複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.57 )
- 日時: 2018/05/04 16:19
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
「もう一度だ! 来てください、ネロルキウス」
例えこの身が朽ちようと、退く訳に行かない。この身一つで、大切な人たちが護れるというなら、いくらでも差し出そうじゃないか。腕がもげようが足が引き千切れようが、脳が焼き切れようが、厭わない。そんなものよりもずっと、背後に立つ人々の方が大切なのだから。
平時であれば、呼びだした途端に押し寄せる情報の渦に、顔をしかめる知君。にも関わらず、今回の様子はそれとは異なっていた。まるでそのまま眼球が飛び出していっても不自然ではないほどに、大きく目を見開いた。目元の筋肉があまりに収縮して張り裂けてしまいそうなほど、強く見開かれる。それなのに、その一点さえ除いてしまえば、彼の表情は彫刻のように動きさえしなかった。
瞬きさえ忘れてしまったようで、数秒の時間が過ぎ去る。目が乾燥したりはしないのだろうか。不安になったその時、首の骨を鳴らしながら彼は頭を傾けた。乾いた心地よい音が響く。腕を持ち上げ、まるで操縦する際の感覚を確認し、微調整するように、拳を握ったり開いたりを繰り返す。全身の様子を見回す様子は、新車に傷がついていないかチェックしているようだった。
一体何をしているのだろうか。得体の知れぬ恐怖。先ほどまでのものとは違う、何故だか今は彼がそこにいるという事実だけで、身震いが止まらない。今まで何度も彼がネロルキウスを宿す姿は見てきたのに、こんなに身の毛もよだつような経験は記憶に無い。
普段の彼と、一体何が違うと言うのだろうか。すぐにでも背けたくなる目、それを逸らさないようにして、彼の様子を注視し続ける。
もうこれからは、絶対に目を逸らしてはならないと決めたのだから。見届けなくてはならない。またきっと、笑顔を見せてくれると信じて。
迸る黒色のオーラは、普段よりもずっと強いように思えた。いつものが種火に過ぎないとするなら、目の前で天を衝くその様子は、業火と呼ぶに値する。手で触れれば、そのまま呑み込まれてしまいそうな、底知れぬ絶望のような闇。
振り向いた知君、その表情はいつもの、激しい怒りにも似た驕り、それに満ちたものとなっていた。初め少し不安だったが、何とかいつも通りかと真凜は安堵する。しかし、彼の目と彼女の目とが合った時、その安堵は瞬く間に吹き飛んだ。その瞳は、身に纏う闘気と同じで、底が見えないほど暗い絶望を見る者に知らしめていた。
「問おう、『僕』は誰だ」
「ちきみ、くん……?」
呆気にとられた彼女に、眉一つ動かさないまま少年は問いかけた。何を言っているのか、察し始めたが、理解したくない彼女は、疑念を振り払うように彼の名前を呼んだ。それ以外の者がそこに立っていると、認めたくなかった。
「そうか……では、『俺』は誰だ」
「だから、知君くんなんでしょう?」
違う違う違う、そんな事あってはならない。だってずっと、抗っていたじゃない。今までずっと大丈夫だったじゃない。だから今度も大丈夫、この子はいつもの、誰より優しく温かい子。そんな真凜の自己暗示は、妄信に過ぎない。
「なるほど、やはりこの体は知君 泰良のもので間違いないみたいだな」
「ねえ、知君くんなんだって、言ってよ……」
十年ぶりだなと言い、体を動かす感触を彼は確かめ続ける。足の動かし方は、一歩の広さは、様々模索している。さすがに十年あればそれなりに大きくなるものだなと、感心するように彼は一言。目の前の真凜のことなど、見えていないよう振る舞う。しかし当然のように声も姿も認知している。犬が鳴いて喚いているように感じた彼は、疲れ切った表情で、彼女の言葉を制した。
「少々五月蠅いぞ。ここは御前だと思い黙れ、気づいているだろう」
「違う、そんなの駄目……。認めてよ……」
「最後の問いだ。今話している、『余』は誰だ?」
「知君くん……だって認めてよ」
「不正解だ」
初めて彼を見た時から、こんな日が来てしまうことは予測していた。むしろ初めは、常にこの状態なのだと信じていた。けれども、いつも知君が戦っている時のあの姿は、自分に鞭打って強がっているだけの姿なのだと聞いた。それ以来、こんな事が起きてはならないようにと、思ってきたのに。だからこそ彼に、callingなんてして欲しくなかったのに。
目の前に立つ体の持ち主、それは知君で間違いないだろう。しかし、今体を動かしているのは、知君では無かった。言葉を交わしている相手はもう、あの優しい少年では無かった。
打ちひしがれる真凜を他所に、王は自ら名乗りを上げる。天下にその再臨を轟かせるがごとく。そう、彼の名は。
「聞いたことぐらいあるだろう? 余はネロルキウスを名乗る者」
疑念は確信へ。不安は畏怖へ。この後何が起こったものか分からない恐怖に脂汗が出てくる。その名を耳にした際に、全身が脱力して動けなくなった。この感触は一体何だと、自問自答する前に膝を付く。全く体に力が入らない。これは一体、何だ。
そしてもう、気づいた時には古の暴君は、真凜の手の届かない所にまで進んでしまっていた。自分と同じように、地べたに這いつくばる幾人もの捜査官。それはまるで、王の前でひざまずいているかのようだった。立っている者と言えば、王子くらいのものだ。
「お前はまだ仕事がある。そこで立っていろ」
王子の肩に手を置き、呼びかける声が聞こえてきた。後からまだ役目がある、とは一体。分からないことがあまりに多すぎた。ネロルキウスを名乗るだけあって、この場の状況に関しては誰よりも精通しているのだろう。
「おい知君、何やったんだよ。皆して倒れちまってんぞ」
「ああ、致し方ない。残る体力と膂力のほぼ全てを奪った。余があの上玉と戯れるためにな」
「は? 待てよ、お前誰だよ……。知君、じゃねえだろ」
「ほう、鋭いな。安心しろ、今お前たちに手を出すことは無い」
その意味を理解するより先に、今までずっと王子が庇っていたその父、洋介を見下すように立ちふさがる。お前の能力が相応しいと見定め、ニィと笑みをこぼす。
「おい! やめろ!」
これから彼が何をしようとしているのかは、奏白だけが知っていた。すぐに駆け付けようとするも、足のみならず全身の身体能力の大半を奪い取られた現状では、指一本動かす程度が限界であった。声を届けられたのもアマデウスの能力ありきだ。だが、今の危機的な状況を知っているのは自分だけ。ならば、止められるのも自分だけ。
そう思っていたのが何よりも傲慢だった。所詮彼には、暴王の悪辣など止めることはできない。ただ、圧政を強いて蹂躙するその様を見届けることしかできない。
「やめろ知君、それだけは……それだけはやっちゃ駄目だって、言ってただろうが!」
「それを言ったのは知君であり、余ではない」
五月蠅いから黙っていろと、彼は奏白から声を奪い取った。口を動かそうと、息を吐きだそうと、音声は少しも漏れ出ない。畜生、そう呟くことすら、もうできなかった。
「余の能力を行使する」
白雪姫には、その能力は効かないと言うのに、何をしているのかと訝しげに王子はその守護神を自称する男を眺める。だが、その見つめる瞳は、続く言葉のせいですぐさま驚愕に染まった。
「対象は王子 洋介。奪うものは……その守護神のウンディーネ!」
知君の身体を操って、虚空を掴むようにネロルキウスは手を伸ばした。何も無い空間に手をかざし、その目的とはどこにあるのかと思っていたところに、王は略奪の能力を行使した。たちまち、その空間に変異が現れる。今、瞬きをするまではそこに何も存在していなかったというに、気づけばそこには、首根っこを掴まれた水の精霊の姿があった。女性の姿をしており、身に纏う衣も、肌さえも波打ち際の泡のように真っ白に染まっている。
他人の守護神が実体化しているところなど、見るのは誰もが初めてだった。強いて挙げるならセイラを筆頭とする一連の騒動の守護神達だが、それはあくまで例外。幻獣界に住むウンディーネがこうやって、現世に実体を持って現れることなど本来あり得ることではない。これがネロルキウスの力なのかと、血のような味がする唾を飲み込んで、誰しもが顔を強張らせた。
「傾城に余自身の能力が効かぬと言うなら」
やめろよ、知君……。守護神を奪われた人間は。そんな言葉も声に出ない。今の奏白には悔しさに地面を叩くこともできない。
「余が別の者と、守護神アクセスすれば済む話だ!」
守護神を奪われた人間は、もう二度と、守護神アクセスできなくなるって言ってたじゃねえか。それだけは、やっちゃいけないことだって、言ってたじゃねえか。その、知君の覚悟を踏み躙るネロルキウスが、許せなかった。止めることのできなかった、不甲斐ない自分も当然、許せなかった。
強い光が放たれて、ウンディーネの姿が薄れていく。それと同時に、真っ黒な闘気のそのまた一つ外側を覆うように、ウンディーネの青白いオーラがまとわりつく。奏白の抗議など何一つ届かないまま、手遅れとなってしまった。
「さあ、教えてやろう。真に王たる余には、世界の理さえもひれ伏すと言う事を」
どこぞの王族であろうと容赦はしない。暴君による、断罪の時迫る。