複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.152 )
- 日時: 2020/05/14 01:48
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
セルウィウスというのは位階が低い守護神だった。理由はとても単純で、彼という皇帝はネロの後継者であるという事実に目を背ければひどく地味な存在だったせいだ。特別優秀でもなければ、特別残虐な性格だった訳でもない。よくも悪くも、性癖的な意味でもネロという皇帝が抜きんでていたのが一番の理由と言えよう。
だが、それでもやはりセルウィウス、あるいはガルバという皇帝は目立たない存在であった。もし誰か別の皇帝が擁立された後に、その皇帝が何か失態を犯したとしよう。至らない王の凶行を嘆き、悲しんだ折りに人々は口にする。こんなことならばガルバを皇帝にしておけばよかった、と。永遠の二番手、その肩書が相応しかったのだと、歴史の上では触れられている。
守護神として転生した後も、大きな知名度を誇る訳でもなく、位階は低いまま。守護神アクセスをしたところで淡い光のみが契約者に纏わりつく。アマデウスやメルリヌスのような、はっきりと視覚化された鎧のようなエネルギーの凝集を目にすることはできない。
だが今、黒々とした火事場の煙がごとき流体が知君を包み込んでいるが、その影響はセルウィウスに依るものだ。中の様子がまるで見えないため、そこで知君が苦しんでいるのか何事も無く佇んでいるのかは分からない。しかしそれでも、最強の一角であるネロルキウスを無力化するための能力を備えている筈だ。それゆえに、状況が分からないこと自体は見守っている人々の不安を煽ることしかできない。未だに灼けるような痛みが口の中を、喉の奥を蝕んでいるはずの王子でさえ、知君への心配で苦悶など忘れてしまいそうになるほどだった。
琴割は顔色一つ変えようとしない。強がりか、それとも戦略上のポーカーフェイスか。自分が優勢に立ったと認めたラックハッカーは高笑いを響かせた。自分の依頼を快諾するように運命を紡いだ少年が、計画を阻む最大の障害を無力化している。シェヘラザードの抑止力は、最早ジャンヌダルクしか存在しない。
明日になれば今夜のことは公になるだろう。当然ラックハッカー自身と、星羅親子がテロ行為を行った事実も公開される。だがそれは問題にならず、罪にも問われない。何からも不干渉な状態であれば糾弾されるべきはラックハッカーであるはずだが、そうはならないように己の武勇伝を予め書き上げていた。
それゆえ、ELEVENでない人々は気づくことができない。ラックハッカーが紛れもない混乱を招いた張本人である事実に。そしてそれが報道されないとなると、その他のELEVENも気が付くことはできない。
発言力の違いと言うのは大きい。一国を統率する立場の彼の言葉は、あらゆるELEVENの中で最も影響力がある。琴割はあくまで日本という国の治安維持組織のトップかつ守護神研究の第一人者というだけ。歴史の表舞台に立つ事はそうそうなく、発言機会も得にくい。
ペンは剣よりも強しというだけはある。剣を取り、国家に反逆し討たれたジャンヌダルクよりも、知恵と言葉とで暴君を懐柔したシェヘラザードの方が余程優れているのだ。そのようにまた、ラックハッカーは慢心する。己こそが選ばれた人間であると。振りかかる火の粉を拒絶することしかできない能力よりも、それに加えて臨んだ未来を自ら手繰り寄せる運命操作の能力の方が余程神と呼ぶに相応しい。
長い、実に長い充電期間だった。折角この世全てを意のままにする力に恵まれたというのに、それを振るうことが許されなかった。唯一好き勝手に守護神の能力を用いるこの男が勝手に定めた、平和のためを謳った国際規約。
そのせいで自分達ELEVENは一切守護神アクセスを行えなくなった。直接自分達に能力をかけられはしないが、その手にphoneが渡らないようにと四六時中見張られることとなる。会話は自宅に至るまでほとんど盗聴されているようなものだった。プライベートは守られたが、その代わりに自宅や別荘全てに、毎日違法なphoneが無いか捜索され、家主でもない人間が帰宅時に持ち物の確認を行う。
息が詰まりそうだった。守護神を使えない状態の、一個人としてはどうしても武装した彼らには歯向かえない。しかしその治安維持組織が、ラックハッカーの手にphoneが渡ることを拒むため、いつになっても反逆できない。
特に自分から、非合法な端末を入手する手段はなかった。かといって、協力者が自ら尻尾を振ってやってくるようなこともなかった。それも当然だ。ELEVENを利用するという行為には、あまりにも大きなリスクを伴う。上手く甘い汁だけ啜ろうとしようにも、ラックハッカーという人物は大統領に昇りつめるだけの手腕と頭脳を携えている。半端な悪党の企みなど簡単に看破してしまい、むしろ彼らを傀儡としてしまう。
そもそもラックハッカーにphoneを渡した時点で、信用云々以前に、口止めや危機管理のためにシェヘラザードの能力をかけられ、ラックハッカーの意のままに操られることは容易に想像できる。それが分かり切っているため誰も彼のもとへphoneを持ってこようとはしない。
利用されても構わないという、頑なな意志がない限りは。
「ようやくだ、ようやく悲願は為されたのだよ、琴割」
「アホ言うな、まだ終わっとらんわ」
「時間の問題だ。セルウィウスの能力は唯一ネロルキウスに干渉できる。その契約者をシェヘラザードで意のままに操っている私を止められるのは、もはやお前しかいない」
あの少年はもはや脱出不可能の檻に捕らえられた。今頃苦しんでいるだろうが、誰もその姿を見ることはできない。
「私に残された一欠けらの良心も安堵しているところだ。琴割に操られていただけの哀れな傀儡がこれ以上苦しむ姿は見るにしのびないからね」
「はあ……分からんやっちゃなあ」
呆れ果てたような深い溜め息。糸のように細められた琴割の眼が開き、憐れみを覚えた瞳がラックハッカーを一瞥した。この期に及んでそのような視線を向けるとは。琴割の真意を知らないままに、冷淡な眼光を彼は返した。自分が何を理解していないと言うのか。シェヘラザードの能力で先に対策を練っているだけあって、この不祥事が、テロ行為が、ラックハッカーを首魁としている事実は未来永劫暴露されることはない。琴割が訴えようと、あらゆるメディアが、世間が目と耳を背けることだろう。同じことが星羅ソフィアにも言えた。彼女が悲劇のヒロインだということも、知られないまま死んでいくことだろう。
「もうチェックメイトだと言っているんだ琴割、さあ、ジャンヌダルクでこの私を止めてみたま……」
「やっぱ欧米のあほんだらは文脈が読めんのが玉に瑕やなぁ。会話が鬱陶しくて顔がええんが持ち腐れとる。儂は言外にこう言っとるつもりなんじゃけどな。ええから早う知君を何とかした方がええんちゃうかってな」
「……何を」
取らぬ狸の皮算用。間近で目にすればこうも滑稽なものなのか。糸目の線が、笑みを浮かべたその口が、満月の日に似つかわしくない三日月を作り出す。狡猾な狐のような、あるいは残忍な蛇のような。琴割 月光の笑みが、ロバート・ラックハッカーを捕らえた。己がネズミか蛙になったかのような緊張感。全身に鳥肌が浮かび、脊椎の中心に冷え切った水銀を流し込まれたごとき違和感。
全身の毛穴が引き締まるのを感じた。これは一体なんだと言うのか。永らく感じていなかった、忘れてしまっていた感情。それゆえに記憶の引き出しが開かない。幼い日に機嫌の悪い父親に殴られた記憶をすっかり忘れ去った、老いさらばえた男の記憶には、自分が全能の使徒だと確信してからの思い出しか残っていない。
まさか、この私が恐れているというのか。誰を、いや何をだ。琴割など疎ましさが勝って恐れも警戒も抱くはずがない。これまでの腹立たしさがそういった脚が竦みそうな感情を消し去ってしまうはずだ。
では、誰か。自分が本人の意向を無視してまで連れてきたガルバの契約者だろうか。そんなはずはない。なぜなら彼の能力はあくまでもラックハッカーには届かない。
無敵にして最高峰、手が届くはずの無い高嶺の花。それを摘むことが許されるのは唯一その契約者のみ。それがELEVENだ。世界が定めた、人でも神でもなく、何よりも優先されるべき絶対の前提が定めたそれを覆すことなど、誰にもできはしない。
絶対であると定められた地位を奪い取るような傲慢、許される訳が無い。
自分自身に、恐れるものは何も無いと納得させたかった。納得させられるはずだった。決して寝首などかかれるつもりも無くて。何より安堵を目的として言い聞かせていたはずだ。それなのに、彼は己で答えへと導いてしまった。彼が何を恐れているのか、まざまざと突き付けられる。姿は未だ見えない。夜さえ塗り潰すような黒い靄の向こうに潜む影。潜むという行為が似つかわしくない巨大な暴君の威光。
略奪という概念が傲慢として認められない一つの存在。搾取する側であると定められた絶対の捕食者、カーストの頂点。異世界を束ねる王たちの中で、最も位の高い守護神たちの統率を認められた、人であるが故の傲慢さを一身に受けた元ローマ皇帝。
「ネロルキウスの弱点は儂も知っとる。せやから調べたに決まっとるやろ。セルウィウスの能力は、対象の心に語り掛ける。今なら知君やな。お前の罪は何や、ってな」
もしそこで、自分に僅かでも罪悪感を感じたならば、自分の良心が牙を剥く。後悔が、後ろ髪を引かれる想いが、ナイフとなって突き刺さる。ある人間は、自分が手にかけてしまった人、またある人間ならば、自分が不幸にしてしまった誰か、悔やんだ対象が形を以て、ずっと耳元で囁きかける。お前のせいだ、お前のせいだと。そうして心を壊すのが一つ目の効力。
そこで罪悪感を抱かなければ、その傲慢につけこむ。身の内に救う、自分を正当化する淀んだ心を増幅させ、痛みへと変換して対象を蝕む。耐えがたい激痛が彼の身体を襲い、自分が罰を受けるべき人間であることを思い出させる。そして最終的に、罪を心から自覚して初めて、本当の罰が下る。そう、耳元にて囁きかける声がする。やっと気づいてくれた、お前のせいで俺は、僕は私はこんな目にあんな目にそんな目に、と。
あの黒い靄は、人が忘れたいことを思い起こさせるための舞台装置だ。暗く淀んだ闇を見ると、人は後ろめたいことを思い出してしまう。恐怖が無意識の内に胸に救い、己が恐れているイメージを脳裏に思い起こしてしまう。それがトリガーとなり、能力をしかけた対象者が過去に置き去りにしてきた公開を浮き彫りにする。
「正直奇跡やと思うわ、儂もな。ガルバの能力はその傲慢や自尊心が強い程に強く身を、心を縛り付ける。せやからネロルキウスの、欲しいものを好き勝手に奪い取る能力を抑えるのにうってつけなんや。あんな能力貰って、自己中心的にならんやつはおらんやろしなあ」
突風が吹いた。半年早い春一番のような、冷たい風。夜の風は吹き荒れると同時に、セルウィウスが生み出した漆黒のカーテンを消し飛ばした。霧散した黒煙の中から現れたのは、何事も無く佇む一人の少年だった。いつしか、王子がかぐや姫対策に呼び寄せた雨雲さえ消え失せて、真ん丸な月が浮かぶ快晴の空が現れた。
「晴れを望んだらこうなるんですね」
天敵であるセルウィウスの能力に囚われたと言うのに、冷静に対処した少年が信じられず、ラックハッカーは目を見開いた。唇が震え初め、指先の精細さが失われていく。
対策は完璧に打った、そう思っていた。しかしそれは早計と呼ぶほかなかった。下調べを怠っていたせいだろうか。いや、そうではない。たとえそれが万全だったとしても、ネロルキウスの対処はセルウィウス、ガルバに任せるしかなかったはずだ。それ以外の能力者では対応できない、それがELEVENの絶対性なのだから。
ラックハッカーの過失は一つ。『ネロルキウスの抑止力、ガルバという守護神はあくまでも抑止力に過ぎない』、それを忘れていたことだ。ネロルキウスを止める必要がある時に有用なだけで、ネロルキウスおよびその契約者が世界に牙を剥かない限りは、通じる筈がない。
「そこにいるガキはな、正義の味方になるために育てられた。傲慢もへったくれもない。自分の罪を全部認めて、背負った上でここにおる。罪を受け入れているからこそ、肉体への苦痛は無い。耳元で己の責任を尋ねられようと、『だからこそ償うために他の誰かを救う』と即断できるだけの胆力も据わっとる。分かるか、おそらく後にも先にも一人だけじゃ。私利私欲を抜きにして、他人のためだけにネロルキウスの能力を使える男。ガルバの能力が何一つ通用しないネロルキウスの契約者」
「馬鹿な……それでは対抗策が成り立たない……。そんなもの、どう突き崩せば……」
「せやからお前はアホや言うとるんじゃ。パワーバランスはゲームを盛り上げるためやのうて世界が恒常的に安定した状態を保つためにとられとる。知君が知君らしくある限り、世界も知君の味方をする。お前もしかしてまだ気づいてへんのか?」
人間界のみならず、フェアリーガーデンへの無理やりな干渉。およびそれによる守護神と人間との次元を超えた戦争。荒廃した東京の街並み、引き起こされた大量殺戮。
「この世界に喧嘩売ったんは、間違いなくお前の方やぞ」
世界に喧嘩を売った。そのフレーズに、心臓が一際強く跳ね上がった。どくんと、耳に届くほどに力強く。居眠りしかけた時に教師から指名された生徒のように、びくりと大げさに竦み上がった。
それが何を意味するのか分からない程には愚かではない。特に現実をつきつけられた今ならば余計に、頭は冴え渡っている。優秀な人間だと言うのに、ラックハッカーが極めて聡明であると言い難いのはその選民思想故だった。己が神に選ばれた時代の寵児であり、自分を主役としてこの世は存在していると本気で信じていた。シェヘラザードはそのために存在していると信じて疑わなかった。
だからこそ、セルウィウスさえ用意すればネロルキウスさえ恐れる必要が無くなる。むしろその計画準備の過程こそが、己に花道を歩ませるために必要な道筋であると考えた。そんなもの、彼のための都合でしかないというのに。
さながら魔王討伐を目標に掲げる勇者となったつもりだったのだろう。彼は忘れていた。そのために蔑ろにされた人々がいたことを。彼がけしかけたフェアリーテイルによって笑顔を、平和を、家族を、命を奪われた善良な市民を。
そう、世界に爪を立てたELEVENというのは今、間違いなくラックハッカーとシェヘラザードのペアに他ならない。
反逆の翼を翻したELEVENの末路とは。それは語るに及ばず、彼がその身を以て見せることとなるだろう。
「ようやく、世界の調停から許可が下りました」
暗闇が晴れ、現れた少年は、掌をラックハッカーに見せつけるように腕を上げた。真っすぐ伸びた腕は、正面から何かをつかみ取ろうと、一人の男に照準を定めている。
次第に心臓は早鐘を打ち始める。それだけは許してはならない。そんなことがあってなるものか。
「何を……考えている……。私は選ばれた人間だぞ。全てが意のままになる人間だぞ。こんな、こんなところで……」
「ネロルキウスの能力を行使します」
「やめろぉっ!」
それは悲痛な声だった。何の抵抗にもならないとは理解している。それでも体は止められない。シェヘラザードの能力で、肉体だけは強化している。ネロルキウスの略奪を許す前に、知君さえ殺してしまえば。そう、最後に一縷の望みをかけて踏み込んだ。
しかし。
「っう!」
膝から崩れ落ちる。全身から力は抜け、先ほどまでの肉体活性が失われていく。睡眠不足の際に、肘から先に力が入らず脱力感が襲い掛かっているのとまったく同じ感覚。力を入れようとしているのに、身体が応えない。
原因など簡単に推察された。ネロルキウスの能力によって、筋力を奪われている。そのため立ち上がり、歩む事さえままならず、這いつくばることしかできない。
「ここまで来た……。どれほど耐えたと思っている! 協力者とはいえ貧しい血筋の馬鹿親子とも懇意にしてやったんだぞ。金と引き換えに己の卵子を研究のために譲渡する売女の家系にだぞ! その私が……私が!」
「ええ加減に黙った方がええぞ。どうせ失うもんは変わらん。そんなら品位だけは保っとけや」
聞くに堪えない罵詈雑言。星羅ソフィアの父であり、売女扱いされた朱鷺子の妻である男がそこにいるというのにだ。かつて妻子を持っていた琴割としてもその心中は計り知れるため、せめてもの情けとして黙らせる。
これ以上、あの男の我儘で傷ついていい人間など居はしないのだから。
「対象はロバート・ラックハッカー、奪い取るのは……その守護神のシェヘラザード!」