複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.21 )
- 日時: 2018/03/06 00:27
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
その病院は個人が経営していると聞いていたが、その割には広いものだった。確かに生まれ育った地の市民病院なんかと比べたら小さいかもしれないが、十分病院と呼ぶに値するだけの広さだ。何かその昔悪いことでもしたんじゃないのかと、兄さんが茶化すのを窘める。
たまたまそこを通りがかった看護師長さんが知君くんのところまで案内してくれる。私達の母、くらいの年齢だろうか。皺が走りつつあるが、まだまだ凛々しく生気に満ちている。戦場にこそたっていないものの、その雰囲気は歴戦の猛者といった貫禄があった。
病院だったら、それも変な話でもないのかもしれない。人の死に触れる機会があるという点では、病院も戦場も同じだ。人の死んだ姿というのは何となく恐怖を思い起こさせる。それはきっと、いつか自分にやってくるという覆しようのない絶対を突き付けてくるみたいで。だからこそ怯えるし、成長するんだ。
まだ私は、人が死ぬ場面を……殺される場面を目にしたことが無い。それはとても運のいいことで、幸せなことだ。だから、思う。果たして私がそんな景色を目にしたとして、この看護師長のようになれるのだろうか、と。
無心で歩く。兄はずっと、先導する彼女と話していた。知君くんの様子はどうだとか、もう二時間ほど前に目を覚ましただとか、そんなやり取り。用意してきた見舞いの品が無駄にならなくてよかったと言う。ここに来るより先に、その辺りのデパートで洋菓子を買ってきていた。甘いものは好きだったはずなので、きっと喜んでくれるだろう。ほんと、女の子みたいだ。
可愛げという言葉はきっと、私よりも彼の方が知っているんだろうな。
「おっすー知君」
他の患者と明らかに管理するように作られた棟、そこに知君くんは居た。長い廊下を抜けて訪れたその病室は最大四人が収容できるようで、小柄な知君くんが一人寝ているだけなのはやけにガランとしているように思えた。
本を読む知君くんに、明るい声で兄が話しかける。イヤフォンをつけていた彼は足音には気が付いていなかったようで、呼びかけられたその声にようやく、私たちが来たと気づいたようであった。
「奏白さん、真凜さん!」
にこやかに本を読んでいたと思ったが、私たちの顔を見たとたんに、彼の表情はパッと明るく輝いたようだった。充分に和やかそうだと思っていたさっきの表情が途端に退屈そうに思えてくる。こんなに喜ばれると、日頃邪険に扱っているのが申し訳なく思えてくる。邪気なんて何一つない、とても暖かい笑顔を見せてくれた。
何でこう、この子は。嫉んで、妬いて。敵視しているこの私が、情けなくなってくる。けれどもきっと、彼自身はそんなつもりなんてない。勝手に彼と私を見比べて、情けないと私を笑っているのはきっと、奏白 真凜に他ならない。
嬉しそうに私たちを出迎えた様子は、昨日の暴君ぶりを忘れさせる。そうだ、知君くんという人間は丁寧さと、優しさと、温かさと。人々の善良なところをかき集めて、それらが不協和音を起こさないように奇跡的に積み上げられた何より美しい建造物のようなものだ。
私は彼の事を認めなかった。折角助けに来てくれた彼を突き放すように言って。それでも彼は、私を助けるために戦って。けれどもネロルキウスを呼んだ彼は、傍若無人な王と変わらぬように傲慢な口ぶりで。一体、どっちの姿の彼が本当の姿なのだろうか。あの姿が、本当の彼で今見せているこの表情は猫を被っているだけなのだろうか。分からない。
ただ一つ言えることは、私が彼の事を仲間と言えない理由が一つから二つに増えた。
「真凜さん?」
不安そうな知君くんが私に呼びかける。少しの間、ぼうっとしてしまっていたみたいで、呼びかけられても私はまるで返事なんてできなかった。ほんの少し首を傾げて、その様子がまた何か不安を呼んだようで。彼自身をも不安にさせてしまった。
いけないなと己を叱咤し、切り替える。私が彼を遠ざける理由の一つに、彼が護るべき人々の一員だからというものがあるのなら。私のこのふわふわした煮え切らぬ態度が彼を不安にさせているのなら、その不安すら私は彼から取り除かねばなるまい。
だって私たちは、人々を不安や恐怖から守るためにいるのだから。
「ごめんなさい。今日、ちょっとね……」
言いながら、今朝交戦した相手のことを思い返した。散々、他人に恐怖を与えて、人々の暮らしをぶち壊して、自慢げにしていたあの男。取り逃がしたことは雪辱であるし、あれだけの力を以てして、人を救う道でなく傷つける道に走ったと言うのが許せない。
思い出すと、その想いが今度は怒りを呼び起こす。そうだ、どれもこれも。私が苛む出来事全て、それは己の無力によって引き起こされている。だったら私はこれ以上強くなるよう努めるしかない。
けれども、どうしたらいいというのだろうか。強くなれるだけ、強くなったとは思う。状況判断力はこれから一層磨こうとは思うがもう、いつの頃からか私の戦闘技能は頭打ちだった。
「何か、悩んでますか?」
「……別に。君には関係ない」
「関係あります。僕だって仲間ですから相談くらい……」
「相談は兄さんで間に合ってる」
まただ。また語調が強くなる。こんな風に言うつもりなんて無いのに。いつもいつも、何に苛立っているのだろうか。認めてもらえない、その事だろうか。あるいは兄さんにいつまでも追いつけない自身の至らなさだろうか。この子が兄さんからの信用を簡単に得ていたからだろうか。あるいはその全てか、私には思いつかないことなのか。
「そう言えば、メルリヌスと話したことはありますか?」
「……あるけど、それが?」
「能力については、どの程度聞いていますか」
「初めて会った時に、未来予知と攻撃ができるって教わったわ」
「どの程度の攻撃性能がありますか?」
「知らないわ、聞いてないもの。とりあえず自分でいくつか攻撃方法は見つけてる」
魔力の光線と砲弾、その程度だ。唯一付け加えられるものがあるとすれば、着弾後に爆発を引き起こす性質くらいであろうか。炎や雷といったものを使える訳でもない。一番メルリヌスをメルリヌスたらしめる未来予知と組み合わせ、回避不能、あるいは回避後にも襲い掛かる攻撃が特徴。
ただし、思う。予知が無駄なほど早い敵、予知したところで防ぎ得ぬ一矢、当てたところで効果の無い一打。きっと、フェアリーテイルとの戦いにおいて、そういった守護神と戦うことは珍しくないだろう。だとすると、私が今後誰かの役に立つことなんてあるのだろうか。
私が、誰かから認めてもらえることなんてあるのだろうか。
「それ以外メルリヌスとする会話なんて、彼女の趣味好みくらいよ」
「そうですか……だとすると、メルリヌスとの会話が大事かもしれません」
「守護神との、会話……?」
「はいっ!」
自分でも力になれる。そう思ったのか、不安げな表情からまた明るい表情を作った彼が言うには、私はもっと自分について知っておく必要があるのだと言う。正確には自分に力を貸してくれるメルリヌスのこと、なのだけれど。
「多分、メルリヌスにはもっと沢山できることがあるはずです」
「それを、彼女に聞けってこと?」
「そうです。そしたら真凜さんは、もっとずっと、すごい捜査官になります」
「そう簡単にいくといいわね」
夢物語だった。守護神と会話する、そんなこと思ってもみなかった。守護神というのは、ビジネスパートナーと呼び表すのが最も妥当だ。彼らは現世を見たがって、その代価として能力を私たちは借り受ける。メルリヌスは確かに、自分の興味や好みに従うように私に指示するけれども、それだけのもので、友人のように語らい合うだなんて考えたことも無い。けれども、そうするべきだと彼は言う。
全部分かり切った風にして語るその様子が、大人への階段を上り始めた子供のように見えるけど、どうしてだかその言葉を信じてしまう。彼ならあるいは、どんなことでも知っているのではないか。彼の言うことは間違っていないのではないか。そんな風に思えてならなくて、けれども彼の言葉を聞いてしまうのは、何だか今のやり取りが仲間に悩みを聞いてもらったような気がして。私はそれを払いのける。
「気が向いたらそうするわね」
気が向いたら。時間があれば。できそうなら。人が成長する時に見せる、最大限積極的な姿勢を見せた上での否定の言葉。気が向くときも時間に恵まれるようなことも、できそうな場面が、結果として永遠にやってこないだけ。そうやって言い訳してさも自分にはその気があるようなふりをして、逃げる。
ずるい大人になったことは自分でも分かって、胸の奥がズキリと痛む。何より辛かったのは、きっとこの子はその言葉の意味なんてとっくに知っていて、それでも笑顔でいることだった。たとえ自分の尽力が無駄になってもかまわないって、いつかは届いてくれるかもしれないって、そうやって納得させているように見える。
彼のためを想うなら。きっと今からでも守護神アクセスしてメルリヌスと言葉を交わした方がいいのだろう。けれども、俗物的なこの私が優先してしまったのは、己のプライドだった。
ベッドの脇に、手土産の見舞い品を置いて逃げるように背を向ける。わざわざありがとうございます。背後から聞こえる声が、痛くて痛くて仕方ない。
彼を仲間と思いたくない、三つ目の理由ができた。私自身が、惨めでならないからだ。彼よりもずっと子供で、みっともなくて聞き分けも無い。
病室を出る。ずっと、顔は伏せたまま。私達をここに案内してくれた看護師長さんが戻ってくる。後ろには、知君くんと同じ制服を着た少年が一人。彼は何だか、私と同じような表情をしていた。
それはきっと、嫉妬と羨望で。その二つの感情の矢印は、揃って知君くんの方を向いていて、だから気づいたのだと思う。すれ違う。彼は私達二人の顔を見て何か思うところがあったようだ。そう言えば、今朝にはもう自分たちのことが報道されていた。朝テレビで見た二人だ、とでも思われたのだろうか。
廊下の曲がり際、ふと兄さんが私の顔色を窺うように尋ねた。
「真凜、何か丸くなったか?」
「いえ、そういう訳では……」
確かに昨日以前の私であれば、先ほどのような提案を彼からされた際には、もっと強い意志と言葉とを以て反論していた。君なんかに心配される必要なんてない。知った顔でしゃしゃり出ないで。そんな風な言葉をぶつけて、傷ついた彼の顔に後から勝手に落ち込んで。落ち込んでいいのは、私じゃないと言うのに。
私の態度が変わったのは、昨日彼の能力に触れたからで間違いない。我ながらとても現金だと思う。今までアヒルの子だと侮っていたのが白鳥だったようで、雀だったと思っていたら爪を隠した鷹だった感覚。自分を打ち負かしたアリスを屈服させた彼は、間接的に私をも屈服させたに等しかった。誰よりも近いところであの荒々しい姿を見た私は、彼に対してどのような態度をとればいいと言うのだろうか。
もう、何も分からない。