複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス【Last File・開幕】 ( No.146 )
- 日時: 2019/09/02 18:02
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: eW1jwX0m)
疲弊でここまで動けなかったのは初めての経験だ。守護神アクセスの活動限界に達し、桃太郎と分断されてからずっと、身体の力を奪う青い月光に晒されていたクーニャンはようやく手足に力が入ることを確認した。時間が経つにつれて徐々に麻酔が抜けていく感覚と似ている。シンデレラが現れたその瞬間、咄嗟に桃太郎に向け伸ばそうとした腕が上がらなかった己の不甲斐なさへの苛立ちが爆発しそうだった。
僅かばかりの王子への友情が、その激情の原因では無かった。王子を知君と琴割から託されたというのに守り切れなかった。プロとしての矜持を叩き折られた自分の無力さこそを、彼女は許せなかった。
セイラとアクセスした王子が途端に動けるようになった事から、自分もそうしてしまえば体が動くと本能で察知していた。彼女の直感はよく働く部類で、その推測に間違いはなかった。もつれそうになる四肢で這うようにして桃太郎の傍に辿り着く。行けるかと尋ねることもない、その無言を咎めることもない。剣士と傭兵崩れとは、瞳の奥の戦意に満ちた炎を通じて、意思を通じ合わせた。
「消化不良じゃろ、儂の力で存分に暴れてこい、女ぁ!」
「たりめえだ、いくぜちびっこ」
瞬時に換装。桃太郎の姿が消え、霧散した光の粒子が彼女に纏わるよりも早く、そのエネルギーの光子に満ちた空間を突き破るように、その足で地面を蹴った。光を突き破る際にそのまま、桃太郎の能力はオーラとなってクーニャンを包み込む。身体に錘が圧し掛かるような不自由は瞬時に消え去り、全身の動作回路が開いていく。血管も同様に開き、この身が息づいていくのを全身で自覚した。
駆け抜ける最中、キビ団子を取り出し二つ口に含む。まだ三つ口にするには早い。あの状態に陥ってしまうと、敵味方の分別がつきにくくなる。混戦乱戦が必至となる現状においてそれは不向きと言えた。
胃に甘い団子が落ちると同時に、本来以上の活力が身の内から溢れ出す。燃え盛る炎の熱量が、彼女の身体を本来以上の馬力で衝き動かす。これ以上、好きにさせてなるものか。
「あら、そう言えばもう一人、お伽噺を従えた子もいたんだっけ」
「余裕ぶっこいてんなよ、温室育ちの女の子風情が」
両腕で振りかぶった刀をそのまま、走りながら地面に突き立てる。音を立て、地面を抉りながら突き進むも、日本一の銘刀には傷一つ付こうともしない。桃太郎の発する闘気、あるいは剣気が迸り、斬るよりも早く地面のアスファルトは砕けていく。何の意味がある行為なのか、突進するクーニャンを見ながらその様子を淡々と見ていたソフィアだったが、次の瞬間には目を見開いた。
大地を鞘と見立てるように、神速の居合を少女は振り抜いた。引き上がる腕は目にも止まらず、ただ、一瞬の閃光と一陣の風だけが駆け抜ける。瓦礫を巻き上げ、剣圧がソフィアに襲い掛かる。もうその刀は大地に突き刺さっていないというのに、巻き上がる斬撃と礫混じりの衝撃波は、嵐のごとくソフィアを追い立てる。
だが、目に見えて驚いたのは一瞬の出来事。すぐに理解を示したソフィアはというと、手を口に添えてクスリと笑みを漏らした。
「悪いけれど、灰や砂に塗れるのは勘弁して下さるかしら」
再びのお色直し。パチン、と音が一つ。軽快に指を打ち鳴らし、大地を抉る咆哮を上書きするよう響き渡る。同時に、彼女の妖艶な紫色のドレスは瞬時に、咲き誇る薔薇のような情熱的な紅のドレスへと一変する。ステップを踏む彼女に合わせて、翻るドレスはまるで風に揺らめく炎のごとく。
強いて表現するならそれは焚火だ。つま先や踵で小刻みに大地を踏み鳴らすその様子は、些細な風で右へ左へと揺れる焚火によく似ていた。であれば、ふわりふわりと宙を舞う真紅の布は、火の粉のようであった。歌姫は一人で充分、そう豪語するだけはある。深く身体を震わせるような、魂さえも鷲掴むようなアルトが、その他全ての音をかき消した。歌手として、スターとして、現代最高峰と言われるだけはある星羅 ソフィアだ。誰もが、命のやり取りをしている事実も忘れて、聞きほれてしまった。
だが、敵軍が聴衆に成り下がろうと彼女はお構いなしだ。何せ今果敢にも向かってくる一人の少女だけは、眼光鋭いまま立ち向かう意思を萎えさせてはいないのだから。
ソフィアを守るように、夕日よりもずっと赤い炎が、彼女の前に立ち塞がった。それは盾として彼女を守るように、クーニャンの放った剣気斬撃礫の嵐を一身に受け、呑み込む。剣戟も、突き進む嵐の如き勢いも、巻き込んだ礫さえも、その火柱の壁に入ったら二度と、出てくることは能わなかった。
「だから、灰も残らない程燃やし尽くしてあげなきゃね」
たった二度、ではある。だがこうも鮮明に見せつけられては確信も持てるというものだ。クーニャンも、傍から見守っている他の人間も、これまでの交戦時のデータから得た情報を再確認していた。お色直し、またはドレスコードに従うと灰被りが宣言し、指を鳴らすと同時にその衣装が変わる。そしてその衣装の色に応じた様々な能力を発揮することができる。これまでに確認できたものだと、氷雪を操る花嫁のような純白のドレスやエメラルドグリーンが目に美しい風を操る装束などだ。おそらくは発動条件なのであろう、その場でダンスを踊ることでようやくその能力は行使できる。
しかしその発動条件もデメリットと言い切ることもできない。何しろ舞踊に造詣が深くない限り、次の動作を推測できない。単純に洗練された戦闘技能であれば、直感や筋肉のこわばりによる推測などで、いくらでもクーニャンは次の相手の一手を予測できる。しかし芸術とはてんで縁の無い彼女にとって、シンデレラの戦い方は相性が悪かった。
しかも舞踊とは言っても、大きく四肢を動かして髪を振り乱すほどに激しく踊ることも多い。その拍子に合わせて相手を足蹴にするのもシンデレラの戦闘様式の一部だった。事実今、フラメンコのような舞いを歌と共に魅せているソフィアでもあるが、隙さえあればヒールで貫かんとする睨みを利かせている。
「絶対原作のシンデレラ関係ねえだろがよ、こんな能力!」
「負け惜しみはよして頂戴、未だ幼い別嬪さん。このドレスは魔法のドレス、心優しい魔法使いの力が込められているの」
「負けてねーんだよな、まだ。こっからだから見てろって」
啖呵を切ると同時に、またしても剣閃が瞬いた。白刃の側面にて反射する月明かりが弾けたかと思えば、斬撃は刹那の後に炎の壁を引き裂いた。紅蓮の城壁が抉られると同時に、シンデレラに鋭い刃は肉薄していた。
「お前がそのまんま魔法使いになった訳でもないだろがよ」
「ええ、その通りよ。そんな事一度として口にしたかしら?」
「あん?」
指を鳴らす、のではなく、今度の彼女は両手の平を各々打ち合わせ、二度の拍手を打ち鳴らした。柏手のように小気味よく、天にも届く程よく響く。気が付けば、情熱的だったドレスはいつの間にやら、ざわめく胸をも落ち着かせるような翡翠色へと変容していた。胸元のブローチが瞬くと同時に、小さくつむじ風が産声を上げた。
折角己の間合いに入れたと言うのに弾き飛ばされては溜まったものでは無い。舞うと同時に風が荒ぶと言うのなら、その足を踏むより早く斬り捨てるまで。容易に飛ばされぬよう、脚を針として地に縫い付けるよう、深く軸足を踏み込ませた。収束する大気のうねる空間丸ごと、およびその直線上にあるソフィアの身体を一太刀で斬り伏せるべく雨雲の割けた夜空に向けて切っ先を向け、大きく刀を構えた。
しかし瞬時にそれが陽動だとクーニャンは理解した。獲物が罠にかかったのを見届けた狩人がごとく、得意げにソフィアが口角を持ち上げたのだから。真っすぐ振り下ろすこともできず、刀を握り振り上げた両腕を咄嗟に胸の前まで下ろした。下ろすと同時に、橈骨尺骨に響くような鈍い衝撃。仰け反ると同時に、ガラスの靴のつま先が視界に映った。竜巻に弾き飛ばされることばかり警戒し、がら空きになった胴を槍のごとく貫こうとしたトゥキック。蹴り飛ばされるポイントは予測でしかなかったが、野生の本能とも呼ぶべき自分の勘の良さに彼女は手前味噌で賞賛した。痛みの感覚的に怪我には至っていないが、衝撃のせいで少し刀を握る力が弱まるのを感じた。
再度踏み込むのを躊躇したのが悪手だ。即座に再び間合いに入ればよかったものの、ソフィアが能力に溺れているだけの素人では無いと認識したクーニャンは考え無しに突っ込むのを良しとせず、二の足を踏んだ。そう、今度はバレリーナになったかのように、つま先立ちになってその場で回転する。一周だけでは飽き足らず、何度も、何度も。
回転する彼女の背を追うように、大気は荒れ狂い風となって旋回する。巨大な掃除機がまるで自分の身を引き寄せているようだと、髪が引き寄せられる様子から察知したクーニャンは折角踏み込んだ間合いを犠牲にしてでも跳び退いた。ただの風ではない。あれはシンデレラの意のままに動作する竜巻の姿をした化け物だ。
それは魔法使いが彼女に与えたドレスの魔法ゆえだろうか、つむじ風には翡翠に煌く魔力の残滓が巻き付いていた。大地に転がる塵と礫は、ソフィアを中心として起こった竜巻に絡めとられ、そのまま天高くへと昇っていた。上に向かえば向かう程、礫同士はぶつかり合い、粉々にすり減り、最後には砂塵となって四方へと放散されていた。舞い落ちてきた砂埃を吸い込まないように刀を振り払い、剣戟の圧で周りの塵芥を消し飛ばしたクーニャンは、踏み込まずに退いた英断を肯定した。
「あのまんま突っ込んでたら私がジュースになってたとこだ」
「軽口で縁起でもないこと言っとる場合か、女」
「口だけでも余裕見せなきゃ舐められんだろ?」
「……好きにせい」
心の方が先に折れる訳にいかない。そのため彼女が口にした理屈は否定のできないものだ。嘘でいい、虚勢でいい。舌先三寸で構わない。まだ自分は敗北を認めていないという声明を、他ならぬ自分であげなくてはならない。
「鬼化する外無かろう? 早いところもう一つキビ団子を口にせんか」
「駄目だ、まだぷりんすがそこで転がってる。あの状態になったら私の手で殺しかねねえ」
断じて彼女が仲間想いの甘い人間だという事実はない。彼女が王子を気にかけているのは、あくまで彼女が承った任務が彼を護ることだからだ。その約定を果たせなかったことには変わらない。しかしその命だけはどうしても救わねばならない。最低限の仕事人としての矜持程度守れずして、何がプロだというのだろうか。
エメラルドのように煌いていた突風の渦が晴れると、その中からは烏の翼がごとく漆黒に染まったドレスを纏った傾城の乙女が顔を見せていた。大人びた顔立ちに、色気に満ちた黒のドレスはよく映える。お色直しというだけはある、人類最高の美貌と謳われるだけはある。美に関心などなく、同性に過ぎないクーニャンにとっても、ドレスを変える度に見せるソフィアの異なった表情には呼吸を忘れる程に心を奪われざるを得なかった。それはまるで別人のように映るも、瞳の奥で燃え盛る復讐の業火だけが同一人物であると保証していた。
黒の衣装は何だったか。戦闘様式の特徴を思い返すも、記憶力が取り立てて優れているという程でもないクーニャンの頭からは一瞬、事前情報が飛んでしまっていた。だが、瞬きの直後に、記憶を無理に引きずり出される様な、あるいは知識を直接叩き込まれたような衝撃が眼前に現れた。
数字で表現するのも無粋に思える須臾刹那、音速のアマデウスには流石に一歩劣るとはいえ鬼化した状態の桃太郎に匹敵する速度で星羅 ソフィアは接近し終えたところだった。単純な肉体強化。そう断じたクーニャンは咄嗟に対応する。視界に迫るはヒールの先端。顔面に風穴を開ける勢いで迫っている。
剣の腹で受け止めたのは反射に過ぎなかった。意図してそう受け止めた訳では無い。危険を察知した身体が生きるために動いたにほかならず、瞬間己の敗走を悟ったレベルだ。先ほど蹴りを真正面から受け止めた時以上の衝撃が刀を通じて両腕に走る。握力を維持できず、掌からすっぽ抜けた日本刀は蹴りつけられた勢いで、相手もいないまま虚空を踊った。
「貴女もそろそろクランクアップといったところかしら?」
突き出した脚を整え、再び踊り出そうとしたその時だった。得意げなその目を驚愕で見開かされたのが、ソフィアになったのは。
勝利宣言のつもりだったのだろう。強気な言葉を発し、勝利を確信したその瞬間を目ざとい剣士は見逃さなかった。緊張も気も緩んだその一瞬の甘さを裂く一振りの刀。先ほど蹴り飛ばしたはずの刀の切っ先が、首筋に突き付けられたところだった。
首筋に走る冷感と、その冷感が皮膚を裂く確かな熱。その斬撃を受け流すように華麗なターンを決めたつもりのソフィアだが、既に捉えられていたため避けきれない。首筋に赤い線を僅かに走らせ、滲むように血が滴り落ちる。大事には至らなかったとはいえ、後油断が一瞬でも長引いていたならば、喉仏は穿たれていたことだろう。
宙を舞い、手元を離れていたはずの刀はどこにも無かった。何故か、どうしてか。困惑するソフィアは冷静さを欠くところだったが、背後で見ていた灰被りの守護神は全てを見通していた。
「落ち着いて、ソフィア。実践不足の貴女にこう言うのも酷だけれど、動揺は獅子をも弱者に仕立てるのだから」
あくまで力関係としては自分たちの方が上。能力をフルに活用すれば圧倒できる相手に油断は愚か警戒をすることも悪手だと彼女は言う。己の技能を信頼し、最善の手を務めていれば栄光は勝手に舞い込んでくる。
「それこそが、シンデレラストーリーというものでしょう?」
「……落ち着いたわ、ありがとう」
原理は簡単だ。シンデレラが瞬時にドレスを着替えられるのと同じ。あの刀は、桃太郎の能力の一部として顕現させているものだ。かつてあの刀の刀身を握りしめた知君が一切手に傷を負う事なく刀を砕いたのは、その刀身自体が超耐性の適応の内側、すなわち能力により作り出されたものである証拠となる。
手元を離れた刀の実体を解除し、再び手元に桃太郎の刀を生み出す。その二本目の刀で咄嗟に隙を突いて斬りかかったのが真相だった。
「クランクアップが何かは知らねえけどよ、私が終えたのはウォーミングアップなんだな、これが」
「いいじゃない、名脇役はこうでなくっちゃ」
「魔王様が何言ってやがる」
「失礼ね。私は……私達は、ただのか細いお姫様のつもりだけれど」
「はっ、抜かしてろ」
舞踏会は、まだまだ始まったばかり。そう言いたげに、夜は更けていく。