複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス【File9前編・完】 ( No.65 )
- 日時: 2018/05/12 15:25
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)
埼玉県にあるとある生物学の研究施設、その地下に琴割が私的に財産を投じて運営している設備があった。働いている研究員は琴割本人を含めて七人程度。機械こそは最新鋭の巨大なものを使っているものの、全国から集めた選りすぐりの研究者のみで秘密裏に行われていた。
当然、そこで働く者には、プロジェクトから降りることと、このプロジェクトを口外することは琴割が隠れて能力を用いることで拒絶していた。あくまで働くのは人間だと理解しているので、休暇こそ適切に与えていたものの、この研究が明るみに出るのは何としても避けねばならなかった。
初めは出来上がった胚を発生させるだけの培養液の器さえあれば良かった。しかし、目的の受精卵を確保してから二か月ほど経つ頃、ちゃんと人間を育てるだけの物資も必要だと、彼らはそのための物資をもそろえ始めた。
最初に生まれた実験体の男児は、生まれてすぐに孤児院に明け渡した。その孤児院も琴割が運営している物だ。何十年も前、まだ彼に良心が残っていた頃設立された孤児院、そこの運営も琴割の資材を投じて行われている。その孤児院は教育こそ厳しいものの、そこを出た者は将来的に成功する人間が多い。親がいないという不幸を上回るだけの成功を与えてやりたいと言う設立時の理念が残っているためだ。
そう、かつてはそんな青臭い理想を掲げるほどには、琴割 月光という男は正義の使徒であった。それなのに、何が彼を歪めてしまったというのだろうか。それは間違いなく月日と言う残酷な代物だった。悲しい事に汚い大人と言うのはいくらでも世の中にあふれている。自分の地位が警視総監になったばかりにより一層そういった人間と出会う機会が増えた。
他人の幸福を食いつぶし、必要かもわからぬ私腹を肥やす富裕層。それゆえより一層貧困に喘ぐ下層の民。そういった搾取を見届け疲れた琴割は、次第に世の中に絶望してしまった。この世の中は自分が管理してやるべきだと、傲慢にも思い込み始めた。どうせ世の中、守護神はいようともそれ以上の神などいない。それなら、ELEVENと契約した自分こそが神となってみせると。
この頃見つかっていたELEVENは彼を含めてたったの三人だった。米国の政治家であるシェヘラザードの契約者と、上海に住む至って平凡な学生に過ぎなかったナイチンゲールの契約者。
しかし、やはりELEVENの能力というのはあまりに強大で、恐ろしい。互いにその事を理解していたため、世界である条例が承認された。ELEVENは厳密に管理された特殊なphoneしか持つ事が出来ず、国際連合の許可が下りなければそのphoneを使うことはできない。
また、民間的に製造されるphoneにも、ELEVENのアクセスナンバーは入力することができないようにすることと規格に定められた。最初に提言したのは琴割だ。そもそも彼はphone無しでジャンヌダルクを呼びだせるため、影響を受けないのだが。
それでも彼は、基本的に律義にこの約束を守り続けた。彼自身の目的は、争いの無い世界を作ること。そして、自分がそのルールを管理することだ。そのためには、自らが定めたルールはできる限り順守する必要があるだろう。時折彼はプライベートで能力を用いることもあるが、軍事的に使用している訳ではなく、どの国も不利益を被った訳では無いので訴えてはこなかった。
ジャンヌダルクは琴割がしようとしている事に興味など無かった。興味があるとしたら、自分が死した後の世界がどのように変わったのか、くらいのものだ。それゆえ、常時守護神アクセスしている琴割は彼女にとって最良の契約相手だったと言えるだろう。
彼女は出来得る限り自分の知っている情報の中で琴割が知りたいであろう情報は差し出すようにした。異世界に関する問いかけは、琴割の頭からざくざくと湧いて出た。
ただ、この頃数年間の彼の疑問はと言うと、もっぱらELEVENにまつわることだった。いつ、残る八人のELEVENが現れるか分からない。もしかすると、契約者はまだ生まれていないのかもしれない。そうとも考えられた。それゆえ、人為的にELEVENの契約者を生み出すだけの研究が進められたのだ。
試験管の中で着々と育つ赤子。もうそろそろ、試験管などでなくもっと大きな入れ物で発生させなければならなくなってきていた。その赤子が着実に人間に近づいているのを満足そうに眺めながら、琴割は二年ほど前に己の守護神、ジャンヌダルクと交わした会話について思い出していた。
「残るELEVENって誰がおるんや」
「今現在契約していない者は、キングアーサー、バアルゼブル、ルシフェル、フェンリル、トーマス、ハンニバル、パブロルイス。それと……」
「何や、急に言葉濁して」
「一人厄介なのがいてね、ネロルキウスと言うのよ」
先ほど挙げたネロルキウス以外の七人は、契約がまだ行われていないだけで、契約者たる人間は産み落とされている。しかし、ネロルキウスだけは事情が違っていた。彼の契約者となることができる人間は未だかつて生まれたことが無い。彼が守護神となったのは、もう千数百年以上前の事だと言うに。
「何か理由でもあんのか?」
「ネロルキウスは我儘でね。生前が暴君だったのだけれど、守護神となりELEVENとなり、より一層その色合いが強くなったみたいね。私の方が後から守護神となり、ELEVENとなったから元の彼を知らないけれど」
人間なんぞにこの俺の能力は使わせない、という独占欲から来ているらしい。そりゃまたえらくけったいな奴じゃのうと琴割ですら呆れかえる。
「トーマスがエジソン、パブロルイスがピカソ由来やとすると、確かに比較的古参みたいじゃのう、ネロルキウスは。ナイチンゲールにしたって近代やろうしな」
「ええ。彼の事を古くから知っているのはアーサーやハンニバルね。特にアーサーは王として共通点があるからか、比較的心を許しているみたい」
お互いが住む異世界こそ別の次元にあるが、ELEVENだけが立ち入ることができる次元の狭間に存在する空間がある。ただ椅子に座して直近の様子を報告することできないが、議長に適しているからという理由でアーサーがたまに招集をかけて様子を聞くのだとか。それゆえ、その会合はキングアーサーをモチーフに円卓会議と呼ばれている。
と言っても、行くも行かないも自由なのだけれどと彼女は言う。ジャンヌダルクは、男だらけのむさくるしい円卓会議には基本出ないらしい。毎回律義に参加するのは主宰のアーサー、そして性格のいいルシフェルに、ナイチンゲールくらいのもの。ネロルキウスは気まぐれに参加し、バアルに至っては一度も来たことがない。
まああの蠅に来られるよりはいいけれどと、ジャンヌダルクは嘆息した。
「とりあえず、貴方が行っている研究で作り出せるのはネロルキウスの器くらいよ」
「一応一人は作れんのか。上出来やな」
「……一応言っておくとお勧めはしないわよ」
「何でや」
「あれは、世界の抑止力だから」
この世界には守護神にまつわるルールが厳密に設定されている。それがどうしてか分かるかと彼女は琴割に尋ねた。当然琴割とてそんな事知る由も無い。科学の理論と同じだ。目の前にある事象に関連性、法則を見つけているだけ。その法則が存在する理由など分からない。強いて言うなら、神様の設計図に従っているだけだ。
だが、世界の理には、それが存在しているだけの理由があるのだとジャンヌダルクは言う。
「ホメオスタシスという言葉を知っているかしら」
「生体内の恒常性を維持しようとする生物の体の特性やろ。こんな研究しとるんやから知っとるわ」
「その言葉が最も適しているわ、世界のルールの存在意義は」
世界と言うのは巨大な一つの生き物のようなものだ。そこに暮らしている人間は、守護神は、全て一つ一つの分子。言うなれば酵素や他の機能を持つタンパク質、あるいはもっと大きく考えるなら細胞のようなものだ。そして世界のルールと言うのは、その体内の状態がめちゃくちゃになってしまわないように定められている。
人間の身体にしたってそうだが、癌の発生を避けることはできない。人であれば癌細胞ができそうなら、変異した遺伝子を修復し、あるいは癌となった細胞を自発的に殺すことで自力で治癒する。では世界にとっての癌とは、免疫細胞とは何だろうか。
世界にとっての癌は醜い争いと言えた。日本人なら二十世紀中ごろに経験した爆弾があるだろうと彼女は言う。あんな風に、戦争のついでに、世界そのものにも影響を与えるような代物が世界にとっての癌なのだと。そしてそれを鎮圧するための免疫細胞こそが、ELEVENだ。
「守護神同士が争って、その世界の大地などが汚染されてしまわないように、私達ELEVENがいる。私達ELEVENが一般の守護神に打ち負かされてはいけない、だからこそ」
「儂らが超耐性って呼んどるものが存在する」
「そうよ。私達が野良の守護神に負けることはあってはならない。だからこそ、ELEVENは他の守護神による干渉を受けないの」
「そして能力同士がぶつかって矛盾が生まれないためにも、ELEVEN同士も能力が効かへんし、争っても無駄なんか」
「ええ、基本的にね」
「例外があんのか?」
「さっきも言ったでしょ、ネロルキウスは、世界の抑止力」
ネロルキウスは唯一、他のELEVENに打ち勝つだけの能力を持っている。彼女が言うにはそういう事らしい。
「超耐性は能力の範囲外に関しては無力よ。貴方は自分の負傷や死を拒絶しているからそんなことは無いけれど、例えばシェヘラザードの契約者は、不意に銃で撃たれればあっさりと死ぬし、首を絞められただけで死ぬわ」
「ただの肉弾戦には負けるってことか」
「そう。だからELEVEN同士の戦いでは最も身体能力と剣技の才能に溢れたアーサーが勝つ、と考えるのがセオリーなんだけれど」
ネロルキウスが立ちはだかるのだ。ネロルキウスは例えば、そびえる岩盤から頑強さを、吹き荒ぶ風から素早さを、鳴動する大地から力強さを奪い取れば、いくらでもその肉体を強化することができる。実際にそんなことすれば地盤沈下や異常気象などに繋がるため、滅多なことではしてはならないが、略奪の能力を駆使すれば誰よりも強い肉体を得ることができる。
「それと、ネロルキウスは世界そのものが、ELEVENを殺すために作ったと言っても過言では無いから、彼が本気で牙を向いたら例え死を貴方が拒もうと、それさえ無効化してしまうから気をつけなさい」
「超耐性があってもか」
「ええ、そうよ。ただ、それが適応されるのは殺されるべき守護神の契約者が世界に仇を為した時だけ。今のところ貴方は該当しないわ」
理屈ではなく、摂理。世界という概念が、ネロルキウスを通じて死ねと命じたELEVENは死ぬ。それだけだ。もっとも、今までそのような事は起きたことが無いが。
そして勿論、ネロルキウスが最も上の立場にある訳では無い。それも当然だ、ネロルキウスの気まぐれを止めることができなければ、その場合もやはり世界は崩壊する。彼の暴走を止めるべき存在も同様にこの世には存在している。
「一つ目はおまけみたいなものなのだけれど、傾城の能力者ね。単純に王に対して有利な連中。もう一つの弱点はガルバという守護神よ」
生前の皇帝、ネロの後釜となった次期皇帝ガルバ。彼が皇帝でいた頃にネロは追い詰められ、自殺した。その後強い憎しみと未練を抱えたままELEVENとして生まれ変わったのだが、生前の関係性が強く影響するルールにおいて、ネロルキウスの超耐性を無視してガルバの能力でのみネロルキウスを傷つけることができる。
ガルバの能力は、相手の心が傲慢であるほどその血を奪い取る能力。ネロルキウスには有効だと言えるだろう。ネロルキウスの能力を持った人間は、当然驕り高ぶる。それゆえ、ガルバの能力はネロルキウスやその契約者にとって何より強く効果を示す。
「アクセスナンバーが小さくなる方が守護神のカーストは高い。その頂点に君臨する私達が、100や200番台の連中すらも管理している」
「だがそんなお前たちも、ネロルキウスに監視されとって」
「ネロルキウスもガルバのせいで迂闊には悪事は働けない」
「そしてそんな風にパワーバランスが複雑に制御されとるんは全部……」
「世界が、恒常的に平和に回り続けるためよ」
どこかが歪めば別のところから横やりが入るようになっている。独裁者は許さないと言う世界の意志、それこそが平穏に世界を回している。
「随分スケールのでかい話やなぁ」
「そうね。こうやってELEVENになった今でも、理解が追いつかないし、都合のいい話だって思うわ」
「まあ、決まっとるもんはしゃあないな。とりあえずは、一つラッキーなことがあるとしたら」
儂が生み出すこいつは、相手がELEVENであろうと有利に戦うための武器になる。試験管の中、次第に人間へと形を近づける胚を見ながら、糸目をより一層細めてほくそ笑んだ。狐みたいな胡散臭い笑み、そして舌なめずりする様子は蛇のような狡猾さが窺えた。
ネロルキウスは全てを奪い去る暴君であり、その能力によりほぼ全知の力を持っている。
全「知」の暴「君」の力以てして、この天下を「泰」平に、より「良」い世の中に変えて見せる。
そんな意思を込めて、ネロルキウスの器には名前が与えられた。知君 泰良という、名前を。