複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.4 )
日時: 2018/02/09 02:09
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

「よろしくね、クラブのジャックさん」

 今までの兵隊とは格が違うというのはその風貌から感じられた。先ほどあれだけ苦戦したスペードの兵士などまるで前座だと思えるほどに、そのジャックと呼ばれた騎士は本物の騎士のような風格と威厳を持っていた。槍を構え背筋を伸ばした姿勢は美しく、どことなく気品を感じさせる。これまでの兵士たちとは異なり、トランプのカードのような胴体ではなく、甲冑を纏っていた。右肩のあたりにはクラブの形の腕章がついており、対照に左肩には大きく『J』と甲冑に直に文字が書かれていた。
 ずっとそのクラブのジャックを真凜は注視していた。片時も目を離していなかった。しかし、気づくとその姿は不意に消え失せ、砂煙だけが巻き起こる。予知するだけの魔力が残っておらず、この攻撃が何であるのか、いつどこから仕掛けてくるのかまるで読めない。

「真凜、ボサッとすんな!」

 突如として、目の前で強い衝撃が生じた。手負いの体で駆け付けた奏白とクラブの兵士の槍が真正面からぶつかり合っていた。猛スピードで移動する二人の攻防による余波が街中の塵を巻き上げる。もうとっくに両者の姿は見えなくなっていた。常人の目にもとまらぬ高速で移動する二人は消えたかと思うと再び姿を現し、また消えたかと思うとさらに遠くで火花を散らす。
槍を縦に振り下ろした斬撃を背中から受けた奏白だったが防刃用のチョッキのおかげで傷は比較的軽く済んだ。しかし、かなり強固に作られているチョッキが両断され、傷つけられたという事実には驚愕せざるを得ない。このままだと血を失って不利になってしまう。
幸いなことに、今のところは奏白の方が優位に立っていた。しかし体力は既に限界であり、長期戦になればなるほど勝ちの目は潰えていく。どこか隙を見て離脱した方がいいだろうか思案する。近辺にシンデレラと交戦しているチームがいるはずなので、そこまで合流できれば状況は変わるかもしれない。だが、彼らがどこにいるのかを知るためには一度アクセスを解除しなければならない。そんな余裕は今どこにも無い。真凜にそう指示する時間すら与えられない。

「あいつが来るのを待つのが確実か」

 せめて目の前にいるクラブのジャックだけは倒さねばならない。他のマークにもジャックがいると考えたくはないが、それでも残った全ての力をぶつけねばこのクラブのジャックは倒せないだろう。槍の持ち手の、木でできている部分を奏白は蹴り上げた。不意を打つその策に、武器を奪う一手への警戒を怠っていたクラブのジャックは得物をまんまと失わされた。今がチャンスだと、最後の気力を振り絞った一撃を決めようとした時の事だった。
アリスが笑う。

「つっかまーえた。アハハっ」

 地中から鋼鉄の棒が何本も何本もせり出た。長方形状に奏白の退路を完全に断つよう包囲して立ち並び、奏白が事態を把握するより先に上から天板がどこからともなく現れて蓋をする。あっという間に奏白だけを閉じ込める鉄格子の牢獄は完成した。鉄格子を挟んだ目と鼻の先で、ゆうゆうとクラブのジャックは先ほど蹴り飛ばされた槍を拾い上げた。

 何が起こったというのか。焦った奏白は急いでアリスの方を見る。そこには残ったジャックの騎士が勢ぞろいしていた。地面に手を当てて何やら画策している騎士の右肩にはダイヤの腕章があった。戦闘の最中に鎖を取り出し、罠に嵌めてきたダイヤの兵隊。その上等兵に当たるジャックは下級兵よりもさらに取り寄せられる物質の質量、バリエーションが豊富らしい。

「しまった、真凜逃げろ!」

 せめて妹だけでも逃がさなければ。捕らえられた時点でもう勝敗は決したも同然だった、そのために奏白は逃げるように指示する。だが、真凜も退く訳にいかず、何とかして兄を救えないかと思案する。だが、疲弊しきったこの状況において、打てる策など皆無だった。

「しばらくお兄さんは静かにしててね」

アリスの命令を受けて、クラブのジャックは槍の、刃が付いていない反対側の先端、木の棒状になっている部分を使って鉄格子の隙間から腹を一突きした。手痛い外傷こそないものの、おもいきり腹部を圧迫され、息苦しさに喘ぐ。だが、喘ぎながらもずっと真凜に逃げろと彼は叫び続けた。

「ダイヤのジャックさん、あれお願い」

 痛めつけても大人しくならない奏白に痺れを切らし、アリスは麻酔を使うように上等兵に指示した。鉄格子の天板から蒸気が噴射されたとたん、奏白の意識は朦朧とする。不味いと察して息を止めようとするが、もう既に薬の作用が出る閾値を超えてしまっている。一秒進むごとに、視界が外側の方から順々に白んでくる。
 真凜の顔を見つめるが、それさえも霞む。泣き言も、負け惜しみも懇願も、何一つ口にすることができない。普段なら軽々と動く己の唇がやけに思い、声帯は思うように開かず、ただ息だけが規則正しく漏れ出る。
 とうとう、奏白の意識は混濁したまま夢の世界へと落ちる。アリスは奏白を生きたまま自分だけの所有物にしたがったため、幸運なことに位置名はとりとめている。背中に受けた傷からの失血死が無いよう、ハートのジャックが回復を行った。

「あとは、邪魔なお姉ちゃんが一人いるだけだね」

 お気に入りの捕獲を見届けると、満足しきったアリスは振り返り、満面の笑みで真凜の方を見た。もう既に、助けなくてはならないという意志は折られていた。ここで自分が逃げ出しても、割を食う民間人はいない。近場の同僚が応援で駆け付けてくれればそれでよいし、奏白は捕まっても後にアリスさえ捉えれば取り戻すことができる。
 しかし、彼女の脳裏に一抹の不安が過る。果たして本当に取り返すことができるのだろうか。果たして本当に、こんな化け物じみた力を持った守護神を捕らえることができるのだろうか。

「そうそう忘れてた。ハートのジャックさーん」

 無邪気な声で三人目の騎士に呼びかける。クラブとダイヤの兵隊を思い返すに、それぞれの下級兵の持つ固有の特性をさらに強化した性能をしていた。足の速いクラブの上級兵は奏白に拮抗するほどの高速戦闘を得意とし、商人のダイヤは巨大な折を瞬く間に作り上げてしまった。
 だとすると、ハートはどうだろうか。下級兵でさえ易々と仲間である他の兵士戦闘不能から立ち直らせた。そのジャックともなればどれほどまでの力を有するのだろうか。
 ハートのジャックが手にしていた得物は先端に緑色の宝玉のついた杖であった。アリスの隣で、スペードのジャックに守られながらその杖を高々と天に掲げる。その時、翡翠色の光の粉が周囲一帯に巻き散った。蝶の鱗粉が宙を舞うようにじわじわとその空間を埋め尽くす。毒の可能性を考慮したが、真凜がその粉塵に触れても何の効果も表れなかった。
 しかし、トランプの兵士たちは違った。奏白と真凜が地道に一体ずつ撃破していった各雑兵たちは、ハートのジャックがまき散らしたその光輝く粉を浴びた瞬間に、一様にむくりむくりと立ち上がった。折れ曲がり、破損していたカードでできた彼らの体も、まるで新品の商品のように折れ一つない様子に復元されている。
 先ほどまでの抵抗は一体何だったのだろうかと、真凜は目の前の光景に絶望した。共に戦っていた兄は捕らえられ、残るは満身創痍の自分が一人。立ちふさがるのは、総勢四十四名の、半永久的に戦うさながら不死の一個師団。資源も体力も尽きることはない。
 目の前の景色が真っ暗になった思いだった。言うなれば、未来が閉ざされていた。勝利のビジョンも無ければ逃走するすべもない。交渉の余地もなく、ただただ、アリスの凶悪さに絶望するほかなかった。
 せめてこれで、アリスのデータが伝わり今後の役に立ってくれればよいかと、乾いた笑いが漏れた。自問自答のように彼女は自分のその望みを否定した。役立てる、一体誰が?
守護神の中には序列が存在している。守護神が持っている識別番号、アクセスの際にphoneに打ち込むその数字こそが彼らの序列を示している。ナンバーは小さければ小さいほど序列は高く、数字が十や二十違う程度ではほぼ影響はない。しかし、この位階は観測されている中で最も小さい数字は100である。大きいものだと五桁や六桁に達する。それだけ多くの守護神が存在する中で、真凜の契約相手であるメルリヌスであれば224、奏白のアマデウスであれば649、世界にもその数がごく少数に限られる三桁のナンバーズ二人が束になってかかったのである。
 その結果がどうなった。確かに今回は二人しかいないと思えるが、人数に関してはアリスの側も最大44人、見せていないだけでキングやクイーンを足せば50を超える。対策課全員が二人ほど強いという訳でもなく、当然二人よりもナンバーが大きく、頼りない守護神の者しかいないと言っても過言ではない。
 今後アリスを討伐するために必要な条件はおそらく最低限自分が無事に帰還することだろうと真凜は思う。できるのか、尋ねたところで誰しもがきっと無理だと言うだろう。せめて、情けない面を拝まれてなるものかと、唇を強くかみしめて彼女は顔を伏せた。

「もう、いいや……」
「バイバイ、お姉ちゃん。楽しかったよ」

 これで終わり、そう思ったその時だった。リズムよく、アスファルトの大地を叩く音が聞こえた。足音、一体誰のものだろうかと思うが、都合のいい幻聴をしているだけだろうと真凜は無視する。きっと次の瞬間には兵隊たちの手にかかり、意識は途絶える。
 そう思っていたのだが、いつになっても真凜のとどめが刺されることはなかった。一体何をしているのかと、視線を挙げてみると、アリス達がよそ見をしているのが見えた。彼女たちの視線は、先ほど真凜が足音を聞きつけた方向を向いているようである。
 誰も来るはずなんてない。彼女が、そう諦めていたのを否定するかのように足音の主は叫んだ。
 その時彼女は思い出した。たった一人だけ、自分たちの交戦を伝えられた者がいたことを。

「奏白さん、真凜さん! 無事ですか!」

 無事な訳ないじゃないと、胸の内で毒づきながら真凜は吠えた。無いはずの気力を絞り出して、自分の元へと駆けよってくる彼へと思いをぶつける。

「今すぐ引き返しなさい、知君くん!」

 気弱な少年に対し、彼女は強い語気で幼い子供を叱りつけるようにそう怒鳴った。先ほどまで意気消沈し、抑鬱した状態のまま死を迎えようとしていた者とは思えないほどにはきはきとした、芯の通った声だった。いつも彼はこのぐらいに怒鳴りつければ委縮していた。きっと命令を聞いて帰ってくれるだろうと思った。
 しかし、彼は振り返ろうとすらしなかった。臆して目を閉じることも無かった。迷いない足取りで、ついには真凜の眼前にまでやってきた。何してるのと、弱弱しい叱咤が彼女の口から洩れた。

「助けに来ました。傷は……良かった、そんなに深くないですね」

 戦闘の最中、かすり傷は負っていたが、大きな負傷は一度も無かった。ただ疲労しているだけだということを一目で見抜き、知君はほっと胸をなでおろす。
 普段はおどおどしているというのに、知君は目を吊り上げてアリスの方に鋭い視線を向けた。あなたがやったんですねと、トレードマークの敬語は忘れることなく彼なりに精一杯威圧する。しかし、まるでアリスには怯えた様子はなく、「うんそうだよ」と和気あいあいとした様子でトランプの兵士の中心で微笑を浮かべていた。

「帰りなさい、何とか私が囮になるから」
「嫌です」

 真凜の指示に知君は真正面から逆らう。死に際の頼みでさえままならないというのかと、真凜は奥歯を強くかみしめた。

「僕なら大丈夫です。Callingの許可はもらってきました」
「知君くん、あなたの番号は知らないけれど、私たち二人がかりでも惨敗なの。一人じゃどうしようもないわ。私たちは元々覚悟してるけど、君は……」
「僕だって覚悟しています。子ども扱いしないでください」
「子供だから、じゃない!」

 お願いだから、頼みを聞いてくれと真凜は請うように声を捻りだす。

「あなたは民間人よ、私たちと違う。守られる側の人間なの。平和な世の中に生きる人なの。私たちは守る側で、死と隣り合わせかもしれないけど、それでも君たちみたいな人が幸せに暮らせることを願って、そうなるように力を振るってる」

 君が君だから悪いんじゃないと、今まで一か月の間共に過ごしてきて、知君に辛く当たってきた真意を漏らす。確かに彼女の中に、何の変哲もない少年が自分以上に兄の信頼を得ているのが腹立たしかったのも事実だ。しかし、それ以上に自分が護ると決めた人に頼り、すがらなければならないというのが彼女の自尊心に障った。

「お願い、君を心中させたくないから、早く逃げて……」
「お断りします」

 ぴしゃりと、知君は真凜の願いを切り捨てた。絶対に退かないという強い意志を見せる。どうしていつもならば素直に言うことを聞くのに、こんな土壇場では融通が利かないのか。歯がゆさに、真凜は目の前の少年の頬を引っ叩いてやりたくなる。しかしそれは堪える、彼女自身が彼を傷つける役目に回るのは本意ではない。

「ねえ、お話終わった?」
「ええ、そろそろ終わりますよ」

 おもしろそうだと思って黙って見ていたアリスだったが、ついに飽きてしまい、二人の会話に割って入る。

「待って、まだ話は」
「私は大人だから待ってあげたけど、そろそろ限界かな、って」
「大丈夫ですよ。Callingだけさせてもらえると嬉しいですが」
「いいよ、私大人だから。それに私とっても強いから、お兄さんの好きにしていいよ」

 ただ、負けたらお兄さんも私のものになってよと、彼女は条件を追加した。知君の容姿は中世的に整った外見だと仕分けし、可愛いお兄さんがいるのもいいなとアリスが欲したためだ。

「待って! この子にだけは手を出さないで!」
「いいですよ」
「君も何言ってるの、いいから早く逃げてってば!」

 ほがらかに話す二人の言葉のキャッチボールに挟まれながら、何度も金切り声で真凜は二人の会話を遮ろうとした。けれども、その声は二人には届かない。守りたいと思うのに、真凜のその祈りはどこにも届いていなかった。

「大丈夫ですよ真凜さん」

 負けませんから。そう言って彼はポケットから黒い機械を取り出した。それは、旧世代のphoneだった。スマートフォン型の、各種機能追加された、真凜たちが持っている機種ではなく、旧型のcallingする能力だけが備わった原始的な装置。ピッピッポッ、とボタンを押す電子音が三度鳴る。
 旧式のphone、それが使われていた時代はまだ、守護神アクセスはcallingと呼ばれていた。だから基本的に知君はアクセスでなくその用語を好むのかと、極限状態の中でどうでもよい些末なことに真凜は納得した。
 そのまま知君は耳にその機械を押し当て、発信ボタンを押す。つまりナンバーは三桁、ようやっと、彼がその身分や経歴を差し置いてこの対策課に大抜擢された理由を真凜は納得した。

「来てください、ネロルキウス」