複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.149 )
日時: 2019/09/26 18:07
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: eW1jwX0m)


「誰かと思えば赤ずきん……どういうつもりかしら?」
「どうもこうも無いっすよもうあたしは正気に戻ったんす。だったら、これまでかけた迷惑を返さなきゃ終わるに終われないってもんすよ」
「何? 偽善者ぶっているつもりなの? あなた、その状態で能力を使っているということは、契約者を見つけていないんでしょう? つまり守護神ジャックしている状態に過ぎない。貴女は今、誰かの命を啜ってようやく人助けをしているの。何て言う矛盾かしらね、誰か一人を犠牲にして、勝ち目のない敵へ向かっていく。はっきり言うわ。そんなものただの徒労に過ぎない。僅かな足止めのために、貴女がジャックした何処かの馬の骨は犬死してしまう」

 それとも開き直りのつもりなのかと、歪んだ笑みを彼女は浮かべた。表情は笑っているのに瞳に湛えた光は一欠けらとして愉悦を持たなかった。赤い瘴気に精神を侵された状態の彼女には、目の前の者を傷つけることしか考えられない。それが肉体的なのか、精神的なものかは問わない。

「そうよね、貴女はもう何万人と殺してきたものね」

 今更巻き添えで、たったの一人二人増えたところで、罪悪感など何も変わらない。ならば自分も助太刀できたという、幾何かの自己満足を得たくなったとしても無理もない。
 けれどもそれは滑稽な話だとソフィアは言う。簡単な理屈だ。そんなもの、彼女を傷つける意志など無くても分かるだろう。自己満足のために誰かの生命力を犠牲にする。辻褄の合わない行動によって肯定されるのは、彼女がただ己は人の役に立ったのだと、少なくとも立とうとしたのだという証拠だけだ。

「ねえ赤ずきん、間違いなく楽しんでいたでしょう? 炸裂する火薬と、地面を叩く薬莢と、死に行く人間の悲鳴のオーケストラを。あんなに笑っていたじゃない、恍惚そうに壊していたじゃない」

 誰より鮮烈な血を浴びていたのはお前だと、かつての過ちをまざまざと思い起こさせるように突き付ける。それは決して覆せない事実だった。当時の自分のことを、赤ずきん自身よく覚えていた。断末魔の絶叫が何より心地よくて、撃って撃って撃ちまくり、戦火で街を包んで、飢えた狼の牙で引き裂き、喰らい尽くした無垢な骨肉。
 この子だけはと、身を盾にして我が子を庇った母親の腕の隙間から息子を狙撃したこともあった。泣き崩れた背中を恍惚とした表情で撃ち抜いた瞬間まで鮮明に覚えている。もしおばあさんの前で自分が先に狼に引き裂かれる様な物語だったら、家族はどう思うだろうか。それが想起できる分余計に、フェアリーテイルと化していた頃の罪がべったりと彼女に影を差している。
 守護神に死は無い。永遠にその過ちを抱えたまま生きる外無い。むしろ、忘れてはならない。剥き出しの傷を抉るような言葉に、言い返すことなどできなかった。
 だが、そこで悲しみに浸っている場合ではない。それこそただ罪悪感に浸っているだけだ。何のため今ここに居るのか。それを忘れなければ、立つ力も足に入ろうというものだ。

「そうっすよ。あたしら全員間違ったんすよ。だからこうして、最後に一人ぼっちで取り残された親友を、助けに来たんじゃないすか」
「だから、私が嘲った事実をまず直視しなさい。貴女がそうしている間にも、誰かにその皺寄せが来て……」

 侮蔑をこめて赤ずきんを否定し続けるソフィアだったが、不意にその顔色が変わる。意識が完全に、議論で少女を打ち負かすことに向けられた瞬間のことだった。何という嗅覚だろうか、その一瞬の隙を逃さない獣が居た。手負いだと言うのに、決して狩る側に居る事実を譲ろうとしない、生粋の野生児。
 目を離していた隙に、突如その肌に発現していた真っ黒な痣はまるで炎が揺らめいているようだった。全身に怒りの痣が浮かぶと同時に、爆発的に飛躍する身体能力。既に人間離れしたものであったが、より深い境地へと踏み込んでいる。白刃に月光が煌いた、そのわずかな瞬きに何とか気が付くことができた。
 初めに反応したのは、意識よりも身体よりも先、シンデレラの能力だった。白雪のごとく穢れないドレスを纏った彼女を護るべく、一人でに冷気が迫りくる凶刃から姫君を護るべく氷の壁を展開した。分厚い透明な壁が、騎士のごとく立ちはだかる。その奥、盾の向こう側で好戦的な猛虎が一人、その咆哮を轟かせた。
 まるで別人。先刻まで自分が圧倒的な優位に立っていたというのに、シンデレラと桃太郎の格の違いを明らかに埋めていた。此度の剣閃はまるで見えなかった。視界の中に光の線が走ったかと思えば、とうに斬撃が走った後だった。袈裟斬りにされた氷塊がその場で斜めに滑り落ちる。
 猛々しい黒色のオーラを身に纏い、溢れたエネルギーを頭部に角として蓄えた禍々しい島を統べる鬼。鬼の穢れた血統を、三つ目のキビ団子を引き金として開放する、桃太郎の最上位能力。自分が理性を飛ばしても、王子を護れる援軍が現れた。であればもう、出し惜しみは必要ない。

「おらぁっ!」

 振り回す腕が風を生む。薙いだ右腕に押し付けられた大気が、ソフィアの体勢を崩した。刀はもう重いだけで邪魔だと、クーニャンはかなぐり捨てる。精密にその刃を振るうだけの理性を残していなければ、その刀身は己をも傷つけかねない。人ならざる悪鬼羅刹の腕力があれば得物など要らず。退避のためにステップを踏もうとしたソフィアの裾を掴み、強引に引き寄せた。

「シンデレラ、黒羽根のドレスコードに」
「理解しているわ」

 半紙に墨汁を垂らすように、再び暗い闇へと沈む。堕ちていく、衝動の波に。己の欲望を叶えるため、他人の力で万人を魅了する所作を体得する。世界は彼女のために回っているのだから、魔法の力だって彼女の背を押すのだ。

「理解したわ。貴女が初め、ここに居なかった理由を」

 次の剣戟が予測できる。その活性化した鬼の運動量についていけるようになる。どこに刃が振り下ろされるか、次に自分がどう踏み出せばよいのか、手に取るように分かった。その場にいない誰かに手を引かれるように、すいと一歩、歩を進める。桃太郎の刀はその脇を素通りし、虚空のみを捉えた。
 ガラスの靴が、不気味に瞬いた。月の淡い光がソフィアの影を強調させる。槍のごとく鋭い蹴りを、躱すでなくクーニャンは足首を掴んで受け止めた。そこらのなまくらよりも遥かに殺傷力の高いつま先が眼前にてぴたりと制止する。受け止められた事実から、桃太郎をいつまでも格下だと侮る訳には行かないとソフィアもシンデレラも認知した。

「貴女が今宵すべきだったことは、第一に彼女たち元フェアリーテイルをここまで連れてくることだった訳ね」
「そうそう。輸送車の護衛は結局退屈だったけどな」

 シンデレラ及びかぐや姫に対抗するためには、捜査官だけでは人手が足りない可能性がある。それゆえに、より強力な守護神の援軍を必要としたのだが、そう簡単に戦力は整わない。民間人から公募すると言うのも名折れのように感じた。知君が前線に立つ事さえいい顔をしなかった組織なのだから、それは当然と言えた。
 しかしそうなると、どこから兵を調達したものだろうか。考えあぐねた捜査官一同だったが、彼らを牛耳る琴割は何一つたじろぐことは無かった。何のためにこれまで、確保したフェアリーテイル共を厳重に飼いならしていたと言うのか。彼は保全という建前で、来る日のために武器を蓄えていた。シンデレラに対抗する術を考えた際、それが最も妥当だと思えたためだ。
 狂犬には同じように狂犬をぶつければよい。シンデレラに対抗するならばアリスや赤ずきんが不可欠。それを動かすためのエネルギー課題は存在していたものの、問題が生じている事実に怖気づいて秘策の手配を怠るのもあり得ない。

「だけど、どういうつもり? 赤ずきんが直接能力を使ったということは、これは守護神ジャックによる能力の行使。誰かの生体エネルギー……寿命を犠牲にしなければ成立しない戦力よ」

 忌々し気に彼女は、別段罪のないはずのクーニャンを睨みつける。その先にいるであろう、雇い主の琴割を見据え、代わりに剣となって盤上に現れた彼女を。何を言っているんだかと、睨まれた少女は嘲笑を浮かべた。初めから、ソフィアがこんな事をしでかさなければ犠牲など在る筈も無かったのに。

「何正義の味方ぶってんだぁ、お前。先におっぱじめたのはお前ら親子とロバートだろが。あたしらがそれで文句言われる筋合いはねーぞ?」
「黙りなさい!」

 いつもそうだ。琴割 月光というのは秩序のため、平和のためを謳いながら、微細な犠牲に目もくれないでいる。大局的な平和の実現のために、個人の不幸は切り捨てられる、機械の如き冷淡な取捨選択を躊躇せずに行える。
 今度もどうせそうなのだろう。このままでは多くの日本人に被害が出る。だからこそ、赤ずきん達が稼働するための電池として消耗する少人数の命のバッテリーなど、いとも容易く捨て駒にできるのだ。

「私のお母さんだってそうだった。あいつは、あいつが欲するものを作るためにその遺伝子を欲しがった! そのくせに、そのくせに助けを求めた私達を切り捨てた、自分の要求が叶った後は用済みだって、病気のお母さんを見捨てたんだ!」
「いや、その話はあたしも聞いたけどよー……しゃあなくね? 大体治らねー病気だったんだろ、受け容れたかーちゃんが立派だって認めた方が良いぜ?」
「親も愛も知らない駄犬の分際で……悟ったようなことを言わないで!」

 疲弊しきった周囲の捜査官かたすれば、ソフィアの体捌きは最早目で追いきれない。歌姫という肩書に隠されがちだが、彼女自身は万能の才人だ。守護神アクセスも、己に作用する能力さえも、二か月の鍛錬で完璧に体得している。元々舞踊に関してはかじっていたため余計にシンデレラの能力への順応性は高かった。ふわりと舞うドレスの裾が織り成す軌跡は、ただそれだけで芸術品の輪郭をなぞっているようだった。
 文化財に少しでも関心のある人間であれば、瞬時に見惚れてもおかしくはない。だが、今のクーニャンには関係のない話だった。少しの雑談さえも退屈に感じ、握りしめた刀を振るう衝動に囚われた今、見据えるはソフィアの美ではなく、殺意と破壊衝動のみだ。
 邪魔するのは野暮。赤ずきんはわざわざクーニャンを護るため能力を使わなかった。鮮やかな火花が散る。打ち鳴らす鋼と硝子とが、またもや夜を彩るように光っては消える。お互いに致命傷には至らない、身体よりも精神を削る戦い。
 ただしその負担は当然、ソフィアの方がより大きなものとなる。クーニャンは眼前の一人に焦点を当てていれば良い。しかし、彼女の側は対照的にクーニャンを含む全てのフェアリーガーデンの守護神への警戒を怠ってはならない。今はクーニャンが邪魔で誰も能力を使えずにいるとはいえ、不用意に距離を取ろうものならば赤ずきんの狼や弾丸、白雪姫の毒に晒される可能性が高い。毒であれば紫毒のドレスへと衣装を整えれば向こうから自ずと避けていくだろうが、弾丸や狼はそうもいかない。
 毒を従えさせる装束に着替えようものなら、今度はこの桃太郎の剣術についていけない。多勢に無勢、個々の能力の優秀さのみならず、柔軟な能力の切り替えが武器であるシンデレラだ。それぞれが一芸に秀でた一個師団との戦いは不得手であることは間違いない。ある時は緋薔薇のドレス、ある瞬間には黒羽根のドレス、それを交互に、相手に合わせて瞬時に切り替えるのはこれだけの手練れ揃いだと不可能だ。
 ピクリと危機を察知する褐色の少女の嗅覚が働いた。鼻先に痺れるような痒み。刃先をガラスのヒールと打ち付け合っていた最中、途端に身を翻す。外敵を察知した猫と同じ動き。俊敏に、体勢を整えながら脚のバネで這うような姿勢だったにも関わらず瞬時に加速し、歌姫一人を取り残した。
 大地が喰らい尽くされる野蛮で粗野な咀嚼音。ソフィアが上方に目をやれば、肥大化した狼の頭部が大口を開けて迫って来ていた。そのシルエットが月影を隠し、ソフィアも闇に覆われた。血濡れた鋭い牙が眼前へ迫る。間違いない、赤ずきん最大規模の攻撃能力。人一人を容易に丸呑みにし、岩石さえ胃の中に収めても体が重いと感じるだけの強靭な体躯。
 確か彼女自身は、こう呼んでいたろうか。

「グランフェンリルまで……」

 誰かの余生を三年は喰らわなければ撃てはしない力だ。自分一人を止めるためだけに、どれだけ命を粗末にしようというのか。怒りがさらに彼女を焚きつける。憎悪が、復讐の業火が、破壊衝動が彼女の思考を真紅に塗り上げる。辛苦に満たされていく。
 次の瞬間、巨頭を掲げた狼は吹き飛んだ。その巨影の裏から現れたのは、蹴り上げた爪先を天へと掲げたソフィアの姿だった。羽ばたいた鳥の羽が宙を舞い落ちるように、風に揺れたドレスは乱れていた。

「どこまで、貴方達は他者を蔑ろにできるのかしらね……」
「勘違いしないで欲しいっすね、何もあたしたちは犠牲になんてしてないっすよ」
「ぬけぬけとよくもまあ……」
「狼さん蹴っ飛ばしたくらいで余裕ぶっこいてんじゃないすよ、アシュリー! 猟師さん、構え!」

 弾が装填される金属音。それが四方から重なり合う。銃の用意が整ったその合唱は、まるで四面楚歌を再現しているようにも思えた。

「もう一回、全弾装填! 一瞬で蜂の巣になりな、フルバースト・ロンド!」

 だから気が抜けるんだよなと、鬼化した状態のクーニャンは一瞬我に返りながら溜息を吐き出した。身体の疲労度合いを確認する。まだ、もうしばしの猶予はある。知君はまだかと、知君とラックハッカーとの交戦に一瞥をくれた。
 まだもう少し手こずりそうな気配がある。ここが正念場かと、赤ずきんの掛け声一つで一斉掃射された弾丸と、重なり合う銃声とに意識を向けた。
 その渦中に佇むは星羅 ソフィア一人。全方位からの一斉掃射故、如何に身体能力が高かろうと回避は不可能。防ぐ手立てがあるとするならば、氷雪や火炎、風の力で消し飛ばし、護り、吹き飛ばすものだろうが、その一手は読んでいる。
 何か別の能力に切り替えたら、その瞬間踏み込んで斬り伏せる。極限に研ぎ澄まされた神経、スローモーションで再生される世界の中で、紅蓮の炎が彼女を守るように包み込んだことを確認した。奥歯を噛み締め、それをスイッチとする。今までオフにしていた機動力を、いきなりトップまで引きずり上げた。音さえも置いていくような勢いで、足跡を残す程の強さで大地を蹴る。
 弾丸の雨が燃え尽きるその瞬間、懐へと踏み込んだクーニャンは炎の壁を一息に切り裂いた。瞬時に剣を消し、組み伏せられるよう体勢を整える。命まで取る必要は無い。そう指示されているため彼女は、組技で取り押さえて締め落とすのが一番だと断じた。舞うことを封じてしまえば、ソフィアは能力を使えないのだから。
 鬼特有の鋼のような皮膚が痛みも熱さも遮断していた。それゆえ後は飛び掛かるのみ、そう思っていた。彼女が身に纏っている新たなドレスを見るまでは。
 炎を操っている。そのため、情報通り薔薇のように紅い衣をしていた。風にさらされる様子が焔の揺らめきのようだと言うのは、先刻も感じた通りだ。
 だが、しかし。完璧に朱に染まってはいなかった。部分的に真紅の装いへと変わっただけだというのに、炎を完璧に飼いならしていた。こんなものまで隠していたとは。反撃が容易に察せられたため、咄嗟に回避防御に努めようとするも、その暇は充分には与えられなかった。
 左の上腕二頭筋に繰り出された半透明なヒールが突き刺さった。痛みにやや顔を顰め、致命傷ではないとすぐさま真顔に戻る。傷口は軽い火傷にもなっているようで、むしろ止血になって丁度良いと前向きに受け取った。
 しかし、この服装は何だ。黒と赤のコントラストが美しい、これまでに前例のない姿に目を丸くする。後ろの面々を見る限り、赤ずきんや白雪姫でさえも唖然としていた。
 要するにこれは、守護神アクセス時、シンデレラが最も自由に能力を行使できる状況でのみ初めて観測できた力ということなのだろう。黒と赤、二つの愛を一身に受けたソフィアはというと、やはり不気味なほどに美しい笑顔で、ほほ笑んでいた。目だけは、底なしの沼のように淀んだまま。

「貴女って本当に、限界なんてないのね。シンデレラ」

 それは知君と対峙した時以来に感じた、決して勝てないと察したが故の戦慄と悪寒。これはもはや、時間稼ぎさえも一大事だ。左腕が使いにくくなった今、より強くそう思う。

「黒薔薇のドレス。最高ね、今宵の舞踏会は。次はどんな衣装になるのかしら」

 愉しんでいるのは、もはや彼女独りだった。