複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス【File9前編・開幕】 ( No.63 )
日時: 2018/05/11 23:23
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

「どういうことだよ知君ぃっ!」

 真っ白な壁に覆いつくされた病室。その部屋がある建物は他の棟から隔離されていた。王子 光葉の祖父が経営している病院、その祖父の知人の琴割 月光の私的な理由から、訳アリの患者を入れられることの多い場所だ。ほぼほぼ、琴割の関係者専門の病棟となっているといっても過言ではない。
 私営の医院だからできている事で、毎度知君が倒れた際に点滴などの処理をしてくれるのもこの病院だけだ。と言うのも、それは倒れた彼に理由があるためだが。その部屋はかなり大きな部屋であったが、そこに入院しているのは少年ただ一人だけだった。見舞いに来るのも多くて三人程度だけ。今まではそのはずだった。
 しかし今は違った。確かにそこに入院しているのは知君一人だけなのだが、今回ばかりは心配して見舞いに来る人であふれていた。彼らが白雪姫を鎮圧して一週間後、ようやく少年は目を覚ました。学校はもう長期休暇が明けて残暑の中授業が始まっているような日、彼が目を覚ましたとの報告を受け、捜査官達が入れ替わり立ち代わり彼のもとへと駆け付けた。
 その中には、今まで一度も口をきいたことの無い警官達が沢山いた。しかし全ての貌に見覚えがあった。フェアリーテイルの対策課に属している面々である。これまで、少年のことを疎ましそうに見ていた顔ぶれ。不意にそんな面々が現れたものだから、最初は彼も気が気では無かった。
 だが、その後彼らがとった行動はと言うと、知君にとってあまりに想定外のものだった。急に腰から体を折り、彼に頭を下げ始めたのだ。次々現れる警官達が、それぞれ思い思いに謝辞と感謝とを述べていく。その顔に、一切の嘘偽りは無かった。
 彼が床に伏している間に、白雪姫戦でその場に居合わせた奏白に真凜、王子 太陽に洋介が対策課全体に呼びかけたのだ。今までの自分たちが間違っていたことを。どんな仕打ちをしてきたかを。
 初めは聞く耳を持つ者があまりに少なかったが、彼らが根気よく説得を続けたところ、何人かの賛同者が現れた。それからは、すぐだった。誰かが先陣を切って頭を下げに向かったとなると、自分たちがどれだけ大人げない事をしてきたのか、理解していく輪が広がった。
 彼がどれだけ今まで耐え忍んできたのか、彼自身の言葉をできる限り再現しながら呼びかけた。ずっと辛いと思っていた。ずっと認めて欲しいと思っていた。弱音を吐いたら嘲笑われてしまいだと信じ込んで、本心なんて一度も口にできなかった。
 決定的だったのはおそらく、王子の父の説得が最も大きかったのだろう。今日と言う日まで王子には伝えられていない『ある被害』を受けた張本人だというのに、一番熱心に周囲に呼びかけたのは彼だった。
 今まで彼も、真凜と同じ側だった。王子の同級生である知君、平和に過ごして欲しい民間人が捜査に立ち入って欲しくないと言う立場だった。それゆえ見て見ぬふりをしていたつもりだったが、そんなもの何も虐めと変わらないと気が付いたのだ。自分がしていたのはただ高校生を傷つけていただけ。もしその矛先が光葉に向いていたらと思えば、腸が煮えくり返ってくる。
 そんな事を我々はしていたのだ。どの面を下げて正義を背負って戦えると言うのか。心優しい一人の少年を泣かせてまで胸を張る大義なんて、知君を嫌う捜査官は誰一人として持ち合わせていなかった。
 彼の活躍により救われた命も少なくは無い。結局全部自分の嫉妬が原因だと気が付いた一同は、こぞって彼のもとへ訪れた訳だ。改心して、意見を改めた同僚の姿を見て、このまま嫉んで嫌い続けた方がよほど子供でみっともないと察したのだろう。もしかしたら、体裁を考えて謝ったポーズだけとったのかもしれない。しかし、それでも今まで認めてもらえなかった知君の欲求を満たすには十分すぎる代物だった。
 しかし、だ。彼にはそれと同時に、もう一つ大きな問題が立ちはだかった。王子 洋介、歴戦の捜査官にある影響をもたらしてしまった彼はと言うと、その息子、つまり知君本人にとって数少ない友人にあたる王子光葉との衝突は免れ得ぬものだった。

「何とか言ってみろよ……」
「ごめんなさい、あの時は、僕にも彼が律せなくて」
「謝ってんのは何度も聞いてんだよ。何をしでかしたのか、ちゃんと理解してんのかって話だよ!」
「王子くん、気持ちは分かりますが落ち着きましょう? まだ彼は目を覚ましたばかりで体調も……」
「放せセイラ! こいつは……こいつはぁっ!」
「光葉、いい加減にしろ。なぜ俺じゃなくてお前が怒っている」

 周囲にいる色んな人が、荒れ狂い激昂する王子を止めようと躍起になっていた。後ろから人魚姫は肩を掴んで引きはがそうとしており、兄の太陽は二人の間に割って入ろうとする。後ろの方から厳しい声音で洋介も次男を窘めた。
 しかし、光葉の激情は留まるところを知らない。病院服の真っ白な布を皺が寄るまで掴み、青白い病人の身体を前後に揺する。唾が飛び交うほどに大きな口を開け、怒鳴り声で喚き散らし、今にも泣きだしそうな少年へ詰問する。
 これは罰だと洋介は言い張っていた。今まで、少年のことを蔑ろにして傷つけ続けてきたその報いを受けたのだと。だがそんな言葉で納得できるほど、王子は素直では無かった。それは彼にとって仕方の無いものだと言えた。ずっと、力を追い求めてやまなかった彼だからこそ、この怒りが消えないのは仕方ない。

「何で親父が、今後一切守護神アクセスできないなんて事になってんだよ……全部お前のせいだろうがぁっ!」
「だから落ち着けと言っているだろう光葉。あの時彼は意識を乗っ取られた状態だったんだろう?」
「知らねえよ……。だからって親父が割食う必要あんのかよ……。どう理屈が通るってんだよこの事に」
「守護神アクセスというものは、概念的に能力の行使権を契約者の人間に渡すようなものです。……だから、ネロルキウスがその行使権を無理やり奪い取った後には、行使権は元の守護神の側に戻ります」
「は? 急に何言ってんだよお前はよ」
「そして行使権が還るというのは、本来ならば契約者の死を意味しています。……それゆえ、契約は破棄されたものとして、金輪際その人間は守護神アクセスができなくなり」
「煽ってんのかよてめえは! そういう理屈を聞いてんじゃねえよ!」
「別に、煽ってる訳じゃ」
「だったら言い訳か! それとも論点ずらしてんのか! 理由つけたらなるほどなって俺が納得するとでも思ったのかよ、ぶっ飛ばすぞてめえ!」

 語る知君の言葉を重ね重ね遮って、より強く締め上げる。形状がバスローブのようになっているため、胸倉を掴んだだけではどうやっても息は詰まらないが、それでも今の知君を乱暴に扱うのは体に悪い。いい加減にしろと、目の前の太陽も怒鳴りつけた。
 父親の守護神が取り上げられ、太陽に思うところが無いと言ってもそれは嘘だ。けれども彼はもう三十近い大人であるため、理解していた。それは知君のせいでなく、ネロルキウスと、それを呼び寄せるほどに精神を摩耗させてしまった自分たちのせいだと。
 知君が認められるよう努めてきた王子だからこそ、その彼に裏切られてしまったように感じているのだとは太陽も重々理解していた。

「兄さん、私達ほんとに後ろで見てるだけでいいのかな」
「本人がそうしてくれって言ってたしな。王子がほんとにぶん殴るまでは静観だな」

 あまりに不安定な目の前の情景を目にして、王子一家より一足先にたどり着いていた奏白兄弟はというと、窓際でその様子を眺めていた。王子達が来るより先に、これから王子にあの事を伝えなくてはならないと知君は言っていた。
 ネロルキウスによって強制的に守護神を奪い取った際、本来の契約者と守護神の間における契約は破棄される。その後、二度と契約が結びなされることはない。これは理屈がどうという訳ではない、燃えれば酸化するのと同じ、最初から世界に定められている絶対の摂理だ。
 それを伝えれば、性格と信念とを加味する限り、王子は確実に怒りを露わにする。最初から知君は確信していた。自分がネロルキウスを制御しきれなかったせいで招いた事態、真凜の制止を押し切ってまでも無理やり彼を呼んだのは自分だからと、王子の怒りは真っすぐに受け止めると彼は決めたのだ。
 だが、それにしても今日の彼の様子はおかしかった。目覚めてからまだ半日程度しか経っていないということが大きいのか、今の彼は議論ができないほど論理が一貫していない。ネロルキウスを呼ぶと脳に負担がかかると言うのは、自分たちが想像しているよりさらに厳しいものなのだろう。
 あの日、倒れてしまう前に、泣き出してしまう前に説得していた時も、ひたすら同じことばかり繰り返し訴えかけていた。あれもやはり、思考が追いついていなかったのだろう。よく、私の声を聞いてくれたものだと、その幸運に真凜は感謝した。
 それにしても、わざわざ起こった事象の理屈を説明しだすのは流石に普段の彼とかけ離れすぎている。あんな事、それこそ煽りと変わりないし、普段の彼であればあのような事口にすれば相手を不快にさせると簡単に分かるだろうに。
 動揺が隠しきれないのだろうな。当たり前の事に納得する。つい先日確認したばかりではないか。彼の心は成熟していることを義務付けられているだけで、脆くて儚い子供の心でしか無いという事を。

「光葉、悪気あって言ったことじゃないんだ、落ち着きなさい」
「何で親父は落ち着いてられんだよ! もう二度と、捜査官やってけねえんだぞ」
「……歳だしな、丁度いい頃合いさ」
「嘘つくなよ、五十になった誕生日に、まだまだ現役で走り続けるって言ってたじゃんかよ……」

 もっと多くの人を助けて見せる。それが、戦えるだけの力を持って生まれてきた者としての使命だと、誇り高く言っていたのに。照れ臭そうに蝋燭五本吹き消したくせに。
 当然だが、彼が生まれた時から洋介は捜査官だった。凶悪な殺人犯を捉えたことも、強盗を取り押さえたことも数多い。家にろくに帰って来てやくれなかった事もあった。けれどもそんな父親の広い背中にずっと憧れていた。強きを挫いて弱きを助けるその背中は、テレビの特撮と負けず劣らずの正義のヒーローだった。
 そんな男になりたいと、何年も、十余年と憧れ続けてきたんだ。それなのに、自分にとっての英雄が奪い取られてしまった。誰より頑強で大きなヒーロー像が、悪鬼羅刹と変わらない。傲岸不遜な暴君に全て奪い取られて踏み荒らされてしまった。そんな事しでかしやがった張本人が、自分よりずっと小柄な器に収まっていたことも許せない。長い事見続けた甘い夢から急に現実に引き戻されたような気分だ。

「本当に、申し訳ありませんでした。僕が……」
「気に病む必要は無い。おかげで我々に死人は出なかったのだから」
「何で庇う様な事言うんだよ……。何でそんな簡単に受け入れられんだよ……。おかしいだろ」
「でも王子くん、彼がいたからこそ私達もこうやって、無事に帰れたんですよ」
「そんなの分かってる! でも、知ってるんだから仕方ないだろ!」

 彼もまた、涙を堪えていた。悲しさを寂しさを、どう噛み締めたものか分からずに、他人にぶつけるために怒りに変えていた。悲しい感情は、誰にも受け渡す方法など無いから、怒りだったら誰かに投げつけることができるから。知君の事なんて、何一つ憎くなんてないのに、ただただ抑えきれぬ憤怒に体を任せるしかなかった。

「知ってるんだよ、俺は……。ここにいる誰より。誰かの事を救いたいだなんて思うのに、それが叶わない不甲斐なさを。戦う力が無いって歯ぁ食いしばる時のやるせなさも」

 人魚姫と出会うまで、何年も彼は一人でそのみじめな気持ちを押し殺していた。作り物の仮面で他人に晒さないようにと怯えていた。悔しいという本心を見て見ぬふりして、へらへら笑って過ごしていた。
 そんな日々がどれだけ無味乾燥しているかなど、痛いほどに分かる。想像するまでも無い。目を閉じて、セイラが視界に入らないようにして、数か月前を思い出すだけ、それでいい。それだけで、思い返す視界は全て、灰色に見えた。

「昔から願ってたんだよ……でも、中学の頃から無理だって、思ってたんだよ。でもやっと夢が叶ったんだ、親父の横で自分もヒーローみたいに戦えるって。兄貴も一緒に三人で誰かを護れるって、でも……」

 何ですぐに、こうなっちまうんだよ。知君に掴みかかる手に込めた力が緩む。項垂れた彼の表情は見えない。しかし、光筋が一本、彼の顔を走ったのは見えた。急いでその跡を拭って、王子は顔を上げる。その目は充血して赤みを帯びていた。
 縋るような瞳が知君の目を真っすぐに捉えた。教えてくれよと、声に出さずにその小柄な彼に懇願する。何でも知ってるっていうなら、もう一度親父が戦えるようになる方法を教えてくれよと。
 けれども、見つめられた彼はと言うと、ただただ力なく首を横に振った。自分に分かるのは、「どう足掻いてもそれが不可能な事」だけだ。

「光葉、我儘言うなよ。俺だって辛いさ。でもよ、親父がいいって言ってんだよ。見てやれよ、こいつの顔。今まで俺は見てこなかったけど、お前はちゃんと見てきただろ? そんな事やりたくてやるような子じゃないんだろ? この子だって辛そうにしてるだろ?」

 分かってるよ。喉からようやく、とぼとぼと歩くような言葉。分かってるよ、って言えば皆ホッとするんだろう? それが分かり切っている彼だからこそ、反射的に応じた声。けれども、彼は受け入れることなどまだできそうになかった。

「畜生……」

 その言葉は、紛れもなく本音だった。先ほどのようにふらふらと宛ても無く彷徨うような代物でなくて、不条理な運命を定めた神への恨み言だ。何でそんなルールを定めた。どうして俺たちにだけ過酷なレールを敷くんだ。
 どうして、どうして俺の夢なんて何一つ叶えようとはしてくれないんだ。悪い事なんて、何もする気ないってのに。

Re: 守護神アクセス【File9前編・開幕】 ( No.64 )
日時: 2018/05/11 22:33
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

「なあ……じゃあ、教えてくれよ。ネロルキウスって何なんだよ」
「それは……」
「俺らが大事にしてたもの全部奪い去ってぐちゃぐちゃにしやがったあいつは、何なんだって聞いてんだよ。そんぐらい教えてくれよ」
「……教えてはならないと、琴割さんから命令されています」

 どうしたものかと、本気で悩んだ。一秒にも満たない、ほんの少しの静寂。その、秒針が一歩進むに満たない沈黙の間に、言うべきか言わざるべきか、悩み抜いた。沢山傷つけてしまった、その罪滅ぼしに教えるべきではないだろうか。
 しかし、それはできなかった。言ってはならないと強く脅されていたから。琴割にだけは、知君は逆らうことができないから。大昔の教育が、躾が、トラウマが、彼の心を律している。

「何でだよ、そんぐらい良いだろうがよ」
「あの人なら、聞いた人全員始末するかもしれませんよ」
「知るかよ。多少のリスクなんて百も承知で聞いてやるっつってんだよ」
「駄目です。……この事は、僕の生まれとも関係がありますので」
「だったら何だってんだよ」
「あまり、思い出したくないという事と……他人様に聞かせるような話では」
「ざっけんなよ!」

 一度は太陽の説得によって収まったように見えた彼の怒りが再燃する。一度抑えようとしただけあって、先ほど以上の勢いで激しく噴火した。今度こそもう、誰が止めようとも抑えきれそうになかった。手こそあげなかったものの、感情の刃が次々と、知君に向かって牙を向く。言葉さえ、もう王子に選んでいられる余裕は無かった。
「他人様に聞かせる話じゃない? その前にお前が言った思い出したくないってだけだろうが! どうしようもないってのは呑み込もうとしてんだよ、だったら代わりに何が起こったかちゃんと教えろっつってんだよ。いつも何でも見透かしてる癖してんな事も分かってねえのかお前は!」

「王子くん、落ち着いて。知君くんも疲れ切ってるんですよ」
「うるさいうるさい! あいつの肩なんて持ってんじゃねえよ!」

 歪んだ目で、セイラの方を振り返り、半分睨むように懇願する。頼むからあいつの味方になんてならないでくれと。今や支える人はもう少なくないのだから君だけは自分の側についてくれと。
 どう考えても知君は悪くない。けれども、同時に王子も悪くない。この怒りは充分ただの八つ当たりと呼ぶに値するが、それでもセイラには、彼が一方的に悪いと断言することはできなかった。

「お前はただ、琴割怖さに何も言えないだけだろ……」
「そうですね。でも、それで危害が加えられるのは僕よりもむしろ……」
「うるっせえよ! こっちは別にそんなもんちょっとくらい背負ってやるっつってんだよ」
「でも、君は、やっとできた友達なんです。だから、危険な目になんて」
「だったらお前の友達なんて今から願い下げだ!」

 吸い込んだ空気全部吐き出すように、身の内で燃え盛り続ける思いの丈を吐き出した。ちょっとも信じてくれないなら、何にも教えてくれないなら、そんな奴大切だなんて思えるものかと。
 その言葉をぶつけられ、知君の顔は固まった。時間が凍ってしまったように、瞬きすら忘れてピクリとも動かない。問い返す暇さえも、王子は与えてなんてくれなかった。

「誰からドン引きされようが知るかよ! 隠し事ばっかで自分の事何にも教えようとしないから、今まで誰にも認められてこなかったんだろうが! 今なら全員お前の事認めてんだろうが、だったらお前も腹割って話しやがれ!」

 そんな事も分からないで、自分一人嫌な事から逃げる奴、俺は友人だなんて呼ぶつもりは無い。そう言って、彼はそのまま病室を出ていこうとする。その腕をセイラが捕まえて引き留める。

「待ってください王子くん、撤回するなら今しかないですよ」
「しない、撤回なんて」
「今の言葉だけは、ちゃんと撤回しないと、貴方が悔やみますよ絶対」
「……無理だよ。後になって悔やむことくらい分かってるよ。分かってて言ってんだよ。しゃあねえだろ……こうでも言わない限り、気が収まってくれないんだよ。俺は、怖いんだよ」

 怖い。そう彼が口にした時、ようやく王子があることを酷く恐れていることにセイラは気が付いた。そうか、この人は。同じように奪われるのを恐れているんだ、ようやくその手に掴んだ未来への道しるべを。

「いつか、俺も奪われるかもって思ったら、怖くて仕方ないんだよ。……こんな事言ったら傷つくのなんて百も承知してる。でもよ、そうだとしたら俺は、自分の抱えたこの気持ちを、どうやって割り切ればいいんだよ……」

 部屋を離れようとする。黙っていた知君もようやく口を開く。

「待ってください! ちゃんと、ちゃんと話しますから!」
「いいよ今更。聞きたくもねえ」
「待って王子くん。今貴方を一人にはさせません。守護神アクセスして連れて行ってください」
「……分かったよ」

 ここに来るときもそうやって同行していたが、セイラはあまり人目に付かない方がいい。何せ彼女は世間一般から見るとただのフェアリーテイルと相違ない。人型の姿になってもいいのだが、そうなると今度は話すことができなくなり、不便だ。それゆえ普段、外を出歩く際は守護神アクセスした状態で、他人の目に触れないようにしている。
 王子が退出し、残された者たちは揃って押し黙っていた。重苦しい沈黙が流れる。

「やっぱり僕は、駄目駄目ですね」

 口を開いたのは知君だった。この事態を招いたのは自分だからと、語り始めた。

「彼の言う通りです。僕はずっと、隠し事をしてきたから。琴割さんが言ったら駄目だって言ったからって、逃げるために口にして。結局のところ、周りの事一番信じていなかったのは、僕だったんですね」
「あー、あんま真に受けなくていいぞ。光葉は俺たち全員から甘やかされて育ってるからな。むしゃくしゃしてるとすぐ我儘言うんだ」
「いえ、我儘言っていたのは僕も同じです」

 だから、今度は自分が周囲へ伝えねばなるまい。仲間だと認めてくれた人たちに、伝えなければならない。僕と言う人間はどこから来て、なぜ生まれたのか。ネロルキウスというのは誰なのか。
 そっと奏白は、phoneを手に取り、守護神アクセスした。端末だけを取り巻くように、アマデウスの発現を示す緑色のオーラ。極力最低限となるよう能力を調整し、彼の言葉を伝えるべき人たちに向かって届ける。
 知君の、長い長い話が始まった。他の者は、相槌を打つ事すら忘れて、彼の話に聞き入る。ただ、一心に彼を見つめるその視線だけが、彼らがその話にずっと耳を傾けているのだと伝えていた。

「琴割さんが、きな臭い研究を行っているという噂を聞いたことくらいありますよね? やっぱり、流石にご存知でしたか。あれって実はデマでも何でもなくて、黒い実験をしているというのは本当の事なんですよ。あの人がやっている研究は、DNA配列と契約する守護神に関するものでした」

 ガーディアン配列と呼ばれるDNAの領域がある。イントロンと呼ばれる、体細胞の構成には関与しない部分だ。その中のごく一部、特定の染色体の末端の方にガーディアン配列は存在する。塩基配列の特徴や並びにより、その人間がどの世界の、アクセスナンバーが何番の守護神であるのか調べることができる。

「琴割さんは、この配列が人間に及ぼす影響を調べていました。この配列は、精子と卵子が受精したその瞬間、異世界からの干渉を受けて非科学的に変異します。本当にそれは、異世界の干渉という他なく、酵素も他の触媒もタンパク質も、何一つ関与することなく勝手にDNAが変異します。彼らが契約する守護神、生まれる前から予め決まっているはずの契約相手、その座標を示すコードとなるように書き換えられるのです」

 あくまで、既に決まっている自分の守護神に合わせるようにその末端の配列は変異するのだと彼は言う。
 「ですが」、そう強く口にして。続く言葉を紡ぎ始める。そこから先の話こそが、彼が今語るべき本題だった。

「琴割さんが研究していたのは、その決まった配列を人為的に変異させた場合、契約する守護神はどのように変異するのか、といったものでした」

 受精卵が成立したその瞬間、体細胞分裂を行う前に、ガーディアン配列に手を加える。つまりは、本来契約する守護神とは違う守護神のコードを書き込んだ場合、人は予め決まっていた守護神と、後から変更された識別番号の守護神とどちらに契約するのかという研究を琴割はしていたのである。

「琴割さんの目論見は成功しました。今はただの孤児院出身の大学生として、普通の生活を送っている方が成功例です」

 前提として、多くの場合人は両者のアクセスナンバーが混ざったような数字、そして母親の契約相手と同じ異世界の守護神と契約するように生まれてくるのである。
 その初めての実験例は、幻獣界の守護神と契約している女の卵子と、アクセスナンバーが100番台の琴割の精子とを用いて作られた。受精させた後に、幻獣界の守護神ではあるが、アクセスナンバーが105674といった風になった。琴割自身が105のアクセスナンバーを持っていたため、異世界からの干渉により674の部位が付け足されたのだ。しかしそれを無理やりDNAをいじることで、何とか三桁で、100番台に調整した。その後は自動的な軌道修正能により、該当する最も近いアクセスナンバー、174番のユニコーンがその検体の守護神として固定されたのだとか。

「それから、琴割さんの実験は本番に入りました。欲しくてやまない守護神を手に入れるための、子育てが」
「待って、知君くん」

 流石に、口を挟まざるを得なかった。上ずった声で、真凜は問いかける。

「今って、琴割さんについて話してる訳じゃ、ないんだよね?」
「はい。紛れもなく、これは僕を語るうえで、大切な前提に過ぎません」
「君は、両親がいないって言ってたわよね?」
「ええ、僕の両親は『生まれつき』いません。生物学的にはいるんですけどね。でも、お腹を痛めて僕の生んだ母もいなければ、その人を愛した男性なんて、なおさら。僕は、愛なんて百年も前に捨て去った一人の男性の血を引いて生まれてきていますけど、あの人は僕の事を、息子だと思っていません」

 知君 泰良という人間は、羊水でなく、培養液の中で生まれたんです。子宮じゃなくて、試験管の中で育ったんです。あっけらかんと、彼は言う。

「最上人の界に住まう、アマテラスと契約している星羅 朱鷺子の卵子、そして、100番台のアクセスナンバーを有する、ELEVENジャンヌダルクの契約者である、琴割 月光の精子を用いて、大げさな機械で遺伝子をいじくって、ようやくネロルキウスの器は完成しました」

 それが僕ですと彼は言う。彼が言ったことは、何も間違っていなかった。戦うための兵器として産み落とされたことも、戦わなければ存在意義を失ってしまうという事も、所詮ネロルキウスの器として生まれたという事も。
 わざわざそんな事をしてまで手に入れようと願う守護神とは何だ。そう考えた真凜は、ふと白雪姫との戦いを思い返した。白雪姫に対し、ネロルキウスは相性が悪いと言っておきながら、知君はその毒も酸も瘴気も、何一つ効いていなかった。肉体そのものを使った小人の蹴りや爪で引っかいたり等で痛手を負っていた知君だが、能力により、何十本と一斉掃射された矢ではかすり傷一つ負わなかった。クーニャンとの戦いにしてもそうだ。能力で虚空から取り出した刀を彼は易々と手で掴み、握りつぶしてしまった。
 数多の守護神の能力を打ち消すような超耐性。これを獲得しているのは、限られた十一人の守護神だけだ。そしてこの憶測が正しければ、わざわざ道徳に反するような実験の結果産み落とされたのにも納得がいく。
 その答え合わせは、頼むまでも無く彼自らがしてくれた。

「僕と言う人間は、未だ契約した者が現れたことの無い、最上人の界を統べる守護神……最後のELEVEN、ネロルキウスと契約するために生まれてきました」