複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.167 )
- 日時: 2020/05/04 22:45
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
それは、知君にとって酷な決断だった。王子は覚悟を決めた。自分がそうするべきだと納得しているからこそ、その結果も受け入れられる。金輪際、自分に守護神アクセスは叶わない。それまで抱いていた絶望感とは違う、晴れやかな諦めがそこにはあった。
だが、知君は違う。彼は王子の軌跡を知っている。それどころか今、王子の心を盗み見た際にもまざまざと目にし、耳にすることとなった。そうするべきではないと分かっていても、いなくても、セイラとの決別を告げる時だから、想起せずにはいられない。
ずっとずっと、ヒーローになりたいと描いた夢。それを追った日々、心を折った瞬間。無残にも帆の折れた夢の船が、難破しないように走り続けた日々。念願かなって、とうとう自分の守護神と出会えた日のこと。二人で歩んできた日々、積み重ねてきた絆。
それを断ち切る仕事を、一介の友人に過ぎない彼に託したのだ。たとえ当人が割り切っていたとしても、それを踏み躙る役目を与えられた人間の呵責はなくならない。
ネロルキウスの力で王子の思考を読み取った際に得た想い出たち。そこから想像せずにはいられない、あったかもしれない未来の日々。この先も何十年と、セイラと二人で多くの人を救えたかもしれないのに、その可能性を自ら王子は手放した。
その決断はどれだけ重たいものだったろうか。潔く諦めるためには、どれだけ強い精神を必要とするのだろうか。知君のような、自己犠牲の精神が強い性質の人間ならまだしも、英雄願望の強い王子にとっては、この決断は苦渋の決断となる筈だ。それなのに、躊躇なく手放すことに決めた。どうやら、人魚姫も同じ心持らしい。
二人の思い切りがいいからこそ、心が痛むというものだ。それに甘んじて、輝かしい未来の芽を摘み取ってしまう自分自身が。その状況を作り出したソフィアも、その目標を達成させてしまった自分たちの甘さも、全てが度し難い。
だがそれでも、迷う訳にはいかなかった。王子が考えていることが分かるからこそ、拒めなかった。ここで、我が身可愛さにその選択ができなかった時、二度と彼は自分に自信が持てなくなる。其処に守護神の有無は関係ない。たとえ隣にセイラがいたとしても、王子がヒーローを名乗ることは永遠にできなくなる。
一組の戦士として、そこに居続けることよりも優先して、王子は選択したのだ。ここで友人のために、相棒である人魚姫のために、シンデレラとソフィアを助けるという選択を。
だから一先ず、迷いと甘さと、弱さは置いていく。自分だって、いつもの気弱な自分のままではいられない。歯を食いしばって、正面を睨みつける。
運命の相手との邂逅時、うれし涙でぐしゃぐしゃに破顔した王子の姿を振り切れ。
無我夢中で、必死になって英雄街道を盲目的に突き進もうとした焦る日々も踏み躙れ。
かぐや姫を倒して再確認した、二人の間にある確かで強固な絆さえも断ち切れ。
それらに、痛む事のない強靭な胆力を持て、傷つくのは決して自分ではないのだから。
「お前は許さない。王子にこの選択を強いたお前だけは、決して死という安易な逃げ道を選ばせてはやらない。俺は俺の弱さも許すつもりはないが、それ以上に罪深きはお前だ」
「あらタイラ、強がってるの? 似合ってないわよ」
「その余裕は、もう続かない」
その綽綽とした態度も今この瞬間に磨り潰す。強化した肉体で、すぐ足元に転がっていた人の頭ほどある瓦礫を蹴り上げた。まるでサッカー選手が球を蹴り上げるように軽やかに、膝の辺りまで浮かせた岩の塊を、そのまま足の甲で撃ち放った。
砲撃のように高速で迫る瓦礫に面食らったソフィアは、慌てて目の前に炎の壁を展開する。ネックレスの中央のルビーが輝いたかと思えば、放射売る光がそのまま紅蓮の業火へと変わり、行く手を阻んだのだ。劫火の壁に呑まれた礫は勢いを失い、ソフィアの蹴りで充分砕けるものとなった。ガラスの靴で小突いて撃ち砕き、何とかやり過ごす。
だが、その炎の壁は知君には通用しない。人影が、焔の向こうから迫っていることに気づく猶予はなかった。紅蓮の障壁を突き破り、少年の姿が現れる。息を呑み、咄嗟に動いた体が知君の拳を何とか受け止めた。不意打ちをやり過ごし、得意げな笑みを口元に浮かべた時のことだった。
「何を笑っているんだ」
ふと、両手で押さえこんでいた知君の腕が消えたように感じた。急に支えを失ったような感覚で、よろめき姿勢が崩れた。地を蹴る音は聞こえても、姿が目で追えない。
「傾城、だったか。たかが優男一人落とした経験だけで何を得意げに」
まだしばし、人魚姫が知君の下へ来るまで時間がある。その間に、予めソフィアの心を折ることに決めた。完膚なきまでに打ち負かし、自分に復讐を為し遂げるだけの力量などなかったと分からせる。例えネロルキウスに対する抑止力となろうとも、覆せない差があると知らしめてやらねばならない。
復讐の実行力の全否定。それこそが、彼女に対してできる一番の罰だと言えた。徹底的に打ち負かす。もはや、先ほどまでの悩みは無い。悩みで精彩を欠いていた先ほどでさえほとんど五分だった対峙だ。
今の知君に、遅れを取る理由など一つもない。
「誰の御前だと思っている!」
声の方向に気が付くも、防御など間に合わない。左肩を蹴り抜かれ、その衝撃で体が宙に浮いた。突き抜ける衝撃に痛みはない。興奮して脳内の麻薬が過剰に分泌しているせいで痛みに鈍くなっていた。
受け身を取らなければ。接地前にそう判断したソフィアだが、その判断は無為に終わる。地面を転がるより先に、落ちるべき地点に知君が現れた。目を見張り、何とか軌道をずらそうと能力を起動しようとするも、知君はその一歩先を行く。
今度は上空へ打ち上げる。追いかけ、空中に投げ出されたソフィアをさらに蹴り上げ、自分もまた上空へ跳躍する。空気から流動性を奪うことで空中に足場を作ることのできる知君にとって宙で跳躍することなど造作もない。
「高みから落ちる気分はどうだ、灰被りの鼠めが」
ソフィアを打ち上げたよりも少し高い位置に空気の天井を作る。天井を蹴り、上空から勢いをつけて連撃の最後を飾った。隕石のごとく、シンデレラを纏ったソフィアの身体は、今度は下方へ向かって加速する。重力と二人分の体重が上乗せされた一打である。致命傷にも重傷にも至らないだろうが、ノーダメージとは決していかない。
落下した衝撃で、砂煙が舞い上がる。流石の耐久力とはいっても、ソフィアからは苦しそうな喘ぎ声が上がる。自慢のドレスも、とうとう砂利に塗れて汚れてしまった。
「汚れたドレスの方が名前に似合うんじゃないか」
「……そう、簡単に……。調子に、乗るんじゃなっ……うぅ……」
震える脚で何とか立ち上がったソフィアだったが、減らず口を叩く間に不意に崩れ落ちる。後は到着した人魚姫の能力で片付くだろう。しかし、そう決めつけたのは油断のたまものだった。
「ああああぁあああぁああぁあ!」
何も驚くことはない。ソフィアの精神に限界が来た。それだけのことだ。胆力だけで毒ガスによって催されていた破壊衝動を押さえ込めていたことが異常なことで、少しの意志の揺らぎだけで紅の情動に支配される。
前後も見境もなくなった彼女は、最早復讐も冷静な理性も全て無くして、一つの災厄と化していた。ただ、それはむしろ良かったかもしれない。今この場に彼女の道を阻んでいるのは知君しかいない。
すなわち、獣のように目の前の獲物だけに集中していられる今、ソフィアが他人に危害を加えることはない。後はその行き場のない感情を全て、自分が受け止めればいいだけの話だ。
「パウロのような死を許すつもりはない。お前の信じている道は、絶対に否定しなくてはならない」
故に、生きている内に考えを改めさせる必要がある。殉教した者の意志は、生きている者へと引き継がれる。過ちを過ちと認めるためには、生き続けなくてはならない。これだけ大きな間違いを犯した以上、それ以上の貢献をもたらさない限り彼女の魂を楽にはさせられない。
人魚姫と王子との別れが終わったようだった。少し時間を要したが、それについて彼が苦言を呈することはない。むしろ、僅かな時間しか与えられなかったことが心苦しいほどだ。
だが既に実行してしまった以上、後戻りはできない。隣に降り立った人魚姫はその決心が一分としてぶれている様子はない。きっと、パートナーの少年もそれは同じだろう。ならばもう、しつこく確認することも、誤る必要も無いだろう。
その想いに応えたいと思うなら、すべきことはたった一つだ。この犠牲を無駄にしないこと。何が何でもシンデレラもソフィアも取り戻すこと。そうしなくては、二人のきずなも浮かばれないというものだ。
彼女に向かって、知君は拳を突き出した。それは、手を繋ぐ意志が存在しないという主張だった。その手を取るに相応しい人間は、一人しかいないと言外に物語る仕草であり、その意図を容易にくみ取った人魚姫も、突き合わせるように拳を当てた。フェアリーガーデンの守護神との守護神アクセス時には、身体の一部を触れ合わせる必要がある。
強い信頼こそあるものの、単なる共闘仲間としてはこれで充分。むしろどの面を下げて、彼女の手を握ろうと言うのだろうか。
「人魚姫、俺は決してお前の名前を呼ばない」
その名前も同じだ。王子以外の人間が『セイラ』と呼びかけることなど許されはしない。そう呼びかけるのは、彼にだけ許された特権だ。他の誰にも侵すことのできない、唯一無二の信頼関係だ。
実際、今日という日まで、実際に彼女をセイラと呼んだのは王子だけだった。
「行くぞ、これが俺たちの総力戦だ」
「もう、同じこと言って……。貴方達も大概仲良しですよ、知君くん」
これから先も、ずっと王子の隣にいられる知君に、人魚姫も嫉妬する。だが、この別れは元々決めていたことだった。
戦うより先に、琴割から刺されていた釘。このフェアリーテイル事件が終わった暁には、フェアリーガーデンから人間界への出入りを永遠に拒絶する。セイラがもしこの世界に留まる場合、永遠にガーデンへ帰れなくなる。
王子との日々はとても貴重で、簡単には捨てられない日々だった。しかし、それでも、別れというものはいつか訪れる。今別れても、百年先に別れてもそれは同じで、守護神として悠久の時を生きるセイラにとって、王子亡きあとこの世界に留まり続けるのは不可能なことだった。
もし王子が許してくれるのであれば、取り戻した赤ずきん……カレットや、白雪姫のノイト、およびシンデレラのアシュリーと共に、故郷へ帰りたいと思っていた。
だから受け入れられた、この別れも。永遠に守護神アクセスさえ許されない関係になることも。そしてきっと、その未来を自分が選ぶと王子も薄々察していたのだろう。だから彼も、ようやくつかんだ夢を手放すことができた。
いや、そうではない。王子は既に夢を叶えたのだ。王子の傍から離れる際に、奏白が少年へと告げていた言葉。それこそが、彼が長年求めて止まなかったものだ。
あの時の誓いを、ようやく果たすことができた。初めて彼が手を取ってくれた時に、自分が告げた言葉を。
「今度は、貴女の夢が叶う番ですよ」
一つだけ悔しいとすれば、その事だろう。彼の夢が叶った瞬間、その隣に私はいなかった。私との別れが、彼の積年の願いを叶えたのだ。たった一人、孤独に、後ろから背中を見守ってくれる人たちから喝采を受けて、彼はようやくヒーローになった。
そしてもう一つ、寂しいことがある。生まれてから、私という概念が忘れられるまで、長すぎる歳月が流れることだろう。そんな中でふと生まれた、瞬きのような日々。契約者のいる日々、寄り添う人間がいた閃光のような時間。
その締めくくりを、王子と共有できなかったことが、悔しくて仕方ない。けれど、悔やむことはなかった。
もう、背中は押してもらったから。後はまっすぐ、前を見るだけだ。
「もう時間はない。……行くぞ」
「ええ、絶対に取り返しましょうね。私達にとって大切な人を」
合図は要らない。言うべき言葉は決まっているのだから。
きっと、彼女がその言葉を口にするのは最後だろう。今後彼女に契約者ができたとしても、もう人間の前に姿を現すことはないのだから。
十二時の迫る夜更けの空に、二人の声が染み入っていく。この一夜の間に限り、両者の間に契約が交わされる。守護神の能力、その行使権を人間へと譲渡し、守護神は実体を失った状態で憑依する。
異世界とこの世とを繋ぐバイパスであり、世界を隔てた壁を通貫する唯一の方法。人は、守護神は、その契約をこう呼んでいる。
「守護神アクセス」