複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.34 )
日時: 2018/04/11 08:10
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 三日が経ち、土曜日がやってきた。珍しく奏白が一日中非番となる日が知君の休みと重なった。最近知君も疲れていることだろうと、以前アリスを検挙した日に叶わなかった雑貨選びについていくことにした。真凜にも声をかけてみたが、今週は用事があると言っていた。
 中学校以来の友人が結婚するらしく、その式に出るために大阪へ向かうと言っていた。休みである今日の夜中には戻ってくるため、業務に支障は出ないだろうと、上司も許可してくれたようだ。普段勤勉で、成果を挙げていること、先日壊死谷を検挙した功績が大きいのだろう。
 浦島太郎の後には、これといった進展など無かった。そもそもフェアリーテイルが見かけられなかったと言うのは大きい。多い日は一日に六体も出て来たりしたものだが、ここ数日は平和と言えた。
 王子がセイラとデートをしているのと同日、二人は全く違う土地で買い物に興じていた。

「案外面白いインテリアとかってあるんだな」
「奏白さんがそういうものに興味が無いと言うのが少々意外ですね」
「まあ、部屋に置くものとかこだわり無いからな。俗にいうミニマリスト?」

 的確に自分を表現した言葉に、知君もすぐに納得したようだ。確かに、部屋に何を置いたところで本人が格好良くなるわけでは無い。奏白が興味を持たないのも当たり前と思えた。実際、一度奏白たちの家に上がったが、奏白の部屋は殺風景であった。気難しそうにしていた真凜の部屋は見ることができなかったが、大体似たようなものらしい。男物か女物か程度の違いだろう。

「にしても久々に食うと何か美味しく感じるな」

 駅前の小洒落た店なんかはどれも満員だったため、手近なファーストフード店で二人は遅めの昼食を取っていた。カフェなんかにはカップルが溢れ返っている分、こちらには買い物に来た家族連れが多いような印象であった。子供向けの商品が多いこともあり、そういった客層が増えるのも納得できる。部活帰りの高校生らしい、ジャージの一団もいるだろうか。
 仕事の虫も悪くないが、たまにはこういうのもいいもんだなと奏白は少し感傷的に街並みを見ていた。普段ならゆっくりと眺めることも無い、護るべき景色。けれどもいざこうして、その中の一員としてゆったりと日々を過ごしてみたところ、平和な日常の尊さを再確認する。

「そう言えば知君、ほんとに行くのか?」
「行きますよ。約束しましたからね」

 二週間前の日曜日、つまりは13日前の事になる。アリスの検挙からはもうそんなに日が経ってしまったのかと奏白は時間の流れの速さを実感する。七月の上旬だと思っていたら、いつしか半ばになってしまった。照りつける日差しは、西に沈み、東から昇るごとに強くなっていた。
 三日前に捕らえた浦島太郎にしてもそうだが、アリスの検挙後、すぐに彼女は眠ってしまった。目を覚ましたのは、その時疲れ切って倒れた知君が完全に回復して、退院したよりも後だった。救い出した守護神を保養する施設に、翌日の内に搬送されたアリスであったが、その間ずっと、柔らかなベッドの上で眠っていたらしい。
 初めて目を覚ましたのは、五日前の月曜日。奏白と浦島太郎とがぶつかった二日前の出来事である。報せを受けた知君はと言うと、部活に入っていないこともあり、放課後話を聞き出そうと例の施設に向かったようである。
 知君からの話を聞く限り、アリスも相当に病んでいるとのことらしかった。自分が当時どのような事をしでかしたのか、鮮明に記憶しているようである。あの赤い瘴気に呑まれた際、彼女は心から楽しんで奏白と真凜とをいたぶっていたらしい。これが一般市民相手だったら、大量殺戮を為していただろう。赤ずきんが良い例だ。可愛らしい姿で、心底楽しそうに、人々を噛み千切り、撃ち殺した。
 最終的に人的被害を出さなかったアリスでさえ、それほど当時の自分を嫌悪し、怯え恐れているのだ。ごめんなさいと大粒の涙をこぼす彼女には、誰も文句を言えなかったとのことだ。そもそも被害らしい被害を受けたのが奏白ぐらいしかいない訳ではあるが。
 もしこれが、赤ずきんだったならば、人々は許すことができるのだろうか。当然、家族を失った民衆は沢山いることだろう。そんな大衆は、正気に戻った赤ずきんが、何てことをしてしまったのかと泣いて詫びたとして、水に流すことはできるのだろうか。
 難しいだろうな、そう思う。これが人間であるならば裁判はできなくもない。守護神には時間の概念も無く、不死の存在であるし、人間の力や兵器では危害を加えられない。そもそもが不干渉であるべき存在だからだ。死という概念も無いため、死刑すらままならない。
 唯一赤ずきんのような守護神を救える道があるとすれば、彼女らを狂わせた毒のような物質が、誰か別人の悪意によって引き起こされたものである場合だ。だとしたら、彼女らもその黒幕にいいように操られた被害者の一員となるだろう。実際に、彼女らが実行犯として人々を虐殺した事実こそ消えはしない。けれども、その方がまだ無関係な人々からは受け入れられやすいものだと思えた。

「ちょっとでも、支えになってあげたらなって思うんです」

 底抜けに優しい彼の想いに、奏白はいつもと変わらぬ安堵を覚える。こうやって、いつでも誰かを思いやることのできる彼だって、奏白から見たら立派に思えてならない。
こいつの期待に応えるだなんて、ほんとに俺ができんのか? 自問する。けれども、揺るぎない答えなど出てこなかった。無理だなんて言えるはずもなく、かと言って無責任に応えて見せるさとも言えない。だから彼は、日頃自分があまり好かない言葉を以てして、何とか返事を捻りだす。いつかは、そんな日が来るさ、と。

「そうそう、奏白さんにも会いたがっていましたよ」
「アリスがか?」

 想定もしていなかった事を伝えられ、胸の内の思考に囚われかけていた彼の意識が再び浮き上がる。奏白の聞く耳が自分に向けられたと分かって、知君は話を続けた。

「ええ。一度会って謝りたいと言っていました」
「ったく、気にしなくていいのにな」

 可愛い女の子に心配させるだなんて、俺もまだまだ男がなってないなと、茶化すような口調で首を横に振る。大げさな演技にしか見えないそのリアクションに半分呆れながら知君は苦笑した。その様子を見て、笑いさえ取れれば俺の勝ちだと、根拠もろくにつけられない勝鬨を奏白はあげた。

「もう……あと三年で三十路になるというのに変な事言わないでくださいよ」
「うるせ、歳の話してんじゃねえぞ、自分がピチピチの男子高校生だからって」

 丁度一回り年下の彼に窘められて、奏白は不貞腐れるように眉をひそめた。

「いつかは僕だって歳を取るんです。いいじゃないですか、今ぐらい若くたって」

 『いつか』。忘れようとしていたその三文字が、反芻されるようにまた、ストンと奏白の中に落ちてきた。いつか、こうなりたい。そう誤魔化したいつかとは、一体いつを指すのだろうか。
 このバンドお勧めだよ、と言われて応えるいつか聞くね。一緒にご飯行こうよ、と誘われて返すいつか行こうね。そのいつかと、俺が口にしたいつかは何が変わらない? 興味が無いと、行きたくないと、答えられない人々が何とか苦し紛れに否定の空間に問いかけを葬るための手段。それが、いつかだとかその内だとか、そんな曖昧な言葉。明確な期限なんてどこにも無くて、拒絶して悲しまれることを恐れるが故に選ぶ言葉。
 こんな調子で俺は、目の前の少年に目指す理想の姿なんて見せられるのかよ。また、自問する。答えなんて、まだまだ出せないと言うのに。



 そんな燻る問いかけを頭の片隅に残したまま、二人はアリスを管理している施設へと辿り着いた。管理とは言ってもそんなに無機質な訳でもなく、むしろ好待遇であると言えた。やはり、アリスがまだ誰も殺めていないと言うのが大きかったのだろう。その上、いつも眠りこけているし、時折悪夢にうなされている。そのような姿を見れば、誰しもが可哀想に思うはずだ。おそらくは、彼女が可憐な女児の姿をしているため、男女問わず大人たちが構ってしまったというのも大きいのだが。
 知君は以前に顔を覚えられており、奏白も捜査官である証明書と警察手帳とを両方見せたら通して貰えた。むしろ、これがあの有名な捜査官かと門番から驚かれたくらいである。テレビで見るよりもかっこよく見えるなと、大柄な警備に笑われた奏白は、少し照れくさくてむず痒かった。
 もう今日は快調みたいですよと、かかりつけの若い女医が奏白達に教えてくれた。一応、何が起こるか分からないため、強化ガラス一枚を挟んでの対面となる。けれども、ガラス越しに見た金色の髪の可憐な少女は、碧眼をきらきら輝かせて明るい笑顔を作っていた。

「知君さん! 来てくれたんですね!」

 何だか記憶にある彼女の言葉遣いと雰囲気が違うなと、奏白は首を傾げた。確かに子供っぽい抑揚は変わっていないのだが、こんなに丁寧な言葉遣いだっただろうか。もっと、あざとく我儘な、幼い女の子らしいものではなかったかと記憶をなぞる。
 だが、次の瞬間にはその記憶が間違っていなかったことを奏白は悟った。

「今日はあの時のかっこいいお兄さんも来てくれたの? ありがとう!」

 そうだこっちの口調だと、自分の勘違いでは無かったことに納得しつつも、どうして言葉遣いが変わっているのかと訝しむ。よくよく観察してみると、知君にはやけに丁寧な言葉で、それ以外の人間、この場における奏白と、ついさっき去っていった女医さんには記憶の通りの口調のようだ。

「あの時はごめんね、お兄さん」
「気にすんなよ、怪我は治ったしな」
「知君さんが私のハートのジャックで治癒させてましたからね! 流石知君さんです」

 少年の顔をうっとりと眺めるその目の焦点が、わずかに揺らいでいるのを奏白は見逃さなかった。守護神にも誰かに固執する心があるものなのかと奏白は初めて知る事実に驚いた。ネロルキウスと言い、守護神とはまだまだ分からないことだらけである。
 とりあえずアリスは、自分を救い出してくれた知君に随分とほれ込んでいるようであった。おそらくはネロルキウスとアクセスしている時の圧倒的な力に憧れているのも大きいのだろう。それに対して自分はと言うと、兄弟二人がかりで挑んだにも関わらずあえなく敗北。それは舐められても仕方ないなと溜め息を一つ。

「今日はアリスさんからお話を聞けると嬉しいのですが」
「はい、何でも聞いてください! あ、そっちのお兄さんもかっこいいから知りたい事あったら聞いてね、私が答えてあげるから」

 そりゃどうもと礼を述べるが、奏白は内心呆れかえっていた。知君も少し冷や汗を浮かべ気味だったが、本題に入る。

「暴走していた時のことは覚えているんですよね?」
「はい……鮮明に。お兄さんとお姉さんには、悪いことしたなって……」

 話題が自分のことに切り替わった途端、アリスは殊勝な態度に変わった。さっきまで屈託無く笑っていたというに、その顔には陰りが見える。彼女の中でまだその一件は消化しきれていないのかと思うと、先刻までの姿は強がって笑って見せた偽りの仮面なのかと、奏白も納得した。

「もう全部治ったみたいなもんだし、気にすんなよ」
「ありがとう、お兄さん」
「それでは次に聞きたいのですが、あの瘴気には、一体どこで感染しましたか?」
「フェアリーガーデンに浮かぶ月は、いつもは青いんですけど、ある日急に赤くなったんです。それを見ていたら、段々頭の中に怒りとか、殺意とか、そんな想いばかりが溢れてきて……」
「急に月が赤くなった原因に関しましては?」
「分かりません。こんな事、初めて起きましたので」

 誰か犯人のようなものがいるのだろうかと思うも、この情報では分からない。むしろ、自然災害のような突発的な変異ではないかと思えてきた。

「そう言えば知君、ネロルキウスの力で知ることはできないのか?」

 ネロルキウスは略奪の能力を持つ。それゆえ、全世界から知識を奪うことで、世の中の出来事全て、極秘裏に隠蔽された情報まで知ることができる。ただ、それ自体はネロルキウスが勝手に行ってしまっている。地上の全てを理解したいと言う彼の強欲のせいで、守護神アクセス中の知君の脳は情報の洪水で埋め尽くされる。
 あまりに多すぎる知識のオーバーフロー、それこそが知君が、ネロルキウスの能力を振るうたびに脳を焼き焦がし、疲れ切って昏睡してしまう理由である。
 その中から必要な情報だけに焦点を当てて取り出すことは酷く困難ではあるらしいが、知君がこうして、わざわざ他人に話しを窺うくらいなら自分で情報を精査した方がよいように思える。

「いえ、それはできませんでした……」
「どうしてだ? ネロルキウスにできないことなんて」
「あるんです」

 守護神には単純な位階だけでなく、ごく一部に相性が存在しているのだと彼は言う。もし黒幕めいた人物が、ネロルキウスに対して優位に立てる存在であるならば、その正体を知ろうとしても知ることはできない。この世界で最も偉いのは、守護神でも、それを束ねる特別な十一人でもなく、厳密に決定された世界の摂理なのだと知君は言った。

「ごめんなさい……知君さん達が知りたい事、何も教えることができなくて」
「気にしないでください、アリスさん。まず貴女はゆっくり休んでください」

 今一知君達は成果を得られなかっただろうことを悟ってか、また少女は悲しそうに目を伏せた。確かに、何か新しく知ることができれば操作が良い方に進んだのかもしれないが、無くても咎めることなどできない。何しろ今日は仕事目的でなく、知君がアリスとの個人的な約束を果たしに来ただけなのだから。

「そう言えばさ」
「どうしたの、かっこいいお兄さん」
「あの時俺が使われたのって、どんな薬なんだ?」
「あ、あれはクラブのジャックさんとっておきの、すぐに効くけど寝覚めはすっきりなすいみんどーにゅーざい? だよ?」

 睡眠導入剤が耳慣れない言葉なのか、アリスはきょとんとした顔つきのまま答えた。寝覚めはすっきり、という事は知君達の言うように後遺症などは怒らないのだろう。
 やはり、俺の心的内因が原因なのかと納得したところ、途端に警報が鳴り響いた。署内で勤務している時に何度も聞いた、覚えあるアラート。これは確か、新しいフェアリーテイルが現れた時のものだと、すぐさま感づいた。ここも警察管理下の組織であり、警官が出入りするために同じものを採用しているのだろう。
 初めに、この部屋に奏白と知君を招き入れた白衣の女医が現れた。慌てて走って来たのか、息は上がっているし、額には汗が浮かんでいる。

「フェアリーテイル、case31が現れました。今、何人かの対策課員が交戦しているようです」

 モニター室があるから一応そっちまで来て欲しいと彼女は言う。知君と奏白は、駆け足で施設内を進むその女性の後を追いながら、続く彼女の言葉に耳を傾けた。

「まだ確証は持てませんが、かかし、きこり、ライオン。その三体を従えていることから、対象はドロシーだと推測されました」

 それは俺も知っているなと奏白は大昔に呼んだ書物の記憶を掘り返す。世界的に愛される、児童書文学の最高峰、『オズの魔法使い』、その主人公。