複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス【File8・開幕】 ( No.53 )
日時: 2018/05/07 15:46
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)

 彼にとって、最も過酷な時間が、始まろうとしていた。身に纏う黒色のオーラと共に、脳内へ流れ込む情報の洪水。求めてもいない星の数ほどの英知に、ニューロンが焼き切れてしまいそうになる。頭の中がバチバチと弾けて、視野の狭まる感覚。何度この接続を行っても、慣れることはないなと、いつものように顔を険しくした。
 もう見るのは大体五度目ほどになるだろうか、その変容に王子はまだ慣れることはなかった。柔和な笑みなど消し飛んで、立ち塞がる壁全てをねじ伏せんと振る舞う姿は、まさしく暴君と言って差し支えがない。あの、優しい彼がこのように変わるのかと思えば、空恐ろしくて堪らなくなる。
 途端に彼の背後に、見慣れぬ兵隊が現れた。その数を逐一確かめるつもりはないが、ゆうに三十は超しているだろう。四体ほど、趣の違った特別な兵隊がいるようではあるが、残る大勢はその身体がトランプでできていた。その上に、兵であることを自称するように、西洋風の甲冑が。
 これが例の、アリスによるトランプの兵隊なのだろうなと王子はすぐに理解した。
 残念な報せがあると、粗野な言動に切り替わった知君がセイラ達にトランプ兵の性能と、本来は無かったデメリットを説いた。主に前線に出るのはスペードとクラブの兵隊であることから、ハートには回復能力が備わっている事。そして今現在、ネロルキウスの兵と化しているために、ハートの兵隊、ジャックまで含めて、彼らの能力では白雪姫の毒の能力を無効化できないのだと。

「擦り傷、切り傷程度ならば治癒できるが、能力による影響はやわらげられない。その時はお前たちが何とかする番だ」

 俺自身が毒に侵される心配は無いから安心しろと彼は言う。頷いた少年と、その後ろで同様に理解した人魚姫は、彼の背に追随するようにフェアリーテイルとの交戦地へと走る。彼が言うからにはおそらく間違ってはいないのだろうと思ったが、それでも王子には不可解でならなかった。不利な相手と言う割には、どうして相手の攻撃が知君には通らないのであろうか、と。
 琴割のお気に入りだからかと彼なりに推測してみる。ジャンヌダルクは別段傾城に不利という訳でないから、秘蔵の知君が他の能力者の影響を受けないように、様々な能力を拒絶している。
 おそらくそうに違いないと判断した。辻褄が合うため、もやもやが晴れていく。雑念に意識を奪われていたら、厳しい戦いはより一層困難な道になることだろうから。
 いつもいつも、一部の例外を除いてフェアリーテイルというものは、その方が効率がいいからか都会の中心で暴れている。だからこそ巻き添えになる市民も膨大で、全体的な被害者の数はとうの昔に数え切れない。破壊されたライフラインに、道路、建築物。そういった損失の被害総額は一体どれほどまでに登るのだろうか。それらの修理費にも、莫大なお金がかかる。近頃ニュースで、また莫大な国債の借り入れを行ったと聞いた。
 他所の国の回し者が、日本の転覆でも謀っているのではなかろうかと主張している者もいた。しかし、そんな強力な能力者が果たしているものかとも、話題に。腕利き揃いの、フェアリーガーデンの守護神達を、まとめて操ることができる者などごく一部に限られている。
 ELEVENでもなければ、不可能ではないか。そう言われている。しかし、洗脳、あるいはそれに近い能力を持ったELEVENは二人しかいないというに、両者ともそのphoneが、不正なものも含めて使用された形跡は無かった。流石、人類最大の兵器のような扱いで、厳密にアクセスが管理されているだけはある。
 それゆえ本当に、この騒動の全ての元凶というものは未だ謎に包まれている。自然発生した災害という説を強く感じるのもそれが原因であろう。知君にも今一この原因が掴めていないことから、知君を認めている者から認めていない人間まで、その理由を突き止めるのを諦めてしまっていた。

「もうすぐそこだ。気を引き締めろ」
「分かってるよ」

 言われるまでも無く、嫌な気配はもうすぐ傍に感じていた。もう、赤い瘴気を目にするのも近くで感じ取るのも慣れっこになってしまった王子にも、これまでとは一風違った禍々しい気配を感じ取った。ビル群を抜けて、視界が開ける。菫やブドウのような、美しいバイオレットではなく、毒虫の警戒色のような汚れた紫色が視界に入る。
 白雪姫が白日の下、天に向けて毒々しい林檎を掲げていた。誰が口にした訳でもないだろうに、齧った痕が一か所だけあった。見える果肉は表皮とはアンバランスなことに、瑞々しく新鮮な林檎の果肉が覗いていた。
 白雪と言う名がよく似合う、白銀に輝く髪が肩まで伸びた、若い女性の姿。眠っているだけでも王子に一目惚れさせるというだけあって、シンデレラ同様に、この世の者とは思えないほどに美しい。流石に、絶世の美女と言うだけはあるなと、名前の通り王子らしく、その美貌に見惚れてしまいそうになる。
 一人だったらそれこそ釘付けになっていただろうな、などと考えながら、横目で隣に浮いている半透明の彼女の姿を見た。

「行こうぜ、セイラ」
「ええ……よろしくお願いします」

 これ以上、人々を泣かせる彼女の姿を見たくない。抵抗し、毒気をまき散らす白雪姫の様子を見て、泣きそうになるのをぐっと堪えて立ち向かうその決心を固めた。自分たちだけでは敵わないかもしれない強敵でも、今は心強い仲間が沢山いる。
 その場にいたのは、王子一家属する第4班、および知君属する第7班の二つであった。戦力的にはそれだけでも上々。むしろ解決の見込みがある最低限の数と言っても差し支えないだろう。他の対策課員はというと、シンデレラの討伐に当てられていた。久方ぶりに現れたシンデレラは、クーニャンが守護神アクセスした時の桃太郎のように、爆発的に観測数値が上がっていた。それゆえ、同時に出現した白雪姫には最低限、残る全勢力をシンデレラの側に当てている訳だ。
 かざした毒林檎、齧りついて欠けた部位から、透明な果汁が溢れ出した、と思った途端。急にその果汁は、果皮の色同様に、毒色に染まる。その液量すらも、果汁と表現するにはふさわしくなかった。とめどなく洪水のように溢れ出るその姿は、その凶暴性も含めれば氾濫と呼ぶに値するものだ。
 押し寄せる毒の波。だがしかしそれは、奇しくも水を主とする水溶液であった。こちらへ襲い掛かるように思えた壁のような波がピタリと動きを止める。何事かと思えば、第4班の王子 洋介、その守護神ウンディーネの能力によるものだった。水が主で、それに毒素が溶けているというのならばお手の物だと、自由自在に操る。
 一本の水柱、それが一直線に白雪姫へと向かう。術者本人に対して、この毒の効果があるのかなど分からない。だが、原典における彼女こそが林檎の呪いに中てられた故、効果はあるだろうとの判断だった。
 だがしかし、その発想は不発に終わる。涼し気な瞳で、その反逆の水流を一睨み。同時に林檎を手にしていない方の手で指を鳴らす。泡の割れるような軽快な音。同時に、あれほど邪気に満ちているように見えた毒林檎のジュースは途端に透明な清水と変化した。
 清らかな泉の飛沫を浴びたようで、彼女を打つ水流は陽光に照らされて煌きながら宙を舞い遊んだ。急速にそれらは、まるで元々存在していなかったかのように存在を失っていく。ウンディーネによる力でも手ごたえを失ってしまったその感覚から洋介も感じ取った。
 別次元の存在へと昇華するように、虹を残して毒だった清水は消え去った。毒はおそらく、効かないだろうと彼女自身この瞬間に悟った。ウンディーネだけではなく、後方に現れた王子から、古い友の力の残滓たるものを感じ取ったからだ。例え一人処理しようとも、もう一人が居れば水流を操る能力により、また毒瘴酸全てが自分へと襲い掛かってくる。
 だが、相棒を見つけ凛々しくも立ち向かってくる、今は姿を消してしまったセイラの事が、彼女にも微笑ましく思った。彼女は、報われない物語のお姫様だから。自分やシンデレラとは異なる存在だから。大好きな友人ではあったが、それでも気まずくて堪らなかった。だが、今はもう違うようだ。自分のための男の子を見つけられているみたいだった。事実少年は、後ろでセイラが見守っているからか、自分には目を奪われていない。
 この傾城を前にして少しも気を取られないとは、優秀な王子様だと彼女も残された理性で太鼓判を押す。と、同時に真紅の瘴気が彼女に囁いた。だからこそ、壊し甲斐があるだろう、と。狂ってしまった思考回路が、即座に応じた。その通りだ。

「小人さん、来てちょうだい」

 呼ぶと同時に地面に七つの穴が開く。それは急にモグラが飛び出したようなトンネルではなく、異空間に繋がる出入口のようであった。真っ暗闇の中から、飛び出した影。穴一つにつき一人、白い髭を蓄えた二等身の小人。全員が短刀を腰に、手には矢を握りしめていた。
 真凜としては、その様子にどこか壊死谷を思い出す。しかしこれはフェアリーテイル。数もあの時より圧倒的に少ない。だとすると、一人一人の警戒度はずっと高めるべきである。
 メルリヌスの真価を発揮する。一足先に、数秒先の未来。一人当たり、何十本と言う矢を同時につがえていた。どういった技術で撃ち出しているのかなど分からない。次の光景に息を呑み、すぐさま対処する。原理など気にしている場合ではない、何せこれらは、人知を超えた何かなのだから。
 七人の小人が、丁度弓を構えているその位置に向けて、即座に魔力の砲弾を撃ち出した。急いで撃ったため、少々精度に不安が残る。思った通り、そのほとんどの砲撃の軌道は僅かにずれていた。しかし、七人のうち二人には見事に命中する。矢をつがえようとしていたもう一方の腕を弾き飛ばした。
 残った連中も、好き勝手させるものかと、隣を素通りしてしまいそうな魔法弾を次々爆発させる。強烈な爆風に煽られて、小さな手いっぱいに握りしめられた矢がばらばらと地面の上にだらしなく広がった。
 だが、それさえも耐えきった二人の小人、もう二人は、弦を引き絞って、今すぐにでも何十と言う矢を放とうとしていた。
 それをみすみす見逃す奏白ではない。させないと言わんがばかりに、その内の一人に飛び掛かる。あまりの高速に、その姿が消えたように見える。突然に現れたのは、小人の頭上であった。
 不意を打とうと後ろから襲撃すれば、その反動で矢が飛び出すかもしれぬ。それなら、上部から叩きつけて押さえつけるべきだ。
 下方へと押し付けるような空気の鳴動を、真上から。衝撃に、押しつぶされる様な感覚を小人は味わう。急に強い重力がかかったかのように、べたりとカエルのような格好で這いつくばった。弦から飛び出していきそうになった矢の数々も、強い勢いで地面に叩きつけられる。
 もう一体も、同様に片づけねば。そう思い、また駆け出そうとするも、それより先に真凜によって狙撃を中断させられた五人の小人が襲い掛かっていた。今度の彼らは、自陣深くに無謀にも踏み入った奏白を仕留めようと、全方位から。
 しゃらくせえ。音速で移動する彼から見て、その動きはあまりに緩慢だった。正面、後方、右、左、右斜め。近い者から順に処理する。腹部を蹴り抜き、頭上から肘を落とし、逆の手で顔面を薙ぐように払い、残る二人は順に音撃で吹き飛ばした。
 目にも止まらぬ早業、痰が絡んだ鈍い悲鳴と共に奏白を中心に吹き飛ぶ。だが、もう一人の小人を取り押さえるのは、もう間に合わない。
 手から放たれた数々の鏃が、弾幕となって次々と宙を飛び交う。その様子まで見えていた真凜は、すぐさま反射板と青い光線とを駆使し、格子状のレーザー光により打ち落とす。次々と、羽やら軸やらを撃ち抜かれ、翼をもがれた鳥のように地へと堕つ。だが、あまりに数が多い。処理しきれなかった数本の矢は、メルリヌスの包囲網を抜けた。
 その討ち漏らした矢は全て、王子に向かって一直線に。

「王子くん! 避けなさい」

 するだけの余裕も無かったが予知するまでもなく、それらが彼を貫こうとしていることは彼女も分かった。それゆえ、避けろと指示するも、王子は反応が間に合っていない。死を感じるスローモーションの世界に、嚆矢を筆頭として、眼前へ迫る三角形の刃。ひゅるひゅると矢が叫ぶ大げさな音も、次第に大きくなる。
 だが、そんな王子の盾となるように、スペードの兵士と知君とが立ち塞がった。何本かの矢はトランプの兵隊の掲げた盾により防ぐことができたが、残る一本はその防壁の隙間を縫って突き抜ける。
 代わりにその矢が捉えるのは知君の額だった。その鏃が彼の肌に触れるのを見た時、急に世界が止まったように真凜は感じた。視界が急にズームアップする、知君から、目が離せない。他の様子なんて気にかけることすらもできなかった。息を吸うことも、吐くことも、瞬きすらも忘れてその様子を見る。瞬きしてしまえばその隙に深々と矢が脆弱な少年の頭蓋を貫いてしまいそうで。
 全身凍り付いてしまったようだ。スーツの下に、嫌な汗が。悪寒、寒気、何と形容したものだろうか。彼が死ぬやもしれぬという恐怖が、冷知覚となって足元から這い上ってくる。
 しかし次の瞬間、壁に当たったボールのように、暴君を襲った不敬な矢は跳ね返った。鋭い歯が勢いよく衝突したはずなのに、かすり傷一つ負っている様子は無い。
 ネロルキウスならば当然だ。そう言わんがばかりの不遜なる態度。無事であることなどとっくに分かっている。それなのに真凜は、駆けよらずにはいられなかった。
 何事も無かったかのように仁王立ちする彼の両肩を彼女は掴んだ。体を前後に揺らし抗議するも、知君はというと、眉を少しひそめただけだった。

「何を考えているの!」
「別に、受けても問題無いと思ったから立ち塞がっただけだ。それより王子を失う方がこの場においては痛手だ。俺が死ぬよりもそれは避けるべき事態だ」
「友達が目の前で死んで、王子くんがどう思うか考えなかったの?」
「別に、死ぬわけがない。俺を誰だと思っている?」
「そうじゃなくて!」
「はあ……。王子は、悲しむだろうな」

 詰問はそれだけかと、険のある目を彼女に向ける。

「おい奏白妹、内輪もめは後だ。あと、知君……今だけは礼を言う」

 二人の間に割って入ったのは先ほど知君に救われた王子の兄、太陽だった。後輩の奏白が自分より優秀であることに、強く嫉妬するほどの男だ、当然知君の事など普段好く思っているはずもなかった。だがそれでも、弟の恩人だからと彼は頭を下げた。
 別段、知君にとって嬉しくも無かった。救ったのは、己の意思からだ。感謝される謂れはない。それに、今の言葉には感謝以上に妬みが詰まっていた。どうしてそんな言葉を素直に受け止めたものだろうか。
 とどのつまり、真凜もこうやって、前線に立つ知君が次の瞬間には死ぬかもしれないと、侮っていると感じた。見くびるなと、強い怒りを持って彼女の横顔を睨みつけた。もっと信用して見せろよと、ぴったりくっつけた奥歯の向こうに愚痴を飲み込む。今言うことでもなければ、後で言う言葉でもない。別に、認めてくれなくて構わない、慣れっこだろう、君は。
 強がりの性格の裏に潜んだ、弱い心が顔を出す。途端に、ネロルキウスに呑まれてしまいそうになる。これじゃ駄目だと、苦悶を顔に浮かべては顔を一心に振る。その様子に、やはり限界なのかと真凜は呼びかけた。

「問題ない……。次は俺が前線に立つ」
「無理よ、いつもよりしんどそうにしてるじゃない!」
「うるさい! お前らは居なくなると悲しむ奴がいるだろう! だから俺が出ると言っている!」
「勝手なこと言わないで……。民間人を立たせる訳に行かないの」

 聞こえていた、彼女の制止の声が。それでも、止まりたくなかった。止まれなかった。意地だった。意地など張るなと教育されてきた彼だったが、これ以上の我慢なんてできなかった。『民間人』という、彼女らと自分たちを隔てるために用意した言葉に、何度涙を飲み込んだと思っているのかと、また強く拳を握る。
 知っている、もう聞いたぞ。恨みがましく、心の中にこぼす。王子には、共に戦おうと言ったそうじゃないか。俺と彼の何が違う、彼が良くてなぜ僕はいけないんですか。我儘など言うな、隠せと育てられた。だからこそ、尋ねる訳にいかなかった。
 それ以外の手段なんて知らなかった。だから彼は、しがらみを振り切るように、誰よりも前線に立ったのだ。