複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.6 )
- 日時: 2018/02/09 23:01
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
「そんなもの決まっている」
全てを奪われる覚悟だ。そう、冷たい声で知君は言い放った。やはり、これは自分の知る彼とは違う。真凜の感じる恐怖はさらに募る。ぞわぞわと、背筋を寒気が這うように横断する。身の毛もよだつような畏怖が湧きあがり、体を強張らせる。鳥肌が身体中走り、そのまま締め付けられたかのように真凜は感じた。
眉間に皺を寄せたままの知君の表情は、いつになく高圧的だった。守護神による人格の汚染、そのような話など彼女は未だに聞いたことが無かった。己亡き世がどのように変革したのか、己は後世にてどのように言い伝えられているのか好奇心を持つだけの温和な守護神ばかりのはずだ。それなのに、彼の守護神はこちらの世界に現れたそのままの勢いで知君の意識を蝕んでいた。
この状態が彼の本来の姿で、普段は猫を被っているだけなのか。そう思い始めると、普段の温和な笑顔や気の弱そうな声すらも薄気味悪く思えるほどだった。敵ではなく、同じ側に立つ人間に対して、怖いと感じたのは彼女にとって生まれて初めての経験だった。
「スペードのジャックさん、やっちゃって!」
「クラブのジャック、時間を稼げ」
指揮系統の混乱に、復活したはずの下級兵は混乱して動きを止めてしまっていた。仮に、彼らがはっきりとした意志で襲いかかってきたとしても、今の状態の知君にその刃は届かないだろうから戦局に変わりはない。
重装兵のスペードの騎士と、軽装備だが機動力に優るクラブの騎士とが衝突する。一度でも反撃を受ければ勝負は決するだろうが、クラブのジャックは軽快にヒットアンドアウェーで攻め込んだ。自身の高速移動を活かして死角へと回り込み、相手の隙をついて切り込む。しかし、最強の兵たるスペードのジャックも屈しない。突進してくる足音の方向と音量からタイミングと角度を推察し、振り返りながら剣戟を放つ。突き進む知君に従う騎士もその切り返しに咄嗟に反応し、槍を地面に突き刺して、棒高跳びのように飛び上がりそれを回避した。着地し、再び敵方の行動を伺いながら隙を探す。
「……よし」
「お兄さん、また何かしたの?」
「その通りだ。何か文句あるか。兵が使えるのは小娘でなく王だと相場は決まっている」
「ほんとは可愛くないんだね、お兄さん。ならいいよ、諦めるから。お兄さんも殺しちゃえ」
そう言いながらも、そわそわしながらアリスは自身の兵隊の様子を気にかけた。ちらりと横目で様子を見たスペードのジャックはクラブのジャックのように主を忘れている様子はなく、アリスを守るために全力を尽くしていた。命令違反も一つとして見受けられない。得意げな笑みを、彼女は浮かべる。
「お兄さん、残念だったね。スペードのジャックさんは私の方が好きみたいよ」
「誰がそんなものを狙っていると言った?」
「えっ……」
アリスも、さらには真凜もずっと勘違いをしていた。スペードのジャックも同様に寝返らせることで形勢を一気に逆転、自分たちの勝利へと結びつけようとしているのだと。だが、現実に彼が目的としていたのは、早期の決着では無かった。
そしてその選択をしたのは、まさしく彼らしいと言う他なかった。奪われたのは、別の兵士。目的は『仲間の安全の確保』である。
「ハートのジャック、こっちにいる女を回復させろ」
彼が目的としていたのは初めから真凜の回復だった。擦り傷に塗れ、疲労困憊した彼女の様子を彼はこれ以上見たくなかった。痛みに苦しんでほしくなかった。そのため、優先するべきはそちらだと判断した。到着したその瞬間には、短期決着を目的としていたのだが、実際にはアリスは自分の能力に対する免疫のようなものを持っており、敵軍の中に回復を得意とする者がいることも知ることができた。その瞬間にもうこの意志が最優先だと誰に言われるともなく断定された。
アリスのすぐ隣にいるまま、ハートのジャックは杖を天高く振り上げた。先端の緑の宝玉から、真っすぐに光が真凜に照射される。温かい光に包まれた彼女の全身からは、瞬く間に傷が消えていった。全身に溜まった疲労も、痛みも、嘘のように消えて無くなってしまった。
「気分はどうだ?」
知君は、短い言葉で真凜に問いかけた。目を細め、眉間に皺を寄せて、険しそうにしながらも、無理に口角を上げる。笑おうとしているのかと、その表情を向けられた彼女は咄嗟にそれを理解した。抵抗しながらも、真凜を安心させようと、気丈にふるまおうと彼はしていた。
それでもまだ、彼女の心は距離を感じてしまっていたが、それでもほんの少しだけ記憶にある知君の印象に近づいた。少なくとも彼は自分を救おうと立ち向かってくれている、それだけは誰の目から見ても明らかなことで、どれだけ怯え固まってしまおうとも見届けようと決心した。
「ハートのジャックさんまで……何で!」
「子供のお守りは疲れたんじゃないか。さて、降伏するなら早い方がいいぞ」
「うるさいうるさい! 皆して私に命令して、私から奪い取って、そんなにたのし……い……っ?」
アリスの様子が急変したのはその時だった。先ほどの知君を思い出すような様子で、頭に手を当てて急に悲鳴を上げ始めた。彼女の頭の中で、耐えがたい激痛が走りだす。痛い痛いと泣き叫び、大粒の涙をぼろぼろとこぼしながらしゃがみこんだ。
何事が起きたのかと驚いたのは知君もそうだった。目の前の出来事に驚き、何が起こっているのかとしばらく観察する。
「何も分からない、どういうことだ」
それは彼にとって初めての経験だった。だが、その原因を探ることよりも今大事なのは目の前の事態の収束だと割り切る。だが、どうにもアリスが正気でないような気がしてならなかった。あの様子は、まるで自分自身のようだと知君自身も重ねずにはいられなかった。
その時、真凜も知君も目の前で不思議な現象が起こっているのを目にした。異変は、アリスの瞳に現れていた。フェアリーテイルと認定された守護神は、観測された今までの事例全てで血だまりのような真っ赤な瞳をしていた。しかし今のアリスの瞳は右目がその赤色、左目は宝石のように青く澄んでいた。一番初めに観測室でアリスの姿を見た時のことを真凜は思い出した。あの時見られた彼女の姿は輝く黄金色の長髪に、碧眼を携えてはいなかったかと。
ならばあの血のように赤い瞳は一体何なのだろうか。正気を失った守護神だと言われているが、あの瞳こそが正気を失っている証なのだろうか、アリスの瞳の色はおぼろげに移り変わっていた。先ほどまでオッドアイのようになっていたかと思えば今度は両目が赤く染まっていたり、逆に抗えている時間は双方の目が真っ青になっている。彼女も何かに抵抗しているのだと察した知君は助けなくてはならないのはもう一人いると認識を改めた。極悪非道と思われていたフェアリーテイル、彼ら彼女らもおそらくは、被害者の一員に違いないのだ、と。
「痛い、痛いよ……頭が、われっ」
苦痛にうめきながら、助けてくれとアリスは視線で助けを知君に求めた。目の前の人を助けたいという彼の意志は強く堪えようとする。悲鳴を上げているのは自分の体も同じだというのに、彼はぶれない。辛さも苦しみも全て乗り越えて他者のためを想う。限界が来ていようとも、彼は立つ。
必死で抵抗しているアリスは、決して全てを他人任せにしようとはしなかった。己の内側に巣食う破壊衝動を追い出そうと、全霊で抵抗し続ける。出ていけ出て行けと強く心に念じながら、いつの間にか脳裏に刻み付けられた真紅を求める衝動を全て吐き出さんと抵抗する。絶対に折れたりなどしない、その強い勇気は、歪んだ赤い瞳越しに見た、同じように自身に巣食う何かと格闘した彼を見て得たものだった。
炎のようにゆらめきながら、真っ赤な瘴気がアリスから立ち上った。気力を振り絞って抵抗するアリスが身の内に根を張っていた邪な気配を押し出した。
もうこうなればこっちのものだと、知君はそのアリスを蝕む元凶へと照準を定めた。
「もうちょっとの辛抱だ。お前を侵す諸悪の根源、それさえも奪ってやる!」
左手を添え、右手の平をアリスに向ける。能力を発動し、少女を蝕む謎の邪気を吸引する。溢れ出す瘴気はどんどんと、知君の体の中に溜まっていく。
「待って、知君くん。こんなもの吸い込んだら、君は……」
「問題ない。ネロルキウスにこんなちんけのものは通用しない」
顔色一つ変えずに、知君はより一層略奪の能力の強度を強める。一秒でも早く、アリスを苦しみから救ってみせると。瘴気を彼が片端から肩代わりしているだけあって、アリスの表情は次第に和らいでいった。瞳の色が明滅するようにころころと色彩を転調することも無くなっていく。そして、彼女の瞳が、青空のように晴れ渡った際に、解放された彼女は安堵に包まれた表情で眠りについた。ふらりと倒れそうになる彼女を、咄嗟に駆け付けた。トランプの兵隊たちが我先にと支える。その表情からは、歪な笑顔は消え去っており、狂気を孕む笑い声でなくただただ穏やかな寝息だけを彼女は上げていた。
その様子を見届けた知君は、ネロルキウスに対するアクセスを切断した。これ以上長居させて意識をジャックされてはたまったものではない。憑き物が落ちたように、彼の表情も険しいものから見慣れた穏やかな表情に戻った。振り返り、邪気のない笑顔で真凜に向かって微笑みかける。その様子はまるで、よく懐いた犬のようで、先ほどまでの剣呑さなど、嘘のようであった。
「無事に終わりましたね、真凜さん」
真凜に対し笑いかけてはいたが、彼の膝も笑っていた。危ない、そう声に出しながら、彼女はよろめき体勢を崩しかけた知君を支える。戦いの最中、ハートのジャックに回復させてもらったため、彼女の体の調子はすこぶる良かった。
「あはは、ごめんなさい。もう僕、限界みたいです」
いいからゆっくり休んでなさいと真凜は指示し、大人しく彼もそれに従った。すやすやと、母親に抱かれる赤ん坊のように、嬉しそうに知君は眠った。アリスが再び暴れるようなことも無さそうで、騎士たちもこちらにはもう一切の敵意を示していない。それどころか、ダイヤのジャックは奏白を捕らえた檻を撤収させ、感謝の心だと言わんばかりに宝石などを差し出してきた。
「終わった、ってことでいいのよね」
台風一過、という言葉が相応しいように思えた。暴力と恐怖と絶望とが荒れ狂った戦場だったがいざ終わって残されたのは、眠りこける大人に、男の子に、幼い女の子。笑ってしまうぐらいに機嫌がいいお日様も、この景色の優雅さに一役買っていた。
第7班によるアリス討伐、この事実は結果として、成果が出ずにくすぶり続けていた対策課全体を盛り上げ、第7班へのイメージを一変させた。
そしてさらには、フェアリーテイルに関する、有力な情報をもたらしたのである。
File1 知君 泰良・hanged up