複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス【File0・開幕】 ( No.67 )
日時: 2018/05/15 21:36
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 だから、仕方なかったのだ。初めて呼びだした彼が、そのまま暴走したのは。
 溢れ出す黒色のオーラが少年の身体を包み込んだ。これまで清廉潔白にと育ててきた彼が纏うにしては、あまりに似合わない闇。ただ、彼の心に刻まれた闇かと思えば納得できなくも無いだろう。しかし、教育が成功していると信じていた研究者にとっては、知君は表面から深層まで全て純白まで信じ切っていたため、その漆黒が場違いに思えた。
 どこかの言語で、ネロとは黒を指すのだっけ。そんな事を想いながら、貪欲にも全てを飲み込みそうな常闇が己の身体を包み込んでいくのをただただ少年は眺めていた。calling時にはこういったエネルギーが契約者を包み込む。そういった話は琴割から聞いていた。自分は黒色なのかと、ダークヒーローを演じているみたいな高揚が訪れた。
 あくまでも、自分は、正義の使徒だと疑っていない。事実彼が正義ではないと述べる者もいなかったろう。しかし、だからといってその守護神まで平穏と安寧を願っているかと言えばそうではない。何も戦争と殺戮を好んでいる訳では無いが、それでもやはり彼は暴君だ。自分が望み通りにならない世の中になんて興味は無い。
 そしてその望みを叶えるためならば、どんな事にだって手を染める。他人の守護神を奪い取ることも、寿命全てを吸い取ることも、足りない膂力を略奪した筋力で補うことも厭わない。そして当然、契約者にもその牙を突き立てる。
 ネロルキウスを呼びだした知君は、いつまでも姿を見せない彼を訝しみ、きょろきょろと辺りを見回した。しかし、見当たらない。まだ見ていない背後ならばどうだろうか。そう思って振り返っても、その姿を目にすることは叶わなかった。
 振り返った彼が目にしたのは、悪魔のような掌だった。生命線などが走っているのは人間と変わらないが、革の手袋でもしているのだろうかと一見して思う様な黒い表皮。爪と肌との境界など内容で、指の先端は鉤のように尖っていた。
 その親指と小指の爪が少年の小さな頭、そのこめかみの辺りに突き刺さった。突き刺さったと言っても、守護神には実態が無いのだからただ虚像が少年の体内に隠れただけだ。ただ、視界を覆うようにしたその掌に視界が埋め尽くされる。目を閉じた時のような、一面の黒。取り巻くオーラも合わせ、何だか闇の中に取り込まれてしまったように思えた。
 守護神とは、自分を守ってくれる存在だと盲目的に信じ込んでいた。琴割とジャンヌダルクのように、仲睦まじく日々を過ごす存在に違いないと。だからこそ、怖いだなんて思いもしなかった。

「小僧」

 視界を隠す腕の向こう、初めて聞く声がした。過去には確かに耳にしたことがない、はずなのに、何故だかどうしてその声は、耳に馴染んで仕方ない。遺伝子の一番深くに生まれながらにして刻まれているような不思議な懐かしさ。これが、契約者である証明なのだろうか。

「貴方が僕の守護神ですか?」
「そうだ。名を、ネロルキウスと言う」
「……ようやく、ようやく会えましたね!」

 弾んだ声で知君は呼びかけた。君と出会えたのが嬉しくて仕方ないと、声音で、言葉で、態度で、全身を使って示す。その尊顔を拝見こそできないものの、彼は自分の力になってくれるのだと信じて疑わない。

「そうだな、十年というのはお前にとって長かったろうな」
「貴方には短いのですか」
「もう、生きた年数も二千に近づいているのでな」

 何せ古代ローマの皇帝だ。正確には千数百年といったところだろうが、それでも千より二千に近い。

「だが余にとっても、この憤懣に満ちた十年は酷く長かった」

 憤懣、それが怒りや苛立ちを指す言葉とは幼い彼はまだ知らない。どうしてその声が震えているのかなど、思い至らない。
 何せ彼はネロルキウスの事など何も知らない。Callingの事も概念程度にしか理解していない。他の守護神にとってこの契約がどのような印象を持って認知されているかは様々だが、ことネロルキウスにおいては、自分の力をどこの誰とも分からぬ青二才に勝手に使われる、すなわち奪われるようにしか見えていない。
 あらゆる者から欲したもの全てを奪い取ってきた彼にとって、自分のものを勝手に利用されるのは何より耐えがたい侮辱だった。それゆえに、決めていた。自分をこの世に呼びだした愚か者だけは絶対に殺してやると。

「ここの主と話がしたい」
「でも、貴方は僕にしか見えないんじゃ」
「何、問題ない」

 ネロルキウスは知君の意志など無視して能力を行使した。無理やり、世界中からあらゆる情報をかき集め、契約者である知君の脳内に注ぎ込む。発達しきっていない子供の脳に、学者でさえ頭を抱えるような様々な情報が次々と流れ込んだ。

「お前の身体を貰い受けるからな。……光栄に思え、余の器となれるその大義を」
「ああああぁっぁあああっぁあああぁぁあああああ!」

 頭蓋骨の中が燃えているようだった。世界中のありとあらゆる論文、小説、各国首脳の思惑に、この場にいない人間の人生そのもの。どれだけ重要なものも難解なものも、どうでもいい情報さえ、一挙になだれ込む。
 次から次へと文字列が脳裏を駆け抜ける。駆け抜けては、また次の羅列。英語が流れ、日本語を読み、ドイツ語がやってきたかと思えば、中国語の声が響く。脳の中にデータが一挙に入り込んできたせいで、他の感覚野を担当しているところまでもが異常をきたす。視界の中には論文のグラフが、フラッシュ暗算さながらに現れては消え、また次の図解が。
 未発表の小説を朗読するような声もした。今まさに死にかけている人間が嗅ぐ、鉄血と硝煙の匂い。全身には北国の寒波が押し寄せる。
 電流のせいで、苦痛には慣れっこだったはずなのに。それをも超える数々の責め苦に少年は数秒で壊れかけた。口からはただ同じ言葉のみを叫び続けている。息すらろくに吸い込めない。酸欠で視界が白んできた。
 意識が飛びかける。案外耐えた方だなと、ネロルキウスはその強靭な精神を評価した。

「おいジャンヌ、あれ何とかできひんか」
「無理よ。もう知君 泰良は、超耐性を手に入れてしまった……」

 自分たちの能力でももう対処できない。彼が壊れたとしても、ネロルキウスに人格を乗っ取られることになったとしても、ジャンヌの能力で拒絶することはできない。
 当然、初めてのcallingゆえ知君はその洪水のような脳内の以上に抵抗するだけの何かを持っていなかった。こんな事が起こるとは、琴割とて想定していなかった。科学者たちも慌てふためいている。
 高校生となった彼こそようやく抵抗できていたものの、この頃の彼はあっさりと暴君に意識を手渡していた。

「貴様が、余をここに呼びだした張本人か?」

 とうとう、暴君は知君の声で語り始める。当然少年の身体を使って出した声なので、他者の守護神の発した声だというにそれは、研究者一同に届いた。

「せや。琴割 月光。ジャンヌダルクの契約者、って言えばええか」
「あの男まさりの阿婆擦れの契約者か、厄介な男よの」
「なぁに、お前ほどじゃああらへんやろ」
「ふん。余が厄介者? 口の利き方に気をつけろよ。余に尽くすことこそが下々にとっての栄誉である。こうやって体を差し出した小童同様にな」
「そのガキの身体でイキんなや。みっともなくてしゃあないわ」

 挑発に次ぐ挑発。それは互いに、能力による影響を受けないことから来る余裕ゆえのものだ。だからこそ、その超耐性を持っていない他の研究者たちは、恐ろしくて仕方が無かった。この直後に何が起こるかなど、その目にするまで分かったものではない。

「で、お前の能力を早速見せてはくれんか」
「教えてやると思うたか。と問うてやろうと思ったが、余は寛大である。むしろ知るべきだ。余を畏怖するべきだという事実を」
「大層なこと言うてもどうせ儂には効かへんやろ」
「面白い事を言うな」
「月光! 気をつけろと先日言ったでしょう!」

 ジャンヌがそう咎めたのを理解する暇もありはしない。背後で白衣の職員たちが一斉に膝を付いた。何が起きたのか、当人たちでさえ理解していないようだ。一体何事か、そう思った途端にネロルキウスの姿が消えた。
 痛みを感じることの無い琴割の身体が、真っすぐに宙を飛んだ。視界が動くのだけを感じていた。頑丈な壁に彼の身体が叩きつけられる。ダメージこそ無いものの、突然の出来事に精神的な衝撃は隠しきれない。

「余の能力は、他者からあらゆる者を奪い取る能力だ。今はここで虫けらのように座す哀れな猿たちから脚力と腕力とを奪い取った」
「月光、以前言ったわよね、私」

 ジャンヌが琴割を叱責する。悪い、忘れ取ったと琴割は本心から油断を認めた。

「そしてもう一つ、面白いものを見せてやろう」

 全身の力を奪い取られた研究者の一員、最も若い、とは言っても四十の半ばを超えた女の頭上に手をかざす。四つん這いで何とか立ち上がろうとする彼女を嘲笑う声。今までモルモットと思ってきた少年に馬鹿にされたようで、堪え切れぬ苛立ちを浮かべた女はまるで修羅のようだった。

「余は他者から守護神を奪い取り……」
「何しとるんやお前……」
「守護神アクセスを行うことができる唯一の守護神だ!」

 守護神アクセス、耳慣れぬ言葉に琴割は眉を片方から持ち上げた。背後からジャンヌダルクが、callingの事だと言い添えた。守護神の界隈ではそのように言うのだと。Callingとはあくまで、人間が勝手につけた呼び名なのだからと。
 その女が契約していた守護神はピタゴラス由来の守護神であった。脳の演算能力を上げるという、およそ戦闘に向かず序列も著しく低い守護神ではあったが、研究者としてはこれ以上なく上等な守護神。生まれつきそれ程頭の回らない彼女が今のポジションを手に入れたのはこのピタゴラスの加護あってのことだと言えるだろう。
 だが、その後ろ盾をこの日失うこととなった。スーツを着た体の首に、正三角形を規則正しく並べた正多面体の頭が乗っかっている。そしてその守護神はというと、首根っこをあどけない少年に掴まれて苦しそうに呻いていた。
 守護神が目に見える姿を持って現世に現れた。その事実に人々は目を丸くする。このような光景など、見たことが無かった。フェアリーガーデンの守護神でもないのに。

「知るが良い、哀れな愚民ども」
「返して……返してよ……。その子がいないと、私は」
「面白い事を。お前たちもこの器となった幼子の懇願など聞きもしなかったものを」
「それは、仕方なく」
「言い訳は結構だ。それにそんな些事に怒っている訳では無い。余はただ、己が権威を示すために愚かな貴様を粛正するだけのこと」

 そのままネロルキウスは守護神アクセスを行った。あまりに分厚い黒色の闘気のそのまた表面を薄く覆うように、ピタゴラス由来の黄色いオーラが二重構造を作る。ただその揺らめくエネルギーの奥の黒があまりに強すぎて、下位の守護神たるピタゴラスが霞んでしまう。
 慌ててphoneを取り出す女性、ピンク色の携帯に八桁のアクセスナンバーを入力、発信する。しかし通じない。アクセスナンバーをもう一度確かめてくださいとの画面上の通知。慌てる手先が、多すぎる桁数を打ち間違えたのだろうと、もう一度女は番号を入力する。それでも目的の守護神に通じることは無かった。
 あり得ないと、何度も挑戦する。何度も呼びだそうとする。しかし、どれだけ丁寧にその番号を確認したつもりでも、ピタゴラスはうんともすんとも答えてくれる様子は無い。

「無駄だ、足掻こうと奴が貴様のもとに戻ることは無い」
「そんな、そんな……彼がいなければ私はこの先、どうすれば……」

 お世辞にも、能力貫きの彼女は研究者として優秀とはいいがたかった。今後は資料の整理などがメインになるだろうなと、遠回しなリストラがこの瞬間に琴割の脳裏で決定した。流石にクビにしてしまうのは、自分の不注意が招いた結果でもあるため憚られた。
 己の力を遺憾なく見せつけた暴虐の王。しかし彼は難色を示した。phoneの方を目にして、厄介なものだと舌打ちを一つ。初めての守護神アクセスゆえ、この端末の方が限界だとは分かっていた。この端末は回数を重ねるごとに電子回路がブラッシュアップされていき、持ち主とその守護神の波長に合うように最適化されていくのだと。

「今日のところは、余は帰らざるを得んようだな」
「そうか。気ぃつけて帰るこっちゃな」
「本当に、不遜なガキだ」
「誉め言葉じゃって思っとくわ」

 勝手にしろと吐き捨てて、未だ諦めずにcallingを行う女を尻目に、ネロルキウスは最上人の界へと帰っていった。知君の憔悴しきった意識が返ってくる。未成熟な彼の脳にはあまりに過酷すぎる情報の荒波に呑まれて、その精神はとっくに擦り切れてしまっていた。
 何よりもまず睡眠が必要なようで、瞼は重たく目は半開きになっていた。焦点は合わず、泳いでいる。今にも倒れてしまいそうな彼に詰め寄ったピタゴラスの契約者。涙を流しながら、それでも顔は鬼神のような激怒で皺を寄せて、恨みがましさのこもったどすの利いた声で知君を詰る。胸倉を掴み体を前後に揺らせども、それで知君の意識が覚醒するようなこともなかった。深い眠りの淵に今すぐにでも落ちていきたい、そうとしか考えられない。

「お前のせいで……お前のせいでぇえええっ! 私の、私の人生はっ……」

 今にも首まで絞めて殺してしまいそうな剣幕に、流石に見かねた琴割が動いた。それ以上の危害を拒絶し、女が少年を殺してしまいそうになるのを何とかとどめた。
 こうして未曽有の大事故は、人知れず地下にて、ひっそりと幕を閉じたのであった。
 これがネロルキウスと知君との、出会い。その邂逅は初めから、支配と略奪とに満ちていた。