複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス【File7・開幕】 ( No.47 )
- 日時: 2018/09/11 16:48
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)
奏白 真凜、クラスメイトである知君のチームメイトである女性。それはかつての王子が憧れていたような、強力な守護神をその身に宿した、多くの人を救うかっこいいヒーロー。
どうして彼女が現れたのか、そんな事彼には知る由もない。ただ、彼女が駆け付けたことにより助かったこと、助けてくれたこと、そしてその彼女が助力を求めていることはすぐに察した。セイラも顔を上げ、何が起きたのかを把握した。跳び退き、警戒を露わにしているクーニャンの様子から、見知らぬ女性が敵ではないと悟る。
戦局が一変、それを感じてはいたのだが、二人とも茫然として動くことなどできなかった。そんな彼らを叱りつけるような鋭い一声。
「ぐずぐずしないで! すぐに来るから!」
またしてもクーニャンが仕掛けようと、前傾姿勢に。守護神アクセスも行っていない状態、王子の目には完全に彼女の影が跡形もなく消えたように思った。思うと同時に光の柱が眼前を塞ぐように天へと昇った。行く手を阻まれたのだろうか、天を衝く光の槍の向こう側、地面が擦れた音を上げた。地面を這うように広がっている水溜まりから飛沫が跳ねる。咄嗟にブレーキをかけてバックステップしたクーニャンが、苦々しく舌打ちをした。
「早くしなさい!」
「はいっ」
真凜の勢いに気おされた二人は、すぐにお互いの手をとった。合言葉を口にして、臨戦態勢に入る。真凜の目からは人魚姫の姿が見えなくなり、代わりにその身体から発されたエネルギーが王子を包む。なるほど、フェアリーテイル達の守護神アクセスはこのように行うのかと真凜は納得した。厳密にはセイラは、フェアリーテイルではないが。
「説明している暇も、あっちに能力をばらす義理も無いわ。一つだけ貴方達に指示よ。私の言葉にできるだけ従って」
生き延びたいならね。そう告げ真凜は未来視の能力を行使し始めた。二人が肯定する返事など待っている暇はない。だが、二人は断らないだろうなと察してはいた。互いを想って泣くような二人であれば、絶対に生きて帰ると言う強い意志だけで充分に戦ってくれるであろうと。その上両者とも、この短い時間で充分桃太郎に力の差を見せつけられたばかりだ。それならば十分に協力してくれるだろうと。
青白いエネルギーを収束、砲弾を生成。焼き焦がす光線でなく、穿ち貫く弾丸を次々と掃射する。目の前一帯を焼き払うような砲撃、からの爆撃。その弾と同じ青白い爆炎が炸裂した。大気を揺るがす鳴動、しかしものともせずに青い炎を切り裂いて、飛び出した少女の影。
この程度では物足りないか。眼前に踏み込んできたその身体、押し戻すように腹部に一際大きな大砲の一撃。どのタイミングで、どの位置に踏み込んでくるかなど、数秒前に確認済み。後はそのタイミングに合わせて、攻撃を置くだけ。
だが、その反応速度も並大抵では無かった。刀を振り抜いては自分がその砲撃に押し戻されると察した彼女は、すぐさま斬撃を中断、刃の腹でその砲撃を受け止めた。先ほどよりよほど威力の高い一撃、勢いに押され、後方へと追いやられる。真っ向からは撃ち返せない、切り裂いてまた爆発したら今度は正面から熱量を受け止めることになる。
ならばと彼女は、日本刀の刃の上を沿ってレールのように走らせることで、真凜の弾丸を上空へと打ち上げた。撃ちあがると同時に、発破。頭上で大きな花火が上がる。もう一度と、また踏み込む。だが、それは叶わない。
一歩進んだと同時に跳ね上がる体。何事かと彼女が足元を見れば、虹色の板。正体の判別こそつかないものの、これを踏み抜いたせいで足から体が跳ね飛んだのは明確だった。不格好に彼女の身体が宙に浮く。その隙を逃すなと真凜は王子達に指示を出した。
「今! 水操れるでしょ? 叩きつけて!」
指示通りに王子は散らばった水を集合、上空から滝のように流れ落とさせてクーニャンの身体を地面に叩きつけた。その身体が自分より遥かに強靭になっていることなど確認するまでも無い。容赦と言う名の油断はしないと、全力で地盤へと叩きつけた。苦しそうな吐息一つこそ吐き出せど、その眼光の好戦的な色は何一つ消えていない。
握りしめた刀の一振り、水流がぱっくりと二つに割れる。その様子はまるで竹が裂けるようだった。だが、その対応すらも読んでいた真凜が、細く収束させたレーザーを、真っすぐにクーニャンへと放つ。またしても水流に呑まれぬよう、一度後方へと逃げる彼女の姿。しかし、そんな彼女を嘲笑うように真凜の撃ち放った光線はその軌道を変える。ぐるりとクーニャンの居所を迂回して、後方から二本の光線が交差するように襲い掛かった。
猫のように、褐色の胴体を宙に浮きあがったまま捻らせて、何とか回避を試みる。しかし躱しきれなかった熱線は容易に彼女の身体を捉えた。脇腹と右肩の辺りを掠る。王子達の事など易々と手玉にとっていた彼女が血飛沫を上げる。だが、痛みになれているのか彼女はその程度では顔色一つ変えない。
「スリかと思っていたけれど」
真凜も周囲の水を操ることができる。それほど自在に動かせる訳では無いが、スケートボードを浮遊させるその応用で、水の牢獄を作り出してクーニャンを閉じ込める。殺してしまわないよう、話を聞き出せるよう口元だけ覆わないようにして全身を水で包み込んだ。
「貴方、正体は何なの?」
「教えると思うか?」
「その道のプロって事ね」
ここで口を割らないと言うのなら、それ相応のプロ意識を持った人間に間違いない。名前がクーニャンであるという事だけが割れている。
彼女の生まれは、中国のスラム街だった。その日食べるものすらも日によっては手に入らないような退廃した街。着る服などもそう容易には手に入らない。それゆえ、彼女は年中夏服で過ごしていた。上の服も下の服も、一着ずつしか替えが無い。日に一度井戸で体を洗う際にその日纏っていた服を洗い着替えるような生活。毎日のように日差しを浴びて暮らしているが故、黄色人種の彼女の肌は年中小麦色に、それ以上に黒く焼かれていた。父も知らなければ、母も知らない。自分の名前すらも知らなかった。
毎日を生き抜くためにできることならば大体全てしてみせた。コソ泥も、万引きも、強盗も傷害も殺人も。売春だけはできなかった。彼女がグレーゾーンあるいは犯罪の領域に踏み入る理由はあくまで、自分が生き延び、あるいは金を手に入れるためである。己の身体を金に換えようとしても、買おうとする人間はあまりいない。金を払えない人間とまぐわう気がなければ、金を払える人間はというと白人がお好みのようだった。美人ではあったのだが、求められる条件を達成できなかったため、彼女は己の身体を切り売りするようなことはまだしていない。
その代わりと言っては何だが、違う意味でその身をかなぐり捨てるように日々を送った。大男相手の殺し合いに、拳銃を持った相手からの窃盗など、命を投げ打つような生き方は送っていた。天性の柔軟性に、バランス感覚、動体視力などまるで野生の獣、とりわけ猫や豹のような体は、その過酷な生活でさらに磨かれた。
転機が訪れたとすれば、そんな彼女の身体能力を買って、私兵にしたいと言う道楽が現れたところである。その頃から彼女には専属のコーチが付けられてより一層の戦闘技術や、諜報能力を授けられた。コードネームを貰ったのもこの頃である。クーニャン、それは未婚の若い女性を指す。
名を貰ったのが十五の頃。そしてあれから一年、あと何年はこの名前を使い続けるものだろうなと、彼女は考える。成長期だから丁度いいと数々の肉体改造を重ねた。元々恵まれた体をしていたため、その過程はいたく簡単だった。無駄な脂肪を落とし、しなやかな筋肉を身に着ける。必要に応じて肩を外すなどすれば、閉所へも潜り込めるように。一応色仕掛けをできるようにと、胸や尻には少し余分に脂肪をつけた。現状邪魔になることの方が多いが、パーティー会場のようなところに忍び込む際は豊満なバストは人目を誘導して、不自然な手の運びから目を逸らさせるのに有用だった。
「さてと、王子くん。彼女のこと……桃太郎を早いところ無力化してくれるかしら」
いつまでも抑えていられる確証はない。また別の手を打たれる前に一気に決めておくべきだ。知君の負担を減らすためにも、王子にその役目を担ってもらいたかった。話を聞く限り、王子による浄化能力には体の調子を崩すようなデメリットは無い。
いつまでも彼に負担をかけてたまるものかと、せめて今日くらいは彼の力を借りずに事件を終えたかった。それゆえ王子に指示するも、それが結局は手遅れだと知る。手遅れと言うより、力不足というべきだろうか。
突如むくりと、クーニャンの影の中から生まれるように、大柄な猿が現れた。ニホンザルなどではなく、むしろゴリラのように逞しい霊長類であった。鍛え抜かれた軍人よりよほど膨れ上がった胸の筋肉はまるで山のようで、石のように固そうなその腕は丸太と見まがうほどに太く。声は小柄な猿のように甲高いものではなく、低く呻るようなものであった。
プールの水面を小学生がはたいて遊ぶように、その太い腕を、クーニャンの身体を捕らえた水の牢へと打ち付けた。貫いた衝撃が、念動力でそこに留まらせていただけの水を飛び散らす。四方へと追いやられた飛沫、拘束がほどけた彼女が地上に降り立つ。仲間を労うように猿へとキビ団子を差し出した。それを口にした彼は、ただでさえ強靭なその肉体をさらに固めたように思えた。
上等じゃないか。強い援護もやって来て、吹っ切れた王子は目の前の困難と対面し、笑う。彼の中にはもう、自分の命を投げ捨てるような無謀は無い。生き延びるために戦い抜くのだという強い意志と共に、高圧高速の水の槍を四方からその大猿へと注がせる。
その肉体では返り討ちにできず貫かれるからだろうか、猿を庇うように立ちふさがるクーニャン、剣閃がいくつも瞬いて、鋭く針のように尖った水流が液滴となりはじけ飛んだ。
「王子くん、泡の力! あの猿の足元!」
指示と同時に解き放つ一筋の閃光、そのまま二射、三射、積み重ねる。総計五本の光線が宙を彩るように走る。真っすぐ桃太郎たちを襲い掛かるかと思えば、真凜の生み出した反射板の能力に衝突し、空中で軌道を変えて折れ曲がる。先ほど自分が踏み抜き、宙に跳ね上がったのはこの鏡のような魔法の板が原因かとクーニャンは理解した。同時に、先刻も光線の軌道が折れ曲がり、生きているかのように変化していたのも合点がいった。
あれに当たっては、致命傷まで及ばずとも無傷には済まない。実体も掴みにくい熱線、剣でしのぎ切れるとも限らない。いつしか忍び寄ってきた人魚姫による泡の能力。身動きとれなくするつもりかと眉をひそめる。負けてなるものかと足裏でコンクリートを思い切り叩いた。反動は充分、灰色の石を微に砕きながら、彼女の身体が踊る。勢い余ったが、猫のように四つ足でバランスを取り直す。しかし、真凜達の目的は自分でなかったと、背後を見て気づいた。膝まで全て真っ白な泡に包まれた猿は身動きなどできずに、降りかかる光の雨に四肢を穿たれる。痛みに吠えるも、体が崩れる。尻餅をついたその側頭部を殴打するような青い砲弾。着弾と同時に弱い爆発。しかし、音はやけに五月蠅いし、閃光弾のように眩しい。
頭を揺らす衝撃に、耳を劈く大きな音、目を焼くような強い光、それらが呼び寄せた仲間の大猿の意識を奪った。起き上がることも容易にはできないような状態にさせられていたが、大柄なその体躯は完全に沈黙した。
「こうなれば」
もう一人の家来、犬を呼び寄せる。そのつもりだった。
「王子くん! 彼女の右斜め後方三歩分のところ! 水柱を作って!」
突然何も無い地点への攻撃指示。しかし王子は迷わなかった。何か意味のあること、そう信じて王子は渦潮のように回転しながら立ち昇る水柱を指定された地点に生み出す。
そんな馬鹿なと、クーニャンは目を丸くする。仲間を呼び寄せる代価としてのキビ団子は、左手で彼女から見て左後方へと、すなわち彼が狙撃した地点へと投げていた。食べ物につられたように、狼のような一匹の野犬が現れる。しかし、それと同時に犬の身体が水の中に飲み込まれた。急な環境変化にもがき、喘ぐ。水中ではろくに息もできそうにない。
その苦しみを長引かせないよう、無防備などてっ腹目掛けて真凜の狙撃。水中からその胴体を押し出す。ようやっと呼吸ができるようになった犬の身体を青白い閃光が喰らった。先ほどと同じ、閃光と爆音による威嚇のための爆発に呑まれる。だが、意識を奪うには十分な威力。その細く引き締まった体が地へと落ちる。あっという間に二人目の仲間まで失ってしまった。
「うっそだろおい」
「観念してくれるかしら?」
降伏を提案するスーツ姿の女性に、クーニャンは急いで状況と戦力差を計算する。座学は苦手だが、こういった現場における勘定は得意な部類だ。こちらの能力の大体が通用しなかったうえに、三人しかおらぬ家来の内二者が倒れた。残るは雉による飛行能力だが、空を飛ぶ能力ならば逃走のために用いたい。
- Re: 守護神アクセス【File7・開幕】 ( No.48 )
- 日時: 2018/04/22 19:19
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
強化している肉体を以てしても、あの女性捜査官には簡単に対処されてしまう。かつてスリを咎められた時と言い、あの女、ただものでは無いなと爪を噛んだ。先ほどからの防御、自分が動こうと思ったその瞬間には迎撃態勢に入っていた。こちらの思考でも読んでいるのだろうか。厄介極まりない能力。何をしかけようとも肉弾戦主体の自分に、彼女を揺さぶる手段はほとんど無いと言われているようなものだ。
そもそも桃太郎の能力だと残された手立てはほとんど無い。これは正直に一度退くべきかと思案する。
だが、そんな彼女の思案葛藤など見透かしたように、背後に立つ桃太郎が耳打ちした。まだ、手立てはあるのだと。
「んー、どうすんだよちびっこ」
「キビ団子を既に一つ食べたじゃろ」
「もう一個食えってか。確かに多少強くなるけど、多分五分五分になるだけだぞ」
「いや二つ食え。汚れた血統を解放するんじゃ」
それがこの肉体における最大の強化状態。そう彼は説明する。前には教えてくれなかったなと、クーニャンは相棒であるその少年を咎めた。仕方がないじゃろうと頭を掻いて悪びれぬ桃太郎。何せあの状態に入ると反動が大きすぎるとのことだった。
「今以上の殺戮衝動に呑まれるぞ。やりすぎれば目をつけられてすぐさまとっ捕まる。引き際を間違える危険性が高まるぞ」
「まー、このまんまだったらどのみち捕まっちゃうからな、仕方ねえよ」
奇術師のように、彼女が左手を手首から揺らしてみせると、人差し指と中指の間、そして中指と薬指との間にキビ団子が現れた。これ以上余計なことをさせてなるものかと、王子達は二人がかりで畳みかける。四方から降り注ぐ水の刃に光の弾丸、ひいては何をも貫くような光線。
だが、慌てない。一つ一つ着実に回避する。右へ、左へ、跳躍、雨樋を掴んで跳躍の方向をずらす。壁を駆け上がりまた上方へ、まだまだ追撃の嵐が止む気配はない。パイプを蹴り、一気に地上へ。いっそこちらから仕掛けるかと前方へと踏み込めば待ってましたと格子状のレーザーの壁。後方へ退避、同時に人魚姫による蛇のような細い水流が手足を絡めとろうと息つく暇もなく、また。
舐めんなよ。右手に握る刀を振るう。舞い散る飛沫が煌き、虹がかかる。まだまだその水流はこちらへと手を伸ばす。目にも止まらぬ早業で次々と眼前に迫る相手の能力にとる数多の水流を引き裂いた。一瞬の間隙、ここしかないと彼女は手に持つ二つの団子を丸呑みした。
変化が起こったのは一瞬だった。立ち止まった彼女の様子を見て、何かがおかしいと王子と真凜とは手を止めた。
「何が起きているの……」
「キビ団子を食べたら身体能力が上がるみたいですけどね」
試しに真凜はその能力の正体を確かめるべく、未来を視た。あの能力の正体について何か分からないものかと、一分後の彼女の姿を目に焼き付ける。その姿を見るに、彼女にとって最後の切り札、過剰なドーピングの行きつく先にあるものを確信した。
「でも、相手に残されているのは、原作を考える限り雉くらいのもんじゃないですか?」
「いいえ、まだあるわ。……彼らフェアリーテイルは、主人公でなく原作全体をモチーフにした能力を持っているの」
「だからそれが、犬猿雉なんじゃないですか?」
得心の言っていない様子の王子に、真凜はそうでは無いと突き付けた。それだけではまだ見えていない、見ていない部分があるのだと。
王子は頭を唸らせる。だが、答えが出てきそうにない。それもそうだ、真凜と比べると王子はフェアリーテイルとの遭遇事例があまりにも少ない。それゆえ、知らないのだろう。フェアリーテイル達は原作内における、「敵をモチーフとした」能力をも使えるという事を。
彼女にまとわりつく黒色のオーラ、それがより一層強い勢いで迸る。褐色だった彼女の肌に段々と赤みが帯びる。それは思春期の学生が頬を赤らめるような可愛らしいものでは無く、激昂した人間が顔を紅潮させるようなもので。
燃え盛る火炎のような痣が彼女の身体を走った。悪魔に魂でも売り渡したのかと、王子はその風貌を見た途端に悪寒が走った。だが、それには少し語弊があるとすぐに気づいた。彼は見たのだ、その頭の上では、黒色のオーラが集約し、一本の角を形成している様子を。
白目がどす黒く塗りつぶされて、先ほどまでと同様の赤黒い瞳が怪しくギョロリと輝いている。あれは悪魔などではない。犬歯も伸びて、より凶悪な顔つきへ。あの姿は、桃太郎が討つべき仇敵の姿に他ならない。
「いいな、ちびっこ! この感覚、血が滾って仕方ない」
鬼の血統を解放する、桃太郎はそのように言っていた。彼と契約を交わして後、彼女は立ち寄った本屋で大まかにそのストーリーを把握した。流石は小さな子供向けというべきか、日本語を軽くしか学ばされていなかったクーニャンにも理解しやすい文章だった。敵の力まで使えるのか、中々に貪欲だなと彼女は桃太郎のことを評した。貪欲という言葉が、本来誉め言葉でないことはさておき、その渇望とも言える態度に彼女は好感を持った。
それよりも何より、彼女は胸の内からふつふつと沸きあがる、これまで以上の破壊と殺戮の高揚に呑まれていた。あまりに自分の身体が軽い。あまりに自分の膂力が恐ろしい。それなのに、それゆえに引き起こされる惨事が何より楽しみで笑みが漏れて仕方ない。
どれ、試しにと右腕を振るう。刀が空間を裂き、真空の刃が生じる。右側に立ちそびえていた壁一面に斬り傷が走った。左上方から右下方にかけて走り抜けた切創。
そのあまりに過剰な身体強化に、歪な笑みを彼女は浮かべた。軽く振り抜いただけでこの力。これならば、動きなど読まれたところで問題ない。壁に刻まれた傷跡を目にして、呆気にとられた二人を目にして、より一層可笑しくて堪らなくなる。確かにこれは、正気を中々保てそうにない。
膝を屈伸、跳びかかる準備。と同時に叫ぶ捜査官。
「王子くん! なんでもいいから身を護って!」
軽く地面を蹴った。駆け足で駆け抜けるように、視界がぶれることなど何もない。それなのに、世界の姿がスローモーションに映る。私はこんなにもゆっくり走っているのに、彼女らが態勢を整えるのがひどくゆっくりに思えてならない。しかし、それでも充分彼女らは間に合いそうではあるが。
王子の方はあまり怖くないなと、クーニャンは理解していた。彼はフェアリーテイルを鎮静化できると言う、他の者にはできない能力を持っているが故に一番厄介だとはいえるのだろう。しかし、その鎮静能力も歌に乗せている以上それほど即効性は無いようだ。歌っている間に殺せば終わり。今までは眠り姫の時のように身動きを封じてから慎重に行っていたのだろう。だが、自分はそのような醜態を晒すつもりは無い。先ほどまでで既に、彼がこちらの身動きを止める手立ては克服した。
守護神アクセスの許容時間も、元々の才能故かまだまだ余裕がある。この局面において、負けることは無いと思えた。
またしても、行く手を阻む格子状の青白い熱線。これ以上進めばサイコロステーキにでもなるってか、と軽口を叩く。それが目の前で怯える二人の耳に届いていたかはさておき。
剣すら振るう必要など無かった。闇色の闘気を纏った左手で、キープアウトのパーテーションを押しのけるように、振り払い、押しのける。足止めにもならなかったことがいたく驚いたようで、スーツを着た彼女は両目を見開いた。刀を振るう。だが、彼女が踏むスノーボードが滑空した。後方へ退き、さらには上空へ。ただ、飛び過ぎると王子が危険と慮ってか、適当な位置で彼女は上昇を止めた。
ただ、現状クーニャンが放ってはいけないと思っているのは真凜だ。防御を固める王子の隣を素通りし、左右の壁を交互に蹴りつけて上へと駆けあがる。再び真凜と対面する。またしても剣を一振り。しかし、今度は振るより早くに魔力の砲撃により弾かれた。爆風により腕が押し戻される。ならば仕方ないと、鍛え抜かれた体幹を用いて、足を振り上げ、打ちおろした。何とか反射板の能力により跳ね返そうとする。しかし、壊死谷の雷撃でさえ軌道を逸らしたそのリフレクターでさえ、受け止めきれない。そのまま直撃しかけたところを、通常のバリアを何重にも張り、威力を和らげる。噛み砕かれるシリアルみたいに簡単にその防壁が破られ、威力を多少殺されたその踵落としが直撃した。
衝撃にボードから足を滑らせ、地面へと落下する。何とか王子がクッションとなるべく水泡を広げたところに受け止められたので、落下による外傷は無い。それでも、今の一撃による被害は尋常ではない。肩を脱臼でもしてしまったかと、動かない左手を見て顔を顰めた。
迫る追撃の前に王子が立ちはだかる。これ以上足を引っ張れるかと、助けに現れた救世主を逆に庇おうと。しかし、その覚悟も強すぎる力の前では簡単にあしらわれる。
「邪ぁ魔っ!」
王子の手前の何も無い空間を丸腰の左腕で薙ぎ払う。それだけで天狗の団扇のような突風が巻き起こる。体が浮き上がり、後方へ。次の瞬間には壁に叩きつけられた。
障害も何一つなくなり、立ち塞がるクーニャンの姿。それを見ても、真凜はまるで動じようともしなかった。その様子を目にした彼女は、詰まらないなと思ってしまった。今の彼女の思考では、相手がもがけばもがくほど、楽しくて仕方がない。怯え、苦しみ、絶望した様子が見たいというのに、何の反応も示さない彼女の態度が面白くなかった。
とはいえ真凜も、悔しいとは感じていた。結局、己の誓いは果たせなかったということが。頼りたくないと思っていた彼に結局は頼らねばならないというその事実が。
けど、それ以上に……。どうしてこんなにも安心してしまうんだろうなあ。彼女は、クーニャンの意向にそぐわないような笑みを浮かべた。決してそれは意図して挑発したつもりは無かったが、欠片も怯える様子の無い彼女の様子にクーニャンの神経が逆撫でられる。
「何がおかしい?」
「ごめんなさいね。充分時間は稼げたかと思うと、安心しちゃって」
「時間稼ぎ?」
「貴方が絶対に勝てない子が来るまでのよ」
敵意などまるで感じられず、むしろ憐れみすら浮かべるような口調。ふざけるなと、刀を振り上げ、クーニャンは怒りを露わにした。その声には強がりなど一つも籠っておらず、淡々と事実を読み上げただけのような落ち着いたものだった。
全力で、周囲の空間ごと切り裂くような勢いで剣を振り下ろす。あまりに頭に血が昇っていて、その手に剣が握られていないことになど気が付かなかった。
腕を振り下ろした勢いで暴風こそ舞い上がったものの、それは真凜が魔力のヴェールを用いて自分の身も王子の身も守ってみせた。真っ二つになっていない彼女の様子に、桃太郎達は目を丸くする。どうしてだ、そう思って右手を見たその瞬間、ようやく刀が『略奪』されたその事実に気が付いた。
一体、誰が。そう困惑していると、背後に何かが突き刺さる音。振り返れば先ほどまで自分が握りしめていた刀が地面に突き刺さっていた。
誰だかは知らないが甘い事をするなと、鼻で笑う。そのまま心臓まで刺していればその時点で勝敗は決したと言うに。
「全く、乱入が多くて嫌んなるね。警察って多勢に無勢じゃないと何もできんか?」
「黙って剣を取れ。さっさとだ」
低く、だが澄んだ声。二人目の乱入者に彼女は視線を注いだ。その顔には見覚えがあった。そもそも彼を追うようにして彼女は日本へ行けと言われたのだから。しかし写真で見た分とはその印象が異なっていた。予め見せられた画像による印象は、何だか頼りない小動物といったところだった。自分より低そうな背丈で、高くなよなよした声でへらへら笑っているだけの優男。
しかし現物はどうだ。そのイメージに合っているのは背丈だけではないか。その眼光は小動物などではなく、獅子と呼ぶに似つかわしかった。自分が纏っているのと同じような、守護神の黒いオーラ。しかし桃太郎のオーラよりも、彼が纏っているその闘気の方がよほど禍々しく、どす黒く淀んでいた。
自分がこの世で一番偉いと主張するような傲岸不遜。己の意に背くものは一切認めないと言う誰より我儘な心。そして何よりも、自分の望みは全て叶えて見せると言うその力。一体、この小柄な少年の正体は何者だ。
剣を抜いたクーニャンに彼は呼びかける。自分が何をしたか分かっているな、と。それに対して彼女は、一切悪びれずに分かっているさと答えて見せた。だから何だと問い返す勢いである。
「そうか、ならば準備はいいな……」
「何だ、お前殺す準備か」
見下すような笑みを浮かぶ彼女に、そうではないと現れた少年、知君は首を横に振る。
「己の愚行を恥じ入り詫びる、その準備ができたかという話だ!」
暴君による、制裁が始まる。