複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.168 )
- 日時: 2020/05/05 13:48
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
時は少し遡り、知君が王子から守護神の奪取を宣言したその瞬間。セイラと自分の間にある、目に見えない繋がりが薄れていくことを王子は実感していた。
これまでの日々が走馬灯のように思い出される。決して死の淵にいる訳ではない。しかし、それでも、これまでの王子 光葉は居なくなったことは確かだ。誰かを守れる人になりたいと思っていた。人々から感謝される、テレビの中のヒーローみたいに。
その夢は叶ったのだろうか。決して華々しくなどなかった。知君のように、沢山の人を護れるだけの強さを持つこともなかった。それでも今、自分が知君とセイラのためにできる最善の手を打てた自信はある。手の届く範囲は人それぞれ違っていて、知君は広すぎる範囲を、自分は等身大の腕の長さを持っている。
自分に許可された最大限の力を発揮できた。それは自信を持って断言できた。人知れないところで沢山のフェアリーテイルを助けてきた。ネロルキウスの力では処理することのできない、傾城のお伽噺の姫を助けてきたのはずっと自分だった。
がむしゃらに、何のためかも忘れて、ただ『頑張るために頑張った』時期があった。いつだってセイラは、契約者である自分のためを想ってくれていたのに、セイラのためと嘯いて、生き急いでいた時期。桃太郎と再会し、今度こそ捕まえてみせると息巻いて、後一手で殺されるところだったあの時。
ハッピーエンドを見せたいと願った、彼女を泣かしたのは間違いなく自分だった。幼稚で、我儘な自分は、セイラが優れている証明をする名目で、報われなかった自分が優れていると証明したがっていた。ガキ大将じみた、馬鹿な優越感に浸りたかった。
その後も、全然大人らしく振る舞えなかった。それは確かに、彼も高校生だ。まだ自分勝手なところがあって然るべき年頃だ。それなのに、同い年の知君はいつだって大人びていた。身体こそ小柄で、中学生と見紛うような童顔なのに。いつだって、誰かのためを考える知君に、劣等感を抱えていた。
そのコンプレックスが爆発したのが、病室で彼を罵った一件だった。ずっと誤解していた、知君が恵まれた人生だったと。華々しい強力な能力を得た裏側に、凄絶な人生があったことなど、知る筈も無かったのだ。
そんな時もセイラは寄り添ってくれた。肯定することも否定することも無く、ただ味方として王子と、その心の傷に寄り添ってくれていた。思えばいつもそうだった。正しいことを選択する時も、間違っている時も、傍にいてくれた。けれど、そんな日々ももうこれで終わりだ。
高校を卒業して、知君と一緒に大学も出て。太陽たちの後を追って捜査官になって、奏白みたいな本物のヒーローとなる。何時の頃からかその夢が現実味を帯びていたし、その人生設計を夢ではなく現実的な計画としてみなすようになった。一度諦めた夢が叶うものとなってから、忘れていた。人の夢はいつ潰えるか分からない儚い泡のようなものだということを。
知君には酷な事をしただろうか。今セイラが傍にいる事、これから先もセイラと歩もうとしていた事、そして何よりもセイラと出会った事。それらを脳裏に浮かべていたせいで、余計にセイラを奪わせることを躊躇させてしまったことだろう。
この選択は果たして正しかったのだろうか。ソフィアを救う。ただそれだけの観点で見るならばこれは唯一それが可能な方法だ。ただ、その代償があまりに大きすぎた。自分とセイラの間に交わされた契約の破棄、そしてその実行犯となる知君の心の傷。
ただでさえ知君は他人の守護神を奪うことを恐れていた。幼い頃に彼を育成させていた女性研究者と、王子 洋介。二人の人生を捻じ曲げたと彼は己の行いを、正しくはネロルキウスを御しきれなかったことを悔いている。ラックハッカーからシェヘラザードを奪ったことは当然のことだと割り切れていたようだが、今回ばかりは勝手が違うのだろう。
ようやくできた一人目の友人。その友人が大切に育ててきた大きな将来の夢ごと、略奪しなくてはならなかった。望まぬ形で、他人の道を踏み躙った。そんな傷を負わせてしまった自覚はある。
「でもきっと、大丈夫だよお前なら」
これまでも、辛いことは何度も乗り越えてきた。孤独に、誰からも認められない日々の中で。だが今は違う。真凜がいる、奏白がいる。そして何より、俺もいるだろうと、王子は安堵の微笑を浮かべた。泣いてたって、落ち込んでたって、俺が知君の傍にいて、話し相手にでもなってやろう。
それが無能力者になった俺にもできる、普遍的な唯一の能力だ。
決して特別な力ではない。それでも、自分でもそんな事ができるというのは誇りだった。守護神なんていなくても、何もできないなんてことはないんだ。目指していたヒーローというのは誰かを助けられる人であって、決して巨悪を打ち倒す人ではなかった。
そうだろ、とは尋ねない。もう隣にも、背後にも、人魚姫はいないから。その決断を、意志を、正しいと認めてくれる誰かは、間違っていると諭してくれる誰かは居なくなったのだから。これから先は、自分の頭で進む道を決めなければならない。
それは過去の自分にとってとても難しいことだっただろう。けれど、もう大丈夫だ。道しるべなんてなくても、正しい方へ歩むことができるだろう。
目の前で、翡翠色の髪が揺れていた。鱗の形をした耳飾りも、もう後数日で見納めだろう。ただ契約が切れるだけではない。この戦いが終わればきっと、セイラはシンデレラたちと共に異世界に帰るのだろう。彼女がそう決めるような気は薄々していた。だからこそ、自分も守護神アクセスを放棄できた。
もう契約は途切れてしまったが、未だ声は届くだろうか。その鈴のような声を、まだ俺は耳にすることができるのだろうか。手を取って触れ合うことはできるだろうか。
放心していたところ、振り返ったセイラと目が合った。同じようなことを考えてくれていたのだろうかと、痛む胸が少し弾んだような気がした。
「頑張りましたね、王子くん」
その意思決定が彼にとってどれだけ大きな意味を持つのか理解できないセイラではない。それが正しいと分かっているからこそできた決断とはいえ、王子にとっては大切なものをごみ箱に自ら捨てたことに等しい。そしてそのごみ箱をあさることは、誰にもできないのだ。
「別に。俺にできることをしただけだ」
むしろ頑張るのはお前の方だろうと釘を刺す。王子の戦いはもう終わった。けれども、セイラの戦いはこれからまた始まるのだ。大切な、姉のような存在。異世界でずっと仲良くしてきた親友のシンデレラを取り返す必要がある。
「忘れ物はちゃんと取り返してこいよな」
彼なりの激励の言葉を彼女はただ頷いて受け取った。これ以上言葉を交わしては、王子のいる場所に縫い付けられてしまいそうだったから。時間は限られているのに、この別れが惜しい。
私は彼に感謝を伝えきれただろうかと、不安になる。誰にも見つけてもらえなかった人魚姫を見つけてくれた、お伽噺の外にいる王子様、運命の相手。等身大で、人間臭くて、不完全な人だった。だが、そんなどこにでもいるような人でありながら、背伸びを忘れない彼のことが、ずっと愛しいと思っていた。これから先も、彼が没する時まで寄り添い続けたいと願っていた。
けれどもう、それは叶わない。白雪姫の継母、魔法の鏡の力で王子の行く末を見守ることはできても、傍にはいられないし声も届けられない。
行動や態度で伝えることはもうできない。だから、言葉で伝えよう。どんな言葉なら王子は喜んでくれるだろうか。そう自問して、初めに思い浮かんだ言葉は、これまで伝えたことのないものだった。
守護神が人間に、そんなことを伝えるのは身分違いだと思えてならなかった。拒絶されたらどうしようかと恐れていた。あくまでも王子が望んでいたのは守護神であり、セイラそのものではないのではないか、と。
だがその躊躇は全部、自分の気恥ずかしさを塗りつぶすための言い訳だった。王子はきっと、その言葉を拒んだりはしない。受け入れてくれるに違いない。だから、逸る鼓動を抑えてでも、熱くなった頬に気が付かないふりをしながらも、思いの丈を伝えることに決めた。
「ねえ、王子くん」
ついぞ、白馬に跨った王子様には伝える機会さえなかった言葉。かぐや姫の見せた幻覚の中でも、口にすることができなかった言葉。
特別な想いを飲み込み続けたのは、きっと今日この時のためだったのだろう。月明かりの照らす彼女の笑顔は、十五夜の月よりも、ずっと美しかった。
「私を見つけてくれて、手を取ってくれた、君のことがずっと大好きだったよ」
その言葉を真正面から受けて、王子は目を伏せた。嫌がっている素振りがないとは分かった。意味を理解した瞬間から、面白いように彼の顔が耳まで赤らんだことをセイラは目にしたのだから。
すぐ傍にいた奏白は、気の緩んだ笑みを浮かべ、真凜は呆れた態度で誤魔化しながらも、気まずそうに目を背けていた。
存外喜んでくれたようで、セイラも満足だった。僅かばかりの満足感を胸に、戦地へ赴こうとしたその時のことだった。王子が引き留めるようにその腕を掴んだのは。
その後の光景は、見ている側が照れ臭くなるようなものだった。奏白はもはやあまりの度胸に吹き出し、免疫のない真凜はというと、気まずさどころか王子以上に顔を真っ赤にしていた。
片手は驚いて振り返ったセイラの頭を包み込むように、もう一方の手は背中に添えて。自分のもとへと王子は人魚姫の身体を引き寄せた。次第に王子が近づいてきて、人魚姫の視界には愛しい人しか映らなくなる。
ほんの一瞬、刹那の一時。月光が伸ばす二人の影は重なっていた。契約など無くとも、交わせる心があるのだと、王子は証明した。言葉で伝えたセイラとは対照的に、行動で。
「ちょっと……ずっと前にクーニャンにも言われたでしょう……! せ、戦場でこのようなは、はしたな……」
「許してくれよ、緊張感が欠けてる訳じゃないんだから」
最後かもしれないだろ。
泣きそうに揺れている瞳のまま、そう問いかけられては否定できない。
できるだけ笑顔でいようと努めてはいるが、押し込めた感情のダムは決壊寸前だった。
それもそうだ。彼女にとってもそれは同じだったのだから。
別れの覚悟を決めたとしても、胸の中にある寂寥感は決して消えはしない。覚悟だけではどうにもならないこともある。
「ほら、急げって。シンデレラが待ってる」
「うん、行ってくるね」
背中に回していた方の手だけは離さないまま、彼女の背中を押して、戦場へと送り出す。
初めて会ったあの時、少年は人魚姫の手を取った。もう彼に、その手を取ることはできない。だから今度は、その背中を押してやろう。手を引いてくれる誰かが居なくても、誰かに見つけてもらえなくても、魔女の薬なんて無くても彼女が一人で歩いていけるように。
少年が、最後の最後に施したおまじないが、僅かな満足感しかなかったセイラの胸の内に広がっていく。温かな安心感と、彼からの信頼に裏打ちされた自信が、心臓さえ持たない守護神の肉体の内側で脈打っている。
きっと、本人は気が付いていないけれども、王子は何度もセイラの夢を叶えていた。だから、ここから先は彼の願いを自分が叶える番だと彼女も決めた。
自分が幸せになること。そのためにアシュリーを取り返すこと。彼の親友、知君のためにソフィアも救い出すこと。彼の決断で救われた人間を一人でも増やすために、戦うのだ。
セイラが知君のもとへ向かい、去っていく背中を見つめる中、緊張の糸が切れた王子はその場にへたりこんだ。元々身体は無理を言っていた。声も本当ならば出せないのに、無理に言葉を紡いだ。知君に檄を飛ばし、セイラを最後まで励ました。もう、身体も、心も限界なのだろう。
戦局的にも見守ることしかできない。残された王子にかける言葉もないまま、真凜は知君を応援することしかできなかった。ここで自分にかけられる言葉は無いだろう。多分に、この少年は兄の音也から伝えられた方が、喜んでくれることだろう。
「なあ、光葉。ちゃんと胸張って見守ってやれよ」
地面に蹲って、突っ伏したまま、声なきまま彼は感情を吐露していた。ぽつりぽつりと、晴れた夜空の下、通り雨が落ちる。膝をついたまま、身体を丸めて、誰にも見られないように顔を伏せたまま、人魚姫から見られなくなったところで彼はついに我慢の限界を迎えていた。
奏白の言葉にも頷いたものの、ものの数秒では分別などつかないのだろう。縮めた全身を震わせて、何とか立ち直るべく嗚咽を飲み込もうとする喘鳴のようなものが聞こえてきた。
「お前は多分自分の事を、満身創痍で、何もできなかった奴だって思ってるかもしれねえけど、そんなことねえよ。……落ち着いたらちゃんと、あいつらのこと見守ってやろうぜ。あの二人にとって、お前の言葉以上のエールは無かった。強いとか弱いとか、そんなの関係ない」
奏白も、もうとっくに王子のことを仲間だと認めていた。画面の向こうで活躍する、華々しい英雄の一人、捜査官の若きエース戦闘員。王子がフェアリーテイル対策課に合流した後も、その鮮烈な戦いぶりを何度も目にしてきた。知君と同じかそれ以上に敬意を寄せている、立ち振る舞い含めて誰よりヒーローらしい男だと奏白を尊敬していた。
「俺……ずっと前に約束じてたんです……。バッドエンドで終わる人魚姫の、セイラを、ハッピーエンドにしたい、って……」
「ああ、とっくの昔に叶ってたよ。気づいてなかったか? お前と一緒にいる人魚姫、いつだって幸せそうにしてたぜ」
返事はない。身体は縮めたまま、何とか自分の感情と折り合いをつけようとしているのだろう。出会った頃と比較して、彼は大きく変わった。奏白は彼の肩を叩いて、少年が歩んできたそれまでの長い道筋を称えた。
「別に、強い訳じゃなかったかもしれない。今までのお前は子供っぽいところもあったかもしれない。けどな、光葉。お前は間違いなく、今日一番かっこいいヒーローだったよ。この天才、奏白 音也が保証する」
だから、ヒーローが下ばっかり向いてちゃ駄目だろうと、顔を上げろと、最後まで見届けるように示唆する。
だが、未だに少年は微動だにしようとしない。どうしたものかなと首を傾げた奏白を、隣に立つ真凜が笑った。
「馬鹿ね、兄さん。兄さんにそう言われたら、嬉しすぎて泣いちゃうでしょ」
これは決してリップサービスでも何でもない。親友である知君が肉親を取り戻すために、愛したセイラが親友のシンデレラを取り戻すために、自分の宝物を秤にかけて、それでもなお代償として差し出すと決めたのだ。その勇気ある決断を下した王子が、英雄でなくて何と呼ぶというのだろうか。
戦争の中心では、今まさに人魚姫と知君とが守護神アクセスを行っていた。月夜の晩に、人魚姫の影が溶け込んでいく。
そして、彼ら勇気ある少年たちの、総力戦が幕を開ける。残された時間は、もう十分と存在していなかった。