複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.151 )
- 日時: 2019/10/07 17:58
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: eW1jwX0m)
世界というのは一つの生き物のように考えられている。守護神という概念が発見され、ELEVENという存在が正確に理解され始めて以降、その俗説は学説へと昇格した。世界が平和な状態にあることを健康体だとするならば、無数の守護神はそれを維持する免疫システムに他ならない。
そして生体内の免疫システム同様に、世界の恒常性維持にも複数の制御因子が絡み合うように相互に抑制しあっている。一人一人の守護神と、生物のリンパ球一つ一つに違いがあるとしたら、個性や意識の有無だ。属する世界への悪影響を顧みず、利己的な考えで不利益をばらまく守護神や契約者は少なからず存在する。あくまで意識が無く、偶発的に起きると言うだけで生体内でもそういった現象は時として起こる。癌だ。
癌は処理しなければどこまでも増殖してしまう。癌細胞を殺す組織は存在こそしてはいるが完璧ではない。そのため手術の概念が生まれる。そしてその手術の執刀医こそが、この世界を維持する中でELEVENが担っている訳だ。
だが、そのELEVENや契約者がもし牙を剥いたとしたら。果たして誰が止められるというのだろうか。その抑止力として定められた調停者こそが、ELEVENの中でも最も協調性の無いローマに君臨した皇帝、ネロルキウスだった。
これで秩序を守るべき十一人の王の中にも統率が生まれた、とも言い切れなかった。最後の問題が、このネロルキウスをどのように抑制するかだ。ネロルキウスが他のELEVENに対し目を光らせる。そのELEVENがその他大勢の守護神を管理している。相互に制御する組織を形成するにあたって重要なのは、一方通行の管理システムにならないようにすることではないかと、自然選択が為された。故に三竦みを模す形に落ち着いた。
その他のELEVENにとって統率できる守護神の中に、ネロルキウスにとってのアキレス腱、弁慶の泣き所を作る。ネロルキウスにとっての弱みとは何か。それに直結する者として選ばれた者こそが、ネロ亡きローマにおいて次期皇帝を務めた男、ガルバだった。
「ガルバが転生した守護神……セルウィウスの契約者ですね」
「如何にも。彼を見つけられたのは僥倖だったと言えよう」
おそらくはシェヘラザードの能力によって必然的に見つけたのだろうに、その白々しさに嫌悪感を覚える。桃太郎の契約者を探し、クーニャンに行きついたのもおそらく彼だ。彼女が本来知君と王子を始末しようと任を受けた際、依頼者が誰であるのかは知君にも分からなかった。候補は数人に絞ることができるが、状況的に考えるとラックハッカーかソフィアの二択であると言えた。
「本来何の関係も無い民間人だというのに、よくも当然のように巻き込みましたね」
「苦し紛れの負け惜しみか? そこで毒ガスで苦しんでいるのはただの学生だろうに」
王子を指して発された言葉がずしりと圧し掛かる。知君自身も本来は単なる学生だが、それ以上に王子はただ力を得ただけの子供に過ぎなかった。元より戦うために造られた知君よりも、もっとずっと大切に扱わねばならない人間。それなのに、護り切れなかった。おそらくは単なる子供であろうセルウィウスの契約者をこの場に呼んだことを糾弾できなくなった知君は、苦々しく口を噤んだ。
しかし、それでも腑に落ちない点がまだ残っている。連れてこられた青年についてだ。彼の身元を洗った結果、どうやってもこの場にわざわざ現れるような人間ではないと思えた。品行方正とまでは言わないが人の迷惑になるようなことは避け、やんちゃなところに惹かれた友達も多く、こういったテロ行為に手を貸すとは思えない。
彼の一家の銀行口座には先日莫大な寄付金が入っていた情報も得た。間違いなくラックハッカー由来の金銭と見ていいだろう。しかし彼の家は裕福でも貧乏でもない一世帯であり、そんな巨額の支援が必要とは思えなかった。
おそらくは彼を金で雇った協力者であるという体にするための振込金だ。ただ、どうしても知君がそのセルウィウスの契約者の経歴や周辺事情を洗う限り、金だけでこのような行為に手を貸すような人物だと思えなかった。
それさえも、シェヘラザードの能力を濫用したのだろう。自分の身勝手さで、他人の人生をも容易に左右するラックハッカーの厚顔無恥が許せない。身体の、心の芯の方から炎が燃え広がるのを感じていた。彼だけは許してはならない。彼だけにはあの能力を持たせたままにしてはならない。
かつて報道で目にしたキングアーサーの契約者の英国女子とは対照的だった。知君を除き、最後に発見されたと言われているELEVEN。今ではオックスフォードの大学に通っているらしいが、彼女は科学の研究に不要なものであるとして、おそらくは永遠にキングアーサーの力を用いることはないだろうと超自然的な力を無用な長物であると割り切っていた。
「仕方ないだろう。私にとっては彼の存在こそが君たちを穿つ銀の弾丸なのだから」
ここまでラックハッカーが時間稼ぎに徹するのみで構わなかった動機を理解した。彼さえここに現れれば、ネロルキウスだと考えられる知君の守護神を一方的に抑え、琴割を前線に出さねばならない事態に陥らせることを可能にする。ラックハッカーは日本が無事でも壊滅しても構わない。肝要なのは琴割の定めた国際規約を撤廃させる事。
ならば、琴割の目の前で彼にしか解決できない絶望的なクライシスを押し付けるしかない。知君の存在というのはもはや世間に公表ができない。なぜならジャンヌダルクの能力で情報漏洩が妨げられているからだ。戸籍すら正式なものを持ち合わせていない知君は、いつでもその存在を隠蔽できる。
彼の不正を暴くには、琴割が許可を得ずにジャンヌダルクの能力を使っている現場を、その能力によって干渉することのできないELEVENが目撃する必要がある。当然物証として映像が必要だが、それに関しては問題ない。自分が暗殺される様な有事の際に証拠を得るという建前で、彼の身体には小型のカメラとレコーダーが搭載されている。その中身を確認できるのは本人であるラックハッカーの要請時と、彼の身に何かが起きた際のみ。
当然それを自分が有利になるよう編集してから公表することもできる。ラックハッカーにとって目の上のたんこぶであり、琴割が直々に定めた【ELEVENの能力濫用の禁止】に関する国際規範。その完全撤廃を琴割自身の防いで為し遂げる。
シェヘラザードさえいればこの世の全ては手中にある。何せその他のELEVENなど年端もいかぬ若造に、琴割に丸め込まれた軟弱者のみだ。自分が遅れをとるわけがない。ロバートという男の地位が、その自信を裏付けしていた。シェヘラザードの力のみに頼り切らずとも一国の長へと昇りつめた。あまりに幼い選民思想を抱えているとはいえ、この男の底力は侮れない。琴割による守護神利用の支配はこれまで完璧に、蟻を通す隙間もないほどの厳重さを保っていた。協力者が自らすり寄ってきたという幸運もあるだろう。しかしその好機を逃さずつかみ取り、最悪のケースを想定しセルウィウスという守護神さえ用意した強かさは彼が生来携えていたものだ。
「さあ、我々と君との戦いはこれで終わりだ。もう疲れただろう、少年。休んでいいんだ。後は私と、琴割とに任せたまえ。君のお姉さんも喜ぶことだろう」
私はただ邪魔と思っているだけだが、星羅ソフィアは紛れもなく琴割を怨んでいると彼は言う。琴割を殺すことは現状できない。未来永劫それは変わらない。であれば、せめて琴割が長年築き上げてきた大切なものを壊してしまわなくてはならない。奪わなくてはならない。
母を奪われた自分自身と、同じように。
そうやって、一人で苦しんで、見当違いの怒りを携えて、己のみを焦がし続けている。命さえもすり減らして、もはや拭いきれないほどの罪を抱えて。
だが、それでも。構わないと知君は思ってしまった。
たった一人、唯一遺された血の繋がり。今まで知らなかった大切な家族と、まだ言葉を交わしてもいないのだから。
「僕が責任を持ってソフィアさんに償わせます、だから……」
その先の言葉を聞くよりも早く、ラックハッカーは溜め息を漏らした。やはり青い。子供のままだ。交渉で和平を結ぶ方がお互いのためだというのに、引き際を見失っている。
我儘な坊やだとこぼせば、心底嬉しそうに知君は笑った。遠回しでも婉曲でもない、ただの真っ直ぐな批判を喜ぶとはとことん呆れた少年だと、蔑んだ冷たい色をその瞳に浮かべた。
「絶対に諦めません、救い出します」
「なら自ら茨の道で苦しむといいさ。Go, negotiation has already broken down. (やれ、交渉決裂だ)」
母国語でセルウィウスの契約者の少年……運命を操られた傀儡に呼びかける。本来の彼という人間なら、受けはしない仕事だろうに。今この瞬間、その脳裏では何を考えて能力をふるっているのだろうか。
千年来の因縁が知君に振りかかる。セルウィウスから溢れ出した漆黒の怨念が、知君の全身をネロルキウスごと包み込んだ。