複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス【File5・開幕】 ( No.33 )
日時: 2018/04/09 16:32
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)

「ふああ……おはようございます。……今は何日の何時でしょうか」

 療養室のベッドの上で、間抜けな声がした。寝ぼけた知君であったが、すぐ傍に奏白の背中があるのを確認し、声をかける。またしても能力を用いた反動で、負荷がかかりすぎた脳を休眠させるために意識を失ったのだが、果たしてどれだけの時間を棒に振ったのであろうか。
 一刻程前に手渡された自分自身の診断結果に目を通しながら、奏白は声がした方へ向き直る。目やにでひっついた目が開くよう、目をこする知君は、ベッドの上でまた眠たそうに欠伸をした。こうしてると本当に、ただの子供にしか見えないなと、奏白は苦笑する。

「あれから三時間ぐらいしか経ってねえよ、つってももう夜結構遅くなっちまってるけどな」

 奏白が浦島太郎を捕縛して後、すぐさま知君は招集された。守護神アクセスを行い、ネロルキウスの能力により、浦島太郎を蝕む赤い瘴気を奪い取るためである。以前のような人格の変容が改善されることは無かったが、知君曰くそれは別に意識を乗っ取られている訳では無いようであった。
 普段周囲に気を配っているのが、ネロルキウスの影響下に自分も置かれてしまうせいでできなくなり、言動を穏やかに律せなくなるのが大きいらしい。それともう一つ、知君は恥ずかしそうにしていたが、強い意志を持つネロルキウスに精神で対抗するためには、強い自分を演じる必要があるためネロルキウス本人の性格を真似して同様に振る舞っているのだとか。
 それでも気休め程度にしか変わらないらしく、結局は精神力だけで抗っていることになる。本人もいつ自分の意識が沈み、その守護神の人格に乗っ取られるか分かったものでは無いと怯えていた。怯えるその様子を見ると、アクセスさせること自体が申し訳なくなる。
 しかし、それでも知君の守護神アクセスをしなくてもいいと言う訳にはいかなかった。というのも、明確なフェアリーテイルの治療法が他に見つかっていないためである。アリスはまだ意識が安定していなかったため、面談できていない。そのため、瘴気に憑かれていた彼女自身の話を聞けていないのだ。話を伺えたからと言って、対処法を得られるとは限らないが、現状フェアリーテイルを元の穏やかな守護神に戻す方法は、ネロルキウスの能力以外には無かった。
 毒や病気とは違う扱いなようで、病気を治癒するような守護神の能力を受けても治ることは無かったらしい。現場でそう言った能力者が桃太郎にその能力をかけてみても、特に瘴気の影響が取り除かれるような作用は視られなかった。
 要するに、フェアリーテイルを捉えるたびに知君には守護神アクセスが強いられるのである。せめて瘴気に侵されていた守護神たちから話を聞ければ、もう少し対策が打てるのかもしれない。しかし、あの瘴気は破壊衝動で心を食いつぶすだけあって、相当な負担と後遺症を強いるようである。
 自分がどうなっていたかを思い返し、何とか力になろうとしても、力になれない。そんな風にアリスが憔悴しきった様子を見るに、知君が「フェアリーテイル達も被害者である」と言っていたのはあながち間違いではないなと奏白も思った。実際浦島太郎は今日、ネロルキウスによる処置を受けてから三時間ほど経った今になっても、悪夢にうなされている。
 そして知君の能力は、強力無比な代物ではあるが本人に降りかかるデメリットが並みの守護神とは一線を画している。というより、基本守護神アクセスにデメリットなど無い。知君のように、アクセスし、解除すると途端に眠りこけてしまうような守護神など、早々いない。ましてや、契約者の意識を、体を乗っ取ろうとする存在など、奏白は二十七年の人生において一度も耳にしたことが無かった。

「そうでしたか、学校を無断欠席せずに済んで良かったです」
「今回もお疲れ様だな」
「そうですね。でも今後はこういった役目がどんどん増えてくると思います」

 フェアリーテイルも、日を追うごとに観測事例が増え始めていた。アリス検挙から一週間が経過したと言う頃だが、あの頃はまだ17しか観測されていなかったが、今となってはフェアリーテイルの観測事例が30を超えた。それも、今までは選りすぐりの精鋭のみであったところが、舌切り雀やセレンディップの三王子など、マイナーで力の弱い者も増え始めたのだ。
 そのため、今までは複数人で挑んでも返り討ちに合っていたところが、一対一でも勝利するような事が増えるだろう。現に、桃太郎を取り逃がしてしまった奏白も浦島太郎は余力を残して制圧できた。
 それゆえ、できることなら複数の守護神を捕らえてからまとめて瘴気の呪縛から解き放つべきなのだろう。一人フェアリーテイルを押さえる毎に知君に任せることになる。たかだか、ほんの一分程度、取り押さえた守護神から正体不明の赤い瘴気を奪い取るだけのことに、その後数時間の昏睡を知君は必要とする。少年の人生を食いつぶしているようで、奏白としてもやりきれない。せめて他にもっと、簡単な解決策があればと思ってしまう。
 それこそ、歌や音楽を聞けば癒されるような、そんな力があればと思う。そんな力があれば、奏白の能力により、その歌声を遠いところまで届けてやれる。超広範囲の内側に居る、フェアリーテイルをまとめて正気に戻せる。
 しかし、それができる能力が署内に存在しない以上夢物語である。民間まで探し始めたら見つかるかもしれないが、見つけるまでにどれだけの労力を要するのだろうか。その間にも被害が拡大する以上、そんな余裕はない。

「知君、気分はどうだ?」
「そうですね……。今回はすぐにcalling(コーリング:守護神アクセスと同義)を終えたので、もう大丈夫そうですね」

 足にもちゃんと力は入りますしと言って、立ち上がる。その様子にはやせ我慢や無理をするような雰囲気は感じられなかった。

「ただ、放課後が無くなっちゃいましたね」
「悪いな。多分、しばらく続くと思う」
「構いません」

 こうして役に立たなければ、僕が琴割さんに連れてこられた意味はありませんから。心底嬉しそうに知君は笑う。親がいないらしく、今まで誰かから求められたことも無ければ、自ら何かを求めたようなことも無いのだとか。だから、体よくこき使われているだけにしても、こうして自分たちと捜査ができていることが嬉しいという知君の姿が、奏白にはいじらしい。
 どうせなら、同年代の友人として出会いたかったなと思う。そうしたら、親友として、もっと歳の近い先輩後輩として、可愛がってやることもできたろう。十歳も離れてしまっていたら、もう自分は半分保護者としてしか彼と接することができない。

「なあ知君」
「どうしました?」
「俺は一応、お前が何者なのか、少しだけ聞かされている」
「えっと……どこまででしょうか?」
「ネロルキウスの正体まで」
「そうですか、なら僕の両親については聞いていますか?」

 問いかけに、奏白は首を横へ振った。

「生い立ちまでは聞いていないんですね」
「ああ。訊いても教えてはもらえなかった」

 案外琴割さんも義理堅いですねと、知君は笑みをこぼした。その声には、傍若無人気味な、あの警視総監も少しは自分を気遣ってくれるのかという嬉しさに満ちていた。奏白が自身の生い立ちをまだ知らないでいてくれる安堵とは異なる。
 ただ、知君の生まれた素性を知っている者がまだ琴割を始めとするごくごく一部の人間に限られることに安堵しているのは嘘ではない。自分が此処に居る理由も、生まれた理由も、まだ誰かに知られるだけの準備はできていない。いつかは話す必要が出てくると思う。しかし、自分から伝えたいと思う日が来ることを知君は待っていた。
 己が生み出された理由を、自分の口から説明すればその事実を受け入れてしまいそうだったから。戦場にしか、自分には居場所が無いと言うことを。宝石を磨くみたいにして育てられた、知君の純真な道徳心には、あまりに深々と突き刺さってしまう。
 真っ白で、とても脆い。豆腐みたいだなと思う。もしくは雪の方がいいだろうか。ネロルキウスという暴力に、踏み荒らされて汚れてしまう。靴底の土に塗れて、人々に踏み固められた灰色の雪原が、彼の脳裏に思い浮かんだ。

「お前にも言いたくないことってあんだな」
「ええ。奏白さんにはそういうことはあまり無さそうですが」
「案外いっぱいあるぜ? 大学時代の元カノとの大破局とか」
「モテる自慢ですか。羨ましいですね」

 可笑しそうにまた笑っている。自慢なもんかと奏白は抗議した。

「それ以来誰とも付き合ったことねえよ。仕事が恋人みたいだって言われてる」
「事実そうじゃないですか。アリスの時も休日出勤してましたし」

 そのおかげでアリスによる人的被害は出なかったともいえるので、奏白のその休日出勤は咎められるものではない。尤も、知君ありきでの結果ではあるため、その後数日寝たきりで高校を欠席させられた彼だけは多少の愚痴は許されるが。しかし、知君はそんな事では不平不満など口にしない。なぜなら彼にとっては、被害者が出ずに済んだという事こそが何にも勝る報酬であるのだから。

「まあな。でもあれだよ、仕事に打ち込む俺、かっけーってのがしたいだけさ」
「またそんな事言っちゃってますけど。知ってますよ? 照れ隠しだって」
「そんな訳ないだろ。ぱっと見こんな軟派な男が仕事ばっかやってるのなんざ、俺は有能だってアピールしてるだけだっての」

 ほんとにそうだったら自分からそんな事言い出しませんよと知君は言い訳を受け入れない。実際に他人の目だけ気にして仕事をしている風に見せているのだったら、もっと大変そうに見えるよう振る舞うだろうし、言葉でももっと自己顕示するであろう。
 けれども奏白は違う。いつだって飄々としているし、大変そうなところだって誰にも見せない。現に今も、浦島太郎戦で疲れているだろうに、彼は自分よりも仲間の知君の体調とストレスとを慮っている。優しいお兄さんみたいだと、知君は奏白と話してよく感じる。彼の実の妹である、真凜のことがほんの少し羨ましく感じた。
 そんな風に弱みを見せようともせず、また、真凜のように思いつめていることも悟らせないような彼だからこそ、知君も心配になる。一応、奏白の今の症状についてはかつて相談を受けた。時折、戦闘中に睡眠剤をかがされた時のことがフラッシュバックして、戦闘中に意識が飛びかけるのだと。
 アリス交戦時におけるネロルキウスとのcallingの際に、その能力によりアリスのあの能力には後遺症が無いことも確認している。ネロルキウスの能力、その副次的な産物である全知の力。それは大きな負担でもあるのだが、このように知りたい情報も知ることができると言うのは有難かった。
 医師による診断からしても体にはもう異常が残っていないはずだ。とするともう、原因があるとしたら奏白の精神的なところにあるとしか思えなかった。警官となり、捜査官となり、数々の功績を積み上げて『天才』『次期エース』などと呼ばれ期待の若手として見られ続けてきた彼にとって、初めての敗北らしい敗北を得たのが件のアリスであった。今まで敗北を知らなかった分、脆いプライドに似たものがぽっきりと折れてしまったようで。苦い記憶として時折思い返してしまうのも仕方のない事だと思われる。

「奏白さん」
「どうした、改まって」

 あくまでも、自分はよくできた人間でないと言い張る奏白と、改めて目を合わせる。小首を傾げこそしたが、その目は臆するということも知らず、真っすぐな知君の視線と真正面から重なった。自信に満ちた彼らしいと知君はその様子を評する。

「実は僕と奏白さんが同じ班員になったのは、僕が望んだからなんですよね」
「……そりゃ初耳だ。でも何で急にそんな事?」
「知っていて欲しかったからです」

 僕が貴方を選んだ理由を。そう言われて奏白は照れ臭くなる。鼻の頭を掻いて、少しだけ視線が泳いだ。嫉まれること、そして女性から持ち上げられることはよくあっても、素直に褒められる経験は少ないらしい。

「まあ、分かってるぜ。歳が近い中じゃ一番強ぇからな、俺は」
「違いますよ」

 自分に釣り合う班員が欲しかったのだろうと尋ねようとした奏白だったが、その出鼻をあっさりとくじかれる。またしても、本音を隠そうとしたことを指摘されたみたいで、ばつの悪くなった奏白は目線を完全に知君から背けた。

「奏白さんの志は、僕が望むものとよく似ていたからです。貴方になら、背中を預けられる。頼りにできる。信じられるし、尊敬できる。誰かを助けようって力を尽くす、そんな奏白さんに憧れて僕は、奏白さんと一緒に戦いたいなと思いました」

 まさか妹さんまで同じ信念を持っているとは思いませんでしたけどねと付け加え、破顔する。無邪気に笑う知君の顔は幼く、あどけなくて、中性的で女子のようにも見えた。男子用の学生服が無ければ、本当に見間違えそうなほどに。
 その昔、純粋に自分に憧れてその背を追おうとしてくれた真凜の笑顔が重なった。あの頃の真凜は自分への過信も無く、己の信念も見失っていなかった。いつの頃からか承認欲求のようなものに憑りつかれて、辿るべき道筋を見失っていたが、直近の壊死谷検挙の頃からまた、昔のように笑い始めた。それはきっと、知君の助言が効いたこともあるのだろう。
 こいつはきっと、俺と戦えて喜んでくれているんだろうな。そう思う。だがむしろ、肩を並べるまでは行かずとも、共に仕事に当たっている事実に救われているのは、知君よりも自分の方だとも感じていた。

「それがきっと、奏白さん自身が目指す、格好いい奏白さんですから……」

 いつまでも、格好いい奏白さんでいて下さいね。その言葉がじんわりと、奏白の肌から染み入る。コンサートホールをチェロの重低音がゆっくりと手を伸ばすように、感じ取りにくいながらも確かな実感を持って、失いかけた自信を補強してくれた。

「おいおいやめろよ、惚れちまうだろ」
「口説くなら女性だけにしてくださいよ……」
「待てコラ、冷めた目で見てんじゃねえよ冗談だ冗談」

 ベッドに座る知君の頭を軽く拳骨で打つ。全く痛くなんてなさそうな声で、痛いですと抗議するその声が何だか心地いい。
 おそらくきっと、俺自身知君を弟みたいに見ているのだろうな。冷静に自分を観察している奏白は、ポツリと胸の内に、自分にしか聞こえぬように呟いた。
 また、護るべき者が増えた。また、かっこつけたい相手が増えた。背負う重荷がまた一つ増えて、流す汗や涙は途方もないほどにその数を増しただろう。抱え込むストレスだって尋常ではなくその嵩を増し、こんなに重たくなるなんてなと嘆く未来の姿が見えるようだった。
 けれども、奏白は挫けない。めげないし、折れない。涙も流さずに、笑ってみせる。苦難に塗れて血反吐を吐いて、汗水垂らして鼻水すすりそうになって、どんな重荷に潰されそうになっても、必死に歯ぁ食いしばって笑ってやる。
 そんな男が、誰よりもかっこいいと思えるからだ。