複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.54 )
- 日時: 2018/05/07 15:53
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)
それ以外の手段なんて知らなかった。だから彼は、しがらみを振り切るように、誰よりも前線に立ったのだ。誰より多くの敵を倒せば認めてもらえるに違いない、誰よりも強くあれば、役に立つ人間であれば、愛してもらえるに違いないと。
そこからの時間は、正直なところ見ていられなかった。アリスから借り受けた能力を用いて敵陣へと攻め込む知君。奏白もサポートに入るように奥で戦っているようだが、無謀な突き進み方をする知君の様子にひやひやしているのは見て取れた。明らかに、普段ならば追撃を仕掛けるようなタイミングであっても、知君の無事を確認する影響で攻めきれない。
だが、奏白は少し様子がおかしく、知君が怪我をすることよりも、もっと別のことに気を配っているように見えた。そもそも、ネロルキウスの加護を受けた彼が怪我などそうはしないと分かっているのがある。だとすれば彼は一体、何を恐れていると言うのだろうか。
小人を蹴散らし、白雪姫を取り押さえようと、知君は単騎で攻め入り続ける。トランプの兵士こそいれど、物言わぬ彼ら等ただの力に過ぎず、孤独であることに変わりは無かった。近くで奏白が戦っている様子はあるが、彼の場合白雪姫に近づく訳に行かなかった。白雪姫の周囲を立ち込めるように、毒ガスが立ち込めていた。さっきのような毒の津波だと無効化されるが、水さえ関与しなければ何も問題無いと判断して、だ。彼女の能力は無尽蔵に有害な物質を生み出すことはできるが、その対流を操作することはできない。溢れっぱなしにさせることはできるが、意志を持った空気や水の流れを以て、特定の人物を狙い撃ちなどはできない。
それゆえ、他の人がいる方まで毒霧が流れてくるようなことは無く、ただただ彼女と現世とを隔てる御簾のように、赤いもやが戦場を覆う。万が一にもこの外の地域に漏れ出ないようにと、次々王子とセイラにより、無毒化されている。しかし、新たに生み出されたガスが、白雪姫に近づけさせまいとやはり強力な壁を形成している。
あそこに踏み入れるのは知君だけ。知君が取り押さえて、その隙に王子が癒しの聖歌で瘴気を取り除くしか、対処法は存在しない。
立ち塞がる小人をかき分けるように突き進む、カードの身体を得た兵団。しかし、各マークのジャック達はともかく、雑兵たちは小人を前に易々と倒される。ハートの兵士たちは全員揃って後方の捜査官の治癒のために置いてきたため、こちらの回復は望めなかった。
段々と配下が倒れていくその様子に、まるで知君が裸の王様のように思えた。一人で無理して突き進まないでよと、前線の二人が捌ききれなかった小人の矢を撃ち落としながら、その背中を真凜は見守っていた。王子に矢が届いてしまえばゲームオーバー。それゆえ自分もここを離れる訳にはいかない。
今一攻め切れていない様子の彼に、太陽や洋介は首を傾げていた。今まで、この白雪姫よりもずっと強大な守護神をも鎮圧してきた彼が、どうしてこれほど手こずっているのか、理解できていないといった風だった。
それは、真凜も同じだ。いつもなら、相手に指一本触れさせずに圧倒、傲岸不遜なままにねじ伏せると言うのに。今日の彼にはその覇気がまるで感じられなかった。一体どうしてだ、分かっていない様子の彼らに、護られながら王子は、先刻聞いたばかりの情報を伝えた。
「ネロルキウスの能力が、白雪姫に聞かない? 何だ、あいつにも弱点らしいものあったのかよ」
「何だよ兄貴、その嬉しそうな言い方はよ」
「そんなの呆れるしかないだろ。そんな立場で踏み込むとか、馬鹿かよ」
「そんな言い方ねえだろ、あいつがどんだけ……」
頑なに知君へ心を閉ざす太陽。それを咎めるように王子は、知君を庇おうとするのだが、その声はまた別の声でかき消された。太陽の言葉に激昂した、第7班のメンバーによって。
「分からないの? それが彼の強さだからよ。優しさだからよ。誰かの傷つくところなんて見たくないから、例え自分が傷ついてでも前に出るんじゃない」
今まで、苦戦などしたことなかった。そんな知君が小人たちの猛攻に押されていた。完全に不利といった様子はなく、充分に抵抗はできている。疲れも痛みも傷も知らないような小人たちを、何度も何度も薙ぎ払い、投げ飛ばす。突き出されたナイフを掴む腕を叩き、飛び交う矢の雨に打たれても、けろりとしていた。
ナイフや矢では傷を負わないようだがそれでも、彼の様子はボロボロだった。彼自身に傷はつかないと言っても、身に纏う制服は色んな所に穴が開いていた。小さな子供が無邪気に飛び掛かるようにして、四方八方から押し寄せる小人。髪を引っ張られたりもしていたせいで、その髪はぼさぼさになって色んな方向に向かってはねていた。
何度か実際に殴られたり蹴られたりはしたのだろう、頬には青あざができていたし、引っかかれたのか顎の辺りには三本の赤い線が。どうしてそんなになってまで、貴方は戦い続けると言うのか。彼女の心に、黒い問いかけがまた、次々と。
そんな時間がずっと続いた。どちらが優勢とも言えない膠着状態。その膠着が、警察側の不利に傾いたのは、王子とセイラの守護神アクセスが解けた時だった。急な脱力と同時に、人魚姫の身体が現れる。その目はどこか、やりきれない想いに燃えていた。
生身の状態の人間が戦線に立つのは危険、それゆえすぐに再接続するべきなのだが、セイラは少し待ってくれと契約者の彼に懇願した。伝えなくてはならぬ事があると。
味方に向けるというよりも、敵に向けるような瞳を彼女は真凜の方に投げかけた。どうしてそんな感情を込めて睨まれねばならないのか理解できず、肩を竦める。その顔は、激しい苛立ちに突き動かされているように見えた。
「真凜さん。知君くんって、何で戦っていると思いますか?」
「それは、彼自身誰かのために戦える人だからよ」
何を分かり切ったことを、と。呆れかえった彼女は意義の分からない問いかけをした人魚姫に叱責をぶつける。今はそんな事より早く王子くんとアクセスしなさい、と。だが、人魚姫は頑固にも首を横に振る。今はまだ、駄目だと。
「確かにそうです。じゃあ何で、今無理して前線に立っていると思いますか」
「セイラ、何に怒ってるか知らないけど落ち着けって。それが知君の強さなんだよ」
「違いますよ!」
割って入ろうとした彼の言葉を、強い語調で否定する。本当に分かりませんかと、彼女は問う。けれども彼には、自分が何を理解していないのか察することができなかった。
「王子くんは、私と出会って、戦う力を得ました。私は、王子くんと出会って初めて報われました。お互い、古くからの望みが叶ってしまったから、もう気づけないのも無理は無いかもしれません」
もう一度、彼の目をよく見てみろと彼女は言う。倒れてもすぐに起き上がる、達磨みたいな小人と戦いながら、白雪姫の方へ一歩、また一歩と歩を進める彼。その目を見る。とても苦しそうだと感じてしまった。
けれどもなぜだろうか、その目は普段と、何も変わらないように思えてしまった。今、力になりきることができず、悔しく感じているだろうとは察せられても、平時は一体どういったことに苦悩しているのだろうかと、王子は首を傾げた。
「それでも私は見れば分かりました。あの目は、欲しくて欲しくてたまらないものを、ずっと待ち望んでいる瞳だと」
「知君くんが何を望んでいると言うのよ」
「ずっと一緒に見てきて、真凜さんはまだそんな事も分かっていないんですか?」
その、静かな怒りに気おされる。自分自身が、兄同様荒々しく激情をぶつけるような人間なので、そうやって爆発してしまいそうな激しい感情をぶつけられるのには慣れていない。だから、その怒りに晒されたくなくて、逃げるようにと口を開く。
「誰かが笑っている事? 世界が平和である事? 王子くんや私達といった人の無事?」
矢継ぎ早に、彼女が思いつく限りの発想を、推敲することも無く口にする。しかし、言えば言うほどにセイラの表情は一層固くなっていく。
「やっぱり貴方は、彼の事を知ったかぶりして子供だと突き放す割に、何も見てませんよね」
「じゃあ、彼は一体何を欲しがってるって……」
「とても簡単な言葉ですよ。『ありがとう』と『一緒に頑張ろうね』って、とても簡単な言葉」
「そんな簡単な言葉、彼が欲しがるとでも……」
「欲しがりますよ! だって……」
「そんな言葉、何処かで誰でも言ってくれるじゃない!」
「今まで言ってこなかった貴女達が! 何様のつもりでそんな事口にできるんですか!」
その声は、雷鳴のようだった。暗雲が黒く立ち込める中、空間を割って突き進むようにして、誰の耳にも轟いた。直接言葉をぶつけられたのは、真凜一人だ。しかし、その言葉は彼女以上に、第4班に所属している人間に突き刺さった。
「皆さん全員勘違いしてますが、彼は子供ですよ。未成熟な人間です。貴方達が彼にぶつけた感情は何でした? 「疎ましい」「邪魔だ」「嫌いだ」「どこかへ行って欲しい」「認めてやるものか」……全部、嫌悪の感情じゃないですか。ねえ、ちゃんと理解しているんですか? 彼が自分の人生を犠牲にしてまでも戦ってくれるその事実を。助けたはずの人々に受け入れてもらえない彼が、今度こそ認めてもらおうって前向きに涙を隠して笑っていることを。辛いって、苦しいって、言っても貴方達が誰も心配しないから、どうせ見下されてしまうからって。弱みを見せたらまた認めてもらえないからって……迷惑かけちゃいけないから、ってずっと無理して笑ってるんですよ、あの子。立ち向かっていくのは彼の強さなんかじゃなくて、立ち向かわなければならないっていう、弱い心なんですよ」
知君は確かに平和を愛しているし、誰かの笑顔を護りたいと強く願っている。けれども、それだけで戦えるほど大人ではない。いいじゃないか、少しくらい。誰かのために戦う自分が、報われたいと願ったって。けれども、それを口に出せるほど彼は我儘では無かった。
「ねえ、知ってますか真凜さん」
「……何を」
「友人である王子くんや、その守護神の私はさておき、彼の事を仲間って呼んでいるの、真凜さんのお兄さんしかいないんですよ?」
「それは……」
言葉を失う真凜に、またしてもセイラは問う。これが最後だから安心しろと、予め王子の手を取った。
「あの子が、音也さんと同じか……それ以上に、尊敬している人が誰か知っていますか? 同じ志を持っていると、信じている人。ずっと傍で過ごしてきて、誰よりもその人から、仲間だと認めて欲しい人」
「…………」
やはり、答えられない。今度の答えは分かっていた。分かっていたからこそ、口に出せなかった。そこで名乗る資格が、今の自分には無いからだ。
「貴女のことですよ、真凜さん」
手が震える。そんな訳ないと自分に言い聞かせる。こんな弱虫が、あんなに強い子から尊敬されてなるものかと。そんな立派な人間な訳が無いのだと。今の話を信じるも信じないも自由だとセイラは言う。そしてその言葉に続いて、ずっと黙っていた王子も口を開いた。
「正直……知君が辛いのは、ネロルキウスを呼ぶことより、その後倒れることより、泣いている誰かがいることより……兄貴達みたいな、認めてくれない人の視線と、奏白さんが頑なにあいつを認めてやらない事だと思う……じゃない、思います」
今彼女がした叱咤は、自分に対しては向けられていなかったと信じるほど、彼も鈍くは無かった。気づいていながらも見て見ぬふりをしてきたのは、自分も同じだったろうから。きっと、セイラも同じだったのだろうなと彼は感じた。そもそも人間ですらない自分が口を挟んでよいものか決めあぐねていたのだろう。
けれども彼女は、お節介だと思われようとも伝えようと決めたのだ。優しいのに、独りぼっちの少年が、あまりに可哀想だったから。自分や王子と重なってしまったから。手を伸ばすことができる人は、ちゃんと隣にいるのだから。
だから、伝えなければ。同じ年頃の自分だからこそ、ずっと我慢し続ける友のために自分が代わりに教えてあげなければいけない。己の不甲斐なさまで全て、憎悪に変えて知君にぶつける、子供みたいな大人たちに。
「なあ兄貴。俺さ、今だけ感謝してやるなんて言われたら悲しいよ。だって普段は嫌いだってことだろ? 誰かから嫌われて、何も感じない訳ないんだ。だって俺たち、まだガキなんだから」
お互いを信頼しきった声、王子とセイラ、二人の「守護神アクセス」が重なる。その声は、悩みと、苦悩と、葛藤と、苦痛とに塗れた、「来てください、ネロルキウス」の言葉とは、悲しいほどにかけ離れていた。