複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.69 )
- 日時: 2018/05/18 15:57
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: EnyMsQhk)
温かな日差しが顔に降り注ぐのを感じた少年は、薄く目を開けた。真っ白な光が瞼の隙間から差し込んでくる。むくりと体を起こし、光源は何かと確かめる。何てことは無い、昨日自分がカーテンを閉め忘れていただけのことだ。強い光を不意に浴びたが故に、残照が網膜に張り付く。紫みたいで、緑みたいな色をした奇妙なフィルター。
時計を見るに、六時にもう直差し掛かるようなところだった。目覚まし時計も、後五分としないうちに鳴り出すところであろう。予めアラームを解除して、知君は台所の方へと向かう。今日の弁当は何にしようかな、などと考えながら。
しかし知君はその歩みをふと止めた。平日だと思い込んでいたが、今日は祝日では無かっただろうかと。カレンダーを確認する。やはりそうだ、五月の終わりごろ。この日は地上に初めてジャンヌダルクが顕現した日。数年前、phoneが一般的に普及し始めた頃に世界的に定められた祝日だ。
もうあれから、表の世界に出てきて四年と一か月とが経過していた。それなのに、まだこの曜日や祝日といったものには慣れそうになかった。あの頃は、季節も無ければ日付も、下手をすると一日の概念も無かったものですからねと、彼は自身を説得するように呟いた。
高校二年、五月。未だにcallingなどできずにいた。世間的にはもうその呼び名も古く、昨年から守護神アクセスと呼ばれ始めるようになった。その理由らしい理由は、ネロルキウスの発した言葉だろうとは知っていた。琴割に守護神アクセスという言葉を突き付けたのは、紛れもなく七年前、世間的に言うなれば小学校四年生相当の自分だからだ。
phoneを使うその様子、そして通話を仕掛け、呼びだした契約者本人とだけ対話できる守護神というのが、まるで電話越しの通話をしているのと酷似している事からcallingなどと呼んでいたが、守護神達の用いる本来あるべき名称に整えたようである。
今まで発覚していなかったというのも変な話ではあるかもしれない。しかし、守護神から見てそんな呼びかけの言葉などしょうもない事だったのだろう。名前に意味を探し出そうとするのは人間くらいのもので、特に日本人にその傾向は強い。
元が人間の連中も数多く存在してはいるが、やはり守護神となってその人生以上の月日を歩んだからであろう。元が歌人であったなどの一部の守護神を除き、彼らにとっては言葉など意味が通じれば何も問題ない。
でも、僕の名前には意味が付けられている。学習机の上に広がったノート。そこに黒のマジックで記された名前を見、溜め息を吐いた。ネロルキウスと守護神アクセスする際の余計な副次品として、自分の実験にまつわる様々な情報も彼はとっくに知っていた。自分につけられたこの大げさな名前は、自分だけの大切な記号と言うより、ただの四字熟語のように思えた。
もう一度カレンダーを眺める。日付を確認し、中学校に入らせてもらってからどれだけの月日が流れたかを実感した。六年の内、四年間。自分に渡された猶予の、三分の二を消化してしまった。この四年で自分が本当に成長できたかどうかなど、自分にとっては分からなかった。
何せ全知の力で、高校内容の学問など全て知識は頭の中に入ってしまった。国語や英語といった科目こそやり甲斐はあれど、理科や社会と一括りにされるような学問はどれもこれも悩むところなど無い。記述問題も中にはあるが、それにしたって数多の論文に、権威ある教授の研究、検証データが頭に入っている以上敵ではない。
授業を受けるという、至って平穏な生活は心底幸せだったけれども、その授業を受けて成長している実感はまるでない。ただ、授業中に問いに間違えた生徒がテストでは同じ問題を正解しているのを見て、間違いと反省が大切なのだとは察していた。人間にとっては、それが価値のある代物なのだと。
人間ではない兵器の自分には、間違いなどあってはならない。それでも周囲の人間は失敗を重ね、成長するべきだとは学べたし、挫折する人々を見てもそれは恥ずかしくなどないのだと理解した。むしろ、誇るべきことであると。
それと同時に、世の中には取り返しのつかない失敗も溢れていると知った。恋人との喧嘩別れなどがそうであろう。一度壊してしまえばもう二度と修復の利かない物事も存在する。自分の暴走の結果残したものと同じだ。あれは少年がどれだけ詫びようと、返そうと願っても叶えることなど決してできはしない。
思考が段々と後ろ向きになっているのを実感する。学習机に乗っかったままの、あの日使ったphoneの背面液晶にピントが合う。弱い光で今日の日付に、今の時刻を照らしている。どこかに出かけてみようか、などと考えてその黒い機械を手に取った。握りしめれば直方体に近い形をしていると分かる。まるで箱だ。その奥に、何が詰まっているかなど分からない、ブラックボックス。
開けてしまえば災いが溢れ出すその様子は、まるでパンドラの匣のようにも思われた。本当にパンドラの匣であればよかったのにと、恨みがましい想いでそれを乱暴に肩掛けのポーチの奥底に入れた。これがその匣であれば、その奥底に希望がちゃんと眠っているというのに。彼にとってその深淵に潜む暴君はあらゆるものを私欲で塗りつぶす、ただの怪物に過ぎなかった。
カーテンを開き、部屋の中に陽光を招き入れる。研究施設から届く仕送りから、チューブに詰まったゼリー飲料を取り出した。一食に必須な栄養素が全てその一本に詰まっている。開栓し、手で押しつぶしながら中身を啜る。味に飽きないようにとそれぞれ少しだけフレーバーが変わっている。実在する食品をモチーフに味を調えているようだが、その昔、この栄養ゼリーと、顎の強化のためのガム以外のものを口にしたことの無い少年にはその由来となった食品が分かっていなかった。
中学では昼食は毎日給食であり、高校になってからは時折買い食いするようになったので、今では様々な食品の味を知っていた。だから分かる、今日のゼリーはバナナの味を元にしているなと。
窓から見える景色、その中心に座しているのは天まで届きそうな一本の線であった。低い位置にある雲など突き破り、それより上へと首を伸ばしている。久しぶりに、あそこに登ってみようかななどと知君は考えた。
守護神により、あらゆる技術は発展した。それは建築技術もその素材作りも例外ではない。これまでより遥かに優れた素材と、建築方法。さらにはそれを実際に作り出す過程にも守護神の能力を用いる事が出来るため、以前までの建造物とここ数年の建造物との間には埋められない大きな差があった。
その象徴たる代物が、ああやって聳えている日本最大の電波塔であろう。東京スカイツリーの後釜を担うべく、三年前に建設された1000メートルをも超える電波塔。それは地上の建物の中で何よりも高く、空に直結しているかのようという意味を込めて、こう名付けられた。ハイエストスカイリンク、と。
先日のゴールデンウィークには三周年の記念イベントをしていたため、恐ろしいほど混雑していたらしいが、今は何も催しなども無いようである。イベントの時に訪れた人があまりにも多かったようで、近隣の人もその時に訪れたせいで最近は空きがちなのだとか。
あそこにしか売っていないようなキーホルダーもあるようですし、行ってみるのも悪くないですね。唐突に、タイムリミットが近づいたことを察してしまった知君。中学二年生の時にハイエストスカイリンクが完成してから、気が滅入ってしまった際にはそこの展望台からの景色を見ることにしていた。
高校に入ってからは楽しい事が多くて、行きたいと思う様な日があまりに少なかった。最後に訪れたのは、昨年残暑が厳しかった頃だったろうかと思い返す。夏風邪をひいてしまい、看病してくれる人など誰もおらず、戸籍が偽造されたものなので病院に通う訳にもいかない。
琴割の古くからの知人が個人経営している病院に訪れ、裏口から風邪薬を処方してもらうのが関の山だ。熱のせいで重い体を引きずってスーパーでスポーツドリンクとうどんとを買ったことをまだ覚えている。心細かったけれど何とか乗り切れた。しかしやはり精神的にまいってしまったがゆえに完治したあかつきに地上800メートル地点の展望台を訪れた。
側面のみならず、足元の床までガラス張りになった部分がある。そこに立てばまるで自分が本当に空を飛んでいるような気分になれた。空を舞う鳥のように自由に生きたいと願う知君にとって、そこからの景色は非常に爽快で、心の中の曇天を突き抜ける一筋の光となるに値した。
そしてその景色とは、何も彼だけに特別な感傷を抱かせる訳では無い。以前まで日本一高かったスカイツリー、その頭頂すらも眼下に見下ろす優越感。そこに魅力を感じるのは、人類共通と言っても過言ではない。強いて言うなら高所恐怖症の者は嫌がるだろうか。
その日は祝日であるため、最近人も少なくなってきたと思われたその塔への来場者は久々に多いと言えるものになっていた。近づけば近づくほどに大きくなる人の密度。その予想外の来訪者に、髪を茶色く染めた青年は嘆息した。電車の中で耳に当てていたヘッドフォンを首にぶら下げるその様子も、彼がするととても様になっている。
「今日は空いてるって思ったんだけどなぁ」
ラジオでの情報を真に受け、久方ぶりの休暇だからと、今まで行く機会の無かった新規の観光スポットに足を運ぶことにした彼は重苦しく息を吐き出した。街行く女性が彼の顔を見た後、振り返り二度見する視線を感じた。普段は署にこもりがちだからこんな経験も久しぶりだなと、男は少しだけ気を良くした。
元々流行りものには目ざとい彼だ。かねてから日本で、否、今や世界で最も高いその電波塔を訪れようとは以前から考えていた。しかし休暇が中々取れない事や、取れても両親への孝行などに使うことが多く、さらには人があまりにも多いとうんざりして別の所へ向かってしまう性格から、一度も訪れることができないままでいた。
ハイエスト、最も高いという言葉の響きに、どことなく彼の中の性癖が刺激されているのが理由として大きいとは分かっていた。それと、SNSでそこの全面ガラス張りの位置に立つ写真をアップするの流行っていたということもあった。
やはり世間の流行には乗っておきたいという彼自身の嗜好、それにもう一つ、男がこの展望台を訪れようとしたのには理由があった。三周年のイベントが行われていた際に、彼の好きなロックバンドがここを訪れていたからだ。彼らが訪れていたのは初日で、その後爆発的に来場者が増加した。バンドのベーシストが、ボーカルと二人でツーショットを取っている画像がSNSに載ったためだ。
毒性を意味するアルファベット五文字のグループ名に相応しいというべきか、東京中に浸透した熱が、一挙にハイエストスカイリンクに密集した。その波に乗じたかった彼ではあったが、生憎彼は警察の、守護神犯罪専門の捜査官。人が増え、犯罪も増えかねないその時期に現場を投げ出すわけにいかなかった。
「りっさんが美味しいって言ってたアイスの店も探そうか。えっと、一階にあるんだっけな」
ベーシストの名前には律という字が入っているからなのだが、彼はと言うとそのバンドの中でも好きなメンバーの事を「りっさん」と呼んでいた。
携帯電話を取り出し、時刻を確認する。今日はオフなのでphoneではなくただのスマートフォンを持って来ていた。液晶に今の時刻と空模様、そしてついでに占いが表示されていた。今日の一位は彼自身の星座でもある獅子座であった。占いに依れば、「今日は思いもかけない新たな出会いがあるでしょう」との事だ。もう一度スリープにし、スマホをポケットに再び入れる。
占いなんてほんとに当たるもんなのかね。澄ました顔を貼り付けたまま、雲の上に顔を隠してしまった、世界最高峰の建造物を見上げながら、奏白 音也はそんな事を呟いた。