複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.169 )
日時: 2020/05/08 03:15
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 ネロルキウスの力で奪った守護神というのは、言うなれば二つ目の特殊能力であり、ネロルキウスとは全くの別個体である。そのため、知君と契約した人魚姫の能力であれば、傾城の性質を得たシンデレラに対して能力が有効となる。知君にネロルキウスから王の特質が受け継がれていたとしても、そこから人魚姫に二重に移ることはない。
 そのため、人魚姫の癒しの能力を用いることができるようになる。歌、つまりは声を媒介とする彼女の能力を、本来の契約者である王子は使えなくなってしまった。ならば、能力の行使権の譲渡先を変えてしまえばいい。王子から知君へその所有権を一時的に譲り渡す。その代償こそが、王子の契約だった。
 だから、この千載一遇の好機だけはどうしても逃す訳にいかない。ただでさえ圧倒していた知君の手数はさらに増えていく。水を得た魚のごとく、助けられる手段を得た彼を止めることなどもう誰にもできない。
 最後の数分だとばかりに、知君の集中力は頂点まで高まっていた。それに対してソフィアはというと、とうとう正気を失って破壊衝動に飲み込まれてしまった。血涙を流しているのかと見間違うほど、毒の瘴気の紅色が瞳を侵食していた。獰猛な肉食獣のように、犬歯を剥き出しにして目の前の障害に襲い掛かる様子は、麗しい歌姫に似つかわしくない形相だった。
 そこらに散らばる飛沫たちを、空気中の水蒸気を集める。渦巻く水の触腕をいくつも生成した知君は、四方からソフィアを攻め立てた。宙を駆け巡る意思を持った水流は、さながら船を沈めるクラーケンの触腕のごとく。隙間を器用に潜り抜けるソフィアを的確に追い詰めていく。
 ただし油断をする訳にはいかない。人魚姫の能力が通じるということは、シンデレラの能力で人魚姫の能力を打ち消せるということになる。ティアラの中央でルビーが瞬いた。紅蓮の炎がソフィアの手を覆い、真正面から迫る水の触手を薙ぎ払った。音を立て、瞬時に蒸発して触手は焼き払われたように見えた。
 だが、人魚姫の能力は蒸発させても止まらない。再び凝結させ、シンデレラの右腕を掴んだ。一つの腕が掴んだと同時に、次々と別の触腕が襲い掛かる。両手両足を絡めとるように掴み、するすると全身に巻き付いていく。
 完全に彼女の身体は水没し、空中で水の牢獄が完成した。動きは完全に止めた。そう思った瞬間にガラスの靴が純白に煌いた。白い光は氷雪を従えたことの証。瞬きの瞬間に、彼女を捉えたはずの水は一瞬にして凍てついた。水の状態だともがいても逃げ出せない。だから一度固めて、砕くことにした。
 真っ白に凍てついた水の牢獄は、瞬時に内部から打ち砕かれた。黒薔薇のドレス、シンデレラが唯一自分自身に働きかける、肉体活性の装束。その身体能力は、奏白にさえひけを取らない。
 氷の礫を目くらましに利用し、死角から回り込んで知君の背後へと到達した。無防備な胴体を今、シンデレラの凶槍が貫こうとしていた。ガラスの靴の先端は、アリスのトランプ兵の武器にも劣らない、絶命の凶器となる。
 パチンと、軽やかな合図が響いた。発信源はソフィアの真正面、すなわち知君だった。刹那、ソフィアの身体を衝撃が襲う。二重、三重、否、数え切れないほどの痛みが彼女を襲った。先ほど砕いた氷の残骸が、次々と弾丸となって彼女の身体を打ち付けていたのだ。
 腹を撃たれたと思ったら次は脚、足かと思えば次は肩。一瞬前の衝撃を、次々と迫りくる砲撃が上書きしていく。氷の砲弾は、完全に知君の視界にあるはずのソフィアを的確に撃ち抜いている。

「ガァッ!」

 それは悲鳴ではなく、威嚇だった。身体が痛みを訴えても、もはやその刺激を理解する理性は失われている。己の身体さえ省みずに、筋肉が引き千切れてでも動き続けるキリングマシーン。
 彼女を傷つけないようになどとは言っていられない。このままではソフィアの身体は自己崩壊する。だからこそ、出し惜しみなく容赦もなく、知君は攻め立てるしかなかった。
 見えていないはずのソフィアを正確に撃ち抜いたのは、当然のことながら理由がある。遠目に見守っている数々の捜査官達から視界を奪い取ることで、自分の死角というものを完全に潰していた。
 確かに、複数のカメラの内容を理解するには、必要な脳の処理能力が膨大となる。しかし、知君にとってそれは難なくできることだった。彼は己の守護神と打ち解ける以前、何十、何百回と、焼ききれそうな程の情報の洪水を乗り越えてきたのだ。たかだか十程度のカメラの視覚情報など、朝飯前だ。
 ただし、やられっぱなしの姫君でもない。シンデレラはあくまで最強のフェアリーテイルであり、契約者と守護神アクセスした状態だ。そう簡単に力尽きることはない。あくまでも今彼女に攻撃しているのは人魚姫の能力だ。ならば反撃も不可能ではない。
 今度瞬いたのは、ネックレスのエメラルドだった。翡翠色の閃光は薫風を表している。かまいたちのごとく、万物を切り裂く鋭利な風刃が、彼女を中心として巻き起こった。氷の礫を、たちまち無害な粒子レベルに砕き、裂き、分解していく。
 エメラルドグリーンの刃の竜巻。それが止んだ後に姿を見せるのは、風に愛された王女一人。


 その筈だった、本来は。


 翠嵐の消えた其処には、シンデレラに屈することのない一人の少年の姿があった。たとえ人魚姫と新しく、二つ目の契約をしようとも、彼がネロルキウスの契約者であることに変わりない。
 ELEVENである以上、彼にシンデレラの能力は通用しないのだ。裂刃に身を晒そうとも、彼にとってそれはそよ風と相違ない。粉々になった氷をもう一度水へと転換し、一つの塊に凝縮していく。
 その能力の間隙を埋めるべく、知君は己の身体一つでソフィアを攻め立てる。空を蹴り、三次元的な動きでソフィアを追い詰める。ソフィアの頭上から、脳天を砕くような踵落とし、何とかソフィアはそれを両腕で受け止めるも、腕に痺れるダメージが残っている内にもう、知君の姿は無くなっている。
 次は側方から肘打ちが飛んでくる。これは受けることができず、そのまま胴体に直撃した。ただ、ドレスの下にあるコルセットが上手く防具として働いた。ぐしゃりと嫌な音がしたため、もう二度目は無いだろうが、一度は何とか受け切れた。
 だが再び、足音だけ残して少年の影は消える。消えたと思った、はずだった。それなのに認識したその瞬間にはもう、反対側から衝撃は走り、そのダメージを知覚した時には彼が地を蹴る足音だけが残されている。
 回避もできず、防御もろくに間に合わず。何とか氷を従えることで、物理的な盾の役割だけ持たせているが、人魚姫が憑いている以上それは無駄だ。知君の前に現れた氷の壁は人魚姫の力で簡単に操作され、彼の身体が通る穴を開けられる。
 炎の壁、風の刃の障壁、それらも無駄だ。形が存在しない以上、それそのものが攻撃力を持たない限りバリアの役割は果たさない。そして知君には能力による負傷は与えられない。抜け出せない牢獄という意味でも、打つ手が無いと言う意味でも、彼女は今、八方塞がりに陥っていた。
 先ほどは氷の砲弾をいくつも利用していた。だが今度は、水の弾丸を全方位から無数に展開していた。既に、触腕から逃げ惑い、全身を礫で撃ち、能力を濫用し、肉弾戦闘でも疲弊している。
 能力が及ぶ全域から、利用可能な水源全てを知君は利用していた。何にでも応用が利くネロルキウスの力を使いこなしてきた彼だからこそ、制限がある守護神の能力であっても十二分に引き出せる。ELEVENの超耐性も相まって、人魚姫さえ自分が自分でなくなったかと錯覚したほどだった。
 人魚姫の弱点である肉体活性が不十分という部分もネロルキウスがカバーしている。そしてネロルキウスにできない、シンデレラの浄化は彼女の能力で担当できる。
 理性を失っていた彼女以外、全ての人間が一様に理解した。今の知君に、弱みは何一つない。ただしそれは決して、彼が他の追随を許さない存在だったことに由来している訳では無かった。当然、彼にできないことはこれまでいくつもあった。彼は自分にできないことを、他者の協力を得ることで乗り越えただけだ。
 全ての人は不自由で、完璧な人間など存在しない。ただし、それでも、本当にできないことなど何一つ存在しはしない。
 腕を振り、準備していた大質量の水全てを一斉に解き放った。ソフィア一人を攻め立てるように、逃げ場全てを塗りつぶすように洪水が襲い掛かる。捕らえられてなるものか。本能的に、身体を燃え焦がすような衝動に任せて、彼女は一点突破に賭けた。
 翡翠の光、紅蓮の一閃、同時に瞬いて彼女を黒薔薇の装束ごと包み込んでいく。光は凝縮し、次第にその煌めきは高まる。紅も翠も、融けるように色を失い、黄金色のオーラだけが小さく等身大に圧縮されていた。
 次の瞬間、耳を劈くような轟音を響かせ、一点に集中したエネルギーは解き放たれた。ハリケーンを思い起こす突風の勢いで体を加速し、目の前の大瀑布を紅蓮の業火で薙ぎ払う。
 さしもの彼女とて、何トンもの水全てを消し飛ばすことはできない。だから、自分に触れる部分のみに焦点を合わせる。最低限の水だけ蒸発させ、行く手を阻む知君の懐へ、最大速度で潜り込む。そのための一点突破。


 だが、それでも届かない。


 超高速で撃ち出された筈の彼女の身体を知君は完璧にとらえた。腰の辺りを抱きかかえるように体当たりで突撃し、そのまま自分の勢いに乗せて彼女の身体を今来た道へと押し戻す。
 僅かな一瞬で構わない、彼女の身体を水面に付けてしまえば構わない。シンデレラの能力は『万物を魅了し、隷属させる能力』。全能ではない、しかし万能である彼女の能力を封じて癒しの聖歌を押し付けるためには、『空間と意思の疎通のみが存在する世界』へ案内せねばならない。
 ソフィアの背後へ、全ての流水を収束させる。即座に蒸発させられるせいで、水面は次第に遠ざかっていくが、それ以上の速度で距離を詰めるべく、足取りを速めた。
 まだ足りない。暴れる姉の身体を押さえつけ、奥歯を食いしばる。炎と激流の狭間、水分が揮発していく騒音の中で、気付けの咆哮を轟かせた。小さな体に似つかわしくない、強い感情のこもった怒号。
 もはや時刻を確認する余裕もない。今が何時かも分からない。だが目の前でソフィアはまだ生きている。だったら、まだ手遅れなんかじゃないに決まっている。
 勢いを増した二人の身体は、じりじりと水面に近づいていた。其処が入口だ。地道にその入口へと足を踏み入れようとする時間が余りに永く感じた。頭の中で時計の針が音を鳴らして動いている。その音がやけに五月蠅い。はち切れて壊れてしまいそうな心臓の悲鳴も五月蠅い。
 永遠にも思えるような、はたまた須臾とも思えるような数秒の後、とうとうソフィアと知君とは、水面に辿り着いた。
 彼女の背が水の塊、その表面に触れた。それこそが潜り込む条件であり、其処こそが入り口だった。
 歌の能力で回復などの支援をする。水を自由自在に操る。その裏に隠れた、第三の人魚姫の能力。
 窓ガラスや水の表面など、鏡面を入り口としてもう一つの世界に潜り込む力。その世界には、風が吹くこともなく、炎が立つこともない。
 踏み入った者と、彼らを繋ぐ意思の疎通だけが存在する世界。風は吹かねど歌声響く。彼女の人柄を表したような、人を傷つけることを許さない、優しい世界だ。

「ねえ、姉さん……」

 ずっと気を張り続けていた。王子から守護神を奪い取る決断をするその前から。唯一血の繋がった彼女と向き合う瞬間よりも前から。ラックハッカーと向き合う前から。
 かぐや姫たちとの最終決戦を控えて、今日こそ大切な人を失うかもしれないと思った時から、強靭な知君 泰良という人間の中の、弱い部分は常に張り裂けそうな危うさを持っていた。
 とうとう二人きりとなった瞬間に、ついに緊張の糸は切れた。感情のダムは決壊した。

「姉さんは、お母さんがいなくて悲しかったんだよね。僕も……会ったばかりだけど姉さんが死んだら悲しいよ。だから、この先姉さんがどんなレッテルを張られることになっても、十字架を背負うことになっても大切な家族になるって約束するから」

 今にも涙しそうなか細い声を必死に張って、震えて詰まってしまいそうな自分を叱咤して、何とか絞り切るように彼は懇願した。それは依頼でも命令でもない。歳の若い家族が、年上の家族にねだるような、駄々のようなお願いだった。

「僕じゃダメですか? 僕と生きてはくれませんか?」

 この先の幸せな人生を、家族として見守ってくれる姉が欲しいと願った。そんな彼の、細やかながらも、何より優先しなくてはならない、我儘だった。