複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.35 )
日時: 2018/04/11 16:56
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)

「まだ確証は持てませんが、かかし、きこり、ライオン。その三体を従えていることから、対象はドロシーだと推測されました」
 それは俺も知っているなと奏白は大昔に呼んだ書物の記憶を掘り返す。世界的に愛される、児童書文学の最高峰、『オズの魔法使い』、その主人公だ。急に家が竜巻に巻き込まれたところから始まる、ドロシーという女の子がエムおばさんのもとへ帰るために繰り広げる冒険譚。
 三人の仲間と共に敵を討つのは桃太郎とよく似ているなと思ったことがあるが、桃太郎以上に細部まで作られ、三人の仲間にも焦点が当てられている。総じて、児童向けと言うには少し難しく思えるかもしれないが、その中身は紛れもなく小さな子供に夢を与えられる代物だ。
 フェアリーテイルは、作品内における自身の持つ力だけでなく、他のキャラクターの能力も使える傾向にある。その上、多くのお伽噺では主人公自身はか弱い一人の人間であることが多い。その傾向が理由になるとしても、自分以外に使役する別キャラクターに戦闘を委ねるタイプが多すぎやしないかと奏白は呆れる。その分本体は弱いのだが。
 今目の前にいるアリスもそうだが、先日交戦した桃太郎も犬や雉達と共に手合わせすることとなった。ドロシーにだって仲間はいるし、三日前の浦島太郎も乙姫の配下と思われる魚人の兵隊を引き連れていた。赤ずきんは本来天敵と言って間違いない狼をも能力の一部として使っている。
 この施設自体も最低限の設備を整えてあるようで、地下の部屋には普段の署と同じような、モニターが壁面を埋め尽くすような場所があった。街の様々な設置式カメラから映像を受信し、映し出すこともできれば、フェアリーテイル達の波長を感じ取って座標を特定する装置も置いてある。とはいえ、署よりは少し小さめのようではあるが。
 中には予想外の人物が一人。白髪に頭皮を覆われているが、その顔立ちはもっと若々しく、時が止まってしまったようなアンバランスなものだった。元から細い糸目をニッと細めた様子に、笑っているのかと奏白は理解した。それにしても、どうしてこんな所に警視総監が。

「琴割さん、何でこんな所に……」
「お前が来るって聞いとったからや。音也もお疲れさん」

 琴割だけでなく、知君も多忙な生活を送っているため、二人が会うのは久々のことであった。以前であればもう少し話す機会があったが、今こうして言葉を交わすのは実に三週間ほどのブランクがある。
 調子が悪くないか確認できさえすればそれでよかったとの旨を琴割は告げた。ネロルキウスとアクセスを行ったのは、この二週間で二度。他の捜査官であれば少ない頻度に思えるが、こと知君に関していうとそれはあり得ないほどに多すぎた。

「お前が壊れたら元も子もあらへんからな。メンテナンスは必要やろ?」
「そんな物みたいに言わなくても」

 その言い草に、仲間を侮辱された気がして奏白は眉を吊り上げた。敬語こそ崩れてはいないが、語調が荒くなる。これは悪いと一言詫びるが、その態度は全く悪びれていなかった。
 真凜と言い、他の対策課員と言い、どうしてこうも知君への風当たりが強いのか。溜め息を一つ溢して、奏白は今まさにドロシーと戦っている姿を映し出したモニターの方へと目を向けた。畑にいそうなかかしが、全身がブリキに挿げ替えられた木こりが、爪と牙を剥き出しに吠えるライオンが、狂気の紅に瞳を染めて、暴れる姿が鮮明に映っている。
 交戦しているのは対策課の第4班の面々だ。警察に入った当初、先輩として慕っていた王子 太陽の姿がある。いつの頃からか疎遠になってしまったが、今でも太陽は奏白にとって、尊敬する先輩のままだ。第4班の班長は、その太陽の父である洋介。黒髪の中に白髪がところどころ混じっており、何となく灰色に見えてしまう頭髪。それでも、鍛え上げられた肉体は太陽以上に屈強そうで、顔立ちもどことなくよく似ていた。
 名前こそ聞いていないが、かつて写真で見せてもらったことのある太陽の弟はあまり似ていなかったことを思い出す。『こうよう』は母親似だからな、と言っていただろうか。

「俺も現場に向かいます」
「あかん。今日は下がっとれ。非番じゃろうが」
「ですが」
「でもでもだってなんざ聞く気無いからな。お前のイップスに関しては報告受けとるわ。言うちゃあなんじゃが、現状第7班は三人しかおらんとはいえ、その三人は対策課屈指の実力者三人なんじゃ」

 一番戦績が安定する奏白を、しょうもないイップスの影響で失う訳には行かない。それが琴割の理屈だった。もうしばらく様子を見ながら、完全に後遺症を乗り越えない限り、危険な戦場に出すつもりは無いと言う。実際のところ、浦島太郎戦でも最後の最後でふらついてしまっていた。それも偽りなく報告せねばならなかったため、その事実は知られているのだろう。
 理屈は納得できる。ここで自分が失われれば、今後の損失が計り知れないと思われているだろうことも。だが、彼がここで手をこまねいてじっと見ているだけで留まるのをよしと思えるかはまた別の問題である。
 大丈夫だ、先輩たちなら何とかなる。総勢五名と、奏白達第7班よりもずっと構成人数は多い。敵も一人ではあるし、信頼して任せるしかない。下手に自分があそこに赴いて、本当に助力できるかなど今の彼には分からない。着いた途端に足元がおぼつかなくなるかもしれない。そうなっては、足を引っ張るだけだろう。

「天才、なんじゃろ。若いうちにいっぺん負けといたのは正解やと思うで」

 世の中全部が全部思い通りになる訳ちゃうしなと、あっけらかんと琴割は言う。きっとこの人が言うのならばそれは確かなのだろうとは理解できた。誰より長く生きてきた、この人の言う言葉なら。
 ずっと自分の心は強いと思ってきた彼だったが、その認識自体は何も間違いなかった。あまりに強く固められてしまったため、想定外の衝撃にあっさりと砕けてしまっただけだ。
 そしてそれは、敗北という、誰もが経験する至ってシンプルな衝撃。敗北の苦渋なんぞ、生きてたら感じて当たり前だと理性は理解している。けれども心はと言うと、期待され、応え続けてきた彼は幾ばくか音を上げそうになっていた。
 乗り越えてくれよ。握りしめたその拳、爪をおもいきり掌に突き立てて、唇を噛み締めてその光景を見守った。




「帰してよ」

 赤ずきんやアリスを彷彿させるような幼い女の子が、凄むようにぎょろりと目を見開いた。狂ったように焦点の定まらぬその眼光、それはまるで汚れた血に染まったように赤黒く瞬いていた。黄色みがかった茶髪が、顔の両脇で三つ編みになっている。そばかすを浮かべた頬に、どことなく田舎の娘のような印象を覚える。

「私はお家に帰りたいの。エムおばさんのほほ笑むあのあったかいところに。知らないお姉ちゃん達が言ってたわ、琴割 月光っていう悪い人を倒せば家に帰してあげるって」

 だから私は貴方達に足止めされる訳にいかないの。そうやって言い訳して、彼女は己の仲間であるライオンに指示を出した。あいつらをまとめて引き裂いてしまえ、と。目が真っ赤に染まってしまうまでは、野良猫みたいに、半分怯えるようにこちらを警戒していた獅子であったが、フェアリーテイルらしく破壊衝動に飲み込まれた途端に、獰猛な肉食の獣へと変容した。グルグルと、喉から呻くような泣き声、感触を確かめるべく地面を切り裂いた鋭利な爪。
 それが俺たちに向けられるのかよと、太陽は背筋に冷たいものが走り抜けたのを感じ取った。全く、守護神達はどいつもこいつも化け物ぞろいだなと嘆きたくなる。強靭な百獣の王、その体を支えるしなやかな肢体が音もなく踊った。狩人らしい、静かな疾駆。フェイントをかけるように、真っすぐでなく戦場を踊るように、焦らしながらも俊敏に距離を詰める。
 元から退く気などさらさら無い。太陽はその守護神、アイザックの能力を解放した。自分たちとドロシー達とを隔てるように、真っ黒な帯が地面の上を走る。距離を詰めようと跳びかかるライオンではあったが、その領域に足を踏み入れたところ、急激に降り注ぐ重力に歩みを阻まれた。
 急に体が重くなり、対応しきれなかったライオンは強く体を地面に打ち付けた。筋肉の塊が勢いよく地面を打ち、細い亀裂が入る。だが、ライオン自身はというと、少し痛そうに顔を歪めたような仕草の後、怒りに我を忘れ、その瞳孔をカッと見開いた。龍をも思い起こすような、獰猛な遠吠えを一つ。
 生態系の頂点に立つ動物、それをモチーフにしているだけある。押し寄せるその緊迫感は怒る以前の比では無かった。咆哮が震わせた空気に、骨肉までカタカタと震わされるような戦慄を覚える。全身の肌がそばだってざらつく。気づけば気おされて、その足を一歩後ろに引いていた。立ち向かわなければならないと言うに。
 荷重はおよそ十倍の重力。通常時の十倍の体重になっている状態にも関わらず、ゆっくりとその獅子は右足を上げた。苦しそうに、一歩、また一歩とのそのそアイザックの能力行使範囲を闊歩する。

「進ませる訳にはいかんなあ。頼むぞウンディーネ」

 父、王子 洋介が守護神の能力を行使する。幻界、そう呼ばれる異世界に住む守護神。古来より伝わる神話上の生物などが住まう世界。水を操る妖精こそが、洋介の契約する守護神だった。空気中の水蒸気を集約させて、大量の水を生み出した。常温範囲内で水分子を自由自在に操る能力、長年の検証により、どの程度能力の応用が利くのか調べた洋介いわく、そういう事らしかった。常温の定義は今の気温プラスマイナス摂氏十度。冬場は氷をも操れるとのことだ。
 空中に現れた大量の水が、濁流となってライオンに真正面から襲い掛かる。その巨躯すらも呑み込み、押し流しそうなまでの莫大な水。しかし、その水流がドロシーの友人たる獅子を押し流すことは無かった。
 助太刀するよう、咄嗟にブリキの木こりがアイザックの能力圏内に入る。だが、全身金属で出来ているその木こりは、臆することも無ければ、その重みに怯むことも無かった。思い切り、大きな伐採用の斧を振り上げて。無骨な得物を真っすぐに振り下ろした。
 重力を強めている影響で、振り下ろす力がより一層強くなっている。圧がかかり、密度の上がった空気を巻き込む鈍い音を立て、真っすぐに地面へと駆け抜けた大きな音が、地面に叩きつけられた。その拍子に、暴れ狂う氾濫をも真っ二つに引き裂いた。斧が大地を砕き、舞い上がった破片や塵を巻き込むも、両断された水流は獅子たちを飲み込むことなく地面の上に広がった。

「いや、反則だろこんなの」

 同じ班の一員である先輩の捜査官が、その圧倒的な力を目にして嘆く。最近はあまり強くないフェアリーテイル、例示するならばカチカチ山の狸のような連中を相手どっていた。ひょんな所に現れた、世界的に有名なオズの魔法使いの主人公、彼女が弱いはずもなく、まるで桃太郎と戦っている時のような緊迫感があった。
 歩瀬、奏白にとっての太陽、あるいはそれ以上に太陽自信が尊敬していた捜査官は桃太郎に殺された。強力な守護神を目にすると、その日の事が思い出される。あまりに強力な桃太郎から、若輩を逃がそうと殿として孤軍奮闘する歩瀬は、ギリギリまで桃太郎を追い詰めながらも、紙一重の差で押し負けて、敗れてしまった。
 だからこそ、あまりにも強い相手と向き合うと、その苦い記憶が蘇ってしまう。もう、同じ失態を犯してなるものかと、身が奮い立つ。怖くても関係ない、もっと強い武者震いが体の芯から湧き上がってくる。
 それに、逃げる訳にはいかなかった。直属の後輩だった奏白だけではない、彼の妹である真凜も、過日の一件以降明らかに力をつけていた。若手が台頭してくる中で、自分が埋もれる訳にもいかない。
 そして何より、最近目立つその二人こそが言っていたではないか。自分たちは、困っている人々のために戦っているからこそ強いのだ、と。警官になったのは漠然と父と同じ仕事を目指したからではない。自分自身の正義こそが、人を救う道に進みたいと叫んだからだ。
 この志は、奏白達と比べたら、弱っちいかもしれない。けれども、程度は違っても、同じ理想を掲げてはいるのだと、胸を張って言いたかった。俺はあの、奏白 音也の先輩なんだと、堂々としていられるように。
 力だって足りないかもしれない。横に並んで立つのではなく、後ろで守られている側なのかもしれない。けれども、自分だって同じように、人々のために戦う捜査官である。力なんて足りなくとも、ここに立つ以上誰もが、誰かのヒーローであって然るべきなのだから。弟の、光葉の顔を思い出す。あいつの中で俺は、今もまだヒーローでいられるのだろうか、と。
 だがそれでも、現実は無情に迫る。届かない、と。
 気づけば、自分が張り巡らせた、超重力の防壁ラインは突破されていた。能力を使って抵抗する同僚たちだが、あまりにじり貧すぎる。臆病なはずの獅子が吠える。一陣の風のようにその体躯が戦場を駆け抜ける。迫る爪牙、追うように振り下ろされる木こりの斧。避ける、躱す、身をひるがえし、跳び退く。だがそれでも迫る猛攻、咄嗟にライオンの体重を増幅させ、再び地面に叩きつけた。

「今だ!」

 畳みかけろと指示したが、答えられる者はいなかった。皆、まだ倒れてはいない。大体かすり傷で済んでいるが、それでも残るブリキの木こりを抑え込もうと必死なようだ。敵はまだ二体、こちらは五人の総力戦。それでなお押されているというのが悔しい。
 そう言えば、かかしはどこだ。そう怪訝に思っていると、足で柔らかいものを思い切り踏みつけた。アスファルトの固い地盤で戦っていたというのに、急な感触の変化にバランスを崩す。
 何事かと思い見れば、それはかかしの足だった。かかしは、木や藁を編んで出来たようなものではなく、ぬいぐるみみたいに布でできていて、中に土が詰まっているようであった。
 当然中に骨などは無い。そのため、その腕を鞭のようにしならせて、人体ではありえない軌道を描いて振り抜いた。がら空きの太陽のどてっ腹に叩きこまれる。声にならない悲鳴を漏らして、その体は無様に大地を転がった。
 衝撃に、体は酸素を求める。それなのに咳が出るばかりで息が吸えない。ようやっと落ち着いて呼吸できたかと思うと、オズ達はそんな太陽たちを嘲笑っていた。

「情けないね」
「ほんと情けない」
「こんなのが正義の味方なの」
「おっかしー」
「クビだよ、クビクビ」

 朦朧とする意識では、誰がどう喋っているのかなど理解できなかった。しかし、人語を解するかかしが、獅子が、木こりが、ドロシーと共に蔑んだ目で見ていることは分かった。
 またしてもかかしが、ライオンが、ブリキの男が、矢継ぎ早に捜査官たちに侮蔑の言葉を投げつけた。

「考えなしに数で押せば勝てると思っちゃって、ほんとに脳みそついてるのー?」
「冷静さも欠いて真正面から当たるだなんて、逃げる勇気もないただの無謀なんじゃないの?」
「あまりに混乱して怖いとも思えないんじゃなーい? 人間だってのに何も感じないなんて可哀想」

 その言葉が、突き刺さる。全身を打ち付けた痛みが、未だ体の中に走る衝撃が、口の中に広がる血の味が、己の無力さを実感させる。眼前に突き付けてくる。登ることも敵わないような、あまりにも高い断崖絶壁。
 戦意など、どう奮い起こせばいいのだろうか。もう、生きると言う本能に従うしか、太陽が戦闘を続行する理由など思いつけなかった。集中力も注意力も切れて、ただただ虚しく抵抗する以外に何もできなくなる。

「そんなに弱っちいなら、早く道を開けてよ」
「今なら見過ごしてあげる」
「僕らの狙いは琴割 月光」
「早く私を、カンザスまで帰らせて」

 そんな言葉も、もう聞こえないくらいに。