複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス【File11・完】 ( No.145 )
日時: 2019/08/27 12:26
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: eW1jwX0m)


 余計な混乱を避けるため。それが、世界的な著名人である歌姫、星羅ソフィアがこの事件に関与している事実を、琴割月光が隠そうとした理由だった。手段を選ばないという悪癖はあるが、彼の理念はあくまで、平和で穏やかな社会。争い、諍い、紛争に事件といった、不幸を断ち切る世界の基盤づくり。であれば、無為にソフィアの関与を公表して、彼女のファンの暴動を予め懸念しておく必要があった。
 かつて琴割月光は、難病に侵される星羅 朱鷺子、すなわちソフィアの母をELEVENの能力で治癒することを断固として拒否した。ELEVENの力は、琴割という例外を除いて私欲で用いない。前例を作ってしまえば、歯止めが利かなくなってしまう。ナイチンゲールの力ならば確かに彼女の病さえ治療できただろう。しかしそれを許すと、その契約者は医者より優れた医神として、絶えず能力を行使しつづけなくてはならなくなる。世界には未だ難病は限りなく残っているのだから。
 そしてナイチンゲールにだけ、その特権を許可する訳にいかない。他のELEVENにも同様に能力行使の権限を与えてはどうなるか。シェヘラザードならば、気に食わない国が壊滅するまで星の雨を降らし、大地を引き裂き、火山を働かせられる。万物を両断するキングアーサーであれば、文字通り気に食わない者、物、ものを細切れにできる。国でさえお手の物だ。ネロルキウスであれば、この世全ての掌握さえ謀りかねない。
 だからこそ、朱鷺子の治療を是とする訳にはいかなかった。それは朱鷺子自身納得していた。あの一家で、最も聡い者がいたとすれば、朱鷺子だったろう。わざわざ知君の母として、その精神性から正義に相応しいと選んだ人間だ。思慮も当然持ち合わせていた。自分一人の延命のために、混乱を招く訳にはいかないと。
 だからこそ彼女は昨年没した。そしてソフィアは、いや、ソフィアと父親は復讐に囚われた。お門違いな復讐であると、客観的に見ていれば二人は理解できただろう。しかし張本人となってしまっては受け入れられない。助けられたはずの最愛の人を、琴割が定めたルールのせいで、無碍に切り捨てられた。そう歪んだ思い込みをしても、仕方の無い事だった。
 朱鷺子はかつて琴割に協力した。彼女を永らえさせるデメリットはどこにもない。それなのに、どうして彼女が生きることは許されなかったのか。社会を抑制する装置としてではあるが、自分一人だけが実質的に不死を獲得した琴割 月光の傲慢が許せなかった。
 どうして、どうしてお前だけが。悲しみが憎悪に変わったその瞬間だった。彼らの復讐が次第に輪郭を持ち、明確な形を得始めたのは。
 琴割という男の人間性について研究とも呼ぶべき考察が始まったのもこの時だ。装置として生きているとはいえ、彼なりの人間性、あるいは行動の意思決定のパターンは存在する。望ましいと思う結果、情勢へ繋がる通路を選ぶ、あるいは作ろうとする。それは凡人も琴割 月光も変わらない。であれば、自分がすべきことは。琴割にとって都合の良い道筋を、自分達にとっての最適解となるような計画を作ること。
 そのために必要なのは当然、琴割からの拒絶を受けないための後ろ盾だった。しかし琴割に従う守護神ジャンヌダルクはELEVEN。ELEVENから身を守るにはELEVENが必要。それゆえに彼らは、フェアリーテイル事件の全貌を察知されないがために、一人の男と手を組むことに決めた。
 だからこそ、二人の関与は直前に送られた映像まで確信を持てなかった。その上、彼女らの能力を予め知ることもできなかった。シンデレラは傾城であるため、ネロルキウスでその力の全貌を調べるのは元来不可能ではあったが、メルリヌスならば可能だ。しかしその未来予知でさえ、ELEVENの能力で無効化されてしまえば未来視の観測などできるはずも無い。
 元々星羅 朱鷺子はともかくとして、その夫の守護神など琴割は興味一つ示していなかった。さらには余計な騒ぎを避けるため、ソフィアのことを知らせていなかったのが仇となった。守護神アクセスしている状態で現れる、あるいは即座にそうするであろうソフィアとシンデレラは瓜二つなため、戦場においてそれがソフィアだとは気づかれない。あるいは気づくだけの余裕など無い。だから、困惑などはないと思われた。事実疲弊しきった今、目の前の誰かがシンデレラと守護神アクセスした事実を問題視している捜査官はいない。
 何よりも問題なのは今、この戦力が削がれた局面において、シンデレラが来てしまったことなのだから。
 もしも、王子がこの二人の関与を知らされていたら、こうはなっていなかっただろう。しかし王子は知りもしなかった。なぜなら知君や奏白が、彼女が最強のフェアリーテイルと思われる、シンデレラの契約者であると伝えられたその時、赤ずきんや白雪姫に会いに行っていたのだから。

「あんた、あの時会った……。ていうか守護神アクセスって……」
「あら、ちゃんと聞こえていなかったのかしら。貴方のための物語は終わったの。今度は私の番。もう、君の居場所は観客席よ」

 整った双眸が細められる。一級品のナイフのように、その眼光を首筋に突き付けられたような寒気が、王子の背筋を駆け抜けた。

「待てよ、そもそもあんた今日本にいないはずじゃ……」

 はためくマントが地面に落ちる。星羅 ソフィアと、マント。どこかで目にしたようなデジャヴが胸の内に現れる。王子は確信する。その二つの取り合わせはどこかで必ず見たはずだと。
 多くの捜査官が、そして知君が、何としてでも彼には危害を加えさせまいと慌てて守護神アクセスしようとする。しかし、距離と言い残された体力と言い、相性も然り、誰もその凶行に間に合うことは無いだろう。
 そう、きっと。彼が、王子 光葉がソフィアの父親が此度の最後の戦いに一枚噛んでいると知っていたならば、誰もがその能力を警戒したであろう。
 あの日、偶然にもこの親子二人と出会った王子はようやくハッとした様子で、何が起こったのか思い至った。ここに居るはずの無い、在る筈のないものが現れる、それを可能とする守護神に。
 ばさりと、暗幕が地に伏す。それはまるでソフィアの言葉を裏付けるように。王子の物語の幕が下りてしまったことを示すように。
 それは脱出劇を得意とするマジシャンが守護神として転生したものだった。とある歌姫のマネージャーである男が持っている守護神だった。その瞬間の光景を、彼も鮮明に覚えている。自分の身体ごと、ソフィアをその日のコンサート会場へと輸送した父親。

「そうか、フーディーニの能力か!」
「おやおや、物覚えの良い少年だね。思い至るには少々遅すぎたようではあるが」

 もう一つ、聞き覚えのある声。それも当然のことだった。あの時と同じならば本人も来ていなければならない。

「ちょっと待て、マントの中……もう一人いるぞ」
「それを君が知る必要は無いわ」

 お色直しといこうかしら。純白のドレスを纏った傾城、シンデレラと化したソフィアは指を鳴らした。軽快な音が鳴り響くと同時に、裾の方からそのドレスは染まっていく。穢れの無い雪のような白から、艶やかなヴァイオレットへと。

「紫毒の姫は蝶のように舞う。その鱗粉に侵された君は、果たして無事で居られるかしらね」
「王子くん、早く逃げて下さい!」

 知君の声が遠い。phoneを取り出しているものの、ネロルキウスでは止めようがない。それでも守護神アクセスをしようとしているが、たかだか三桁のアクセスナンバーを入力することさえ、間に合いそうにない。
 彼女がその場で流麗なターンを決めると同時に、紫の粉塵が立ち昇った。王子の四方を取り囲み、周囲の空気から断絶する。目が、喉が、王子の全身の粘膜が苦痛を訴え叫んだ。悲鳴を上げれば上げるだけ、その喉の痛みが体を引き裂くほどにこだましていた。声にもならなくなった息も絶え絶えな喘ぎ声だけが、目を閉じ、鼻と口とを両手で押さえた彼の唇から漏れ出ている。

「王子くん!」

 幽体化し、王子にしか見聞きできない状態の人魚姫が血相を変えて呼びかけるも、応じるだけの余裕が彼には残されていなかった。慌ててアクセスを解除して、蹲った王子を抱きかかえてみるも、苦悶の表情で呻るばかりで、まともに返事などできそうにもない。

「何をしたのか、答えなさい。返答しだいじゃ、例えアシュリーと言っても……」
「安心して、死にはしないわ。ちょっと、喉を潰しただけ。仕方ないでしょ?」

 もう既にソフィアは王子への興味を失っていた。何故なら彼はもはや、シンデレラにとって脅威とはなり得ない。当然人魚姫への関心も薄れている。ここから先、相手どらねばならないのはむしろ、同じ母の血を共有する弟と、その父である琴割なのだから。
 だからこそ彼女は、視界に入れている瞬間、その最後の最後に、人魚姫へ静かな勝鬨の声を投げた。

「同じステージに、歌姫は二人も要らないの」

 人魚姫の癒しの能力は、あくまで契約者と守護神アクセスしている時しかいまとなっては使えない。しかしその契約者が喉を潰されたとあれば、物理的にその能力を行使するのは不可能と言っていい状態だった。
 そう、この場で王子を殺しきってしまうと、契約者のいなくなった人魚姫が守護神ジャックにより能力を行使できるようになる可能性がある。そのため、セイラの能力によりシンデレラがフェアリーテイル化を解除されない状態にするには、王子を殺さず、能力だけ使えないようにする必要があった。
 ようやく理解が追いついた。ようやく何が目的だったのか理解できた。王子 光葉と人魚姫というのは、シンデレラの唯一の抑止力であり、特効薬のような存在だった。何故なら彼女は傾城、ネロルキウスでは赤い瘴気を取り除くことができないためだ。
 かぐや姫は最初から捨て石にする心づもりだったということだ。全ての捜査官を疲弊させ、王子を炙り出し、不意打ちで無力化するために。
 もう、星羅 ソフィアは止められない。月明かりに照らされた、人間界における絶世の美女の横顔は、おぞましい程に美しかった。