複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.27 )
- 日時: 2018/03/20 11:13
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)
File4 セイラ
「その、話があるんだ……」
「はい、どうしましたか?」
無垢な笑顔で尋ねる、緑色の髪をたなびかせた人魚姫。彼女は目の前の少年を真っすぐと見つめていたが、そちらの少年はと言うと気恥ずかしそうに目線を泳がせていた。街を流れる河川、その河川敷をずっと北に向かって進んだところ、ランニングをする人も通らぬような場所に二人は居た。
二人、という表現は果たして正しいのだろうか。人魚姫はその名の通り、下半身が魚という面妖な姿をしていた。この世ならざる異世界の住人、通称守護神。西日を受けて煌く彼女の黄金の瞳はとても幻想的で、ただでさえ美しい彼女をより一層引き立てていた。
人の気配が近づいている。誰かが歩み寄る空気を察知できるのか、人魚姫はそう少年に伝えた。話があると切り出した少年は、本題に入ることができぬままに、人魚姫を匿うために手を伸ばす。彼女が常人に見られないようにすることなど、二人にとってはもう朝飯前の事だった。とはいっても、ほんの十分程度誤魔化すのが限界だが。
二人そろって相手に向かって手を伸ばす。躊躇うように空中で止めた少年の手を、怪訝そうに人魚姫は掴んだ。柔らかい手に包まれて、無意識のうちに心臓が飛び跳ねる。決して顔色に表れないように注意して、彼は人魚姫と声を重ねた。
「守護神アクセス」
彼の目に映る人魚姫の姿が、半透明に薄らいで、彼の中にそのエネルギーが満たされる。まだ少し、この身体能力の変化には慣れられそうにないと、手を握ったり開いたりした感触を確かめた。
歩み寄ってきたのは、一人の女性だった。女性とはいっても、胸部の膨らみと長い髪が女性的だと判断しただけで、その出で立ちは奇妙、あるいはダサいと言えた。顔を隠したいのか、マスクとサングラスをつけているのはこの時期にしては非常に暑苦しそうだし、長袖長ズボン、それも真緑のジャージを着ている。少年としては参考にしたくない出で立ち。髪の毛が明るいブラウンで、歩く度に揺れる。
まるで何かから隠れて逃げるように、こそこそと歩く。ふと彼女が少年たちの方を振り向いて少しの間足を止めた。彼女からはきっと、彼が一人で夕暮れの河川敷に黄昏ているように見えることだろう。そりゃ少しは人目を引くのは仕方ないか。彼女がその顔を隠しているサングラスを外し、ほんの少し素顔を覗かせる。
煌びやかな黄金の瞳。それは彼の契約する守護神、人魚姫の目とよく似ていた。ぱっちりと大きく開いたその瞳、長い睫毛、ほんの少し除いただけでも分かる、堀の深そうな目鼻立ち。ハーフか、外国人か。そのいずれかであると察せられた。その肌の色は夏の日本人にしては驚くほど白く、欧州の人間だろうかなどと考える。
どこかで、彼女を見たことがあるような。少年も、人魚姫も同じことを考えた。それが誰なのか分からないうちに、彼女は再びサングラスをかけて。元のような不審者らしい人相に戻ったところで、思い出したようにそそくさと散歩を再開した。
散歩というより誰かから隠れ、逃げているようにも見えた。
「どうしたんでしょうね、彼女。……王子くん、聞いてますか?」
「あ、ああ! うん、聞いてるさ」
「ほんとですか? さっきの人、美人さんだったから見惚れてたんじゃないですか?」
ほんの少し不機嫌そうな彼女が、少年を詰問するように呼び掛ける。王子 光葉、彼が人魚姫と出会ってから、もうすぐ一週間が経とうとしていた。にも関わらず、彼ら二人が会って言葉を交わせるのは、平日の放課後一時間程度と言ったところだ。それ以上は、家族が訝しむことだろう。
昔からずっと嬉しいことであり、今だって誇らしいことなのだが、今回に限っては家族に二人も捜査官がいることが少々疎ましかった。それも、二人ともフェアリーテイルの対策課。
「まあ別に、王子様が他の子見てるのなんて慣れてますから構いませんけどね」
投げやりな態度で人魚姫は王子を見下ろすように宙を泳ぐ。アクセスしてしまうと彼女は実体のほとんどを失うようで、まるで幽霊のように自在に空中に浮かぶことができた。ただ、契約者である王子から離れることはできない。精一杯の抵抗と言えば、上の方から睨むように険のある目を向けるくらいだ。
悪かったよと、王子は謝る。
「ほら、やっぱり」
「違うって、あんな変な格好のやつ見たら驚くだろ」
半分は本当だった。常日頃、苗字に負けないように身だしなみに気を配る彼にとって、あんな奇天烈な格好、関心が奪われてならなかった。だから初め、我を忘れそちらを凝視してしまった。
もう半分は嘘だった。見惚れてしまっていたのは事実だ。けれども、その続きだけは絶対に口にすることができず、目を奪われた事実を認める訳にはいかなかった。
何せ黄金の瞳に、整った目鼻立ちである。目の前にいる彼女とよく似たその容姿に目を奪われた。彼女と似ていなければ、先ほどの女性が如何に美人でもあんなに興味を覚えなかっただろうとは王子も思う。
「謝るよ、だから機嫌直してくれ、セイラ」
セイラ、それが人魚姫の本名であった。あくまでも人魚たちの姫だからそう呼ばれているだけで、それそのものが名前ではない。単なる称号だ。出会って翌日、何と呼んだものか分からず、人魚姫と何度か口にしたところで、彼女が自ら王子にセイラと呼んでくれと頼んだ。
それにしても、わざわざここまで人目を忍んで逢瀬せねばならないというのが煩わしくて仕方がなかった。王子自身は、セイラと会えるため苦にも思っていないが、それでももっと自由に会いたいと願ってならなかった。
頬を小さく膨らませた彼女と目が合う。やっと目が合ったと、王子の意気地なさを指摘する。今まで、こんな風に女性と接したことがないため王子にはこれがいっぱいいっぱいだった。というのも、今まではずっと夢を追いかけ、夢だったものを考えないようにして、自分を磨くことだけを考えて生きてきた。こうやって、人を好くこと自体が彼にとっては新鮮なことで、ままならない感情に、揺さぶられる。
ずっと諦めていた目指す自分にたどり着く希望、それを与えてくれた彼女に惹かれたのは至極当然のことで。さらにはそれより早く、気恥ずかしいセリフをいくつも彼女に告げてしまったという事もあり、もう恋慕の情が高まって仕方がない。その顔を見るだけで、全身が火照る。心臓がいやに強く跳ねる。全くの未知の経験が、こそばゆいながらも心地よかった。
「それで王子君、言いたいことって何ですか?」
「あ、ああそれは……」
急に変な人が来たから忘れてしまっていたと、冷や汗を浮かべる。さっきは彼女にある提案をするだけの覚悟を決めていたため、何とか切り出せたが、その勇気も仕切り直しだ。また、自分の意気地ない性格が、ピンと真っすぐ背筋を伸ばすまで待たねばならない。
けれど、既に一度機嫌を損ねてしまった彼女に、これ以上情けない姿は見せられない。震える手を握りしめて、彼は緊張で裏返りそうな声を、河原に響かせた。
「今度の休み! 何とか一緒に、出掛けられない、かな?」
無理だろう、とは彼も察していた。自分たちの接続は持って十分。激しく動くほど早くアクセスは中断される。ここから目的地に向かう途中で、下半身が魚類の、異形の美人が唐突に街中に現れることになる。
かといって、最初から堂々と引きつれるわけにもいかない。何せ世間ではフェアリーテイルが暴れている。先日問題になったのは、アレクサンダーという普通の守護神とその契約者が渋谷を焼け野原にした事件だったが、それでも世間の注目はフェアリーテイルに戻っている。そんな情勢で人魚姫を大衆の前に連れ出したらどう思われることだろうか。必ず、悪さをすると思われることだろう。
そんなはず、絶対に無いのに。
だから、彼女のためを想うなら連れまわさない方がいいだろう。けれども、王子の本心として、彼女と共に過ごす時間をもっと得たいというものがあった。
断られても構わない。もしそうなら、いつも通り人気のない水辺で人目を忍んで会うだけだ。しかし、意外にも人魚姫はあっさりとその申し出を受け入れた。
「いいですよ。というより、私も王子君の隣で歩きたいです」
両手を胸の前で合わせて、小首を傾げてほほ笑んだ。教室のクラスメイトがそんな仕草をすれば、あざといとしか思えないのに。目の前にいる幻想の国の住人は、その振る舞いが誰よりも似合っていた。
「えっ、大丈夫なのか」
「ええ、一応足を生やす手段ありますし」
「生やす? 生やすって……?」
足を生やす。そんな言葉は全く予想だにしていなかった。セイラは、王子の混乱を何とか鎮めるために、説明を続けた。
「絵本にも出てきますよ。ほら、魔女との取引です」
「あっ……」
そう言われて、彼はようやく人魚姫が言っている事実に思い至った。かつて読んだ人魚姫の物語を思い出す。王子様と出会うため、人間のような足が欲しいと魔女に縋った人魚姫。彼女が対価として差し出すよう要求されたのは、その美しい声だった。苦渋の選択、しかし彼女は足をとった。願いを聞き入れた魔女は、己のしわがれた声と彼女の艶やかな声とを引き換えに、彼女に足を生やしてみせたのだ。
「ただ、その姿だと、声が出せなくなってしまうんですけどね」
そんなところまで原作を再現しなくてもいいのにと、彼女は唇の隙間から舌先を覗かせる。その姿も、何だかとても愛おしくて。いつも彼女と会う時は、夕焼けが眩しくて本当によかったと思う。夕日が赤く照らしてくれないと、その顔が常に火照っていることがばれてしまいそうで。
かくして、二人は週末の約束を取り付ける。人影から逃げるように行った守護神アクセスもとけて、人魚姫は再び川の中に潜り込む。とぷんと音を立てて水柱が一つ。
「それじゃ、また明日も会いましょうね」
笑顔と共に王子を家へと送り出す。その眩しい笑みを全身に浴びて王子は家へと進み始めた。誰もいないように見える、オレンジ色に染まった河川敷に、彼らの影が伸びていた。しかし、その場にいる部外者は一人もいないと思っていたのはこの二人だけで、去ったと思った彼女はまだ残っていた。
変装用のサングラス、マスクを外して素顔を晒す。自分を追う影も見えないのでもういいだろうと暑苦しいそれらをポケットにしまった。腕をまくり、真っ白な肌を露わにする。
金色の瞳が、帰路につく王子の背中を追う。紫のルージュが染める唇が、そっと動いた。
「あれが、人魚姫の契約者」
その声は、誰に届くことも無いまま、景色に溶けいるように消えていった。