複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス【File9前編・開幕】 ( No.60 )
日時: 2018/09/11 11:59
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)

 私と君とで、大切な話をしよう。その言葉を、知君の意識が戻ってくるまで、一旦彼女は胸の内にしまっておいた。
 それは面白いことを言うものだとネロルキウスは彼女を嘲笑った。先ほどの光景を見てなお、貴様は俺を恐れていないのかと、興味深そうに。しかし真凜には、それが強がりだと気づいていた。

「大丈夫よ、知君くんは私を傷つけたりしない」

 現にさっきから、こっちに手を出してきていないじゃないと、彼女は得意げに指摘する。知君は、ネロルキウスに意識を奪われないようにとずっと抵抗していた。それと同様に、暴君の側が常に意識を取り去ろうとしていたというなら、同様に本来の身体の持ち主も、取り返そうと躍起になっているのではないかと推測していた。

「女、変なことを抜かすな」

 虚飾の言葉。その表情が忌々し気に強張った。やはりそうだ、彼が先ほどから黙ってこちらを睨んでいるだけなのは、その脳裏でまだ知君とのせめぎあいが続いているからだと真凜は確信する。それならば、まだ彼の意識を呼び戻すことは十分に可能だ。
 だから諦めず、問いかけ続ける。君ならちゃんと、帰ってくることができるのだと。

「貴方は優しくて、強い子でしょう? 早くそんな意識なんて追いやっちゃいなさい」
「思いの外阿呆か貴様は。今までお前が強いと思ってきたのはこいつでなく俺の力だぞ」
「御していたのは彼よ。ほら、できるでしょ?」

 ほほ笑む真凜。その顔を見たネロルキウスはというと、急に苦悶の表情を浮かべた。頭が割れてしまいそうな鈍痛に、思わず割れて砕け散ったりしないようにと頭を両側から抱え込むように左右両方の腕で抱き込んだ。
 余計なことをと、苦々し気に彼は真凜へ激しい憤怒を込めた視線を向けた。琴割の妨害さえ無ければここでとっととその命を奪ったやったものをと、恨み言を一つ残したかと思うと、より一層大きな、断末魔のような絶叫を轟かせた。
 天地を揺るがすような激しい雄たけび。それはまるで、フェアリーテイルが正気に戻るときに苦悩するあの悲鳴とよく似ていた。
 次の瞬間、弱弱しい目に変わる。今にも倒れてしまいそうなふらふらの身体に、覇気のまるで足りていない瞳。長い長い距離を泳いで、ようやく陸に打ちあがった者のように、その意識は朦朧としていた。
 守護神アクセス中特有の黒色のオーラこそそのままだが、その儚くて、今にも消えてしまいそうなか細い姿は、間違いなく知君だと言い切ることができた。だからこそ彼女は、大きな声でその名を呼びかける。けれども、その声を耳にし、意識が覚醒した彼はというと、正反対に真凜のことを突き放した。

「こっちに来ないでください」
「どうして? さっき、二度目の守護神アクセスの前に言ったでしょう。君と私とで、大切な話をしよう、って」

 そんな訳に行かないと、弱弱しく、小さく首を横に振る。その動きさえ、未だに痛々しい。いつ再びネロルキウスが出てくるかなど分からない。脳裏のネロルキウスの猛攻に抗うのに精いっぱいなのか、phoneの電源を落とすと言う発想が出てきていないようだ。
 もしかしたら、今更電源を落としても無駄なのかもしれないなと真凜は思い至った。けれども、もう何も心配はいらないのだからと、彼女は知君の方へと歩み寄っていく。一歩、また一歩と近づいてくる様子を見て、彼はと言うと弱弱しくその歩みを止めようとする。

「駄目です……また、傷つけてしまうから……」
「そんなことないわ。傷ついてるのは知君くんの方よ」
「違わないです。その手……血が出てる。僕がやったんだ」

 真凜の手を指さす。親指の付け根のあたりの皮がめくれて血が滲んでいた。ああ、これねと、事も無さげに彼女は呟いて。

「これは関係ないわ、戦ってる時についただけ」

 気にしないで、そう告げたが、ちゃんと彼は覚えていた。Callingするなと手を握られた時、無理やり振りほどこうとして、引っかかった爪が彼女の皮を削いだことを。

「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ! それは僕がつけた傷だ。守らなければいけないのに、よりによって僕が傷つけたんだ!」

 両手を見れば爪の先に、真凜の物と思われる血痕が、少々。自分のせいで流させた血液が、何よりも汚く見えた。後悔が、慙愧が、とめどなく訪れる。呼吸がまた荒くなり、楽になりたいなら余に身を委ねろと、彼がまた。
 薄れそうになる自我を引き留めたのは、真凜の声だった。

「いいの、かすり傷よ。気にしないで」

 私は大人だから、こんなのへっちゃらだと知君の一歩先にまでたどり着いた彼女が笑う。けれども、それで本当に気にしないと割り切れるほど、彼は図太くない。

「気にしますよ、こんなことしちゃったら……それこそ、死んで詫びるしかないじゃないですか!」
「そんな悲しいこと言わないで。君は確かに何だって知っているけれど、誰にだって間違いはあるんだから」
「でも……正解しか知らない僕は、間違えちゃいけないんだ。間違えちゃいけないのに、僕は、僕はぁっ……」

 虹彩の輪郭がぼやける。けれども、その瞼の淵から涙が零れないようにと何とか押しとどめた。泣いたら怒られるから、それだけはしてはならない。すぐそこで琴割がみているというのも、涙腺の門を閉じるには十分すぎる後押しだった。
 ひゅっと、肝が冷えるような想い。あの人はまた、自分に失望しているだろうかなんて、後ろ向きな思考が、また。

「あのね、知君くん。それが正解かなんて、その時まで誰にも分からないものよ」

 最後の一歩を踏み出し、目と鼻の先まで近寄る。来るな、そうやってまた、少年は強い言葉を用いて叫び、突き放す。
 それでも今度こそは、彼女はひるまなかった。

「本当に君は、強情だよね」

 全部見透かしたように真凜は茶化す。絶対、離れてなるものですかと、彼が一歩退く度に距離を詰めた。

「来ないでください。真凜さんだって、ずっと僕の事、怖がって……」

 もはや瞼の裏に焼き付いた、怯え切った彼女の瞳。その恐怖は紛れもなく、毎回、自分に向けられているものだと知君は気が付いていた。誤魔化しても無駄だとは真凜も思っていた。それに今は、本当の気持ちを伝えるべき時だから。嘘偽りなんて、必要なかった。

「そうね、すごく怖かった」
「ほら……」

 その代わり、今まで伝えられなかった言葉を添える。今度こそ、言い漏らす訳にはいかない。間違った受け取り方をした彼が、悲しまないように。

「君が、君じゃなくなっちゃうのが、すっごく怖かった」

 ゆっくりと、噛んで含めるように彼女は、一語一語大切にしながら言い聞かせた。その言葉にひどく驚いた彼が、ちゃんと理解できるように復唱する。もっと分かりやすいように、噛み砕いて。「優しい君が、どこかに行ってしまいそうなのが、とても怖かった」のだと。「知君くん自体は全く怖くないわ」だなんて。
 ずっと言わなきゃいけないとは、思ってたんだけどね。そう言って彼女は知君に頭を下げ、真っ直ぐにその瞳を見つめて。あの日、ずっと前に言いそびれた大切な言葉を告げる。人である以上決して忘れてはならない、とても大事な、暖かい言葉。
 そう、感謝の言葉だ。

「アリスから、助けてくれてありがとう」

 ずっと、言えていなかった。助けてくれたのに、果たすべき義務を果たしていなかった。その後彼は倒れてしまったのに。そんなになってまでも戦ってくれたのに、妙に怯えていた真凜は、そんな簡単な言葉すらも伝えられていなかった。

「そんなの、当たり前のことじゃないですか」
「その当たり前のことへの感謝が、私には足りていなかった。あの日豹変した君が、君じゃなくなったみたいですごく怖かった」

 本質なんて、何も変わってなかったのにね。

「あのとき君は、アリスを倒すより私の回復を優先させた。優しい君のままだって、分かってたはずなのに、凄む君がとても怖くて、強すぎる力に嫉妬して、お礼なんて言えなかった」

 もう知君は、遠ざかることを諦めていた。額に手を当てて、意識の混濁に抗いながらも、何とかして真凜の言葉を聞いていた。
 それは、彼女が望んでいるからというよりも、その先の言葉を彼自身が望んでいるからだった。どうして、こうやって聞いているのか、自分にはまるで理解できない。真凜の話の行きつく先に、どんな言葉が待っているのかなど分からないまま、けれどもその目に見えない目的地が何だかやけに眩しく感じられて、引き寄せられるままに耳を傾ける。
 けれどもやはり、傷つけてしまいそうで。視界の隅に彼女の傷ついた手がちらつく度に、そんな事を考える。声だけは、ちゃんと聴くから、離れてくれと、彼は懇願する。

「駄目です、僕に触れたら、また怪我させて……。だから」

 ネロルキウスの業火のような黒色のオーラは、未だ燃え盛るように彼の身体を取り巻いていた。触れてしまえば、本当に焼け焦げてしまいそうなほどに、強く、唸りを上げている。
 何よりも禍々しく、触れた者を全て灰と化してしまいそうなほどだ。触らないで下さいと、眼光を不安定に揺らしながら、独りぼっちの辛さを噛み殺して、真凜を遠ざけるように両手を突き出した。
 しかし、そんな拒絶などに、彼女は屈しなかった。

「ほんと君は、嘘ばっかつくんだから」

Re: 守護神アクセス【File9前編・開幕】 ( No.61 )
日時: 2018/05/07 16:48
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: yVTfy7yq)

「ほんと君は、嘘ばっかつくんだから」

 母親が、姉が、出来の悪い息子や弟を笑いながら叱りつけるように、クスリと破顔して、彼女の両腕がネロルキウスの黒色のオーラを引き裂くように踏み込んだ。知君が突き出した両腕が腹の辺りに当たっても、関係ない、それすら巻き込むようにして彼女は、知君との距離をさらに詰めていく。
 闇を切り裂いて、ついに彼女の両腕は知君の背中を捉えた。えっと驚く暇も無いまま、そのまま一挙に彼の身体は彼女の方へと引き寄せられる。その顔が、自分の首元に密着するようにして、彼女は力強く、華奢な少年の身体を抱きしめた。もう、離れていかないようにと。

「ずっと、こうして欲しかったんでしょ?」

 すぐには言葉が出なかった。抱きしめられているだなんて、想いも寄らなかった。そんな事してくれる人がいるだなんて、毛ほども思っていなかったから。抱えてくれるその身体が、離れて欲しくなんてないのに、ずっと求めていたはずなのに、裏腹に知君はそれを突き放そうとする。けれども、真凜はそれも抑え込んで、受け止めて見せる。ちょっとくらいの抵抗も可愛いものだと、受け止める。

「危ないですよ、すぐに離れてください」

 急に手に入れた人肌が、どうにも怖かった。今までずっと得られなかったものが急に目の前にぶら下げられると、手を出すのが逆に躊躇われる。けれども、恐れる必要なんてないと、真凜は優しく、辛抱強く諭す。彼の凍った心が解けるまで。じっくりと時間をかけて。

「大丈夫よ、だって君は知君くんだもの」

 知君くんである、その一点以外に理由など必要なかった。君なら体を預けるに値すると、信用を我が身を用いて示す。

「でも、いつネロルキウスがまた……」
「大丈夫よ、知君くんは強い子だから、負けたりなんてしないわ」
「そんな、確証なんて、どこにも」
「いいから黙って話を聞いて、もしそうなっても、君の手にかかるのなら私は本望よ」

 そんな事にはならないと、誰より信用しているから。背中に回していた両腕の内、右手だけを頭の方にやる。小人と戦っていた時にぐしゃぐしゃになっていた髪の毛を、手櫛で漉いてやるようにして、頭を撫でる。頭痛も、ネロルキウスの呼びかけも、全部が春先の雪のように溶けていく。この感覚は、一体なんだと言うのだろうか。

「壊死谷の時は、アドバイスをくれてありがとね。君がいなければ、きっと私はあそこで折れちゃってたから」


「私がいない時、兄を支えてくれてありがとう。おかげで兄さんは、かっこいいままでいられたから」


「クーニャンに追い詰められた時、助けてくれてありがとう。すごく、かっこよかったわ」
「何言ってるんですか? 真凜さん……」

 知君は言われるがまま口を閉ざしていたが、重ね重ね投げかけられたありがとうの五文字に、背筋がむず痒くなる。今まで、そんな事一度も口にしなかった真凜。彼女の言葉だから、こんなにもむず痒い。何でこんなにそわそわするのか、考えても彼には分からない。
 けれども傍目に見ればきっと明らかだったろう。彼の心は弾んでいたから。段々と、苦悶の表情は和らいで、いつものような優しい顔を取り戻しつつあるから。

「これはね、今までずっと隠してきた、私の本音」

 ずっと、黙っててごめんね。伝わってるだなんて、勘違いしてた。その言葉に、返す答えを急に見失ってしまった。ずっと、嫌われていると思っていたのに。うとましがられていると思っていたのに。僕なんて居ない方が良いって、思われてると確信していたのに。
 言葉を失う知君に、真凜は呼び掛け続ける。言葉にしないと伝わらないと言うのに、ずっと伝えるのを怠っていた本当の気持ち。感謝の気持ちと、懺悔の気持ち。彼が本当に強い人だと認める、賞賛の気持ち。

 いつも一人っきりで戦ってくれてありがとう、本当に、私たちは助かっているわ。
 一人で抱え込ませてごめんね、伝わってるだなんて勘違いしていた。君なら大丈夫だなんて、言い訳して。口にするのが恥ずかしいな、なんて思っちゃって。
 傷ついていること、気づいてあげられなくてごめんね。私、大人なのにね。

 一つ一つ、知君がちゃんと理解できるように。何度も。いくつもの。彼が待ち望んでいたであろう優しい言葉。誰かの口から聞きたかった、認めてくれる、自分の存在を証明してくれる言葉。

「そんなのいいですから、早く、早く離れてください」
「大丈夫よ、貴方は、こんなにも暖かい。誰よりも優しい……強い心を持っているから」

 暖かい、その言葉にようやく、彼女に包まれた自分の身体が、とても暖かいと感じていることに気が付いた。密着した体から、彼女の拍動が伝わってくる。とん、とくんと脈打つ心臓。生きているのだと囁く心臓。この、生きているということが、これ程までに暖かいのか。
 さっき手を握られた時は、あんなにも冷たかったのに。今の真凜は、受け入れてくれる彼女は、春先の陽気よりも暖かくて、羽毛の枕よりも柔らかくて、何百年生きた大木よりも大きく感じた。
 手を握ってもらえる暖かさなんて知らなかった。抱きしめてくれる温もりなんて知らなかった。それなのに、彼女は、こんなにも簡単に彼に、その温もりを教えて見せた。
 でも、それでも彼はまだ、自分自身の事を受け入れられない。ここにいるべき理由を証明することができない。

「駄目です、僕は受け入れられるべきじゃないから。ここに居ちゃいけないから。人を傷つけちゃう僕なんて、兵器にもなり得ない。こんな僕なんていない方がましだから」

 また、胸の内で抗う。けれども、決して離さないようにとより一層力強く抱き留める。ずっと自分のことを傷つけようとする彼に、彼女の声にも嗚咽が混じり始める。それでも、彼に伝えるべきことを忘れることなく、彼女はもっと優しい声で、その耳に囁き続ける。

「そんな悲しいこと言わないで。貴方はネロルキウスの器なんかじゃなくて、知君 泰良、っていう一人の人間なのよ」

 兵器なんかじゃない。君はちゃんとこの世に生まれ落ちた、息を吸って吐いて、心臓を打ち鳴らして、喜んで笑って、悲しくて泣いて、辛くて怒って、楽しくてほほ笑んで、春には桜を見て、夏には熱さに項垂れて、秋には紅葉を綺麗だなんて思って、冬の寒さに耐えながらまた新しい春を待つ、そんな風な、当たり前の人間、その内の一人なのだから、と。

「でも、僕には生きる価値なんて……」
「価値なんて考えなくていいの。人はね、そこにいるだけで隣の人を幸せにできるものよ」
「でも、僕にはそんな相手なんて、何処にも」
「ちゃんといるわ」

 己の全てを否定する知君、彼女はその言葉を遮るように彼のことを肯定する。
 けれども、にわかにはその言葉を、彼には信用できない。誰が自分の存在に幸せを見出してくれるというのだろうか。

「何処にいるんですか? 仲間がいないなんて生易しいものじゃない、父も母もいないこの僕は、一体誰を幸せにできると言うんですか?」

 父も母もいない、彼が天涯孤独の身であるとは既に聞いていた。彼が一人暮らしをしている理由の一つに身寄りが誰一人いないということが起因していると。
 だが、それは彼を愛する人がいないという理由にはなり得なかった。

「他の誰もが貴方を嫌っていても、恐れていても、私だけは貴方を受け入れてあげる。貴方の笑顔だけで、心安らぐことができるわ。知君くんがいるだけで、幸せだって思えるの」

 これまでずっと、帰る場所が無かったのなら、泣きつく場所が無かったのなら自分がその居場所になってあげる。これからは、君の事を支えてあげる。皆のことを救う君を、私を助けてくれた君を。よく言うでしょ、人っていう字はね、支え合ってできているものよ。君が人を助けた分だけ、私が君を支えてあげる。

「今まで認めてあげられなくてごめんね、貴方は、私にとって」

 その先の言葉が、何となく彼には予想できた。ここまでずっと続いてきた真凜との一対一の対話は、全てその言葉に集約されるためのものだったのだろうと。
 気が付けば、止めようと思っていた涙が彼の双眸から滝のように流れ出ていた。辛くて悲しくて寂しくて泣いた時には、たったの一滴しか出なかったのに、嬉しいだなんて感じた途端に、涙腺が故障したみたいに、とめどなく涙が溢れ出した。
 泣いちゃだめだ泣いちゃだめだって、言い聞かせても、一向に止まってなんてくれなかった。
 ずっと、認めて欲しいと思っていた。
 ずっと、その肩書が欲しいと願っていた。
 真凜達がその言葉で自分のことを区分してくれることを、待ち望んでいた。
 僕はずっと、互いに心を曝け出して、腹を割って話せるような、その肩書を持つに相応しいのだと、認めて欲しかったのだ。
 彼の涙を胸元に受け止めながら、力強く彼女は、今まで認めてあげようとしてもこなかった、その言葉を口にした。彼女にとってその言葉は紛れもなく本当の言葉で、そして何よりも知君を喜ばせるに値する言葉だと、分かっていたから。

「貴方は私にとって、かけがえのない大切な仲間なんだから」

 ずっと、ずっと待ち望んでいた。仲間だって言ってくれた。大切だって認めてくれた。その事実に身体中の水分全部失って、干からびてしまいそうだったけれど、こんな干からび方なら幸せだ、なんて思ったりして。けれども、泣いちゃいけないと彼はその涙を止めようとする。

「泣いちゃ駄目なのに……涙は見せちゃ駄目だって、言われてるのに」
「どうして? いいじゃない、泣いても。私の服なんて濡れてもいいから、おもいっきり泣きなさい。いいこと教えてあげるわ知君くん、辛い時はね、ぐっと堪えるの。貴方がしてきたみたいにね。だから、嬉しくて嬉しくて、その喜びが目からも溢れてくる時はね、精一杯泣きなさい。今この瞬間、僕が一番幸せなんだ、って」
「いいんですか、こんな僕がここに居続けて、ほんとにいいんですか」
「ええ、いいの。ネロルキウスの器だからじゃない。君が君だから、ここにいて欲しいと願うの。誰よ
り強くて、その力を、護るために使う。そんな心優しい貴方のことが私は大好きよ」

 だからずっと私の隣にいて。そう囁いて彼のことをより一層強く抱き締めた。段々と、胸元に涙が広がって、熱くて熱くて仕方ない。けれどもその幸せな滴が誇らしくて仕方なかった。声にならない嗚咽だけが響き渡る。これから顔を合わせなければならない様々な問題がある、今この場の戦闘が無事に終わったとは到底言いがたい。
 それでも、誰もが二人のことを黙って見守ることしかできなかった。最後まで自分勝手に、彼のことを殺そうだなんて考えた自分達が、他の捜査官達は心底情けなかった。自分達に、知君をなじる権利など何一つ無い。
 この場に勝者がいるとしたら、真凜一人だけであろう。彼女は、宣言通りに大切な仲間を救えたのだから。もう、ネロルキウスの残滓すら感じない。いつの間にか、知君の守護神アクセスは途絶えていた。

「もしもまた、自分の価値に悩んだのなら、思い出して。貴方はね、今日という日のこの瞬間に、報われるために生まれてきたのよ」

 真凜の言葉が胸に深く染み込む。幼い頃刻み込まれた価値観が次々と覆っていく。
 僕はここに居てもいいんだ。そんな簡単なことをようやく彼は知って、生まれてきて以来、一番大きな声をあげて、泣き続けたという話だ。