複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス【File7・完】 ( No.52 )
- 日時: 2018/04/30 15:37
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: XgzuKyCp)
白雪姫とはすなわち、シンデレラと同様に、ネロルキウスの天敵。国をも傾かせるほどの容姿端麗な女性……傾城の特質を持った守護神である。
屋内に設置されたプールに出る。地下にあり、かなりの広さを誇っている。勿論娯楽のためのものではないので、各種訓練ができるようにと設計がされている。水深が学校とは比べられないほど深く、プールサイドに沢山のウエイトが置いてあったり、そういった様子からそれが窺えた。
二人の駆け付ける気配、それを察した人魚姫も、慌てた様子で飛び出した。彼女は一度自分も赤い瘴気に呑まれかけたからか、フェアリーテイルの気配を察することができた。それゆえ彼女も、気づいていたのだろう。先ほど王子達には伝えなかったが、メールには今回現れた守護神の名前が出ていた。
白雪姫、それは人魚姫から見て、大切な友人の一人だった。先に挙げた、未だに猛威を振るっている三人のフェアリーテイル、シンデレラ、赤ずきん、白雪姫こそが、人魚姫にとって最も正気に戻って欲しい三人の守護神である。シンデレラは最近目撃事例がそれほど無いが、残る二人による被害は甚大だった。
赤ずきんが初めて観測された日、それだけで彼女からの被害は百人に達した。死人に限れども、三十人には達している。そして三か月、日を追うごとに赤ずきんへの対処、その理解が進んだために被害者は減って来ていた。しかし、それでも塵が積もれば山となるよう、利子が重なって元の借金を追い抜くよう、その犠牲者の人数はついに死者が五百人に達してしまった。
白雪姫はというと、死亡者は今のところいない。しかし彼女が操る様々な毒に当てられた人々が、何万人という数に達していた。昏睡したまま意識を戻さない人、四肢のいずれかが麻痺している者、咳が止まらない人、幻覚を見続ける者、多種多様な症状が現れている。捜査官も既に十人以上被害を受けており、彼らは人によっては治ったが、人によっては未だに戦線を離れて苛まされている。
何とか人魚姫の歌声による治癒が有効と分かったが、それも相手によって効果がまちまちであった。というのも、白雪姫と人魚姫とでは守護神としての位階が異なるらしい。唇を少し噛みながら、セイラは自責を込めて二人に話した。フェアリーガーデンの守護神は、世界的に知られている作品、あるいは多くの人に知られている作品、桃太郎のように一部の地域だけとはいえ多くの人に愛されている作品の主人公程位階が強くなる。一方で、バッドエンドの物語は人々の負の感情を浴びるが故に、例え人気がある作品であろうとも弱体化してしまう。
それゆえ、人魚姫という守護神はあの世界の守護神の中でもかなり弱い部類に入っていた。それゆえ、毒があまりに強すぎると浄化しきれない。向こうが守護神ジャックで、こちらが守護神アクセス、その差を差し引いても無毒化できない患者はあまりに多かった。
「近くと言っていましたけど、具体的にはどの辺りですか?」
「さっき本部に確認を取りましたが、本当にここからすぐ、の所ですね」
「よくもまあ敵の本陣のすぐ近くに出てきたよな。余裕ぶってんのか?」
多分違うと思いますと、かぶりを振る知君。なら何なんだと王子は彼に投げかける。
「このフェアリーテイルという事件は、もう終息に向かいつつあります。斉天大聖やシンドバッドといった強力な守護神さえも、僕が無力化しましたから」
「あー、まあ確かに」
「だからこそ、相手も焦っているのだと思います。残る向こうの勢力で有力な候補は……四人ですから」
「四人? 三人じゃないのか?」
残っている連中の中で、こちらに甚大な被害をもたらした守護神と言えば、赤ずきん、白雪姫、シンデレラの三人だけではないか。そう思った王子は首を傾げる。
「そう言えば、王子君はあの映像を見たことがありませんでしたね」
フェアリーテイルの対策課が結成された当日、捜査官と知君とが見せられた映像の一つ。赤ずきんが車だった鉄塊の向こうで宣戦布告を叩きつけた映像。
あの時の言葉と、フェアリーテイル化を広めた原因がネロルキウスにも特定しきれていないこと、以上二つの理由から知君は、四人目の、未だ姿を現さないフェアリーテイルの存在を推測していた。直感が正しければ、その人物と、首領であるシンデレラ、この二人は王子がいなければ、人魚姫の能力でなければ抑制できない。
そしてそれは、今回の白雪姫に至っても同じだった。白雪姫にしても、傾城の特質を持っている。それゆえ、暴君とはいえ王族の一人である彼には傾城のフェアリーテイルからはあの赤い瘴気を奪い取ることができない。
「とりあえずその話は後だ」
「ええ、今考えるべきは白雪姫ですからね」
白雪姫に関して分かっている能力は、毒を操る能力くらいである。本来ならばその毒を浮けるのは彼女自身であるはずだが、当然他のフェアリーテイル同様に、そんなことお構いなしに我が物顔で使ってくる。ただ予備動作として、紫色の林檎をかざす必要があるため、気を付けてさえいれば別段恐ろしいというほどでもない。
それよりも、他に能力を持っているかの方が重要だ。ほとんど確実に、七人の小人を使役する能力を持っているだろうと踏んでいる。
「小人自身は傾城ではありませんので、おそらく僕が何とかできます」
「てかよ、さっきも言ってたけど結局傾城って何なんだ?」
「白雪姫を筆頭に、僕の能力が通用しない連中だと思っていてください」
「なるほど、分かりやすくていいな」
にしても不味いなと王子は理解する。これまでどんな敵が相手でも大丈夫だと思えていたのは、最後には知君が控えていると言う安心感ゆえのものだったろう。しかし、その前提が崩れるとなると、自分が倒れては白雪姫を正気に戻すことができなくなる。
「でもよ、相手から能力奪えない時、ネロルキウスってどう戦うんだ」
「収容中のアリスの能力を一時的に奪います。今、彼女は誰とも契約をしていませんので」
「それなら、白雪姫とも戦えるのか?」
「いえ、本来アリスの能力だったものをネロルキウスの能力として使っているので無理ですね。だから、小人の無力化だったり、ハートのジャックによる回復能力が主となります」
今回の戦いで鍵となるのは王子だと彼は言う。いざ彼にそう言われてみると、プレッシャーがずしりと圧し掛かってくる。しかし心配するなと言う知君の声。
「王子くんのことは必ず守ります。たとえこの身が朽ちようと」
「はぁ……怖いこと言うなよ。全員無事に帰るんだよ、いいな」
「はい。では行きましょうか。早いところcallingの準備をしてください」
ポケットからphoneを取り出す。まだ、守護神アクセスの許可は下りていないため、後ろで控えることになるだろう。しかし、王子は最初から出動することになるだろう。知君は守護神を呼ぶまでも無く最低限の安全が確保されている身だが、王子はそうではない。早いところ人魚姫とアクセスしておく必要がある。
繋いだ手を見て思う。彼らは文字通り、手を取り合って戦っているのだなということを。僕はどうだろうかと考える。暴れる彼の手綱を握りながら、必死に抗いながら力を振りかざす僕は、果たして誰かのために戦っていると言えるのだろうか。結果だけを見れば確かにそうだろう。けれども、あの姿は本当にそんなこと考えながら戦えているだろうか。
ネロルキウスをその身に降ろしている時、常にこちらの意識を乗っ取ろうとする彼と争う必要がある。それゆえ、周囲への気遣いなどできず、ただ出鱈目に目の前の敵を力任せに押しつぶすような戦いしかできない。
初めてアリスの前でcallingした姿を見せた時、真凜は一体どんな顔をしていたか。怯えた瞳が、瞼の裏に焼き付いて離れない。知っている、彼女はずっと、戦う知君の姿を恐れているということを。気を許せば次は自分が手にかけられるのではないかとでも思っているような眼差し。そんな事、したい訳ないのに。する訳ないのに。不信感を突き付けられているみたいで、見えない棘が心に突き刺さってくる。
だからきっと、あの人は自分を嫌っているんだ。いつ敵となってもおかしくない不安定なネロルキウスの契約者、だからこそ僕の事は信用できない。いつかの会食の際は、朗らかにしていた。あの人は、戦わない僕のことはいくらでも受け入れてくれる。
だからこそ、信じてもらえないこの身が歯がゆかった。自分の心がもっと強ければ、ネロルキウスに揺さぶられないくらいの人間だったならば。そう思っても、伴わない実情が歯がゆかった。
僕はただ、彼がこの世に顕現する器として、それだけの理由で生まれてきたのだから。戦えない自分がこの世に存在する意味なんて、何一つ無いのだから。だから戦わなくてはならない。例え誰から疎まれようとも、その誰かが自分にとって大切な人なのだから。その人を護らなくてはならない。
そうだ、ネロルキウスがいなければ僕なんていないも同然。誰からも愛されず、認められず、ただそこで息を吸って、吐いているだけ。そもそも、最初からここにいるのかさえも怪しい。
走る。そんなネガティブな思考回路から逃げてしまいたかった。それは奇しくも、人魚姫を探し続けたあの日の王子とよく似ていた。夢が叶わないと決めつけて、でも、縋るように街を駆けたあの日の少年と。
しかし、あの日の彼とは状況が違っていた。あの日の王子は察していた。自分にしか聞こえない歌声に、自分だけが目にしたプールの水面を跳ねる影に、あれは俺の事を呼んでいるのだと。無意識のうちに、本能の確信を以てして追いかけたあの日の王子とは違う。誰からも認めてもらえない、そう自覚する少年は、何の救いも無い戦場に、存在意義を確かめるために向かっている。戦えば戦う程、嫌悪の目を、嫉妬の目を向けられると言うのに。
いつか病室で、王子に向けて投げかけた言葉を、知君は思い返していた。「僕は王子くんのことが羨ましいです」と。
こんな強すぎる、身に余る力なんて必要なかった。
王子に向けられる、温かい応援の瞳を眺める自分の姿が脳裏を過る。
瞬きをすればその姿は、白い眼を向けられる自分自身の姿に切り替わる。
ただ、人から愛される人間に、なりたかった。
無条件に自分を愛してくれる父も母もいない。
僕には、手を取ってくれる人もいない、ましてや、抱きしめてくれる人なんて。
他人の温もりなんてろくにしりやしない。薄暗い部屋の中、芽生えた自我。
学生服と無菌の真っ白な布しか身に纏った事がない。
流動体の完全栄養食しか、口にしたことが無かった。奏白と共に食べたファストフードの脂っこい、舌の上に残る味を思い返す。あれは、とても美味しかったなあ。
マウスを見るみたいな、無機質な視線ばかり浴びて育った。今にして思うと、悪意が無いだけあれは良かったなぁ。
「お前のせいで私はぁぁっ!」そう言われたこともあったなぁ。
自分が人並みの生活送れるとか思っとんちゃうぞ。琴割の言葉が、鼓膜よりさらに奥から反響。そんなこと、言われなくたって分かってる。
お前はただの入れモンにすぎひん。
愚図が。生まれた理由考えろや。
また暴走ですね。電源を落としてphoneを強制終了します。
はあ、いつになったら一人前になんねん。
もうええわ、しばらく人間の真似事でもしとけや。
あの、白衣の人々と、白髪にまみれた狐のような大人は、僕のことをどのように見ていたのだろうか。
ああ、そう言えば一度だけ褒められたっけなあ。初めて奏白さんと出会った時、数年ぶりにphoneを握りしめたあの日。自我を失うことなくネロルキウスをこの身に呼び出すことができた時、あの時だけは琴割さんも優しかったなぁと、張り詰めた表情をほんの少し緩めた。
考え事をしている間にいつしか、喧騒が近づいてきた。蜘蛛の子を散らすように四方へと逃げ惑うように走る人の流れ。逆走するように二人はその中心へと近づいていく。間違いない、あちらの方角に、白雪姫がいる。
「先に行った方がいいかな、知君?」
「いえ、もう少し待ってください。僕もこれから準備します」
他の誰かから着信があった際とは、一際違った着信音。Phoneの背面のモニターには、その発信者である琴割の名前。発信者が琴割であれば、そのメールの中身は確認するまでもない。
存在証明を始めよう。すぐさま彼はその真っ黒なphoneを開いて、手早く3桁の番号を入力し、発信する。
「来てください、ネロルキウス」
彼にとって、最も過酷な時間が、始まろうとしていた。