複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.68 )
日時: 2018/05/18 15:27
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)

 初めてのcalling、暴走したネロルキウスが研究員一人から守護神を奪い取ったあの日から、二年と少しの歳月が経っていた。

「おい、はよせえや」
「分かって……、ます」

 あの日あの時あの瞬間と同じ部屋、見る視線の数こそ減ったものの、それ以上に少年の心模様が明らかに違っていた。あの時の少年は、これからようやく自分が役に立てる日が来ると信じ、明るい未来を信じて疑っていなかった。陽の光を精一杯に背を浴びて、朗らかな笑みとで人々に安堵を与える、そんな英傑にこれからなれるのだと。
 自分以上に正義を体現する者などいないだろうという自負が、言葉にならなくても心の中に渦巻いていた。最も正しくあるべきと励み続ける求道者、琴割 月光の教育を色濃く受けた自分であれば、間違いなく、失敗も障害も何もない花道を歩んでいけるだろう、と。
 しかしそんな少年の華やかでいて、それで甘ったるい幻想はある日突然に、暴君によって引き裂かれ、どす黒く染め上げられてしまった。誰かを助けるために、それが彼の行動理念だったはずだった。しかしだ、彼がしでかしたことと言えば何だった。これまで自分を育ててくれた研究員の一人から生き甲斐を、ネロルキウスの能力さながらに奪い取っただけだ。
 僕は決して、そんな事しようとした訳じゃないのに。後悔、懺悔、それと同時に言い訳が彼の口を突いて出た。言い訳など、数年来のものだった。何せ彼は、失敗を取り繕うなどしようものなら、痛みに訴える躾をなされていたのだから。
 それでも、その弁解だけは避けられなかった。それこそ、頭に血が昇って真っ赤になった女性が、殺気じみた怒気を浮かべて喉元を押さえつけてくる様子を見れば、恐ろしくて仕方ない。自分のせいじゃない。最初からそんな事しようとなど考えていなかった。そんな風に自分に非が無い事を主張しなければ、その激情に加えて、自責の念に押しつぶされてしまいそうだったから。
 そのため、少年は味方を求めた。僕のせいじゃないよねと、縋るように、後ろ盾を募るように。年老いた男性の研究者に、女よりもう少し若い、男の研究者に。そして最後に琴割の顔を見た。僕は何も間違っていませんでしたよね、その問いを肯定してもらうために。
 しかし琴割はというと、眉一つぴくりとも動かなかった。他の職員たちはと言うと、どちらで答えたものかと困惑し、閉口してしまった。目すら逸らし、知君の方を見ようともしない。決してそれは、女の味方についていた訳では無かった。自分が同じ目に合いたくないから、そして少年の側について、女からの憎悪を自分にも向けられるのを避けたためだ。
 このままだと無為に時間が過ぎるだけ。そう思った琴割が最初にその膠着を打ち破った。ただ、その声はどこまでも冷淡であった。ここに至るまではずっと、不都合な道を拒絶し続けてきた。必ず成功するようにと、自ら強固に舗装した道を歩んできた。
 しかし、その失敗を知らぬ研究生活に初めて挫折が訪れた。この時琴割は、自分が如何に研究者から遠い存在にいるかという事を初めて実感した。これまでは、自分以上に研究熱心な者は居ないと思っていた。しかし、この時ようやく彼は、真の研究者たるに必要な資格が何であるのかを確信した。
 研究と言うのは、学問というのはそもそも、あくなき探求心から生まれるものである。そうやって思考を重ねて、試行錯誤し、何度も何度も失敗を繰り返し観測データを積み重ね、それら全てを考慮に入れて、悩み抜いて考え抜いて最後にその答えを導いていく。その一連の過程を人々は学問と言う、のに。
 琴割は最初からそのような過程全てを拒んでいた。ただ単に、自分が考えた設計図に反する事象を拒むガキ大将に過ぎなかった。己の稚拙な独裁者ぶりを自覚する。間違えてこそようやく成功に達するというのに、計画が終わる間際になってようやく間違いと正面から向き合うこととなった。
 真に研究者たる資格とは、この失敗から真理を導き出せるかどうか、その一点のみだ。見返せば笑ってしまう様な失敗の山を積み上げて、その上に立ち、遥か高みにあると思っていた未知と言う高い尾根を見下ろすことだ。見下ろし、その山の背に隠れていた真実を曝け出させる、それこそが勉学であるというのに。彼はその、失敗と試行錯誤とを何一つ積んでこなかった。
 それゆえ、最後の成功を掴みかけたこの瞬間になってようやく、足場がぽきりと折れて崩されてしまった。あまりに自分が馬鹿馬鹿しくて、足元がおぼつかなくなるその感覚もどこかコミカルに思えた。
 ジャンヌダルクが顕現してから、自分にどけられない障害は無かった。しかし今回は違う、ネロルキウスはELEVENの一人である。これまで自分が我が物顔で振る舞うために何度も恩恵にあずかってきた超耐性が今度は目の前に立ち塞がった。
 だから琴割は、その高い壁を乗り越える方法を知らなかった。そしてそのまま、立ち塞がる者全てを否定する我儘な精神だけが取り残された。受け入れがたい現実は全て跳ね除けてきた、そんな男はその重たすぎる生涯を、高すぎる壁を超えるプロセスを、全てまだ幼い知君に押し付けた。
 お前が何とかせなあかんことやろ。気が付いたら知君に、そう呼びかけていた。まるでその身体の持ち主が自分では無いようだった。虚像の自分が、目の前に浮かび上がってくるようだった。知君の後ろで見守るような、自分にしか見えない己自身の姿を模した幻覚。
 蛇みたいに狡猾な目つきで、隙を窺い、今か今かと毒牙を突き立てる好機を待ち望む。その幻想に己の心が揺らいだことを自覚してしまった。その瞬間、自分自身を責める虚像の影が、大きく口を開いた。

「何十年も生きとんのに、なっさけないやっちゃのう」

 分かっとるわ、それぐらい。悔しまぎれの言葉を奥歯で磨り潰して飲み込んだ。療養室で点滴を受ける知君の助けを求める視線を振り切るように、踵を返す。後はお前が向き合う問題だなんて、もっともらしいことを言いながら、そのちっぽけな背中に、すぐにも折れてしまいそうな双肩に、あまりに大きすぎる重荷を背負わせてしまった。
 しかしそれでも、知君は弱音を吐こうともしなかった。その様子により一層、琴割は己の過ちを自覚した。自分が作り上げてきたのは、ぶれない正義の人間などではなかった事を。正義の概念が、誰より大きすぎる力を纏ってしまった、ただの兵器を生み出してしまったのだと、この時ようやく自覚した。
 その恥ずべき失態に対する怒りをぶつけるかのように、あれから二年、十二歳の春を迎えようとしている知君に接してきた。あの日から何度も、定期的にネロルキウスを御するための訓練を彼らは行ってきた。前回のようなことが起こらないように、強制的にcallingを終了させるための装置をphoneの中に内蔵し、同じ部屋の中で対話する人間を自分一人に絞った。これならネロルキウスも余計な手出しをできない、と。
 初めは週に一回のペースで挑戦していた。しかし、ある時から知君が体調を崩しがちになった。脳波が日々弱弱しくなる。数か月ネロルキウスとの交信を避けると、元のように元気な様子に戻った。この事から、ネロルキウスと接続すると、脳に著しい負担がかかるとデータが得られた。
 とすると、小学生相当の知君の脳では耐え切れないのも無理は無い、もう少し器が成熟するのを待とうという案が上がった。しかし、琴割はその意見を却下した。慣らさせた方がよほど早い。そんな風に言い切った琴割は誰の制止も振り切って知君を酷使した。
 しかし当然、芳しい結果は得られなかった。次第に知君が挑戦しようとする機会は一か月に一度、二か月に一度、とうとう三か月に一度まで落ち込んでしまった。回数を重ねる毎に、少年がネロルキウスに怯え始めたのが原因だ。脳が焼き切れる感覚と、意識を奪われると同時に感覚全てが闇の中に沈みゆく様子が、まるで死を予感させるらしいからだ。
 どんな教育を施そうと、生物の本能など根本的に変わらない。よほど生に絶望しているか、初めから頭のねじが飛んでいない限り、死とは恐ろしくて堪らない。これだけ壊れた価値観と倫理観を抱えた彼にとっても、死とはやはり、あまりに恐ろしいものであった。

「琴割さん、覚えておいでですか?」

 スピーカー越しに、老いた男の声が響き渡った。怯えて縮こまり、phoneのボタンを押すことすらままならない知君の耳には届いていない。その頭上を素通りし、不機嫌そうな白髪の男の耳にまで届く。

「何や」

 苛立ちからか、その声はやけに鋭かった。その勢いに気おされてしまいそうになったが、これ以上引き下がってはいられないと、マイクの向こう側の声は強く主張した。

「一度、彼の成長を待った方がいい結果が出ます。ですから、用意した戸籍を用いて、彼を学校へ通わせましょう」
「ほんまに意味あるんか」
「きっと、外で過ごして、護るべきものを実感した方が彼は、ずっと強くなる」

 今日の実験が上手くいかねば、彼は一度世の中を知るべきだと提言していた。そして今日も、少年は暴君に酷く怯え、憔悴し、接続などできそうにもない。そんな様子、見ていられない。初期の頃に人の心など殺したと思っていた。それなのに、どうしてか彼の中には、いつしか少年に対する親心が芽生えていた。

「分かっとるわ。ここでその話を拒むほど、儂もガキちゃうからな」
「ぜひ、そうしてあげてください」

 安堵と共に胸を撫でおろす。部下である研究員一同が、揃って知君の新たな門出を祝おうとする中、琴割は二年前の自分への苛立ちを、胸の中に燻らせ続けていた。火種だけが、胸の中に。しかしぶつける相手はどこにもいない。
 分かっている。その小さな火を燃やすべき薪は自分自身であるという事実は。しかし今更自分の非など認められないほどに、琴割という男は頑固で偏屈な男になってしまっていた。だから、その胸中に燻る、赤熱した鉄塊のごとき感情は全て、自分が作り上げた脆く矮小な彼へとぶつけてしまった。
 胸倉を掴み、引き起こす。怯えて揺れる瞳と目を合わせる。その琴割の視線すらあまりに鬼気迫るものであり、彼の目はより一層強く泳ぎ始めた。

「ことわりさん……ぼく、ぼく……」
「よかったなあ、知君ぃ……今度からお前は社会見学でしばらく実験も休みじゃ」

 これまでのように、無理にネロルキウスを呼ぶことも、暴君と戦うことも強いられない一時の凪。その訪れに少年の、青白く生気を失った頬に赤みがさした。その様子が、ひどく忌々しくてならない琴割。彼は普段ずっと見せる気も無いような細い目をカッと見開き、誰も見たこと無いような猛り狂う瞳で少年を見据えた。
 その声は、燃え盛る怒りとは裏腹に、やけに小さく静かではあった。しかしそれは、あくまで濃縮されているだけだ。込めた想い自体が小さくなってしまった訳ではない。それはまるで、噛み付いた蛇がその毒を獲物に流し込むように、心を殺す鉛を体内に打ち込んだ。

「せいぜい、人間の真似事でもして楽しんどけや」

 その言葉は明確に、少年は決して人間になり得ぬと、知らしめているようであった。