複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス【File7・開幕】 ( No.45 )
日時: 2018/04/21 11:53
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 守護神アクセスを行った二人を見て、王子はただ愕然としていた。自分たちだけだと思っていた。守護神アクセスをできる、お伽噺の世界の守護神なんて。それなのに関わらず、その思い上がった幻想を打ち砕くように、目の前で桃太郎は守護神アクセスを行った。名前が桃なのとは裏腹に、どす黒い闘気が褐色肌の少女を覆った。彼女の目は桃太郎と同じように、真紅に汚れている。まるで彼女自身がフェアリーテイルとなったように。

「よーし、いつまでも突っ立ってないでさ。お前ら、早くアクセスしな」

 桃太郎が実力で倒さなければ意味が無いと主張しているのだと彼女は言う。その主張は暗に、対等な条件ならば自分が負けるはずがないと言う自信を表していた。舐めやがってと王子は歯ぎしりをして。そんな様子を見たセイラはと言うと、血相を変えたまま彼に撤退を提案し続けた。

「駄目です! 彼らには絶対に敵いません! 王子くんのせいじゃなくて、桃太郎と私とでは、守護神としての力が……」
「そんな事ない! やってやろうぜセイラ。それに、あいつらより弱かったらどうせ後ろから殺されるだけだ」
「そんな事ありません、彼の性格なら私達が逃げれば興が冷めるとでも言って追ってきませんから、だから安心して」
「おめおめ引き下がれってのかよ! 馬鹿にされたまんまで」
「そうじゃありません! 今は生き延びることを優先しようと」
「もういいよ!」

 王子は彼女の腕を掴む。急に勢いよく掴まれて、セイラは顔をしかめた。小さな悲鳴と共に痛いと伝えても、その事に王子は耳を傾けていないようである。

「俺が証明するんだ……セイラは、セイラは強いんだって」
「だから、そんなのどうでも……」

 そんな制止など振り切って王子は吠える。相棒である彼女の言葉も意志も全て目にも留めず、欲求の赴くままに、戦場へと踏み切った。

「守護神アクセス!」

 セイラの姿が半透明に透ける。眠り姫との交戦時に一度目、そして今二回目の守護神アクセスを行った。
 普段であれば、彼女が見てくれていると言うだけで充分力が湧き上がってくると言うのに、今は何となく、ちっとも力が出てこなかった。確かに腕にも脚にも力を入れやすく、身体能力は著しく上がっている。能力だって使えることだろう。念じてみれば、衝撃を吸収するための泡は確かに出現した。
 守護神アクセスは成功している。だというのにどうしてこんなにも満たされないのだろうか。彼は振り返り、セイラの様子を確かめた。そっぽを向いて、顔は背けられていた。ズキリと、胸の奥が痛む。目元を押さえるその手で、泣いていると告げているようで。
 どうしてそんなに嫌そうにするんだよ。眼球の奥の方が何だか痛い。目をしばたかせる。別に涙は湧いてこなかった。寂しいのかな、などと考えてみる。セイラはまだ何も答えなかった。正確には、彼女は嗚咽を漏らさぬように何とか押し殺しているせいだが、彼にとっては何となく、自分が拒まれているように思えてならなかった。
 だったら、だからこそ、証明しなくちゃ。彼は目の前の女性に視線を向けた。女だからと言って、桃太郎と力を合わせている以上容赦はしない。容赦と言うより、油断はできないと言う方が正しいだろうか。

「さて、オウジだったけか?」
「そうだけど?」
「私さ、お前殺せって頼まれてんの。だからさっき、逃げても殺される言ってたな、あれ正解」

 そうかよと王子は吐き捨てる。こちらこそ、端から退く気など微塵も無かったため関係ない。如何に桃太郎の力を持っているといっても、女。流石に昔から、かじった程度とはいえ鍛えてきた自分が遅れを取るはずは無いと踏んでいた。

「そうかよ、できるもんならやってみろよ」
「オーケー承った? んあ、合ってんのかな? 日本語難しいな」
「ごちゃごちゃ言ってんなよ! そっちの名前は?」
「名前は無いけど、呼びたかったらクーニャンって呼んどけ!」

 それが合図だった。開戦の狼煙が上がり、二人が同時に地面を蹴って。初めて桃太郎を目にした時と同じように、地面に壁に、縦横無尽にクーニャンが駆け回った。右へ左へ上へ下へと跳んで跳ねてを繰り返し、近づいては遠ざかりそのリズムを掴ませない。いつ来るかそう思っていたところ、とうとう動いた。正面に大きく片足を振り上げた彼女の姿。思い切り振り上げた踵を王子の脳天目掛けて振り下ろした。
 させるかよ。腕中を泡で覆う。クッションのように衝撃を吸収したり、相手を捕らえてそのまま閉じ込めるように用いることもできる。かつて歌姫を捕まえて、マネージャーに引き渡した時にも使った能力だ。真っ向からクーニャンの足を受け止める。泡のクッションによりある程度和らげてはみたものの、それでもまだ腕が痺れるような衝撃。これが桃太郎の力なのかと王子は呆れる。そう言えばあの時も桃太郎の力は大したものだったなと思い返す。
 あの時と比べると、クーニャンの動きは精彩を欠いているように思えた。やはり女性ともなると、桃太郎ほど体を動かすのに精通していないのかと侮った。侮るなとセイラから言われているというに。だからこそ、彼女から退けと告げられたと言うに。
 鋭い一撃を受け止め、そのまま迎撃態勢に入る。退路をそのまま大量の泡で塞ぎ、正面から体術で攻める。正拳、上段蹴り、その後体勢を立て直す間隙を縫うように水の刃で仕掛ける。しかしクーニャンもそれらを見切り、紙一重で全て躱す。顔を傾け、上体を逸らし、身を翻して跳び退いた。しかし、その背中が立ち込める水泡の壁に触れてしまう。捕らえた、そう思って油断してしまう。
 一気に決めてやるよと、浄化の歌声による能力を行使する。彼女の端正な顔が、これまで見てきたフェアリーテイル同様に苦悶に歪む。だが、だからといってその場で苦痛にさいなまれるだけで終わるはずはない。眉間に皺を寄せたまま、舌打ちを一つ。壁にまだ飲み込まれていない両手を空中に添える。瞬時に放たれた極光、王子が瞬きを数度したらいつしか、彼女の手には日本刀が握られていた。鞘から刀身を引き抜き、彼女は自らその身を掴んで離さない膨れ上がった雲のような壁の中に飛び込んだ。完全に、彼女の身体が隠れてしまう。自暴自棄かと王子は思ったが、そんなことも無い。
 刹那、走る一閃。地表から上空までを一直線に貫く斬撃。今まで一度も破られなかった能力だというに、クーニャンはあっさりと一刀両断。高く積み上がった泡の壁は真っ二つに分かれた。割れたこともない無数の泡が同時に弾けて飛沫を上げ、宙に消える。
 あっ、と口にする暇もないほど小さな隙。たったそれだけの短い時間しか経っていなかったというに、もう喉元にその切っ先が付きつけられていた。頭で理解するより早くに体が反応した。ぐるりとその場で回転し、何とかその剣を回避する。何とか突きの軌道から首筋を逸らしたと思っても、回避しきれなかった刃が薄皮一枚を裂いた。首元を撫でる冷たい金属。後一瞬の遅れで喉元を貫いたかと思うと、急に背筋が冷たくなった。
 実際のところ、神経まで届いていないため痛みを感じることなど無いはずだ。ただ、彼の精神がその首元の怪我を痛いと叫んでいた。痛くなんて無いのに、刃の触れたその質感だけで、大怪我を負った錯覚に陥る。
 噴き出る脂汗、一気に恐怖が肚の底からせり上がってくる。このままじゃ不味いと、眠り姫との戦いの際に用いた水を再び自分の周囲に引き寄せる。出しっぱなしにしているだけあって、かなりの量に達していた。この狭い範囲なら軽く洪水でも起こせそうだなと思いながら、純粋な力で押し込むように、氾濫する水をクーニャンに向けて全力で押し付けた。
 あまりの勢いに後方へと押し戻されるクーニャン、そのまま壁に叩きつけてやろうとしたその時、彼女はどこからか取り出した、薄い黄色の柔らかそうな一口大の球体を手にしていた。
まさか、とは思った。それ自体は実際に一度目にしたことがあった。しかし、もう既に使用済みだと思っていた。あくまでも今の桃太郎たちは、それを使ったうえで以前より精彩を欠いた動きなのであろう、と。
 しかしこの様子だと、そのドーピングは未だに用いていない様子である。そんな馬鹿なと、団子を彼女が嚥下する様子を見届けることしかできなかった。

「これ食べたら元気十倍、だったか?」

 以前の、キビ団子を食べた後の桃太郎と比べて、クーニャンの身体能力は劣ったものだと感じていた。しかしその認識は逆だったと気づく。まだ能力を使っていない、純粋な体術のみで戦っているというに、以前の桃太郎に迫る戦闘能力を見せた。
 すなわちこの桃太郎の契約者の女は、推定していたよりもずっとずっと、くせ者だったのではないかと思い至る。おそらく契約したのは最近だろうに、その膂力を活かしての大立ち回り、さっきの王子の攻撃を避けたのも、ギリギリだったのではなく最低限の動きだっただけ。今更ながら、彼女の異常なまでの体捌きに気が付く。
 それよりも強く、速くなる。もう、息を呑む間もないように思われた。

「こういう時、何て言うんだっけか、お前ら。ガンガン行こうぜ?」

 クーニャンの姿が消えた。不意に後ろから気配が現れる。首を回しながら視線もそちらへ向ける。白銀の刀身が煌いたように映った。足元に万が一のために作っておいた水溜まり、その鏡面の中に王子は潜り込んだ。
 何とか頭上にて剣閃が空ぶる気配。またしても死と隣り合わせ。ようやっと、顔を背けていたセイラと目が合った。充血した目が潤んでいる。だから、どうしてそんな顔をしているんだよ。臍を噛む。うっすらと血の味が口の中に広がった気がした。そんな顔、させたくないから戦っていると言うのに。
 二人がそうやって、鏡の世界の中で閉じこもっている間に、外の二人は次なる一手を打っていた。全霊の力で振り下ろした刃、真下の地面ごと水面を引き裂いた。水しぶきが飛び、水溜まりが消え去る。出入口が消失すると同時に、行き場を無くした王子の身体が飛び出した。

「避けきれるかな、オウジ?」

 日に焼けたその肢体が踊る。クーニャンの足の甲が王子の眼前まで突き付けられた。しゃがみ、回避する。ホッと安堵、などする暇など無く。急に勢いを殺し空中で静止した脚が、ピンと伸びたまま王子に振り下ろされた。肩の辺りに直撃、激痛が走る。踏まれていない側の腕を患部に押し当てて苦悶の声を上げた。
 走る斬撃、目の前に陽の光を受けた刀身が煌く。自分の身体が左右に真っ二つになるイメージが浮かんでくる。認めてたまるかと、地面を蹴る。しかし刀を掠めてしまった右腕から血が溢れる。だらだらと流れる血に、身体中の熱が奪われるように感じる。あまりに寒く、冷たい、足元から這い寄ってくる身が凍てつくような嫌悪感に似た硬直。

Re: 守護神アクセス【File7・開幕】 ( No.46 )
日時: 2018/04/21 11:55
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 これが、死の絶望というものか。力量差に王子は、心が折れそうになっていた。
 そんな彼の心を辛うじて繋ぎ止めていた者など、一つしかない。けれども、何よりも強いと思っていたその糸は、何だか今日は頼りなく思えた。自分がここでこうして戦っていることに、何の意味があるのだろうと愕然とする。彼女の目を見ようとするも、叱咤と恨みがましさが籠っているような気がして、視線がそこまでたどり着かなかった。
 だが、退けない。退く訳に行かない。桃太郎を野放しにできないから、といった理由ではなくあくまでも自分に弱虫の烙印を押したくないため。憧れた英雄からまた遠ざかりたくないため。そして、相棒が頼りないだなんてレッテルを、セイラに貼らせないため。
 胴斬り、袈裟斬り、鳩尾への中段蹴りに喉元を穿つような貫き手。跳び、転がって腕を押さえ込む。掴んだ腕からそのまま背負って投げようとするも、そんな暇など彼女は与えない。柄頭で王子の鼻先を殴打した。彼の視界に、ちかちかと火花散る。鼻の奥がじんと熱くなり、血の匂いが香る。拭えども幸い鼻血らしいものは流れていない。
 刀を持っていない方の腕で矢継ぎ早に拳を飛ばされる。兄貴のジャブみてえだと、王子はそれを次々上体を逸らして回避し、ボディへの牽制は腕で防ぐ。太陽との特訓と速さこそ変わらない者の、一打一打の重みが違った。受け止めた前腕に、上腕に、ずしりと響く衝撃。これが桃太郎の契約者と、生身の人間との違い。
 だが、気は抜けない。いつ、動きを止めた刀を持っている側の腕が動いたものか分かったものでは無い。目の前に迫る拳打の雨を避けつつも、意識は日本刀から離さない。
 しかし、そんな散漫な注意力を見逃すほど、クーニャンと名乗った彼女は甘くなく。

「警戒、バレバレだぞ」

 まず初めに自覚したのは、肺の空気が無理やりに吐き出されたことだった。その後、前方から押し飛ばされるような、または後方に引っ張られるようなどちらとも言えない感覚。くの字に曲がった体から、何かが腹部に叩きこまれたことを自覚した。
 最後にようやく、全身を駆け抜けるたった一つの重すぎる衝撃。全身の筋肉が悲鳴を上げ、骨が軋む。内臓は潰れそうになりながらも辛うじて歯を食いしばって耐えきっているようだった。後方の壁がすぐそこに迫る。薄れる意識の中、咄嗟に大量の泡で全身を包んでクッションのようにした。それでも殺しきれぬ威力、錆びの目立つ壁に叩きつけられた。視界の奥には、左足で体を支え、右膝を突き出したクーニャンの影。視線を両手にだけ向けたところでの膝蹴り、やはりこの女、戦いなれているのかと理解した。
 誰かの呻き声が聞こえた気がした。しかしそれを発した主は、間違いなく自分だった。遅れて痛みを脳が自覚し、思考回路が焼かれそうな程の刺激伝達。痛い以外の感情が無くなる、脳内麻薬がどんどん分泌されても、それより早いペースで、それより強い勢いで腹部が痛いと叫んでいた。
 その勢いに、王子たちの接続が中断される。王子が纏っていたエネルギーが立ち消え、代わりに人魚姫が虚空から現れた。すぐ隣に降り立った人魚姫は王子に寄り添い、地面に転がる王子に寄り添う。

「王子くん! しっかりして下さい」

 その声に、王子は覚醒する。歯を食いしばれば、その激痛などいくらでも耐えしのげた。全身はその苦痛にさいなまれていたが、骨も筋も内臓もまだ無事だ。戦える、だからこそ彼はその手をまた、セイラへと伸ばす。
 そんな様子を桃太郎たちは、興ざめだと言わんがばかりに見ていた。

「もう、一回だ……今度こそ、今度こそっ!」
「やめてください王子くん、もう限界ですから!」
「限界なんてあって堪るかよ! 約束っ……したんだ」

 胸に苦悶と痛みとが詰まっているかのように思えた王子は、咳ばらいをして全て吐き出す。吐血も無い。折れかけた心はセイラの声で補強できた。体に重篤な被害は出ていない。まだ、まだ戦える。

「誰と何を約束したっていうんですか、命を捨てるほどの事じゃないでしょう?」
「捨ててもいいよそんなもん!」

 掠れそうな声、喉から振り絞るように悲痛な声を王子は上げた。その声は、体の痛みと言うよりむしろ、心の痛みに泣いているようだった。涙こそ流していないものの、慙愧に、絶望に、敵への嫉妬に、ままならない己への憤怒に、その声が揺れていた。

「最初から俺は、死んでたみたいなもんだった。だからここで死んだって、何も変わんねえよ」
「馬鹿なこと言わないでください」
「馬鹿じゃない! 俺は……セイラのおかげで生きていられるんだ。だったらセイラのために命くらい捨ててやるって決めてんだよ」
「何、言ってるん……ですか?」

 ずっと、夢を見ていた。誰かの泣いている顔を笑顔に変えられるような、そんな英雄になりたいと。人を助けられる人に、救える人になりたいと。無理だと突き付けてきた厳しい現実は、人魚姫と出会って一変した。
 だから、だから彼は彼女のために立ち向かわねばならない。自分の夢を叶えるために、と同時に、自分の夢を叶えるだけの力をくれたのだから。だから自分は、彼女のための力とならなければならない。

「何千年、何万年生きても死なない守護神にとって、俺は瞬きする程度の短い時間の記憶にしか残らない、替えの利く契約者の一人だって分かってるよ。けど、俺にとっては……かけがえのない恩人だから。代わりなんていないから。ここで屈してどうなんだよ、お前の親友帰ってくるのかよ。そうじゃないだろ……。初めて会った時、言ったろ? 他の誰かじゃなくて、俺がお前を、ハッピーエンドにしてぇんだ」

 もう、ここで命散らしても構わない。おそらくはここで桃太郎さえ討ってしまえば、後は兄や父、知君がどうにかしてくれるだろう。だけどせめて、目の前の彼だけは討っておきたい。彼女に自信を持ってほしい。自分が知君から、優しいと、強いと言われた時のように。人魚姫は可哀想などではないと、誰より彼女に伝えたい。刺し違えてでも、必ずここであいつ一人くらい。
 そうやって、覚悟を決めていた。喜んでくれるだろうと、勝手に一人で思い込んでいた。それなのに、彼が目にした彼女の表情はどうだ。怒って等いなかった、決してだ。それでも当然、喜んで等いなかった。ただただ、その目は真っすぐに王子を見据えて、ボロボロと大粒の涙を次々に溢れさせていた。言葉になんてならないような嗚咽を漏らして、王子の胸を何度も叩く。全然力のこもっていない手は、まるで綿で叩かれているみたいだった。それくらいに、彼女は空虚に包まれていた、握った手の中には何も存在しなかった。
 彼女には、王子を叱咤することなんてできなかった。焦っていたことも全て、自分のための事だと知って、ではない。確かに嬉しくは思う、きっと駆け足で階段を、飛ばしながら駆け上がろうと躍起になっていたのは自分を想っての事と知れば。けれども、それ以上に悲しかった、王子が「セイラにとって自分はどうでもいいもの」だと思い込んでいることが。
 どうでもいい、そんな訳ないのに。誰より大切なのに、契約者と出会うだなんて初めてなのに、替えが効くだなんて言われたくなかった。それがとても、寂しかった。自分の想いが伝わってなかったことが。
 ただ、セイラの胸に何よりも強く突き刺さったのはそれではない。何よりも深々と突き刺さったのは、同じことを自分も考えていた事実だ。自分は王子に対してどう思われていると考えていたか、見直してみる。彼にとっては守護神がいるかどうかが肝心で、それが自分である必要など決して無かっただろうけど、とは考えていなかっただろうか。
 それが、どれだけ言われて悲しいことかなんて、考えもせずに。自分にとって王子の代わりがいないように、彼にとっての自分の代わりなんて居なかったというのに。無神経な自分も、契約者の彼も、どちらも大馬鹿野郎だった。
 怒ることも、何もできずにただセイラは泣いてばかりのその顔を王子の胸にうずめた。弱いなあと自らの事を叱咤する。この期に及んで、王子が軽率に命を捨てようとしたことを窘めることもできなければ、言っていることが見当違いだと叱りつけることもできない。何か言わなければと理解しているのに、ただ彼女には、胸の奥の深い悲しみを、そのまま言葉にすることしかできなかった。

「……じゃったら……いですか」
「えっ?」
「自分のために王子くんが死んじゃったら、幸せになんてなれないに決まってるじゃないですか!」

 その言葉に、王子の全身が強張る。その言葉だけで、自分のしようとしていた事が、全部ただの自己満足だったと、死のうとしていたのがただのカッコつけだったことを知らしめられる。彼女は最初から、自分が本当に望むことを懇願していたのに。逃げてくれと、自分に生きていて欲しいと。
 彼女のためだって偽って、自分の事ばかり考えてもがいていた。ようやっと理解して、突き付けられたその真実が、先ほどまでの圧倒的な実力差から来る絶望など簡単に塗りつぶした。彼女を泣かせたのは桃太郎でも、友人が洗脳されたことでもなくて、ただの自分の軽率なふるまいだと言う事実は、クーニャンに蹴られたそんな痛みなど忘れさせるほどに、彼の精神を引き裂いた。
「はー、こんなとこでいちゃついてんなよ。まー、姫さんとオウジなら仕方ないか」
 だけど、ここで終わり。ここで彼を殺すことが彼女の使命の一つだった。もう桃太郎の復讐は達成できたことだろう。相手が守護神アクセスするところなど、待つ必要も無い。
 剣を構え、二人の方を見据える。切っ先を王子の胸元へと向けて走り出す。人魚姫に死を与えることはできないものの、同じ痛みを与えてやることくらいが、今彼女にできる唯一の手向けだった。

「ごめん、ごめんな……」

 背後から自分を貫くための凶刃が駆けている事には気づいていた。気づいていながらも、反応などできない。もう、立ち上がる力が湧いてきそうにも無かった。
 最後にせめて、自分が犯した間違いを認めて、謝れる限り彼女に謝ろうと、王子に縋る彼女を両腕で包み込む。その間にも、黒いオーラをまとったクーニャンは矢のように駆け抜ける。
 戦場を横切る白銀の閃光、もう後一歩のところまで泣き塞ぐ二人へと接していた。振り上げた刃がより一層強い日の光を受けて眩しいほどに輝く。こうしてみると、いたいけな少年少女に手をかけているようで、クーニャンにとっても少々寝覚めが悪かった。普段は私欲に溺れたじじいどもばかり相手しているからかと、彼女は一人納得する。
 それでも、金を渡され、プロとして仕事を請け負ったからには彼は殺してしまわねばなるまい。ぬくぬく育ってきた子供の割には強かったよと、心の中でだけ最大限に二人を賛辞して彼女は、王子の背後からその心臓を貫く。

















「反省は後にしなさい、まだ終わってないわ」

 王子の背後から、その心臓を貫くより一瞬早く、クーニャンは上空から降り注ぐ無数の光の矢に気が付いた。矢と言うよりも光線だろうか、王子達が蹲っている地点のみを避けるように、次々と降り注ぐ閃光。彼女の本能じみた直感が、当たってはならないと叫んでいた。王子を殺すための刺突など止め、すぐさま後方に跳び退いて退避した。
 天空から飛来した何十本と言う光線がコンクリートの地盤を貫いた。針の巣みたいな穴があっさり穿孔された様子を見て、気づいていなければ自分がこうなっていたのかと、緊張の糸が張り詰めたような感覚を体の芯に感じた。
 児戯にもよく似た王子達との争いに、刺激的なスパイスが加えられる。降り立った影こそ見知らぬものだったが、クーニャンに憑くように控えている桃太郎はその顔に、かつて自分を完膚なきまでに打ち負かした捜査官の男、彼の面影を重ねた。
 いつまで待っても襲わぬ斬撃、それと耳に飛び込んだ耳慣れない声とに、王子達は顔を上げた。スポーツショップで見かけるような鮮やかなデザインのスノーボードに乗った女性が一人、そこにたたずんでいる。

「王子くんね、君が」
「そうですけど……えっ」
「お説教、と言いたいところだけど、説教も自己紹介も後よ。悔しいけど、私一人じゃこいつに勝てそうにないから」

 振り返った彼女が、私に力を貸してくれるかしらと問う。もう一度、立ち上がれるかという意味だろうか。目が覚めるほどに整った顔立ちの佳人、頭の後ろで束ねられた髪が揺れている。スーツを纏ったその捜査官の女性を、彼は何度も近日の報道番組で目にしていた。
 奏白 真凜、クラスメイトである知君のチームメイトである女性。それはかつての王子が憧れていたような、強力な守護神をその身に宿した、多くの人を救うかっこいいヒーロー。