複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.161 )
日時: 2020/04/23 23:56
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)


 それはきっと、シンデレラが舞うように戦うからだろう。知君とソフィアとが織り成す素手での戦闘は、あまりに流麗な掛け合いのように思えた。動作がお互いに激しいことも理由の一つだろう。琴割のいるところまで、迂回してでも突き進もうとする彼女を遮るようにして知君が眼前に現れる。その度に反撃の手を繰り出してはいるのだが、それが彼に届くことはない。
 ただ、正直なところ知君にとって、いっぱいいっぱいの状況だった。そもそもネロルキウスは能力で身体能力をいくらでも補えるため、素の肉体強化はそれほど優れていない。知君にとって禁じ手である、周囲の人間から少しずつ膂力を奪うという手段で、スタミナ切れの捜査官の体力をも結集している状態だ。
 それに対し、シンデレラは黒いドレスを身に纏っている時に限り、常人とは到底かけ離れたフィジカルを有する。体力を軒並み使い切り、虫の息の人間まで混じっている捜査官の余力を束ねても、およそ拮抗しているとは言い難かった。
 せめて彼女を見失わないようにと、奏白の動体視力を一時的に借り受ける。守護神アクセス時限定とはいえ、音速の世界を日々目にしている奏白の視界であれば、まだ何とか見逃さずについていける。
 守護神アクセスの肉体強化というのは能力でも何でもない。そのため如何にELEVENといえどもその影響は無視できない。知君に対処するためには、傾城の特質を持つ守護神が格闘のみで彼を圧倒せねばならない。しかし、それまでそのような守護神は存在しなかった。
 それゆえ、知君にとってこれほど厄介な敵というのも初めてだった。拳を突き出すことさえ激烈、蹴りを一度受ければ膝まで震える程だった。それに目的の違いも大きい。ソフィアは何としてでも知君を押しのければいいのだが、知君はソフィアを止める必要があり、力ずくで殴り飛ばすことも躊躇している。

「退いてって言ってるじゃない」
「退かないよ。だって、誰も幸せにならない」
「今だって私は不幸なの!」

 大声と共に、知君の鳩尾めがけて膝蹴りを放つ。しかし、咄嗟に反応した知君は両手でそれを受け止めた。あまりの衝撃に、掌全体が痺れ、顔も苦痛に歪む。その一瞬の隙をソフィアは見逃さなかった。

「邪魔!」

 膝蹴りの勢いで硬直している知君の無防備な横っ面を、平手でおもいきりはたいた。ビンタなどと生易しいものではなく、大仰な音をたてて知君の身体は横薙ぎに吹っ飛んだ。小柄な体が更地に転がり、砂利が舞う。真凜が彼の身を案じる悲鳴を上げたが、兄の方は冷静だった。

「知君、数秒だけアマデウスを呼ぶ!」

 それだけで、奏白の意図を瞬時に少年はくみ取った。少しインターバルを置かないと、アマデウスの身体強化に奏白の身体がついていかない。そのため、数分間休まない限りはせいぜい三、四秒の守護神アクセスが限界である。
 脚は棒となり、ろくにいうことを聞かないので自分自身の力でソフィアの進路を阻むことは不可能。だからこそ、知君にアマデウスの速度を託すことにした。

「ネロルキウス、アマデウスの速度を借りて!」
『生ぬるいやり方だな』

 それなら直接知君がアマデウスを使えるようにした方が話は早い。むしろそれならばアマデウスの能力でシンデレラへの反逆も可能になるというものだ。しかし知君がそれをよしとしないであろうことは容易に想像がついた。かつてピタゴラスを奪い取り、研究者としての道を断たれた女性のことが相当堪えてしまっている彼だ。自発的に他人の守護神を奪うことなど、決して許さない。
 アマデウスの身体強化をそのまま借り受け、亜音速で知君は走る。如何にシンデレラが素早く動けても直線的な動きではアマデウスには敵わない。崩した体勢をすぐさま立て直した少年は、再び真正面からソフィアと対峙した。
 視界の隅できちんと知君が追ってくるのは確認していた。ソフィアは即座に攻撃に転じる。走る速度は殺すことなく、そのまま勢いに乗って回転する。競技舞踏の中にはまるで走っているような勢いの部門も存在すると言うが、孤独に踊る舞姫の姿はそれを想起させた。
 スカートを翻し、烏の羽根を散らすように布をはためかせる。その暗澹とした中に潜むのは、鋭いガラスのヒール。瞬くとほとんど同時、知君を貫き穿つためにその一閃を放つ。
 だが、ヒールを突き刺すように蹴りだすため、その動きはひどく直線的だ。大きく身を捻ってしまえば当たることはない。女性相手に殴りかかることは知君の性格上難しいため、ドレスを掴んで組み伏せることに決めた。幸い、フリルの装飾に富んだドレスだ。無造作でも容易に掴むことができる。
 横腹のあたりの布をそのまま自分にひきつけ、反撃を受けないよう背後に回る。蹴った足を引き付ける前、片足で不安定な内にうつぶせに倒れるようにして組み伏せる。
 しかしソフィアも慌てない。知君に能力が通じなくとも、自分を支える使い方はまだできる。ドレスの姿は変わることなく、白銀のティアラが顕現する。白銀、つまりは氷雪の力。自分の身体の下で氷の柱を隆起させることで、組み伏せた状態から脱却した。そのまま体を振り乱して、遠心力で知君を引きはがす。
 ただで離してなるものかと、知君はソフィアが立つ足元の地面に能力を行使する。一定質量の足場の岩盤、それを奪い取ることでソフィアが立っていたはずの大地をくりぬいた。唐突に足場を失ったソフィアは重力に従い落ちようとするのを察知する。だが、彼女の周りの大気がそれを許そうとしなかった。
 凝固した大気がそのまま足場となる。空気そのものが高密度になった影響で、大地に穿たれた穴の中にソフィアが落ちることはなかった。それどころか、姿を自在に変えられる空気の床が、ソフィアを万全の姿勢にするべく花道を作る。
 地を蹴り、駆け出すと同時に、風をも従えて自分の勢いを後押しする。先刻よりずっと鋭い一撃が、知君の下腹部に叩きこまれた。無理に胴体を圧迫されたせいで、肺の中の空気が無理やり吐き出される。次の瞬間には殴られた衝撃そのまま後方へと加速、再び地を這うことになる。

「直接能力を使えないのに、よくもまあそれだけ邪魔ができるわね」

 ELEVENというのは能力が強大であるがゆえにそこにあぐらをかいていることが多い。琴割がいい例だ。彼は自分の老化や傷病を拒んでいるため、誰がどのようにアプローチしようと傷一つ負うことも無ければ、死へ向かって進むことも無い。何でもかんでも能力を適応させるのみで、利用するという使い方は苦手なはずだ。
 それなのに知君は、能力が効かないはずの相手に対し、ルールの穴を突くように的確にネロルキウスの力を応用していた。

「でも、これで流石に……」

 今度こそ、怨敵の琴割のいる地へ。もう目と鼻の先に迫った母の仇へと再び足を向けた時、砂利を踏む音を聞いた。まさかと思い視線を向けると、立ち上がった少年の姿。いたるところに擦り傷を作りながら立ち上がる彼の背後で、ビルの残骸がぼろりと崩れ落ち、砂煙をあげた。

「よく耐えたわね」
「その辺りに転がって……る、瓦礫の耐久力、を貰ったんだ……代わりに、その鉄骨なんかは風化し、ちゃったけど……ね」

 絶対に通さない。その意思だけで立ち上がっている。どうしてそこまで躍起になっているのか、冷静さを取り戻したソフィアにも理解できなかった。彼の目の前にいる自分は、諸悪の根源と呼んで差し支えの無いものだろう。唯一彼女に認められた慈善的な行いなど、ラックハッカーが好き勝手に能力を行使することを心理的に抑制させていたことぐらいのものだ。血縁関係はあっても、交遊などなかった間柄だ。家族の情など無いだろう。
 そしてここで自分を止めても止めなくとも結果は変わらない。今のソフィアからドルフコーストの毒気を除去することなど誰にもできない。正しくはできなくなったのだ、王子が戦線離脱した影響で。そのためソフィアを止めようと、心変わりさせようと彼女の死に変わりはない。むしろ覚悟を決めたまま死なせた方が余程人道的というものだ。
 そして、何人たりとも琴割月光を殺すことは不可能である。ソフィアを取り逃がしたところで、彼が殺される未来は決してない。
 ただ、ソフィアが死に場所を選んでいるだけだ。生きている内に恨み言を言おうとしているだけだ。ジャンヌダルク擁する独裁者が作り上げた社会の中で、悲しみに溺れた人間が居るのだと知らしめてやるだけだ。

「たった、それだけのことよ。琴割一人が好き勝手に能力を使える世界なんて、どう考えても間違ってるじゃない。どうして誰もそれを伝えようとしないの」
「琴割さんは、私欲のために能力を使ってない。それに好き勝手じゃない、誰にも見られないように、気づかれても問題にならない規模でしか使っていない。現に琴割さんはただ一人のフェアリーテイルを相手にもしていないよ」

 琴割がフェアリーテイルを討伐するというのは、ELEVENが武力行使した既成事実を作るという事だ。それは許されない、だからこそ捜査官は是が非でも自分たちの力でこれまで桃太郎やシンデレラたちと渡り合ってきたのだ。

「あの人は多分、人であることを自ら放棄してる。社会を維持する装置であろうとしている。だからこそ、誰もが文句を言えないように、正論で動いているんだ」
「タイラ、貴方は造られた命よ。それが分かってるの? 貴方という懐刀を作るためだけに命を冒涜するような研究を……」
「そうだったね」
「それに、貴方の能力を使っているじゃない。ELEVENの武力行使は実際にしている、それなのに……」
「建前上、ネロルキウスに契約者はいない。だから、僕がどれだけ能力を使っても、世間的にはそれは伝わらない」
「隠蔽してるだけじゃない!」
「そっちの立場じゃ分からないよ。琴割さんはきっと何十年も悩んでた。こういう事態が起きた時、『ELEVENでしか抗えない脅威に、自分以外の誰かが立ち向かう』ことを想定していたんだ。琴割さんは何も、意地悪でELEVENを禁じているんじゃない。ELEVENの能力を好きに使えるとなると、契約者の人権が侵害される未来も考えられる。そうならないよう、能力の使用に制限をかけたんだ」

 知君にしか倒せないフェアリーテイルは多数存在していた。彼がいなければ救えなかった人も数えきれないほどいた。知君を禁じるというのは、助かったはずの数十万人、数百万人を切り捨てるという事だ。

「これについては姉さんたちが人殺しの側だっていうのは、自分から言ってたよね」
「それは……いや、でもだからといって、自分だけが自由に使える最強の武器を作ったことに変わりは」
「そっか……」

 不意に知君の声が掠れた。泣いてはいない、けれども涙を流しているのではないかと錯覚するほどに、その声には寂しさが滲んでいた。
 落胆と、冷ややかな怒りと、それを上回る憐憫。そんなことを口にしても心が痛まない程、星羅 ソフィアの精神は壊れている。それがどうしても悲しかった。

「じゃあ、共犯者だね」
「何が?」
「僕たちのお母さん」

 その一言にソフィアは目を見開いた。唇が動揺でぴくりと痙攣する。指摘されると同時に理解する。知君の存在がイリーガルだというならば、それに加担したのは朱鷺子とて同じだ。知君を生み出したことに関して琴割を糾弾しようものなら、それは母に後ろ指さすことにも繋がる。

「違う! お母さんは利用されただけ!」
「うん、きっと、伝え聞く話を聞く限り朱鷺子さんはそんな人じゃない。でもね姉さん、今僕のことを兵器扱いしたよね?」
「それは……」

 痛い所を突かれたとばかりに、顔を歪ませて言いよどむ。カッとなったとはいえ明らかにあれは失言だった。破壊衝動の影響で冷静さを欠いているとはいえ、今自分は言ってはならないことを口にした。なぜなら、それは。

「姉さんのその言葉は、『姉さんが頭の中に浮かべている琴割さんと』同じもの……」
「うるさい!」

 その先は言わせない、そう言わんがばかりの勢いで飛び掛かった。月だけが照らす闇夜の下、純黒のドレスがゆらゆらと揺れる。渦を巻くように軌跡を残すドレスの裾。飛び込む勢いを回転に変換し、そのまま知君に回し蹴りを見舞う。だが、焦燥で衝き動かされただけの彼女では決定打には結びつかない。

「もう、もう言葉なんていらない! どいてくれないなら知らないわ、タイラでも殺す、殺すからね、嫌なら早く退きなさいよ、これが最後なんだから!」
「ほら、そうやって脅して、道を開けてって縋りついてる。強い言葉をわざわざ選ぶのは、本当にそんなことができないから」
「うるさい! タイラなんか、タイラなんか……」

 鍔迫り合いは続く。たった数分の攻防ではあるが、実際以上に時間が過ぎるのが速く感じられた。息を呑むような戦闘に意識を奪われていると、一分程度しか経っていないように思えている。それなのに、時計は無情にも進み続ける。
 死にたがっている、ソフィアの意志を代弁するように。