複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.49 )
- 日時: 2018/09/11 16:47
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)
「己の愚行を恥じ入り詫びる、その準備ができたかという話だ!」
暴君による、制裁が始まる。それを知ってか知らずか、彼女の脳裏に冷や汗走る。これまでは相手の側に冷や汗を浮かばせる側であったと言うのに、今度は自分がそちらに。嫌な緊張感だと、彼女は唇を舐めた。乾いているような気がしたが、別段そんな様子は無い。焦り故の錯覚かと、己のコンディションを理解した。
この自分よりも少し小柄な青年が、何より強い存在感を放っている。それが不可解でならない。これまでも死や敗退の緊迫感を潜り抜けてきてはいたが、それは歴戦の兵や屈強な男相手だった。それとは正反対の、年端もいかぬ少年。聞くところ自分よりは年上のようではあるが、それでも彼の背中が小さく見えることに変わりはない。
いや、これは存在感と言ってもいいのだろうか。殺気、とでもいえばいいのだろうか。いや、それほど憎悪のこもったものではなかった。自分たちが軽んじられているのだとここで、ようやくクーニャンは悟った。激しい怒りこそ向いているものの、憎悪には繋がらない。憎むとは、対等な関係において成立するとでも思っているようだった。格下に対する激情は、苛立ちにしかなり得ない。
舐めやがって。平和なビニールハウスで、のうのうと生きてきたお前が、この私を侮るなと、母国語で彼女は罵った。ネロルキウスの力によりその意味は知君にも伝わった。しかし、怒っているのはこちらの方だとその反駁を切り捨てる。
「先に俺の友へ手をかけようとしたのは誰だ」
「あん? 文句あるかよ」
「同じだ。文句があるのか、俺の振る舞いに」
傲慢な割に案外理屈をこねたものだと、彼女はその言葉から読み取る。あまり調子には乗っていないようである。厄介だなと、爪を噛む。せめて慢心があれば付け入る隙になったかもしれないのに。
付け入る隙になったかもしれない、その言葉に彼女は、自分でもひどく驚いた。まだ彼とは邂逅したばかり、にも関わらず自分が明確に相手を格上と捉えてしまったことに。なぜ自分が、わざわざ。そう思った時に気づく、相手が放つこの存在感の正体に。自分を雇ってくれたある富豪の姿に重なったのだ。これはそうだ、上に立つ者の威厳と言うものだ。だからこそ、自分を拾い、育てた男に感じる支配者たる威圧感を感じてしまった。
気持ちで負ける訳にはいかない。これまでも、絶望的な戦況は何度も経験してきている。その度に何とか切り抜けてきたのは、決して気圧されず立ち向かい続けたからだ。だからこそ、ここでも退く訳にはいかない。
膝が笑っている。だがそんなもの振り切って、形の無い拘束を振りほどくようにして彼女は、地面を蹴った。知君は確かに厄介そうではあるが、最低限もう一人の方は仕留めておくべきだと、まずは王子の方へと飛び掛かる。一直線に向かうのでなく、縦横無尽に壁をも使って駆けまわり、知君の傍を通らず迂回するように、王子のもとへ。
だが。
「出し抜けると思ったか?」
それを過信と言わずして何と表現するつもりなのか。実力差をまざまざと見せつけるように目の前に小柄な少年の姿。上方から人魚姫の契約者の方へと一息に飛び込もうとした矢先のことである。この動きについて来られたことに彼女は激しく動揺した。依頼してきたELEVENの男が辛うじて知っている彼の情報の一つに、本人の運動能力およびその守護神の身体能力幇助は、取り立てて目立つほどではないというものがあった。どこがだよと、拙い発音の日本語で彼女は悪態をついた。
斜め下へと突き進もうとする彼女の背中に、少年は肘を振り下ろす。前向きの速度など全て殺されて、真下に向かってその身体が叩きつけられた。迫る大地に受け身も取れない。だが、強化した肉体は痛みと衝撃こそ突き抜けども、まだ動けると強がっていた。
判断の誤りを自覚し、目標を修正した。「あれ」は無視を決め込んで構わない代物ではない。目的を完全に達成するためにも、先に倒しておかねばならない。目を離すな。自分が立ち上がっている間に着地した彼と目が合った。その目には未だ、友を、仲間を傷つけられた強い怒りが。
全く嫌になる。正義面したその表情が、ぶれることのないその瞳が。自分のことなんて誰も救ってもくれなかったのに、ぬるま湯に浸った英雄が、甘ったるい世の中で人助けしたつもりになっているのが。もっと過酷な中で生き延びている者もいるのに、どうしてわざわざ。どうせヒーローなど、声の大きい一部の愚図しか助けない。その方が己の名声を広く世に伝えられるのだから。
なら自分たちは、自分の手で平穏をつかみ取るしかない。例えその背に、踏み歩いた道の上に、どれだけの不幸が積み重なろうとも。
走る、立ち止まってしまいそうな弱さを振り切るために。真正面から知君へと。走る最中、得物の刀をその胸元へ全霊の力で投げつけた。あまりの速さと鋭さに、雷が地に落ちる時のように空気を引き裂く。大気の軋むような唸り声。銃弾のごとき一本の刃が、少年の心臓めがけ一直線に。
避けれるものならば避けてみろ。回避などできぬような速度、少年が避けられるはずはないと彼女は踏んでいた。もし立場が逆ならば、自分でも避けること能わない。それでも、万が一を考えて彼女は、追撃を畳みかけられるよう、その鍔を追うようにして走る。
事実、彼にはそれを避けることができなかった。だがしかし、それ以上にあり得ない光景を彼女は見届けることとなった。迫る凶刃、あろうことか彼はそれを、やすやすと素手で受け止めた。刃が如何に鋭利であろうと関係なく、一直線に向かってくるその日本刀の刀身を、右手で握りしめるようにして受け止めたのだ。
そんなことあってなるものかと、クーニャンは目を見開く。しかし、血の一滴すら流すことも無く、知君はその一投をすんなりと防いで見せた。そのまま、握りしめる力を強める。手にかすり傷が入るよりも先に、刀に罅が入った。目の錯覚かと疑った矢先に、音も無く粉々に砕け散る刀剣。鍔より下だけが無傷なその姿は無残としか言いようがなく、カランコロンと泣くように地面を転がる。
「この俺を前に棒立ちか」
我に返ったその瞬間に、ようやく足を止めた事実に気が付いた。それも、相手に言われてようやく我に返ったことに動揺を隠しきれない。それほどの事だった。仕留めきる自信があった。手負いにさせるつもりで放った。それなのに、傷一つ負わないどころか、埋めようのない実力の差を見せつけられた。
何だこれは。どうすればいい。何をすれば。もう逃げるべきか。いやどこへ、どうやって。思考回路がオーバーヒートする。疑問符が目の前を飛び交っている。網膜のスクリーンが、数え切れないハテナで埋め尽くされそうだ。
彼が現れるよりも前、一人で二人分の相手をしていた頃、あんなにもゆっくりに思えた世界の流れが急にその速度を上げ始めた。段々と、元の速さに戻っていくように加速する。
知君が動く。自分の動きにも差し迫るような俊敏さに、何とか反応できた。宙に弧を描く延髄へ向かう蹴りを受ける。前腕に、勢いよく音を立てて足の甲が叩きつけられた。防ぎきれないほどでもない。しかし、反撃するどころか、立て直す間も無く次々と襲い来る猛攻。
ガードすら突き抜けそうな拳の乱打を、回避するのがやっとな回し蹴りを、鉄の板さえ叩き割りそうな手刀を、捕らえられたらもう逃げられないような締め技を、受け、避け、捌いて、何とかやり過ごす。次はどう動けばいいか、などというものではない。もう知君は動いているため、今からどう凌げばいいのか以外に頭を使うことができない。
不意に、彼に腕を掴まれたかと思うと、体がぐるりと回る感覚。三半規管によりその感覚を察知すれども、もう天地は逆さまだ。合気ってやつか。背中から落ちる、吐き出された息、飛んだ涎は透明で、幸い体内には負傷の無い様子だ。あの小柄で痩せた体の、どこからこんな力が。
眼前に突き付けられた拳、止まってくれる気配はない。反射的に彼女は地面を転がった。
頭の後ろで地盤に罅の入る音。あれを受けていたら今度こそ気絶はしていただろうに思う。
跳び起き、身構えるもやはりもうすぐ傍に彼の姿。またしても、拳打蹴脚の弾幕。目にも止まらないそれらは、降り注ぐ雨のようで、腕なのか脚なのかもう、判断なんてしていられなかった。次々に迫る、止む気配の無いラッシュ。余計な事を考えるなと、彼女は自身に言い聞かせた。
何かが鼻先に迫る気配。防御など間に合いそうもなく身をよじる。顔の真横を通り過ぎた拍子に、頬を靴紐が掠めて、ようやくそれが蹴りと知る。やり過ごしたと同時に迫る安堵。まだ、始まったばかりだと言うに。
片足で立った少年が、ぶれずにそのまま軸として、浮かせた側の足で次々蹴りかかる。股関節と膝関節を器用に使い、折りたたんではまた弾き出すように鋭いつま先での突きを繰り出す。引いて突いてを、何度も、何度も。
何度も何度も何度も何度も。
上体を逸らして回避して、腹へと迫る足を腕で受けて、脛を狙った蹴りを跳び跨ぐ。その択が、コンマ一秒ごとに訪れる。次はどうすればいい。ただその問いだけが第一問から第百問までを埋め尽くす。全問正解しなければ、逃げ延びることすらできない。
焦りのせいだろうかと、彼女は困惑していた。世界はもう、スローモーションでなんて流れてくれなかった。視界に映るのは、次々迫る少年の膝から先のみ。
避けて躱して防いで跳ねて、受けて躱して跳んでしゃがむ。踏み下ろすようにして迫る足裏、後ろに退くもまた一歩で詰められる。そのまま再び択へと引き寄せられ、追試の時間。躱して受けて避けて防いで、避けて躱して防いで躱し、防いで守って受けて身を捻り、もつれた脚に少年のつま先が刺さった。走る衝撃に顔を顰めど、テストは終わってなどくれない。
防いで防いで防いで防いで、受けて守って防いで受けて。足を殺されたも同然だった。骨は? 自問。問題無いと、自答。しかし力を加えれば痛いと泣く。弁慶の泣き所、そうこの国には言うんだっけかと、もはや回避という選択肢を失った彼女は毎秒毎秒何発もの打撃をその腕に直撃させながら思い出した。
そしてとうとう、護りなどこじ開けられる。胴体と頭とを防ぐようにして、カーテンのように閉ざしていた腕の隙間が開いた。
「女と言うなら、せめてもの情けだ」
額に少年の人差し指と薬指とが当たる。まるでその中間に照準を定めているようだった。あまりに近く、目の焦点が合わない位置に親指で押さえつけた中指。グッと力を込めるようにして、中指を弾いた。
舐めやがって、そう愚痴をこぼしても、優に数メートル宙を舞う。何とか着地するも、体が音を上げ始めていた。朦朧とする意識の中で目にした知君、その体を覆う黒い闘気は、さっき見た時よりもずっと膨れ上がっていた。
「おい……待てよ、それ」
その頭頂部を目にし、クーニャンは確信する。そして忌々しげな視線を浴びせる。このコソ泥野郎と、精一杯の負け惜しみを吐き出した。
「人聞きが悪いな、これは年貢とでも呼べ」
「はっ、日本語難しくて分かんないな? てんぐか? そいつぁ今のお前だよ」
強がりでしかなかった。なぜ戦うにつれて、周囲の景色が加速していったのか、情報に反して知君の動きが自分と同等以上に発揮されていたのかすぐに分かった。知君の頭部には、自分が鬼の血統を解放した時と同じ、闇に染まったエネルギーが凝集した角があった。
「お前、何したんだよ」
「説明する義理は無いな」
ネロルキウスの能力は略奪。その対象は何も形ある物体だけにとどまらない。能力によって強化された腕力、脚力、それに耐えうる肉体の強靭さ、動体視力。ありとあらゆる、キビ団子の摂食によって彼女が得た肉体活性を、そのまま奪い取ってその身に宿したのだ。奪うと言うだけあって、その分クーニャンの身体は元の膂力へと近づいていく。時間が経つにつれて力の差が埋まるどころか、逆に知君の側が突き放していたのだ。
「雉、呼んだところであれだろ?」
「その翼をもぎ取るだけだ」
「はーあ、どうしようもないなこれは」
せめてもの情けをくれと、クーニャンは王子を指さす。無駄な抵抗はやめておくべきだと判断したのだ。そろそろ守護神アクセス継続も限界だ。解除されたところで、桃太郎を押さえられたら勝ち目などどこにも無い。
無駄な抵抗は止めて命乞いしたら許してもらえるかな、などと考えて王子とセイラに彼女は懇願した。
「お前らもこの赤い毒ガスみたいなの無効化できんだろ? この俺様男じゃなくてお前らに頼むわ、まだ優しそうだし」
あまりにもあっさりとした敗北宣言に、一同は皆拍子抜けをする。きっとアクセス中の桃太郎は抗議していることだろう。クーニャンは虚空に向かって「だってしゃあないだろ、落ち着けちびっこ」と呼びかけている。
その後、数十秒ほどクーニャンと桃太郎とは、激痛に頭を抱えたと言う話だ。ただその最中、桃太郎一人だけが疑念を感じていた。
なぜ、自分の復讐は達成されなかったのかと。自分にとって復讐とは、自分に膝をつけさせたあの二人を完膚なきまでに打ちのめし、人魚姫の前で契約者を殺してしまうつもりだったはずだ。そしてその復讐を達成できると、ELEVENの能力により運命づけられたはずだ。
ELEVENの能力を、看破することは、どんな守護神にもできないはずだ。先に拒絶しているならジャンヌダルクには防げるかもしれないが、先にシェヘラザードが物語を紡いだなら、それが絶対の運命になるはずであるのに。
結局、この少年は一体誰であると言うのか。あの男でさえ正体を知らぬこの少年に、桃太郎ですら関心と言うよりむしろ、恐怖を感じ取っていた。
File7 交差する軌跡・hanged up