複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス【File4・完】 ( No.32 )
- 日時: 2018/04/06 18:57
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
焼け野原となった渋谷、それは人為的な事件によって破壊しつくされた。昼夜を問わず急速に復旧が続けられているが、その進捗は未だに芳しくない。地下こそほとんど被害を受けていなかったが、地上はほぼ全ての建物が倒壊、戦火に包まれがらくたと成り果てた。そのため、たかだか一週間程度経ったところで復旧の目途などさらさら立つ訳もなく。
物資の搬入に、建築物のデザイナーの登用。この建築工程で進めて問題ないか設計図とにらみ合う人々に、実際に現場を復旧する大工の人々に多量の重機。何もない復興待ちの渋谷ではあるが、それゆえに多くの人々が集っていた。汗水とそして時には血を流し、出来得る限り急いでその修復作業を進めていく。
近日世間を騒がせていたのは人間でなかったと言うのに、今回この惨状を作り出したのは他ならぬ人間であった。せめて人間だけでも手を取り合う必要があるってのに。セットされたブラウンの髪をくしゃりと握りしめて、奏白 音也は溜め息を吐いた。そう、この場所は多くの人間が集まる場所となっているのである。
そして、巷を騒がせる、フェアリーテイルと呼ばれる暴走した守護神。彼らはより大きな被害をもたらそうとして、人が多く集う場所に現れる特徴がある。そして、復興途中の大都市と言うのは、そういった連中が狙うにはうってつけの場所だった。
だからこうやって、警備で見張ってるんだよな。奏白は、目の前に現れた初対面の守護神に溜め息を吐いた。これは、星羅 ソフィアがシンデレラと契約をかわす、三日前の出来事である。
現れたのはかつて一度だけ観測されたフェアリーテイル。Case14、浦島太郎。おんぼろの布を身に纏い、貧相な竿を肩にかけている。アリスと同じタイプで、本体はそれほど頑強でないタイプ。ただその代わり、強力な兵を従えている。
人間と同じ骨格を以てして、各々が銛のような武器や刀を手にしている。どちらかというと、銛のような三叉の槍を握りしめている兵が多いだろうか。そしてその兵たちは一様に、頬の辺りと脇腹と、肘から先の腕を鱗で覆っていた。身に着けている者と言えば、海草で編んだようなパンツのような履物ぐらい。
人魚のような鰭は持たず、二足歩行でしっかりと地に足をつけていた。
「狼藉者を薙ぎ払え、魚人兵共!」
「狼藉者はどっちだよ」
ただ、トランプの兵隊と比べて、この浦島太郎は弱いと言えた。正確には魚人兵と呼ばれる軍隊が、トランプの兵隊よりも弱いのだが。妹からの話を思い返す限り、おそらくはアレキサンダーの呼び出す兵よりも一体一体は強いのであろう。しかし、それに比べると数は大したこと無い。
なるほど、真凜に引き続き俺もリベンジの機会がもらえるって訳か。得意げに、その端正な顔に笑みを浮かべる。後ろには、建設工事中の沢山の民間人。一応、危険な場所で作業しているということは彼らも理解しているだろう、だがだからこそ、自分の職務を全うし、彼らを護るべく浦島太郎を討たねばならない。
「来いよアマデウス」
Phoneにより、守護神をその身に宿し、能力を行使する。オーラが彼の身体にまとわれ、全身から力が漲ってきた。鯛に鮃、鮫に鰈、さまざまな魚を模した魚人の兵隊が、舞い踊るように襲い掛かる。破壊衝動に理性を食いつぶされているだけあって、本当にこちらの陣営を崩壊させた玖波数にものを言わせて工事現場を叩けばいいものを、全て奏白に向けて敵意を向けていた。
そうこなくっちゃあ楽しくねえ。前方あらゆる方向から三叉の槍や日本刀やらを振りかざす兵隊共を見据える。全く、ノロ過ぎて嫌になっちまう。降りかかる雨のような刃物の総攻撃。だが、それが奏白に届くことは無く弾き返される。桜色の鱗に覆われた鯛の兵隊が、やすりのような肌を持つ鮫の兵隊が、一様に突風を受けたように真後ろへと吹き飛んだ。と同時に、耳から突き抜けて脳まで劈くような、衝撃にも似た音波が周囲に反響した。爆発音にも似たとてつもない空気の振動。それは音と呼ぶにはあまりにも暴力的過ぎた。
まるで全身の細胞がばらばらに引きはがされても可笑しくないような強い振動。受けた兵隊たちはもんどりうって地面の上を転がるも、初めに受けた音撃があまりに強力でその痛みになど気づけない。
奏白が地面を蹴る、その音が届いた時にはもう、魚人の兵の目と鼻の先に奏白の姿が現れた。音速での移動を可能にするアマデウス、むしろ脳が音の刺激を感知するまでのラグのせいで、足音が聞こえたと思った時には腹に奏白の蹴りが突き刺さるように入った。
桜色の鱗に覆われていない鳩尾、そこを奏白の膝が射抜く。無理やり肺の空気が吐き出される感覚に、息苦しさを覚える。鯛をモチーフにした兵隊は、その顔を苦痛に歪ませて後方へと吹き飛んだ。息を吸っても吸っても酸素を取り入れていると思えないほどに息苦しい。腹部の痛みに喘ぐせいで、吸った傍から息を吐き出してしまう。
その様子を見て自分も同様にならぬよう構える他の兵、しかし。
「おっせーよ」
眼前に現れる男の微笑。気が付き、武器を振りかざそうとした時にはもう、その拳が顔面を捉えていた。顎をかすめ脳を揺らされた、細長い体躯の鰻みたいな髭を伸ばした兵隊が地に伏す。
次、次、次。目の前に積み重なるタスクを淡々と消化する、そんな風にして奏白は目の前一帯に広がる、浦島太郎が従える、本来乙姫の配下であろう魚人達を無力化して回る。
地面を蹴り、次の標的の正面に迫る音、そしてその肉を叩く鈍い音。それらが交互にアスファルトの上を彩る。彩る、と言っては少し血なまぐさいなと奏白は自分の脳裏における実況を指摘した。どちらかと言えば、赤と黒とで塗りつぶしている。
でも俺たちにも、護るべきものはあるんでな。
声に出さずに主張して、それを体で表すように、波のように次々と襲い掛かる兵隊共を、討って、蹴散らして、殴り飛ばす。他の者よりかは手強そうな魚人が立ち塞がる。やすりのような肌に、ナイフのような犬歯。鼻をひくひくと動かしている様子は獰猛な犬とよく似ていた。血に飢えているようなぎらぎらとした目。なるほど、この男はおそらく鮫だなと理解して。
殴ればその粗い肌に手が削がれそうだと判断し、咄嗟に体術で撃退しようとするのを律した。何が起きるか分かったものでは無い。殴って手の甲が血まみれになるような事があっては一大事、そう思った奏白は、代わりに掌をその兵士へと向けた。
念じると、強い音波の衝撃が掌を向けたその先に放たれた。進行方向を絞り、衝撃が分散しないような指向性の音波が立ち塞がる鮫男の体内を突き抜ける。目の前の空気に弾かれるような感覚、自覚したその力を裏付けるように、強い力に押された魚人の身体は後方へと押しやられた。
体内を突き抜けた鋭い一撃は、内臓や筋肉に強いダメージを与える。思わず喉の奥から、入ってもない胃の中身が逆流する。黄色い液体のみが口から溢れて地面の上に広がった。
身体の調子を揺さぶるような音波による重たすぎる一手。見た目には派手ではないが、臨戦態勢を取り続けるのは不可能に近かった。膝を付き、その場で動きを止める。もう彼が立ち上がるのは、浦島太郎を倒したその後しかありえないであろう。
浦島太郎はと言うと愕然としていた。自分の生み出した兵隊たちがこうも容易く無力化されている光景に。あまりにも、目の前の男が強すぎた。まだ彼の進撃が足を止めることは無い。次々と、秒を追うごとに兵は失われていく。
「イボガイの! あいつを撃ち殺せ!」
焦る浦島太郎。後方に控えていた、薄い殻をぐるりと巻きつけたような出で立ちの兵士に命令する。イボガイをモチーフにしたその魚人の特徴は、強い毒による高速の吹き矢。不意さえ突けば一息に殺せる代物だ。
しかし、あまりに男の動きが速すぎて狙いを定めることもままならない。イボガイは動き回る警官に照準を合わせようと吹き矢を撃ちだす筒をあちらこちらへ向けるが、向けた時には標的となる男の姿は消えていた。
あっちに向けても、こっちに向けても、誰もいない空間が広がっているのみ。しかしその戦局を動かす大きな一手があった。
全身の肌が赤く染まった、魚人の中でも異形の姿をした兵が男の腕を掴んだ。その兵士は魚や貝をモチーフにした兵士たちとは異なり、普通の人間によく似た顔ではなく、首から上がタコのような形をしていた。そしてその首元をかくすように、八本の蛸の足が、前後それぞれ胸元や肩甲骨の辺りまで伸びている。肌は全身、茹でられたように真っ赤に染まっていた。
そしてその蛸のような男が奏白の拳を顔面で受け止めた。しかし、軟体動物としてよく知られているため、ぶにゅりと不気味な感触だけを奏白の手に知覚させ、クッションのように受け止めた。次の瞬間その顔面の筋肉を強張らせて、拳が簡単に引き抜けないようにする。
長すぎる髭や髪のように垂れた八本の吸盤付きの触手も、奏白を離すまいと絡みつく。これで身動きはほぼ封じることができた。
「今じゃ、イボガイの」
浦島太郎が静かに指示を出す。言われなくとも承知していたその兵も、プッと小さく息を吐き出して、筒から吹き矢の小さな鏃を放った。その先端には、大きな動物をも易々と殺してしまうような、劇毒。
その吹き矢はまるで銃弾のようだった。撃ち出したその瞬間に勝利を確信した、はずだった。
鈍い音を立て、真っすぐ飛んでいくはずの毒矢が地面に叩き落される。急に折れ曲がるような不自然な軌道を描き、地面に三角形の刃が突き刺さる。
浦島太郎の指示は、奏白の耳にも聞こえていた。周囲一帯の音であれば手に取るように把握できる彼にとって、目の前で命令する彼の声を聞き分けることなど容易である。矢を撃つ際の音も聞こえていた。本物の銃弾であれば間に合わないかもしれないが、吹き矢程度の速度であれば矢が放たれたその音を耳にしてから対応するので十分だった。
音、その能力は振動に通じており、自身を取り巻くよう、強力な音波の壁を形成。それにより空を駆ける一筋の矢を叩き落とした訳である。周囲の空気の流れを捻じ曲げるような強い波動の壁に阻まれ、窓ガラスに衝突した鳥のように鏃はその進路を大地へと向けた訳である。
紫色に染まった白銀の刃は、悲しそうに声を上げた。必殺の狙撃、それが防がれたことにイボガイの射手は驚きを隠せない。そして次の瞬間。
「辛気臭いやり方は好かねえぞ、俺は」
またしても奏白の姿は消え、眼前に現れる。高速で駆け抜けるが故に生じた一陣の風が正面からその戦士を襲う。なるほど、他の兵隊たちはこのように処理されたのかと瞬時に理解して。固い貝殻に掌を押し付けられ、鎧のようにぐるりと纏ったその貝殻を打ち抜くような衝撃が走る。全身に強い衝撃波が走り、平衡感覚を失い、体が言うことを聞かなくなった。
あまりの威力に貝殻の防具にも罅が入る。脆くなった防壁を砕き、貫いてそのまま奏白の拳が貝を模した兵隊の腹部にねじ込まれる。息が漏れ出るような悲鳴一つ、それと共に蹲る。
「そいつで最後だ」
見れば、未だなお立って戦意を向ける兵士は一人として残っていなかった。浦島太郎の指示を受けた魚人の兵士たちは、短時間にして全て鎮静化されてしまった。やけに、荒っぽい方法ではあったが。奏白に可能な、最大限効率的な手法により。
「さて……変なことされちまう前に」
玉手箱でも開けられて、爺にさせられたら堪ったものでは無い。貧相な出で立ちの浦島太郎、その背後を取ろうとまた駆け出そうとしたその時である。視界が唐突に歪んだ。眠気に近い倦怠感が彼の身体を襲う。またかと舌打ちを一つして、眉間に皺を寄せてボウっとしてしまいそうなのを何とか堪えた。
先日、復帰早々に桃太郎と交戦する機会があったために戦ったのだが、その際もこの眩暈のような睡魔に襲われた。近日中に経験した、あの睡眠ガスを吸った時とよく似ていた。アリスの能力で眠らされた後遺症なのだろうか。しかし、知君はそうでないと言う。
知君にこの感覚について相談したところ、イップスのようなものだろうと推測された。今まで敗北をあまり知らないまま警察を、捜査官を続けてきたせいで、アリス戦のような、引き分けですらない敗北は初めての経験であった。それゆえその経験が体と心に刻まれているのでないかと言う予想である。
確かに、アリスと戦うまではこんな症状に襲われたことなど無かった。医者ももう完全に症状は治ったと念押ししてくれていた上、知君が言うことに間違いなど早々無い。とするとやはり、この症状のどこかに原因があるとすれば、それは自分の精神のどこかにあるということなのだろう。
目の前で狼狽していた浦島太郎がいつの間にか冷静さを取り戻そうとしている。逃走でも図ろうとしているのだろうか、奏白が本当に具合が悪いのか確かめているようである。逃がして堪るもんかよと、足の指を握りしめるように力を籠める。さっきまで弛緩していたところに力を加え、ほんの少しだけ脳が動き始めた。
これだけあれば十分だ。心音などを感知してみたところ、戦意の無い、怯えた人間の代物と相違なかった。何かこちらに仕掛けてくるようなことは無い。ならばと判断し、奏白はそのまま、今度こそ浦島太郎本体を仕留めるべく駆け出した。
猛スピードの奏白に、浦島太郎の目は追いつかない。スーツが移動して残る残像が黒い軌跡を残したのだけ目にして、その主の姿など見失う。そんな彼を取り巻くように、吹き荒れる風が、ぼろぼろの衣装を振り乱し、長く伸びたその髪を巻き上げた。
「ひょろがりを思いっきり殴るのは気がひけるからな」
これで勘弁してやるよ。手刀を首筋に当てるその瞬間、弱めの振動を能力で与えた。頭が揺らされ、浦島太郎は脳震盪を引き起こされる。一応守護神にも脳震盪なんてあるんだなと納得して、奏白は気を失う彼の姿を見届けた。これにより、浦島太郎は検挙完了である。
やはりアリスは化け物クラスのフェアリーテイルであったのだなと納得する。あの後、桃太郎とも一対一で戦ってみたが、何とか押し返すことに成功した。守護神ジャックにより、能力も使える状態であったというに。
その桃太郎でさえ強力だと言うのに、アリスのトランプ兵は自分と真凜二人でかかっても倒しきることはできなかった。知君も「世界中で愛される児童書だけあってアリスは別格の地位に立っているようです」と言うほどに。
浦島太郎は所詮日本の中だけで知られた存在。それも、日本国内でいうとよほど桃太郎の方が知られており、人気であろう。それらを踏まえると実力の差は納得できる。だが逆に、それ故に恐ろしくて堪らなくなる。
あの、誰もが羨むサクセスストーリーの主は、どれほどまでに高い壁として立ち塞がるのだろうか。どん底から一転、その美貌から王子と婚約までする少女。その劇的な飛躍と進展ぶりから、短い期間で時として受動的に成功した者のことを、彼女の名を用いて評するほどに有名なお伽噺の主人公。
世界中で愛される童話。意地悪な姉と継母とに虐められ、魔女に助けられて最後は幸せを手にする、女の子達の憧れ。灰被り、またの名をシンデレラ。地上に現れた最初で最強のフェアリーテイル。彼女は未だ捕まっていない。しかし、最近その動きを潜めている。
しかしこれは、何かより一層悪い事が起こる予兆のように思えてならなかった。そしてその、奏白の虫の報せは悲しいことに当たっていた。この日というのは、シンデレラがソフィアと契約を交わす、三日前のことであった。