複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.164 )
- 日時: 2020/04/25 23:17
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
ずっと探していた、償うその時を。自分が我儘だって自覚できていなかった時、俺はあいつをこっぴどく傷つけた。そいつが恵まれてるなんて思っちまった。周りから認めてもらえないのも孤高の証で、英雄に相応しい扱いだと。
でも、自分に置き換えてみれば心が痛んだ。そりゃあ良い気なんてしないさ。どんだけ頑張っても、親父も兄貴も褒めても認めてもくれず、家では針の筵。そんな日々になるのだろう。それを羨んだ、強い力を持っているだけで、それ以外何も持っていない知君のことを、俺は羨んでいたんだ。
満たされていたのはむしろ、俺の方だったんだ。いつだって心配してくれる家族に、軽口を叩き合いながらも仲良くできる級友たち。昔から、何不自由なく、遊びたいときには遊べるような人生も、何もかも持っていたんだ。それなのに俺は、自分が唯一持っていないものを持っているというだけで、ずっと辛い目に遭ってきた知君を、あろうことか嫉妬で傷つけたんだ。
あいつは、一度たりともそんな事しなかったってのに。
だが俺は、ただでさえ身体が不安定だったあの時に、その精神を追い詰めるようなことをした。ただ言葉で謝っただけで許されていいことじゃない。それでも知君は簡単に許してしまえるのだろう。ただ、俺の気がそれじゃ収まらないんだ。これから先、胸を張って友達だと自称するためには、けじめをつける必要がある。
以前、妹の方の奏白さんが知君に伝えていた言葉。今日という日に報われるために知君は生まれてきたのだというメッセージを思い返す。いや、まだだ。あの日だけじゃない。何かが欲しいと願った知君は初めてだった。サンタクロースにも、両親にもねだった経験のない知君が、唯一残った自分という人間の血縁、姉だけは助けたいと願っている。
これまでずっと頑張ってきたはずだ。強敵だけじゃない、琴割のプレッシャーに、大きすぎる責任感に、そして何よりもネロルキウスに対して立ち向かってきた。その、幼い頃からずっと続いた死に物狂いの日々が報われるのは、あの日一日だけで足りる訳が無い。
これから先の知君と、喜びを共有する家族の存在は間違いなく必要だ。ソフィアには絶対に償わせないといけない。沢山の人を不幸にした分、親不孝さえしようとしている分、半分とはいえ血のつながった弟の知君だけは、絶対に幸せにさせなくてはならない。
これは決してソフィアのためなどではない。知君のためだ。セイラと出会えるように背中を押してくれた。いつだってピンチの時は救ってくれた。そんな戦友にできるせめてもの恩返し、姉さんの一命をとりとめさせてやること。
それはきっと『俺が伝えなくては絶対に成し得ることはできない』筈だ。だから、知君とソフィアが縦横無尽に争っている戦場を駆けてでも辿り着かなくてはならない。幸い、ソフィアは最早俺に興味を持っていない。彼女の気まぐれで俺が傷つけられる心配は、きっと無い。
息も絶え絶えになってようやく音也さんたちがいるところへ辿り着く。いくら空気を吸っても肺の中が満たされないような息苦しさ。唾液がばしゃばしゃと蛇口をひねったみたいにあふれでてきて、喉はもはや千切れてしまいそうな程に悲鳴を上げていた。一言でも声を張れば、胸一帯からして灼けそうな程だったが、泣き言を口にしている場合ではない。
「おい、何やってんだよ。お前もう、戦えるような身体じゃないだろ」
自分も限界なのだろう、ふらつく足取りで俺を出迎えた音也さんは俺の両肩に手を置いて、今にも倒れそうな俺を支えるようにして出迎えてくれた。その声には叱咤のような棘はなく、あくまでも心配で声が震えていた。
「人魚姫、あんたもだ。何で引き留めなかった。そこが今、どんだけ危ないか見て分かんないのか」
「分かっています。ですが、止めませんでした。私達は貴方に頼みごとをしなくてはならないのですから」
「はあ? それは今必要なことかよ」
「そうなんだ、絶対に今じゃなきゃ、駄目なんだ」
この頼み事だけは俺の口から伝えねばならない。それはこの決断をした時から、既に分かっていた。そうでなくてはきっと、誰もがこの手段を躊躇することだろう。踏ん切りがつかないことだろう。だからこそ、俺が自ら動かなくてはならない。
「あの女を助ける方法がある。でも俺は今、声がろくに出ない。だから、届けてほしい」
アマデウスの能力で、俺の声を知君まで。
「そしたら絶対、あいつなら何とかしてくれるから、だから……」
「そうしてやりたいのはやまやまだけど、数秒がいいところだぞ」
「大丈夫。それだけあれば充分」
後は音也さんの気分次第だ。理屈で説得する時間はない。できるという確信を表現する以外に手はない。もう時間が惜しい。早くしないと、救えるものも救えなくなる。
判断の時間が惜しいことは音也さんも分かっているようで、即座に判断を終えたようだった。真剣な表情で俺とセイラとに目線を寄越し、二人の間を往復させる。音也さんの瞳に映る自分と、セイラの姿が見えた。満身創痍で、目に見えないようなところにも傷を負っているというのに、どうにも決心の固い表情をしていた。俺はいつから、こんな顔ができたものだったろうか。
そして俺は一つ、大きな安堵を得た。セイラも覚悟が決まっていることだ。さっきからずっと、セイラの顔を見ることができなかった。本当に、同じことを考えていたからと言って、その決心までも共有している自信はなかった。
けど、俺たちはもう、大丈夫だ。
「準備はいいか、ほんとに数秒だぞ」
「はい」
「良し。アクセスナンバーは649、来いよアマデウス、最後の仕事だぜ」
弱弱しくphoneから翡翠色のオーラが溢れ出て、音也さんと俺とを包みこむ。この状態で後は、知君に一言告げるだけでいい。俺は細く少しだけ息を吸って、知君への言葉を切り出した。
「知君、時間もないし一度しか言わないから聞き逃すなよ」
これが本当の総力戦だ。それをあの独りよがりな姉貴に教えてやれ。
誰より優れたお前ならそれができるはずだ。
そうして俺は、胸に秘めた打開策も、想いも、何もかもを知君に託すことにした。
- Re: 守護神アクセス ( No.165 )
- 日時: 2020/04/25 23:14
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
◇ ◆ ◇
「知君、時間もないし一度しか言わないから聞き逃すなよ」
周りに自分達二人以外誰もいないのに、突然男の声がした。幻聴、あるいは空耳の類だろうか。どうしたらソフィアを救えるか考えてばかりだったせいか、知君の判断能力は鈍っていた。誰の声かと聞き分けようとしても、しわがれて潰れてしまった声ではその主も誰か判然としない。
悠長に考え事などしているからそんなものが聞こえるのだと、ソフィアへと向き直る。先ほどから、焦りばかりで頭も体もから回っており、押され気味の彼だった。これ以上気を散らす訳にはいかない。そう思っていたのだが、再び声は聞こえてきた。聞き馴染みのないガラガラ声ではあるが、耳や脳の異常ではないと理解した。これは何処からか交信しているものだ。
鋭い三連の蹴りが見舞われる。上段中段下段と、新選組の隊士がごとく神速の三連撃を放つ。常人の眼にも止まらぬ早業であったが、知君にとってただいなすだけなら造作もない。顔を逸らして避け、二発目は腕で軌道を逸らし、三発目は足を突き出されるより先に懐に潜り込んだ。
その胴体に突進し、正面から羽交い絞めにする。次の瞬間、周囲の人間から脚力を借り受ける形で足腰の身体能力を活性化させた知君は、電車道を作ってソフィアを無理やり押し戻していく。なすすべなくタックルの勢いで、ソフィアは一層琴割から遠ざけられた。
「離し……なさい!」
何とか足を体に引き付けるようにして自分の身体と知君の身体の間に割って入らせ、屈伸する力で知君を蹴り飛ばした。お互いに後方へと突き飛ばされて距離を取る。その攻防の間にも王子からの交信が届いていた。
「声は枯れてるけど王子だ。今、音也さんの力で伝えて貰ってる」
成程、視界の隅で淡い光ではあるが、アマデウスのエメラルドグリーンのオーラが観測できた。その能力で、声のほとんどを奪われた王子の声を戦場の中心まで届けているらしい。一体、この切迫した状況で王子は何を伝えるつもりなのか、理解に悩む。
それに耳を傾けようにも、ソフィアが止まらなければその余裕は生まれない。どうしたものかと手をこまねいていた時のことだった。おあつらえ向きにソフィアの脚が止まったのは。
「うっ……」
唐突に、頭を抱えて蹲る。それも当然だ、あそこまで意識を保てている事の方が異常だとは、もう何度も感じていることだった。守護神の思考さえも染め上げ、壊してしまうほどの強力な精神毒だ。生身の人間であるソフィアはその瘴気に晒されて死ぬ間際のところまで来ている。それでなおあれだけはっきりとした思考と意識とが成立しているというのがおかしな話だ。それほどまでに強い、覚悟と良しとを秘めているということだろう。
しかしそれも気合や根性だけでは限界がくるというもの。一旦知君と距離を置いたからこそ、張り詰めた緊張の糸が緩んでしまった。その檻に、これまで溜め込んできたダメージがどっと来たのだ。喘鳴を上げながら、膝をつき、何とか自分を保とうとしている。
そんなになってまで、どうして。問いかけたくもあるが、今は王子の方が先決だった。
「説明する余裕はないから、直接俺の心の中で、考えていることを情報として奪い取れ。それが、そこにいるお前の姉ちゃんを正気に戻す方法だ」
心情というのは、誰もが胸の内に秘めている情報だと言い換えられる。その機密を奪うという形で、ネロルキウスは他人の心を読むことも可能だ。それを実行しろということなのだろう。だが、それは他人の考えていること、隠し事をも全て筒抜けにするという行為だ。不可抗力でならまだしも、自発的に行うには抵抗がある。
その葛藤を元から見抜いていたのだろう、王子の方からはいいからしろとの指示がさらに飛んでくる。
「もうすぐアマデウスも限界らしいんだ。どうせ同じ男子同士だろ、何知られても困るもんはねーから、早く」
それを最後に、連絡は途絶えた。言いたいことは全部伝えたという意味なのだろうか。それとも単純に奏白の方に限界が来たのだろうか。それはこの場からは分からない。ただ、この絶好の隙に王子の心を盗み見るしかないことは明らかだった。
自分にはもはや、ソフィアを救う手立ては思いつきそうにない。守護神の相性の概念のせいで、八方塞がりもいいところだった。ネロルキウスの能力を応用しても、今の王子から喉の負傷を奪い取ることはできない。彼は、ELEVENとして超耐性を有していた時のシェヘラザードから、明日の朝まで怪我が治らないと運命づけられた。そのため、絶対に今夜のうちに王子を治療することは叶わない。
何か自分に思いついていない案があるのだったら、それに縋るしかない。最後の、一片だけ残った希望をつかみ取るため、言われた通りに知君は王子の心を覗いた。一体、王子はどのような手法を考えたのだろうか。あまり期待を抱かないまま、彼の考えとやらを詮索する。
頭が理解するのと、叫んだのは同時だった。ふざけるなと怒鳴りつけるような勢いで、少し離れた位置にいる王子の方へと身体ごと向き直り、知君は叫んだ。先ほどまでソフィアと向き合う緊迫感に身を晒していたというのに、その表情は王子の策を見たその瞬間に、泣き出しそうに歪んでしまった。
「それだけは駄目です! 自分が何を言っているか分かってるんですか!」
全力で拒絶するとは、王子も分かっていた。だからこそ、言葉だけではなく最初から自分の感情ごと読み取らせようとしたつもりだった。あまりに反応が速かった。それはつまり、たった一瞬で知君は、打開策を噛み砕いて理解できたという訳だ。
策を知り、それを理解するまでのタイムラグが無かったというのはきっと、知君自身もこの考えに既に居たってはいたのだろう。間違いないと、王子は溜め息を漏らした。自分などが思いつくような手段だ、より知恵の回る知君が思いついていないはずがない。そして、その方法があると分かっていながら、それは不可能だと決めつけていた訳だ。
だから、説得の言葉を胸の中に投じ続ける。そうすることでしか会話ができないと分かり切っているため、知君は王子の声を拾い続けた。
『問題ないさ、この方法なら誰も死なない』
だとしてもだ。たとえ誰かを殺すようなことはしないと言っても、それは一人の人生を踏み躙ることに他ならない。他の誰が許したところで、知君本人がそのやり方を認められなかった。殺すことと死に至ることは、必ずしもイコールで結ぶことはできない。
時として、生きながらに人は死んでしまうことがあるのだ。
「それだけはできません。すみません、折角考えてくれたのに」
この期に及んで何を言っているのか。その躊躇の時間こそが、無駄であると同時に失策だとどうして分からないのか。起死回生の、唯一残された手立てを受け入れようとしない知君に、王子は拳を震わせた。今は我儘を言っている場合ではないことは、知君が一番分かっているだろうに。
今の自分の本心を余すところなく伝えたはずだ。きっと、王子がどれだけ強い意志でその決断を下したか、知君も見聞きしたはずだ。しかし、その上で知君はどうしてもそれはできないと首を横に振り続ける。
王子には知る由もないことだが、知君が王子の心を読む際、知り得た情報は何も今現在、この瞬間の彼の覚悟だけではない。これまで王子が積み重ねてきた日々、後ろ向きに歩いてきた数年間、それさえも見ている。極めつけには、王子が知君に対し罪悪感を覚えていることや、決断の裏に秘めた寂しさも、全て含めて。そんなものまで見てしまったら、知君は王子が提案する最後の策を実行することなど到底できそうになかった。
いつまでもうじうじと、二の足を踏みやがって。このままでは埒が明かない。もどかしさが体の中でふつふつと沸き立ち、どうにも身体が衝き動かされる。もし割って入れるものなら、あの分からず屋の横っ面を引っ叩いているところだ。
もう我慢ならない。現状、知君は王子の声などもはや聴いていないかもしれない。その身勝手な優しさに腹が立った。慇懃無礼という言葉もあるが、気遣いは度が過ぎるとむしろ毒なのだ。
もうとっくに、現実は割り切った後なんだよ。王子は、そうしようと判断するよりも早く、まともな声など出せもしないのに既に口を開いていた。
「ふざげんな!」
- Re: 守護神アクセス ( No.166 )
- 日時: 2020/05/14 00:55
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
「ふざげんな!」
言葉こそ荒々しいものだが、そこに怒気はなかった。知君の背中を押すための言葉だった。無理だと決めつけて、下ばかり向いている彼を焚きつけるためには、強い言葉を意図して使わなければならない。
今晩を限りに、喋れなくなっても構わない。喉がそのまま失われても知ったことか。今この場で、彼に伝えなくてはならないことがある。自分の覚悟を言語化する必要がある。
寂しいかと問われれば、確かに王子も寂しいと答えるだろう。だが、辛いかと問われてもそれだけは否定できる自信があった。辛抱ばかりの人生だった。でも、その甲斐あって既に夢は叶ったのだ。
だから次は、約束を果たさなくてはならない。セイラと交わした約束を守るためには、知君の力を頼りにするしかない。何故なら自分一人の力では、できないこともあるのだから。
「勝手に俺のごと決めづけて、躊躇してんじゃねえ! お前どうせ胸んながで、俺のごとを可哀想だとか思ってんだろ!」
「まさか……そんな訳ないだろ!」
可哀想だなどと、侮辱するようなこと、当然知君は考えていない。ただ、それに等しい振舞いをしているという自覚がないだけだ。知君が躊躇している理由は、同情などではない。言うなれば甘さで、優しさだった。今後の王子のことを考えて、視野と選択肢を狭めているだけのことだ。
王子の立場なら本来は彼に感謝こそすれども、憤る必要はない。だが、その優しさが今は不要なものであり、むしろ彼のことを傷つけるナイフに他ならない。自分の存在が足かせになっていることが耐えられない。今までずっと周りに心配をかけてきた。こんな時にまで、自分を慮る誰かの重荷になりたくなかった。
「今まで散々言ってきたから、もう知っでんだろ! 俺が小さい頃夢見てたのは、ヒーローになることだっで!」
「そうだよ、だからできないんじゃないか!」
「そうじゃない!」
そうじゃないんだよと、弱弱しく嗚咽を漏らす。知君だけではない、同じ答えに辿り着いた人間は誰しも『王子のために避けてきた』一つの答えに気が付いている。だが、それは間違っていた。王子の夢、その本意に沿うためにはむしろ、避けてきたはずの手段であっても非情に実行しなくてはならない。
不用意な優しさと、気遣いこそが、彼を真に傷つける心無い態度となるのだから。途端に王子の声が弱くなったため、再び知君は王子の心の声を聞くことにした。王子の傍では、ぽつりぽつりと漏らす言葉を、セイラたちが噛み締めている。
恵まれた人生とはいえ、彼の人生が順風満帆ではなかったことは確かだ。その痛みはセイラの存在でずっと見ないふりをし続けられたが、助けられてばかりの現実と理想とのギャップで、別の苦しさも感じていた。
周りの人にずっと心配と迷惑ばかりかけたせいで、嬉しかった思い出と同じくらい、後悔の多い日々だった。そう、彼は続ける。
「助けたいって言っておきながら、俺はずっと自分が救世主になりたいって思っていたんだ。助けた人に感謝してもらいたかったんだよ、俺は。でも、色んな人と知り合うことができて、そんな価値観が変わったんだ。お前とセイラと出会えて、変われたんだよ」
知君が捜査官に混じって活動していると聞いた時から、王子の中で理想のヒーロー像に知君が重なっていた。自分と真凜の二人をまとめて屈服させたクーニャンに、颯爽と現れて完勝したあの日も。自分が一番傷ついているのに、身の上話をしていた時も。ネロルキウスと対峙し、赤ずきんを難なく倒した時も。そしてさっき、ELEVENさえ倒して見せた時も。
「ずっとずっと、眩しくて仕方なかった。最初はさ、知君がずば抜けて強いからだと思ってたんだよ。俺、馬鹿だからさ、本当のところに気が付けてなかったんだ」
知君がヒーローらしく映っていたのは、もっと別な理由があったというのに。幼稚な考えに囚われていたせいで、自分も強くなりたいと焦り、がむしゃらになっていた。その焦りに何度も付け込まれた。それでも、知君のような出鱈目な強さを追い求めてしまった。
だが、一度喧嘩して、和解したあの日から、少しずつ王子は理解した。知君が誰よりも強いのは、能力故ではない。きっと立場が逆だったら、知君のようにネロルキウスと心を通わすことなどできなかった。自分ならば、欲に飲み込まれてそのまま体を明け渡していたことだろう。
知君の背中がいつだって大きく見えるのは、その考え方に依るものだ。彼は、助けた後の利益ではなく、人助けそのものを目的としている。ありがとうの言葉どころか、助かったという一言でさえ幸福を感じられる。感謝してくれる人間が、その内一割もいれば充分だろう。
誰かのために戦うというのはそういうことだ。博愛主義とも言えるだろうか。周囲にいる人を等しく愛し、護るために戦う。正義感という無償の愛が余程強くなければできないことだ。
王子が夢に描いていたのは、あくまでも自分の姿だ。だからこそ誰かに認めて欲しかったし、救う人間は誰彼かまわずという訳でもない。その極端なバイアスを、セイラと出会うことで自覚できた。自分という人間は、人々のためなんて大それた野望なんて持てない。唯一持つことができるとしたら、手が届く範囲の大切な人だけだ。
「俺は、セイラと契約する時約束したんだ。ハッピーエンドを迎えさせたいって。そのためには、シンデレラを取り戻さなきゃダメなんだよ。赤ずきんたちと一緒で、セイラには大事な奴なんだ。取り戻せるのはもう、お前だけなんだ、頼むよ……」
セイラと出会って王子は、自分を差し置いてでも幸せにしたい誰かができた。もちろん、セイラの幸福の先には王子の幸福も存在している。境遇が近い自分と彼女を重ねて、セイラを幸せにすることで、自分の幸福の証明としたいと最初に考えた。
とはいえ、自分が不利益を受けてでも先に助けてやりたい、笑顔にさせたいと願える人ができたのは大きな変化だった。この感情と同じものを知君は沢山の人に適用させている。だから、ちょっとだけでもいい、僅かな共通点だけで構わないから、その背中を負いたいと思うのなら、王子にできることと言えば彼女のために戦うことだけだった。
「俺の夢ってのはそういうことなんだよ。何も、俺が颯爽と敵を倒すことでも、沢山の人の期待を受けることでもないんだ。セイラと、お前の二人だけでいい。俺は、俺の持ってる全部で、大事な人だけでも助けたいんだ」
嘘はない。それほどまでにぶれない答えを王子は手にしていた。虚飾ではない、彼がなりたいと信じる、真の英雄像に近づくための答えを。
「………………分かった」
喉からひねり出すような返答をした。きっと、言葉では聞き届けられなかっただろう。だから、王子にも見えるように、大きく一度だけ頷いた。きっとそれが通じたのだろう、柔らかく、王子の笑っている様子が目にできた。
「お友達と通話だなんて、随分と余裕ね……」
尋常ではない痛みを堪え、何とかソフィアは自我を取り戻したようだ。脳みそが散り散りになり、人間性ごと霧散しそうな激痛の狭間で、復讐への執着だけが原動力として残っている。その姿があまりに痛ましく、一刻も早く終わらせなくてはならないと再確認する。
いいんだってさ。それで、僕の用意はもういいかい。知君は小さく首を横に振る。その間も、ソフィアが紡ぐ言葉は止まらない。
「もう、後十分といったところかしら。時間が無いの」
「そうだね、早く、助けなくちゃ」
これは冷徹な決断では断じてない。事態を収束させるために、小を切り捨てている訳では断じてない。あくまでも、『彼』が望んだことだ。これは今できる最大の努力をするだけのことだ。自分が選ぶことのできる最良の一手というのは、必ずしも自分を満足させられる訳ではない。そういう現実は分かっていても受け入れがたい。特に、己の矜持に反する時は。
ただ、そのための強さがどうにも湧いてこない。王子は覚悟を決めたというのに、自分の覚悟が足りていない。どうすれば、強くなれるのだろう。どうすれば、非情な決断を、他人の想いを背負う覚悟を以て下せるのだろう。
「まだそんな事言っているの、タイラ。お友達と何か話していたみたいだけど、無理よ。貴方に選べるのは、道を開けるか、意地悪を続けるか。お願いよ、タイラ。ネロルキウスじゃどうにもならないの」
ねえネロルキウス、お願いがあるんだ。知君は脳裏で相棒の守護神へ問いかける。
僕はかつて、君に対抗するために君の真似事をした。君という過激な個性に対抗するためには、自分もそれに相応しい高慢な態度で接することで、何とか張り合っていた。自分にとって、誰よりも強い意志を持った存在は、ネロルキウスそのものだったから、自分も同じように強くなりたいと思って、その振舞いをなぞることにした。
だがそれは、和解すると同時にする必要がなくなった。ネロルキウスが契約相手の人間を認め、力を貸すと決めたからだ。そのため、肉体を巡る意識の綱引きが無くなり、知君らしい人格のまま能力を行使できるようになった。
だが、その成長を一度ここで手放したい。昔のように、『強い自分』を作り出して演じる必要がある。自分にはまだ、何かを切り捨てられる強さを持っていないから。
「お願いします、ネロルキウス。誰かの夢を踏み躙ってでも、前に進むだけの強さを、今だけでいいから僕にください」
どんな冷徹な決断も己の裁量として認めた。だからこそ暴君として彼は当世にも伝えられている。たとえ詰られても、ぶれることのない確固たる決意。
鎧をまとうように、知君はその人間性の皮を被った。あの頃の感覚を取り戻す。我こそが、傍若無人の皇帝になったような、あまりに強すぎる語気を携え、声高々に能力を解放した。
「ネロルキウスの能力を行使する!」
その力強い宣誓に、見つめていた全ての者が面食らう。今更何を。動揺が伝播していく。ネロルキウスの詳細をよく知らない捜査官にも、知君の能力がシンデレラに通じないことは伝えられていた。だからこそ、彼女を相手どることを知君は苦手としていた上に、もう充分長い時間向き合っているのに、決着はついていない。
凡百の守護神ならば、瞬時に鎮圧できるネロルキウスとはいえ、相性の不利は覆せない。それは世界が定めたルールだからだ。
「焦りで気でもふれたのかしら? 無理よ。王をたぶらかす傾城に、暴君の力は通じない!」
白雪姫の時と同じだ。どれだけ知君が粘ろうと、略奪の能力を直接白雪姫に行使することはできなかった。だからこそ苦戦し、知君の意識が乗っ取られるところまで事態が悪化したのだ。それを忘れる彼ではあるまい、何をするつもりなのかとソフィアは軽蔑したように弟を見つめていた。
だが、その軽蔑をも嘲笑うように、高圧的な様相を呈した知君は、その浅はかな考えを否定した。
「お前じゃない」
「何ですって」
この能力の対象は、あくまでもソフィアではない。仕方がない、たった一晩の逢瀬でお城の王子様の心を射止めるような守護神に、能力は使えない。
知君の判断は自棄でも何でもない。ソフィアに能力が通じないなら、通じる者に対して能力を使えばいい。ネロルキウスの能力が通じないのは、あくまで傾城に対してのみの話だ。
そして奇しくも、“彼女”は傾城でも何でもなかった。
王子様に、見つけてさえ貰えなかった。
シンデレラに能力が通じないならば、通じる形を用意してやればいい。知君では白雪姫を鎮圧できなかった。しかし、ネロルキウスが現れると瞬時に白雪姫を圧倒してみせた。
世界のルールがネロルキウスの能力を規制するというのならば、別の守護神の能力を使えばいい。知君は、毒に侵された彼女を癒すことのできる、たった一人の守護神を指し示した。戦場の片隅を目掛けて、一直線に指を向ける。
ソフィアの視線が誘導され、その先にあるものを捉えた。その先に居る者を目にした。たちまち、何かに気が付いたように目を見張った。まさか、あり得ないと、最も大きな動揺を浮かべる。それも当然だ。
その決断だけは、彼という優しい少年だけには、実行できないものだと断定していたからだ。事実、それは正しかった。彼はその手法に気が付いていながら目を背けていた。気を配りすぎる彼の性格では、決して選ぶことのできなかった手段。それは、王子 光葉(こうよう)本人が背中を押すことで、ようやく大きな一歩を踏み出すことができた。
そう、彼が指し示した先にいた人間というのは、他ならぬ王子 光葉その人だった。
「対象は、王子 光葉。奪い取るのは……」
この世界には、絶対に損なわれないルールがいくつも存在している。それは守護神の存在を証明し、円滑にシステムを回すために重要な自然法則であり、何人たりとも反することはできない。法律などとは違う、化学的な定義と等しいと言ってもいい。死んだ人を生き返らせることができないのと同じ、手を加えることのできない絶対の摂理。
ELEVENに逆らうことはできない。制御装置として守護神同士に相性を設けることとする。出生時に契約相手の守護神は決まっており、ガーディアン配列という特定の遺伝子配列で暗号化されている、などのものだ。
その絶対の摂理の中の一つに、ひどく状況が限定されているものがある。人が死ぬとき、守護神はその契約から解放される。基本的には契約破棄は、死によってのみ行われる。死した後に生き返ることはないため、契約が絶対に無効となるのは自明の理だ。
その結果破棄された契約の取り扱いについても、厳格なルールが存在している。そのルールは、例えELEVENのジャンヌダルクであったとしても拒む事のできない不変のもの。何故なら世界そのものは、守護神の更に上に立つ概念だからだ。
「奪い取るのは、その守護神の人魚姫!」
ネロルキウスは、他人の守護神アクセスの契約に介入し、能力の行使権を無理やり略奪することを可能にしている。そのため、死以外の方法で唯一、契約破棄を行うことができる存在である。そんな彼であっても、この摂理だけは覆すことができない。
その摂理こそが『一度破棄された契約は、いかなる理由があろうとも、二度と結ぶことはできない』というものである。『契約者の人間は死んだに違いないため、もう永遠に、死ぬまで守護神アクセスを行えない』、と。
ヒーローを夢見ていた。いつか格好よく誰かを助けたいと願っていた。けれども、最早、この瞬間から、王子 光葉は守護神アクセスができない身となった。
それは当然、永遠に。