぐ雹のように留まるところを知らない。
契約者がいる以上、フェアリーガーデンの守護神とはいえ、彼はもうこちらの世界で能力を使えない。とはいえそもそも身体能力に優れた守護神であるため、持ち前の動体視力と俊敏性でそれらは撃ち落とせる。ただ問題があるとすれば、クーニャンの隣まで進み、手を取るだけの余裕が無い事だ。
「あいつらまで……」
「王子と言ったな。なるほど、セイラのためとしか思えぬ名をしておる」
脅威は全て排除した。先ほどまで悠々としていた彼女も、ようやく重い腰を上げて王子の真正面までやってきた。跪き、這いつくばる姿を見て、無様な虫のようだと鼻を鳴らす。気分はどうだと尋ねられたが、王子の口から飛び出したのは先ほどと同じく、「セイラに何をした」との問いだった。
「ああ、もう一度フェアリーテイルにするもよしと思ったがな。お前と再接続して能力で自発的に癒されては意味が無い。じゃから童の幻覚に捕らえる能力で、夢を見続けてもらうことにした」
永遠になと、冷たい声で補足する。守護神達に死の概念は無い。それは外傷にしても、病にしても、老いにしても同じことだ。それゆえ夢から覚めない限り、人魚姫は未来永劫かぐや姫の作り出した偽りの世界に囚われ続ける。
「あれは不憫な娘だ。喜びを知らん。幸福を知らん。しかし、気丈に、他者のための慈愛を抱え続けている」
「お前が勝手に不憫って決めんじゃねえよ」
「そう憤るな。同情したのは確かに礼を失したかもしれんがな。童とてそんなセイラには報われて欲しいと思うておる」
「白々しい」
忌々しげに王子は吐き捨てた。それならば、実のともなわない夢の中に閉じ込めるのではなく、一刻も早くこんな悪夢を終わらせ、親友であるシンデレラを解放させてやるべきだ。人を傷つけるのみならず、人が傷つけられているのを傍観しているだけで気分を害してしまう彼女だ、この一連の事件の中で、何度傷ついてきたかなど、想像もできない。
その全ての元凶であるかぐや姫が、今更セイラのために甘い幻想を見せてやっているだなどと口にしても、一笑のもとに吐き捨てることしかできない。
「セイラは、こんなこと望んでおらぬと?」
「当たり前だろ」
「それは真か? 実際にその方は問いただしたのか? 今が幸せなのかと、後悔は、かつて憧れた白馬の王子様に未練はないのかと」
「……ある訳ねえだろ」
僅かばかりの沈黙。その無言の刹那に、かぐや姫は王子の中の苛立ちを見た。ヒリヒリと、次第に正気が擦り切れていく緊張感が、その声音には浮かんでいる。そうとも、望んでいるのはこれに他ならない。次第にその怒りが王子の判断力を焦がしつつある様子を見て、一層彼女はその表情を仮面の下で歪めた。
最早敵となる者もいない。高らかな笑みを月夜にこだまさせ、セイラとは不釣り合いなその男を嘲った。そうとも、王子 光葉、お前にそんな覚悟などありはしないだろうと。既にざわざわと波打つ水面に、一際強い波紋を生み出す。ゆらゆらと、次第に波は高くなる。次第に、容器から感情が溢れていくようにと。
「お前にとってはセイラが全てだ。あの娘が他の誰かになびいたとすればお前の英雄譚などすぐに幕引きじゃ。否、始まってすらおらぬやもしれぬ。お前という男はセイラにとって『求めずとも勝手に求めてくれる存在』に過ぎん。己が求め続け、唯一胸を張れた長所である声を捨ててまでも叶わなかったかつての想い人と比べれば、その価値など無きに等しい。言うなれば路傍の石と天に浮かぶ月ほどの違いじゃろうて」
次第に王子の額に青筋が浮かんでいく。深い皺が眉間に刻まれていく。ああ、堪らない。人が、心が壊れていく瞬間というものが、彼女にとって心地よくて仕方ない。いつからそう思うようになったことだろうか。初めて目にした、誰かの心が踏みにじられる瞬間は、あんなにも胸が苦しかったというのに、いつの頃からかそれが心地よいと、それが当然であると考えるようになってしまった。
単純に自分は我儘なのだろうなと自覚している。そう、彼女は我慢ができなかった。自分一人が誰かに決められたレールを走らされているというのに、貴賤を問わず地上の人々は自由を得ていることが。私の辿り着く終着駅は、虚無か不幸しかないというのに、彼らには幸福を掴む権利が、機会が与えられている。
この世は不平等だともいえるし、平等だとも言えた。彼女は平安の世に暮らしていた時分、充分幸せな生活を過ごしていた。だから、今、そして将来何も喜びなど無くても受け入れなくてはならない。生きとし生けるもの、経験する幸福と不幸の決算は等しくなるものだという統計。それに則れば、幸福の絶頂などとうに過ぎ去った彼女はもう、生を楽しむ事などできない。永遠に死ぬこともできないというのに。
だから、愉快そうに笑う連中が煩わしい。その裏で退屈にしている者がいることに気づこうともせず、我が物顔で人生を謳歌している姿が。
だから彼女は、ドルフコーストの能力にかかり、理性を失った瞬間に決めたのだ。どうせ救われることが無いというなら、万人にこの虚しさをくれてやろうと。泰平の世など討ち崩してみせようと。遠い未来、会えるかもしれないという一縷の望みにかけて不死の薬を託した帝は、その薬を富士山の頂上で焼き払ってしまった。育ての親とて、きっと彼女を怨んだまま冥土へ旅立ったことだろう。
もう、何も残されていない。現世に対し、未練など何も残っていなかった。ならば、壊すしかない。
フェアリーテイルは精神を蝕む破壊衝動に囚われた際、純粋な幻想であるがゆえに、純粋に街を破壊し、人々を手にかける。しかし、湾曲した怨嗟をその胸で千年煮詰めたかぐや姫はその限りではない。それは言うなれば破滅衝動なのだろうか。彼女は、ただ破壊するだけに愉悦を感じることはできなかった。
その胸に渦巻く蛇蝎の如き毒を孕んだ感情は復讐と呼ぶべき代物だ。彼女は、誰かが絶望しきった表情をその目に収めなければ気が済まない。公立だけを求めるなら、この瞬間王子を殺してしまうべきなのだろう。しかし、そのような決着を彼女はよしとしなかった。敗北の悔しさなど生ぬるい。理解しあったと信じていた、想いあったと期待していた、人魚姫に裏切られた王子の顔を見るまで、その生を終わらせるわけにはいかない。
だからこそかぐや姫は人々の動きを封じることにした。かつて、竹取の翁の屋敷にて、帝の兵達を足止めしたのと同じ、身体から力を奪い取る青い月光。それは幾星霜経とうとも色あせることなく、猛者たちの手足をその空間に縫い付ける。
人魚姫に悪夢を見せるのも一興かと思えたが、僅かに同情が働いた。同郷のよしみである同情、それに付け加えるとしたら同じだけの嗜虐心だろうか。ここで人魚姫を苦しめても悪くない満足を得られるだろう。しかしそんな事をしても王子 光葉は絶望しない。怒りを湛えるのみだ。
夢見がちで、青臭い、そんな若い獅子の奮い立つ心を、闇より暗い悲しみで塗りつぶしてしまえたなら。きっと、きっと自分さえ満足できることだろう。これ以上ない程に。ならば、セイラにはとびきり甘い夢を見せよう。そして絶望しきった王子を殺してから、目覚めさせてやろう。
その時、セイラはどう思うだろうか。どうして甘い夢から覚めさせたのかと激怒するだろうか。それとも、自分のせいで傷心したまま救いなく没した番の男の死にすすり泣くだろうか。ああ、堪らない。これからの悲劇を思い浮かべる程、彼女の心臓は高揚した。それに呼応するように、炎のように燃え盛る紅蓮の瞳は一層その光を強くする。
「さて、その方にも見せてやろう。セイラが、童の作り出した泡沫の幻想に囚われた姿を」
「何が目的だよ」
「なぁに、冥土の土産に、せめて伴侶の願いが果たされる姿でも見せてやろうかと思うてな」
「そうかよ。日本で一番古いだけあって、性の悪さもピカイチだな」
「そう言うな。これもお主らが言う赤い瘴気の影響かもしれんぞ」
先ほど、不意打ちで月光を反射させるために利用していた鏡の断片をかき集め、規則正しく並べてスクリーンを宙に作り出した。目の前の景色を映し出すだけの鏡だったというのに、まるでテレビのようにここではないどこかの情景を映し出した。
それはどこかの絵本の挿絵に表される様な、静かな海岸線だった。広い砂浜が続いており、波が寄せては返している。白い泡を巻き込んで押しては返す波が、時折宝石のような貝殻を運んでくる。
浜辺のずっと向こうには、切り立った崖が見えた。崖の少し手前には、大きな大きな、天を衝くような棟が三本並んでいるような姿が特徴的な、西洋風の城が聳えていた。
まるでドラマのワンシーンのようだった。そこには、絶世の美男美女が一組、向かい合って並び立っていた。紫と白を基調にしたドレスをまとった女性は、輝く黄金の瞳の中心に、向かい合った男性の姿を映していた。ウェーブのかかった翡翠色の髪の毛が、風に煽られて鼻先や首筋に引っかかっている。それを指先でどうにか払いのけながら、照れくさそうに頬を赤らめて、微笑みを浮かべていた。
彼女は紛れもなく人間だった。ドレスの裾からは、絹のような白い肌の、二本足が覗いていた。魚の尾びれなどでは決してない。だが、小さく溢した笑い声が、涼やかに染み入る風鈴のような響きを持っていたことから確信した。
あれはセイラだ。そう、瞬時に自覚したと同時に、胸を鷲の鉤爪で掴まれたような、痛みと息苦しさを同時に覚えた。胸を裂くような喪失感と、絶えず締め付けてくる切なさと。彼女の表情には、目の前に立つ白馬の王子と見つめることへの遠慮が混じったような好意が浮かんでいた。少し及び腰の、憧れの入り混じった恋慕の情。
鏡が映し出した景色の角度からは、王子様の姿はちゃんと見られなかった。セイラの瞳に映る小さなシルエットなども、当然判別できるはずも無い。顔も見えないその男に、間違いなく王子は嫉妬していた。
ようやく、意図を理解した。こうやって俺の心を追い込んでいくのが狙いなのかと。恨みがましい瞳でかぐや姫を睨みつける。
「そう睨むな。見るのが心苦しくなれば目を逸らしてもよいぞ。何、その時は童直々に、この手でその方を縊り殺してくれようぞ」
死にたくなければ辛い光景から目を逸らすな、そういうことなのだろう。ここで死ぬ訳にもいかない以上王子は、渋々視線をセイラ達の方へと戻した。
こんな表情、見せてもらったことはないなと、漠然と感じた。あるいは、自分がこんな表情を引き出せたこともないという事実を痛感した。
口から吸いこんだ夜風が、あまりに冷たくて。彼はそのまま凍えてしまいそうな程に思えた。