複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.5 )
- 日時: 2018/02/09 02:05
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
「来てください、ネロルキウス」
彼の端末から光の粒子が飛び出す。それらがぐるぐると渦を巻くように知君を取り囲んだかと思えば、ふとした瞬間に全て知君の体内へと飛び込んだ。人によってアクセスする際の視覚的な応答は様々だが、真凜にとってこのような光景は初めて目にするものだった。
しかし、その様子が特別だからと言って本当に彼自身が特別とも限らない。真凜はその様子を険しい表情で見守った。仮に特別だったとして、たった一人で何ができるというのだろうか。そして、何かできたとして無力だった自分は、このケースに関して何をできたというのだろうか。
当の知君はというと、大見得を切ったのだが内心は不安で不安でたまらなかった。自分の意思が敗北してしまうのが怖かった。かつてのトラウマが蘇る。出しゃばったばかりに、余計な悲劇を生みだした過去。自分が無力だったら、悪い想像は止まらない。しかし、それでも彼は逃げるわけにはいかなかった。
捕らえられ、地に伏す奏白を初めて見た。満身創痍で恐怖と絶望にまみれた真凜など想像したことすらなかった。だが現に、知君の尊敬する二人の、格好良い大人がある一つの暴力に晒され、地に伏している現実を見た時に彼は自身の退路をすっぱりと断ち切った。二人の決死の時間を無駄にする訳にはいかない。
そもそも、ここで逃げ出したら何のために自分はここへ来たのか。そう思い立った彼は、『過日の出来事』のように、自らのトラウマを背負ってまでも前へ進むと決めたのだ。暴走など、もう引き起こしてなるものか。
Phoneを媒介として、彼の意識が次元を隔てた彼方に居座るネロルキウスの意識とリンクする。刹那の後、彼の頭脳は急激に覚醒させられ、膨大な情報の洪水が一気に押し寄せた。頭蓋の中心が一気に熱くなる、ぐるぐると眩暈がして、目の前の光景が新聞記事のような無機質な文字列の渦に埋め尽くされそうになる。
知りたくもない数多の情報、その渦の中に囚われた知君は、自分という意識さえ見失いそうになる。やめてくれと、内なる自意識に知君は命令する。しかし、『彼』はその意志に応えようとしない。
「知君くん!」
守護神アクセスを行った彼の身に何か異変が感じたとは真凜にもすぐに分かった。急に頭を抱えて苦しそうに目を閉じたためだ。奏白や知君自身の言葉を思い出す。守護神アクセスに許可を必要とする。それはおそらく、彼自身にかかる負担がとてつもなく多いことが起因しているのだろうと。
彼の耳に、真凜の言葉が届く。その瞬間、自分を見失いかけていた知君は目が覚めるような想いに駆られた。自分を心配する声、それを耳にするのはこれが初めてだった。真っ暗な海の中に漂っていたその意識が、真凜の声によって引き上げられ、浮上する。
やめろ。自分の意識が空を飛ぶ鳥のように自由になったその時、彼は自身の心の深い部分に向かって、そう強気に命令した。これまで誰にも、そんな言葉は使ったことが無かったが相手が自分の分身と思うとそう告げるだけの勇気になった。
だが、『彼』……ネロルキウスは許さない。知君が自分の支配下に置かれず、自らの力は契約者ににいいように利用されるなど、ネロルキウスにとって癪な話だった。そのため、ネロルキウスはさらに契約者たる知君への呪縛を強めた。ノアの箱舟から放たれた純真な鳩の翼をもぎ取るように、洪水は再び荒れ狂う。
地球の裏側の経済情報、かつてノーベル賞をとった男が書いた最新の論文、近所の交通情報、宇宙人が住む惑星の位置、ありとあらゆる情報が知君の頭の中に詰め込まれ、流れ込み、自我が座る椅子を奪い取らんとする。まだ駄目だ、しっかりしろと自分を叱咤する。
オリーブの枝は、まだ見つからない。
「お兄ちゃん、苦しそうだね……もうちょっと待とうかな。その間に、お姉ちゃんは死んじゃえ」
敵だというのにアリスは知君の心配をする。それはまるで母親や姉が息子や弟といった自分より下の立場の者を気にかける慈愛のようなものに満ちていたが、彼女が口にするとただ小さな子が背伸びをしているだけにしか見えなかった。もう既に、アリスの中で目の前の少年は自分の所有物になったつもりだった。
「クラブのジャックさん!」
そう言って真凜を指さした。標的は奴だと言わんがばかりの表情で、空いた方の手でその首を落とすようにとジェスチャーする。人差し指から小指、ぴんと伸ばした状態で寄り添わせた四本の指で自らの首のすぐ傍の空間を切るようになぞった。
瞬間、クラブのジャックは踏み出す。何度見ても見慣れない、俊足の騎士が槍を手にしたまま姿を消した。立っていたはずの位置に、うっすらと埃が舞い上がる。そして、真凜の方へと向かって、回り込むようにして埃の後は向かっていた。猛スピードで巻き起こる、騎士が大地を踏みしめた名残たる砂煙が視界の外へと消えていく。
代わりに、その健脚がアスファルトの大地を蹴る激しい音が次第に大きくなる。
「やっちゃえ!」
自分の中で己の守護神と戦っていた知君は、苦悶の中で目を少し見開いた。アリスの声に不穏を感じたからだ。そこからの景色はまるでスローモーションのように映った。全身の疲労と痛みに顔をしかめ、アリスだけを真っすぐに睨む真凜の斜め後方から、槍を構えたアリスの私兵が猛進している。ふりかざすその鋭利な刃は、ただひたむきに真凜の首だけを狙っている。
いい加減にしろ。心の中の激闘の最中、彼は自分の心の中に強く命令した。それは、ネロルキウスに対するもののように反響したのかもしれない。だが、彼は契約相手たる守護神でなく、あくまで彼自身に命令した。
自由とは、力とは、誕生日プレゼントのように貰い受けるのではなく、自身の力で手に入れるものなのだと。『奪い取るもの』なのだ、と。本当に能力を意のままに使いたいのなら、ネロルキウスによって与えられるこの苦悶を我慢し、耐えるのではなく、飲み込んで全て掌握する必要がある。
もうあと数歩で、真凜の命は刈り取られる。意のままにならない自分に対して知君は鞭打った。ここで何もできず、終わる訳にはいかないのだ。いくら真凜があのようなことを言っていたとしても、自分にとって彼女と奏白は、大切な班員、仲間なのだから。
空を飛ぼうともがく翼を絡めとっていた波を引きちぎる。もう、守護神たる『彼』の妨害など届かないほど、遥か高みに彼は飛び立っていた。オリーブの枝は、落ちているのを拾うのでなく、枝をへし折ってでも手に入れなければならない。それが本当に手にしたいものならば。
軽くなった頭をより鮮明にするため、大きく呼吸をして酸素を取り込む。クラブのジャックは、もう後瞬きを一度すれば標的の首を刎ねるだろう。彼は、すんでのところで間に合った。
「手を出すな」
普段の、緊張で上ずるような敬語とは違っていた。こんな声が自分でも出せるものなのかと知君は驚く。中性的な声であることは変わっていないのだが、その声にはいつもの彼の恭しい態度からは想像できないような、自信と強さと、粗暴さを併せ持っていた。
ぴたり、知君の命令を耳にしたクラブのジャックはその動きを止めた。金縛りにあったかのような不自然な動きではなく、自分から体を停止させた。まるで、主人であるアリスの命令を聞くかのように従順に、そして迅速に命に従う。
しばしの沈黙が訪れる。声を出した知君以外の誰もが、目の前で何が起きているか理解していなかった。間違いなく今度こそ自分は死んだだろうと思った真凜も、邪魔ものは取り除こうとしたアリスも、ポカンとして言葉を失っていた。どうしてこの騎士は、命令に反して止まったのだろうか。
間の抜けた沈黙が埋め尽くした空間を割いたのは、続く知君の言葉だった。動きを止めたばかりのクラブのジャックに呼びかける。
「何をボサッと突っ立っている。お前の主人は誰だ?」
途端に、慌てた様子でその兵士は地に膝をつけ、知君に対して頭を垂れた。それはまるで、王に従事する騎士の様子であった。言うなれば、真摯にアリスの命令を聞いていた様子と全く同じである。ようやく事態を受け止めた、アリスの声は震えていた。
「何……してるの? クラブの、ジャック……さん」
アリスの声など聞こえていないかのように、彼は微動だにしなかった。否、聞こえていないはずはない。ただその声が持つ意味が変わっていた。仕えるべき主人の声でなく、討つべき敵の戯言と受け取る。彼にとっての今の主は知君 泰良に他ならない。
「どうかしたか嬢ちゃん、泣きそうな顔して」
「なっ、泣いたりなんかしないもん。いいわ、クラブのジャックさんが裏切ってもまだスペードのジャックさんがいるわ」
「確かに普通の守護神とは格が違うな。奪うのに時間がかかりすぎる」
「人のものをとったらどろぼーって、教えてもらわないの?」
その問いかけを、彼は一笑した後に黙殺した。くだらない問いだと切り捨てて、アリスの出方を伺う。その様子があまりにも異質で、真凜は先ほどまでよりもはるかに強い恐怖に体を侵されていた。
彼女の知る知君は、もっと穏やかな人柄だった。ただでさえ会って間もなく、自分から遠ざけてきた彼だったが、それでもこの今の粗暴な人間性は確実に彼女の知る知君とは異なっていた。まるで別人の人格が混じっているようで、その別人の持つ人間性の底知れぬ冷徹さが、真凜にとっては先ほどの死の恐怖に優るとも劣らないくらいに、警鐘が鳴らされてならなかった。
一体、彼の守護神は何者だと言うのだろうか。
「王たるものに貢ぐのは下々にとって光栄の極みだろう」
「お兄さん、王様なの?」
「俺がじゃない」
幼名をルキウス、後の名をネロ。欧州を恐怖で統治した、古代ローマ最恐最悪の第五代皇帝、暴虐の王。その暴君性を示す逸話は数知れず。
「死してなお『略奪』の能力に目覚めた守護神、それが俺の契約相手、ネロルキウス」
欲すもの全てを手に入れる、誰よりも我儘な王様。それが自分の守護神だと知君は言う。似合わないですよね? 今の知君ではなく、普段の知君の声でそう尋ねる声が、真凜には聞こえるようであった。
自分からずっと遠ざけてきたため、彼女にはどちらの姿が本当の知君 泰良なのか判別できない。今まで嫉妬する相手でしかなかった知君が、今ではそら恐ろしい。暴威を振るう悪名高い皇帝、その守護神に似つかわしい、怒気を孕んだような気難しそうな表情で、知君はアリスの前に立ちはだかる。それは、真凜を守るためだからなのだが、今やどちらが悪党なのか分からなかった。
「アリス、覚悟はいいか?」
「何の?」
「そんなもの決まっている」
全てを奪われる覚悟だ。そう、冷たい声で知君は言い放った。