複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス【File3・開幕】 ( No.17 )
- 日時: 2018/02/20 22:29
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
それから起きた悲劇は、ほんの短い時間で完結した。雪のように白い、穢れ無きドレスが宙に舞い、ばさりと音を立てて翻る。空中に跳び上がったシンデレラが駒のように回転すると、先ほど大地を凍らせた事を思い出させるように、さらに強力な猛吹雪が彼女を核として渦を巻くように周囲に広がったのがカメラでは観測された。
何とか堪える現地の警官だが、制服の裾の方は霜が降りるどころかそれ自体が凍り付き、耳や指先といった体の末端は霜焼けのように真っ赤になる。抵抗しようと守護神アクセスしようにももう手遅れで、あまりの大寒波にあらかじめphoneのバッテリーがやられてしまい、アクセスすることができなかった。唯一、予め守護神アクセスしていた者はあふれ出る己の守護神のオーラに保護されてphoneがオフになってしまうことを防いだ。
シンデレラが地面に着地する。しかしなおも吹雪の勢いは収まらない。初夏に入ったせいで薄着で勤務している彼らは見る間に体温を奪われていく。アクセス中の一名はそれほど寒波が障害にはなっていないだろうが、残る全員にとってはもう体を動かすのが億劫なほどのようだ。
この守護神は危険だと、立ち向かうことを決定したのは、きっと彼らの勇気だったのだろう。しかし、悲しいことに彼らには実力が足りていなかった。固くて脆いガラスの靴、それもピンヒールだと言うのにそれが足かせとなるようなことも無く、自然な体さばき、足さばきで彼女は踊り続ける。
流麗なターンを決めたシンデレラは、フィニッシュのポーズをとってその場に静止した。左手を天空に掲げ、右手を自身の胸にあてがう。そして物憂げな表情で左手の指し示すその先をじっと見据えてみせた。
その瞬間、映像を見ていた誰もが彼女に目を奪われていた。会議は確かに静謐の中で行われていたが、それ以上に静かな、魂を奪われたかのような静寂に満たされていた。それはきっと録画したものを見ている私たちだけでなく、現地にいた彼らもそうなのだろう。抵抗や抗戦を忘れてしまった彼らは、食い入るようにシンデレラの姿を見つめていた。まるで、初恋の人を見て幼い日の淡い憧れを思い出したかのように。彼らが意識を完全に持っていかれたその時、冷徹な惨劇は足元から忍び寄る。
心奪われた一人の警官が彼女の方に向かおうと一歩踏み出そうとした時、足を持ち上げることができないことに気が付いた。どうして。疑念を持った表情で訝しげに足元をのぞいてみると、そのくるぶしから下は氷に覆われていた。そしてその氷は、少しずつ侵食するように根を伸ばす。大きく口を開けて叫んでいるような映像が続く。音声は記録されていないが、むしろそれでよかったと真凜は納得した。
残ったのは、守護神アクセスできた一人だけだった。周りに氷漬けになってしまった仲間の剥製が出来上がったのを見届けると、すぐに我を忘れたのか、涙と憤怒を携えながら一直線にシンデレラの方へ走り出した。
配布された紙の資料に載っていたが、それによると彼の守護神はサラマンダー、幻獣界に住む火を吐くトカゲのようだった。氷に炎は効果的なので少しは検討するのだろうかと思ったが、フェアリーテイルはそんなに甘くない。突進をしかける最後の捜査官を目にすると、化粧直しの準備をする。細くて白い、陶器のように滑らかな右手の中指と親指を合わせる。そのまま親指で反動をつけて中指を手の平に軽快に打ち付けた。
パチンと軽やかな音を上げたのだろう、彼女の来ていた純白のドレスは、首の方から足元の裾の方まで、波が走るように端から端へと緑色に染め上げられた。コケのような濃い緑色ではなくて、そのドレスは春先の新芽のように鮮やかで黄色みがかった緑をしていた。
この能力は一体何であるのか、確かめる余裕はきっと無かった。彼女は再び踊り始める。戦場をまるでステージに見立てて、優雅に舞い踊る。これが戦いだとは、氷漬けになってしまった警官たちを見なければ分からないだろう。
そして、今度のシンデレラの踊りは先ほどまでは少々違っていた。先ほどはフィギュアスケートのように時々腕や足を折りたたむようにしてコンパクトな動きを見せていたが、今度は腕も足も全て使い切り、豪快に全身で表現するように体を動かす。
竜巻が生まれたのはその時だった。あまりの風圧に、地面に張った薄氷に亀裂が走り、天空へ向かって走り出す。氷の結晶がキラキラと光を反射しながら竜巻に巻き込まれて天へと昇っていく様子は、さながら天界へつながる光の螺旋階段が生み出されたようだった。ダイヤモンドダストのようでとても神秘的な光景だと言うのに、それにも負けずにシンデレラは、渦巻く突風の中心で踊り続ける。
ドレスの色が白から緑へ、それと同時に彼女の能力も氷から風へと変化した。この場にいる者はおそらく全員が察したであろう。シンデレラは少なくとも、ドレスの色だけ能力を有していると考えた方がいいことを。
カメラは海辺の様子を観察して害鳥なんかが来ないように地元の漁師が仕掛けたものだったが、固定していた棒ごと、竜巻に巻き込まれて天空遥か彼方へと飛んでいく。その後は雲の上まで登った後に、農家が家畜に与える牧草の山の頂上からその中心まで潜り込む映像が続き、終わった。
最終的に、シンデレラに立ち向かった警官は一人を除いて水晶のような氷に閉ざされて凍死、最後の一人はというと竜巻に巻き上げられ、上空では氷の刃に体表面をずたずたにされた後に墜落して絶命したと言う話だった。
「ほんの数分でこんだけの被害や。起きとることの重大さは、分かってくれたか?」
映像が止まり、数秒の沈黙が訪れていた。それを打ち払うかのように、琴割総監が私たちに問いかける。返答できる者は一人としていなかった。誰もが今映像で見た光景に慄き、沈黙を守っていた。
それはきっと、その危険性を認めて怖いとでも言おうものならば立ち向かう気骨が折れてしまうと、分かっているようでもあった。だが、強がるほどの自信は、あの映像を見た後には中々持てない。
警視総監が質問してから、また一分ほどの時間が流れる。誰もが、呼吸をすることすらはばかっているようだった。首を回さず、目だけきょろきょろ動かして、誰か何とか空気を変えてくれないかと期待する。私はそんな中、落ち着きなくキョロキョロ見回すのでなく、隣に座る兄の様子を一心に窺った。しかし兄さんはというと、まるで意に介した素振りも無くずっと黙っている。他の者と比べてみると、恐れすらほとんどしていないようだ。
「そしてこのシンデレラが表れたのはつい三日前の話や。その後の被害は出とらん。一応儂が睨みを効かせとる」
シンデレラはその性質上、真夜中の十二時になると必ずどこかへ姿を消す。そのため、初めてその残虐性が観測されて以来、シンデレラに狙いを絞って現世へ顕現してこないようにと独断で拒絶の能力を働かせていた。
「じゃがのー、そろそろ他の連中にバレんとジャンヌダルクの能力を使うのも限界や。せやからここに、フェアリーテイル対策課の結成を宣言する」
フェアリーテイル、お伽噺を指す英国の言葉だが、耳慣れぬ用語に私たちは皆首を傾げた。琴割総監の話によると、このシンデレラを例とするフェアリーガーデン出身の守護神、そのうち凶暴な姿となって世に害をもたらす存在を指すそうだ。
「待ってください、総監」
私はその説明に、何となく虫の報せが働いた。もう一度、同じ会議室に集められた面々の顔を確認する。兄や同僚の評判、警察学校時代の噂によって聞く限り『腕利き』『ベテラン』と呼ばれる面々が集まっていた。加えるならば、私自身のような『期待の新人』だろうか。実際に私に力があるかはさておき、私と共に戦う守護神、メルリヌスの序列は並み居る数多の守護神を差し置けるだけに高い。
そんな人間を数十名わざわざ集めて集団でかからねばならぬほど、シンデレラ一人が脅威になるとは思えなかった。そしてさらには、フェアリーテイルと言う総称の存在。総称が存在する、ということは。
「フェアリーテイルはもしかして、シンデレラ一人ではなくて……」
「お、ド新人のくせにええ勘しとるな、そん通りじゃ」
もう一つ映像があると言われ、次のビデオが再生される。今度の映像には音声も入っているようだった。動画が流されている間にも、琴割の説明は続いた。こちらの映像は、高速道路の入り口の監視カメラに映った映像だった。先ほどと同じくらいの映像の質で、画面の中心には多数の車が乱雑に散らばり、大渋滞の原因となっているようだった。
一体この映像が何だと言うのかと最初は油断したようなものだった。しかし、それは突然だった。内臓を揺らすような轟音が鳴り響いたかと思うと、画面の中心からやや逸れた位置、黒い煙と赤い炎を上げ、三、四台の車が燃え上がっていた。何事かと思っていると、急にガラスが割れる鋭い音が幾重にも重なりあい、オーケストラのように鳴り響く。何が原因なのかと思っていると、乱射された銃弾の雨あられが理由のようである。
嵐のような銃撃に、画面の中の車はどれも穴だらけになっていた。その昔昆虫の博物館で見た蜂の巣の様子によく似ていた。しかしそれと違うところと言えば、フロントガラスに背面ガラスが、運転手や同乗者の血潮で真っ赤に染め上がったところであろう。
「これが、フェアリーテイルcase2、赤ずきんや」
エンジンオイルに引火したのか、そのまま動力部が爆発を起こした車が数台吹き飛び、その隙間から少女の様子が顔を見せる。欧米の昔話に出てくる田舎娘のような出で立ちに、名前の由来になった真っ赤な頭巾を被っている。髪はおさげになっているようで、赤茶色の髪の毛の端の部分が、首の両脇からその顔をのぞかせていた。そばかすが浮き、あどけない少女の顔立ちだが、その瞳は先ほど暴徒と化したシンデレラと同様に、濁った紅に染まっている。その腕には藁で編まれたバスケットを下げており、その中からはパンとワインボトルとが顔を覗かせていた。
「あーあー、これがカメラ、ってやつっすかね。どもども、あたしの名前は赤ずきんっす、以後よろしくお願いしまーす」
まるでスポーツ選手が試合前に敵チームのメンバーと朗らかに接するような態度で、監視カメラの方を遠くから真っすぐに見据えて彼女は名乗った。その背後には、おそらく守護神ジャックされたであろう女性が、気を失って倒れている。彼女一人だけが傷一つ負わず大切にされているのは、そうとしか考えられなかった。我々に宣言するようにして、赤ずきんはカメラに向かって指さしている。
「今まで全然あんたらの前に出てこなかったあたしたちっすけど、今日この場で赤ずきんの名において宣戦布告するっす。赤い月の加護にかけて、私たちフェアリーガーデンの守護神は人間界へ進行することになったんすよ。そんな訳で、あんたら全員近いうちに……」
背後に一人残っていた一人の方を見て不敵な笑みを浮かべる。狼さん、と呼びかけると、飢えて涎を滴らせた、凶悪な顔つきの狼を呼び出した。灰色の体毛に覆われているが、その牙と爪だけは黒ずんで汚れていた。その体長、体高はおよそ現存するどの狼をもはるかに上回る巨躯だった。そんな狼が飼い犬のように赤ずきんの命令に従い、その大きな口をがばっと開いた。鋭利に尖った、殺傷力の高いナイフのような牙が何本も顔を見せる。そのどれもが地で汚れており、そのおぞましさに私は何となく身震いしてしまった。
その口はというと、赤ずきん自身が守護神ジャックを行った女性の方へと向いていた。
「こうしてやるっすよ」
大きく開いたその口で、狼はその女性を一瞬で丸呑みにしてしまった。鋭利な牙で咀嚼するようなこともせず、蛇が卵を呑むようにして丸呑みにする。
「猟師のおっちゃん、よろしくっす」
彼女の背後に、髭を蓄えた大柄な男が現れる。羽根つきの帽子を被り、土や木の幹といった背景に紛れられそうな茶色の服に身を包み、猟銃を構えている。先ほど銃撃を狂気すら感じるほどに乱射したのはこの男かと察する。それはまるで、守護神赤ずきんにさらに契約している守護神のようであった。
赤ずきんの人差し指は、依然こちらを指したままだった。
「それじゃ、また会うそん時には、覚悟するっすよ」
バン! と呟いて彼女は指し示した先にあるこちらを打ち抜くようなジェスチャーをした。それを合図として、髭面の漁師は引き金を引く。画面の暗転とほとんど同時に、銃の火薬が炸裂する音が鳴り響いた。
そしてそれが、私たちと彼女との戦争の始まりを告げる雷管の号砲のようであった。