複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.31 )
- 日時: 2018/04/03 20:08
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: .HplywZJ)
沈黙が、三人と人魚姫との中に訪れた。ソフィアは納得したとはいいがたい表情で王子の顔つきをじっと観察しているように思えた。この女は本当に、自分の言った言葉を理解してくれているのだろうか。疑わしくも思えるが、正直に思うところを伝えた彼は目を逸らさない。
とても長く感じる数秒間、それが過ぎた後にソフィアはさも興味深そうな笑みを浮かべた。実際に彼女は、君も面白いね、そんな風に王子に呼びかけた。
「いいわ。どのみち会場には向かうつもりだったし」
「やけにあっさりだな。一週間近く行方くらませた割には」
「まあね。人探しもしてたから」
誰を探していたかは教えるつもりはない。そう言外に告げるように、拘束を解かれた途端に王子には背を向けた。不安そうに見つめていた父親の方を振り返る。東京ドームまで一気に送って欲しいと彼女は英語で呼びかけた。
罰金を支払うのが面倒だとも感じたが、スケジュールに支障が出るほうが問題だ。ソフィアの父はphoneを取り出す。旧式の、折り畳み式のものだ。かなり年季が入っており、水色の塗装がはげかけている。彼の妻、要するにソフィアの妻との思い出が詰まっているためまだそれを手放せないというだけだが、王子がその訳を知る所以も無い。
「Come on、フーディーニ」
その守護神は、かつて伝説のマジシャン、脱出王と呼ばれた男の名前だった。それゆえ、現代的な脱出劇で見せるマジックの一つ、瞬間移動を行う能力を持っている。マントのような大きな布にくるんだ己の身体や任意の物体を、別の地点へと転送する能力。
今一ソフィアが時間に関して慌てていないのが気がかりな王子だったが、巻き込んだ詫びとしてその能力を耳にして、ようやく納得した。守護神に関して人一倍興味の強い彼に対して特異的に機能する詫びだったが、当然てきめんと言えた。
ソフィアの父がスーツの下から取り出した薄い布、それをマントのように扱って。ぐるりと、密着した娘の身体ごと自分を包み込む。真っ黒な布地の内に二人の身体は消えた。人影のシルエットのようなものが浮き出ていたと言うのに、まるでそれは地面に吸い込まれるように下へと落ちていった。
ぱさり、小さな音を立てて残された布をめくっても、もうその下には誰も残っていない。
「一件落着か」
能力を解除し、誰ももう周りにいないことを確認する。念のため、川のすぐ傍へと近寄って、より一層周囲が閑散としていることを確認してから守護神アクセスを解除した。時間ギリギリだったようで、慌てるように接続が中断、足を生やした姿も限界だったようで、音を立ててセイラは元の姿で水中に飛び込んだ。
しかし彼女は、やけに訝し気な表情を浮かべていた。というのも、ソフィアと父とが何事も無く和解して、会場へと向かった辺りからだ。
どうかしたのかと王子が呼びかける。薬の効果が切れているため、セイラも流暢に言葉を発することができた。
「あの人、絶対に変です」
開口一番、セイラは断言した。何が、などと王子が尋ね返す必要もなく、自ら不可解だと思ったことをつらつらと挙げ始める。
「父親からあの人は、どうして逃げていたんですか」
「お母さんと会いたいからって言ってただろ?」
「会って無いじゃないですか」
「だって一週間も行方不明らしいぞ。その間に会ったんだろ」
「じゃあ、逃げる必要なんてどこにも無かったじゃないですか、今」
あっ、という間抜けな声を上げて、王子は沈黙した。確かに、もう目的を達成したと言うなら、さっきみたいに易々と引き下がると言うのならば、初めから逃げる必要などどこにも無い。むしろ、自分からその迎えを受け入れるべきだったはずだ。実際に、王子が諭した後に彼女は、何も自分の望みを達成することなくあっさりと引き下がった。
「それに彼女、王子くんの反応を窺っていました。あれは絶対、王子くんの事を調べるために来たと見て間違いありません」
「そんな訳ないだろ。俺はただの高校生だぞ。世界的に有名な歌姫が注目する訳……」
「ただの高校生ではありません」
これは冗談でも、根拠のまるでない憶測でもないと伝えるように、セイラは王子に呼びかける。震える声で、どこか覚悟を決めるようにして。
初めは私も気にはしていませんでした。けれども、彼女たちが怪しいと思ってから、気づいたんです。そんな風に切り出され、王子の心臓も荒れ始める。一体、何があったと言うのだろう。
そして直後に飛び出したセイラの声、今度こそ彼は目を見開いたまま、言葉を失ってしまった。
「あの人は王子くんを見て、貴方達と呼びかけていました。私の姿なんて、見える訳が無いのに」
これはその夕方の邂逅より、四時間以上経過した頃の話である。無事に開演直前に舞台へ到着したソフィアは、スタッフに多大な迷惑をかけた上で何とか予定通りに公演を始めることができた。彼女のコンディション自体はばっちりで、復活祭としては予想以上の成功をおさめることができた。
公演が終わり、楽屋で一休み。待ち望んだ歌姫の復帰を満喫したファンがほぼ全て帰ったであろう頃合い。スタッフも片付けが終わったため、明日の準備だけをして会場を後にした。残されたのはそれこそ、ソフィアとその父との二人だけ。
向かい合った二人の間には、我儘な娘とそれを咎める父と言う空気は無かった。むしろ、二人とも共通の目的を以てして計画に参加する共犯者、そんな風に殺伐とした無表情を顔に張り付けて。
お互いに、この一週間における調査の成果を交換している。その様子には、人々に愛される歌姫らしき姿は無く、世を恨む一人の人間としか思えなかった。
「ダディ、彼はどうだった?」
「ほぼ常に、ブラウンの髪の警官と共に歩いていた。こちらの事を察知しているのかもしれない。気が付けば巻かれていることが数え切れぬほどあった」
「厄介ね」
「まあな。彼も被害者のような者だから救わなくてはと思うが、まだ厳しい。……日本はどうだった?」
「最低、に程近い気分ね」
フェアリーテイル騒動が始まり、完全に鎮静化できた守護神はまだ二体のみ。その事を煽るような報道に、不甲斐ないと統治組織を叩くマスコミ。不安がっているように見えてのうのうと生活する民衆。
どれもこれも、自分がよければ他の人などどうでもいいと思っているような人々ばかりで。そんな事だから自分の母も死んでしまったというのだ。琴割、この国で警視総監を担う男、彼が自分勝手にELEVENの能力の行使を禁止さえしなければ、母の病気は治ったはずだ。
「一つ救いがあったとしたらあの少年かしら」
「お前が話してみたいと言った子か」
「ええ。彼は私と同じようなものだからね」
二人が会話する楽屋の近くを歩く足音。それが廊下に反響しているのが聞こえた。警備の人に頼んで、女の人が一人現れたらその人だけ通すようにと言いつけている。
楽屋の前で足音がぴたりと止まる。ここで合っているのかと少し考えているようだった。
入って欲しいとソフィアはドアの向こうの彼女に告げた。了承したという返事の代わりに、ドアノブを回す音が響く。
「彼は何となく、正義のヒーローという感じがしたわ」
「割と自分勝手なヒーローだがな」
「そんなものでしょ、ヒーローなんて。自分にとっての悪を討つなんて、我儘じゃないとできやしない」
「あら、誰の話をしているの」
入ってきた女性が、二人の会話に割って入る。薄暗い廊下の中で、赤く濁った両目だけが光っていた。その他の様子は暗がりの中ではまるで目立たず、明るい楽屋の中からは見えなかった。
父親との会話をそこで止めて、ソフィアは立ち上がる。お姫様は迎えに行かなくちゃねと、自らの通り名も忘れて出入口へと向かった。
「あなたの友人、その契約者よ」
「へえ、契約者と出会えた守護神が、私以外にもいるのね」
「そうね。彼の心は強そうだったわ。いい子を見つけられたみたいよ」
「そんな事はどうでもいいの。ソフィア、私は貴女の返事を聞きに来たつもりなのだけれど」
私と共に、戦うか否か。それを決める期日がこの公演の初日だった。正確にはそれまでに日本を見て回りたい、その後に決めたいというソフィアの意思を、暗がりの向こうの彼女は受け入れた。
能力の行使は強い心を以てしての方がよほど強固に施行される。そのためには、契約書となり得るソフィア本人の意志が何より不可欠。彼女にとって、ソフィアは絶対に断らないであろうと言う確信があった。それゆえ、数日の猶予を与えたのだ。この国にあだなすために力を借りる、その了承を得るための。
そして、待った結果はと言うと彼女の望むままに進んだ。
「ええ、受け入れるわ。私はやっぱり、復讐したい」
「嬉しい返事ね」
これで契約は成立したと、闇の中から彼女は手を伸ばす。ソフィアはその手をとって握りしめる。まるでじぶんのものと瓜二つな、細く透き通った白磁のような腕。
「これからは、貴方もこちらへ来るの」
明かりの消えた暗い廊下に、彼女はソフィアのことを引きずり込んだ。世界が暗くなり、何も見えなくなる。しかしすぐにその暗闇の中に目は慣れていった。そうして目の前に立つ守護神をよく見る。ガラスの靴を履き、純白のドレスを身に纏い、自分と同じ茶色の髪が真っすぐ地面に向かって伸びている。
そしてその顔は、まるで鏡を見ているかのようにソフィアとよく似ていた。そう言えば人魚姫もこのような顔立ちだったかしらと、ソフィアは考える。自分と瓜二つの彼女が、人魚姫と少し似ているということは、自分も人魚姫と似ているのだろうな、そんな事を考えたりして。
「さてと……準備はいい?」
「ええ」
「十二時の鐘が鳴るまで、もう後一時間も無いわね」
自分が能力を使うことができるのは、日が昇り、深夜十二時までの間であると彼女は言う。どちらかと言えば日をまたいでから、太陽が昇るまでの間は能力を使えないと言うべきであろうか。
だが、あまり猶予が無いとはいえ、今日と言う日を記念すべき日とするために、そうせざるを得ない心持だった。自分にもまだこんな感傷的な心が残っていたのかと、真っ白なドレスに身を包んだ彼女は微笑んで。
「準備はいいかしら、ソフィア」
「ええ、遅くなったけれども舞踏会を始めましょう、灰被り」
「その名は好きじゃないの、やめてくれる?」
「分かってる。冗談よシンデレラ」
フェアリーテイルとして、初めて地上に降り立った守護神。彼ら彼女らの首領にして、最も強いと言われる、お伽噺を率いる姫君。全世界で愛される、ハッピーエンドの幸せな女の子、それは世界中の誰もが羨むような、サクセスストーリーの主で。
あまりに近似した二人の声が、暗がりの中で重なった。それはまるで、たった一人の女性が口にしたように聞こえるほど、ぴたりと同じ声色が重なった。
「守護神アクセス」
シンデレラから力が抜けて、純白のオーラとなってソフィアの全身を覆う。それと同時に、さっきまでシンデレラの来ていた真っ白なドレスを同じようにソフィアも身に纏った。凍えるような冷たい空気を身に纏う。
これが、人魚姫の能力か。ガラスの靴を履いた足、それを容赦なく宙を切るように振り抜く。守護神と接続している間は、強固な肉体を一時的に得る。その話は本当だったのかと確認した。
「行こう、私たちの初夜を迎えに」
半透明の姿になって、背後に漂うようにして見ている、シンデレラに呼びかけた。よろしく頼んだわよと、期待を込めて彼女は呟いて。
「ええ、急ぎましょう。十二時の鐘が鳴る前に」
世界に誇るギリシャの歌姫、その金色の瞳が真っ赤に染まる。復讐の炎に焦がされるよう、彼女の理性も破壊衝動に食い荒らされる。
惨劇の夜が、更けていく。
File4 hanged up