複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス【File5・完】 ( No.39 )
- 日時: 2018/04/16 14:30
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: /YdTLzNI)
案外しんどいものねと、周囲の人に聞かれぬよう頭の中でだけ愚痴を漏らし、奏白 真凜は池袋の街並みを闊歩していた。これまでは兄の背を追うようにして、休日も返上して署に出勤していたものだったが、我武者羅に努めるだけが優れた捜査官ではないなと自覚した故だ。しかし、全くの休日にしてしまうというのも憚られた。それならせめてと、兄である音也に教わった鍛錬を兼ねて街を歩いてみることに決めたのである。
渋谷はまだまだ立て直しの真っ最中であるが、ここらには被害が出ていないようである。それは自分が取り押さえたアレクサンダーの契約者、壊死谷による影響だけではなく、暴走する守護神、俗にいうフェアリーテイルの被害も含めての話だ。
壊死谷の検挙のあの一件より、一か月の月日が流れていた。この一か月の間には色々なことがあった。兄がイップスになったかと思えば、自分が地方へ遠征している間に乗り越えていたし、ドロシーを確保していた。桃太郎の姿がなぜかここ二週間以上見られないのが平和なことではあったが、赤ずきんは未だに猛威を振るっている。
知君には頭が上がらないが、多くのフェアリーテイルが第7班以外の対策課員にも討たれるようになり、観測事例がとうとう40を超えた数々のケースの内、約20件が解決されていた。フェアリーテイルを収容する施設も、その内部は傷心気味の守護神でいっぱいになっている。
だが、良い事ばかりが起きているわけでは無い。約一か月前……まさに真凜自身が一歩を踏み出して、壊死谷との戦いを乗り越えた辺りで、不意にフェアリーテイルらしき反応が一つ消失した。その反応と時を同じくして、桃太郎も出現していた。
その時消失したフェアリーテイルの反応、その正体を未だ警察はつかめていなかった。唯一その足取りをたどることができそうな人物は一人だけ。それは、警察から見て完全に外部の人間と言っても遜色ない、一人の高校生。いや、完全に繋がりが絶たれた男という訳ではない。王子 光葉。対策課にも属する、王子 洋介と太陽親子の親族である。
彼がまさに桃太郎に襲われているところに太陽が駆け付けたらしい。太陽自身は情けなさそうにしていたが、その後彼はあっさり桃太郎に敗北。その後に、守護神と契約さえできていないその弟、光葉と桃太郎が二人取り残されたようである。
それなのに、王子 光葉は無事に帰ることができた。一体その場で何が起こったというのか、重要参考人という名目で問いただしてみたところ、もう一人守護神が現れたのだと彼は言った。その正体こそ分からないけれども、二人が勝手に争い始めて、その騒ぎに乗じて彼らは逃げ出すことができたのだと言う。
フェアリーテイルの仲間割れ。そんなことが本当に起こると言うのだろうか。仲間割れでは無いだろうと言うのが本部全体の見解であった。地域も時間も、桃太郎が暴れていた時間と合致しているのだ、フェアリーテイルが一個体消失した事例は。そして、最近になってフェアリーテイルを観測していた装置が実際に観測していたのは彼ら自体ではなく、彼らを蝕むように精神を侵している、あの赤い瘴気であると言うことを。
そのため、あの赤い瘴気の呪縛を、何らかの理由で克服したフェアリーガーデンの守護神が、同朋を救うために敵対したと考えるのが無難であろうと考えられていた。どうやって能力を行使しているのかは分からない。契約者を見つけた、と考えるのは非現実的であろう。そもそも彼らの契約者が広い世界の中でこの東京にいる確率は限りなく低いだろうから。適当な人間に守護神ジャックしている、その可能性が高い。
「ちょっと真凜、聞いてる?」
「ごめんなさい、少し考え事をしていてね」
考え事を始めてしまったため、未知の脇の方に避けて、歩みを止めて黙り込んだ私に、メルリヌスは問いかけた。さっきまでは景色が流れていたため退屈していなかった彼女だが、立ち止まった私に痺れを切らしてしまったらしい。
身体が少し、疲労を感じていることを悟った。やはり守護神アクセスは、それほど大きくないとはいえ契約者の精神力を削るらしい。それゆえ無意識のリミッターが働いて、アクセスは時として強制的に切断される。
これが、彼女が兄から教わったという特訓の一部である。同じ家で生活して職場も同じだと言うのに、こんな鍛錬をしていたとは真凜は聞いていなかった。要するに、日常においても常時守護神アクセスを行うと言うものである。単純に体を慣らすことで、実践におけるアクセスの許容時間が長引く。それだけ長い事戦場に立つことができる。予め本部に守護神アクセスすると申請しなければできないため、下準備が面倒だと奏白は言っていた。確かに思っていたよりも長々しい誓約書のようなものを欠かされたため、面倒ではあった。
しかし、これを継続して行えば、確実に成果は現れるだろうなと言う自信はあった。この訓練をしている奏白は、他の捜査官たちと比べて圧倒的に守護神とより長い時間同調していられる。普通の捜査官はいいところ三十分であると言うのに、奏白は優に半日を超えていられる。
「それにしてもどんな風の吹き回しなのよ、こんなにいっぱい平和な街並みを見せてくれるだなんて」
「別に。私のためだから気にしないで」
勝手に喜んでくれるだけ、メルリヌスはいい性格をしているなと真凜は呆れ半分有難さ半分で見た。力を借りているのはこちらであるため、こうやって恩を返せると言うのは確かにありがたいことではあるのだが。
連絡用の携帯端末にメールの着信。バイブレーションがバッグの中で震えている。私生活でしか持ち出さないので、勤務中にphoneと取り違えないようになっている。メールの送り主は兄であった。今日の夜の飲み会について、というタイトル。
そう言えば。一言呟き、以前から奏白が企画していたその会のことを真凜も思い出した。フェアリーテイルの対策課も、警察とはいえ所属しているのはやはり人間だ。日々疲労もストレスも溜まる。それゆえ同じ班員だったり、班の垣根を越えたりして、飲み会などをするところも多い。
だが、第7班に声をかける者は少なかった。まずそもそも、奏白兄弟は仕事の虫と思われがちであるからだ。飲み会に誘っても、毎回仕事を理由に断ると言う。思い当たる節が数々あるので否定できない。それに、真凜は交遊の無い男性捜査官から飲みに誘われても絶対に断ると有名であるため尚更だろう。
だがそれ以上に大きな理由は、知君であった。未成年だから安易に連れまわすこともできない。しかも、知君は多くの対策課員達から嫌われていた。それはあまりに高すぎるその能力故だ。突如現れた、単なる高校生、それなのにお株を奪うように私たちの誰一人として敵わなかった守護神相手に踏み込み、易々と勝利を収めてくる。
いうなれば嫉妬だ。真凜もかつて彼に強く嫉妬していたが、それ以上に周囲の者の嫉妬が醜く見えた。それはきっと、自分の防衛本能が働いたと言うのも大きい理由ではあるのだろうが、それ以上に他の捜査官たちは、純然たる悪意に近い妬き方をしていた。
あくまでも真凜は『警察の外の一般人を危険に晒したくない』という理想の裏返しが、知君に突き刺さっていた意味合いが強い。それなのに周囲の者と言えば、単純に気に食わない、自分より活躍しているといった感情が彼に向いている。
あれだけ、自分を犠牲に頑張っている子に、どうして純粋な悪意なんて向けられるのだろうか。フェアリーテイルと戦ううちに、彼らの良心もすり減ってしまったのだろうか。願わくば、生来の性格ではなくそういった理由であって欲しいと真凜は思った。
それにしても。軽蔑するような目で、兄から届いたそのメールをもう一度真凜は精読した。集合時間は八時、店はワインが美味しいと有名なバー。コースは飲み放題で、名目は飲み会。仮にも高校生を連れまわすと言うのに、私たちは普通に飲み会をしてもいいものなのだろうかと、彼女は誰に尋ねる訳でもないが訊いてみた。
そろそろ歩き出そうかと真凜は通りの方に身を戻した。人並みに紛れて、左右に流れる人々を眺める。皆、フェアリーテイルのことなど考えずに、この日常を恐れることなく享受している。その事実が誇らしかった。自分はこういった姿を護るために日々戦っているのだと再認識する。
そうやってよそ見をしていたため、向こうから来ていた人とぶつかってしまった。「きゃっ」と女性らしい小さな悲鳴を上げて、目の前の彼女は一歩後ずさった。こんな事なら未来予知をしておけばよかったと、真凜はその女性の元へ近寄った。
彼女はよく日に焼けた褐色の肌をしていた。あまりに短いジーンズ地のパンツに、バンドのロゴが入った、あっさりした白地のシャツに袖を通していた。特徴的な彫りの目元に、日本人より少し高い印象のある鼻立ち、どことなくエキゾチックな雰囲気がした。真凜も女性にしては背の高い部類ではあるのだが、その女も真凜と大して変わらない背丈であった。目はどことなく、猫を思い起こすようなものだった。ごめんなさいと苦笑を浮かべるその顔に、どこかうさん臭さが滲んでいるようである。
「大丈夫?」
「あ、ハイ。大丈夫ですよ」
何となく固そうな印象の日本語。外国人だろうかと察した。留学生か何かかと尋ねれば、そうだと彼女は頷いた。
「中国から来ました……名前は、えとその……クーニャン? です」
どうして自分の名前を伝えるのにそんなに自信無さげなのだろうかと訝しむ。もしかしたら日本と向こうでは発音が違うのであろうか。中国語を学んだことのない真凜にはそれが分からない。
「すみませ、そろそろワタシ行きますね」
そそくさと立ち去ろうとする彼女、その小麦色の腕を真凜は咄嗟に掴んだ。その事に彼女は目を見開いた。警察手帳を家に置いてきたのが面倒だなと、そう思いながら。
「今日はオフだから、許してあげる。返してくれれば、だけどね」
「えっ、何のことですか?」
とぼける彼女に対し、真凜はすっと目を細めた。現行犯であれば、このままメルリヌスの能力で確保まで踏み切っても構いはしないだろうと、能力を行使しようとしたその時、諦めたように褐色肌の彼女は革の財布を取り出した。よく見慣れた、真凜の財布である。
「ちぇー、鋭いなあ」
「ごめんなさいね。これに懲りたと思ってスリなんてやめなさいよ」
差し出された、無機質で可愛げのない茶色の財布を受け取って、真凜は彼女から離れるように歩き出した。離れていくその背中を見送って、その女性……正確には大人びて見える少女は溜め息を一つ吐き出して。
「あちゃー、失敗失敗」
相手が悪かったなと、少女は一人反省した。ジャパニーズはイージーだと聞いていたのだけれどと、雇い主の男に文句を言ってやりたくなる。注意深いあの男、姿こそ見せたものの名前は教えてこなかった。
「にしても、早く探さないとなあ」
雇い主から渡された、二枚の写真。できることなら始末してほしいが、最低でも情報を集めてこちらへと伝えて欲しいとの事だった。あの男自体ELEVENと名乗っていたのだから、それぐらい自分でやればいいのにと、彼女は思う。
「あのちびっこが私を頼るのは分かるけど、なーんでわざわざあの人はワタシを頼ったのかな」
おそらくはちびっこと関係しているのだろうと、あまり得意ではない推測をしてみる。渡された二枚の写真には、それぞれ別の人物が写っていた。わざわざ金まで積んで依頼してきた割には、二人とも普通の高校生にしか見えない。一人は中性的な顔立ちの、大人しそうな男の子。もう一人は背が高めの、明るい笑顔の男子。
写真の裏側にはカタカナで、二人の名前が記されていた。タイラチキミと、コウヨウオウジ。
「ま、写真の二人くらいなら余裕でしょ」
特にこの、ちっこい方の男の子は弱っちそうだし。
そう呟いた彼女の瞳は、本来闇色だったというに。いつしか血のように赤く濁っていた。