複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス【寄り道アクセス更新】 ( No.72 )
- 日時: 2018/05/24 01:28
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
それにしても、phoneを手にせず外出するのはいつ以来だろうかと奏白は頭を捻る。普段、オフの日すらも守護神アクセスに体と端末の波長とを慣らす為に持ち歩いている。だが、そんな風に外出していると、出先でトラブルに立ちあった際にすぐさま動いてしまう。半径二キロ以内の物音は全て把握できてしまうため、仕方が無かった。聞いてしまえば駆け付けねばならないと、正義感がはやし立てる。
それを知られていてか、今日は真凜にphoneを没収されていた。ここのところ働き過ぎているので、今日くらいは預けて下さいと。肉親であり後輩でもある真凜から言われてしまうと断るのも難しかった。ちょっとばかり抵抗してみたけれど、頑として折れない彼女にphoneを預けざるを得なかった。プライベート用のスマートフォン、いつもは取り違えないように家に置いたままなので、充電するのも久々だった。
映し出された壁紙には、数か月前に家族旅行で出かけたホテルから見た朝焼け。そう言えば、この旅先でも二人くらい検挙したような気がする。他人がそれだけ仕事に打ち込んでいる所を想像してみれば、それが常軌を逸していると判断するのは容易い。けれどもどうしてだか体が動いてしまう。
この世界は確かに平和だと、彼自身思っていた。けれどもやはり犯罪大国であることには変わりなかった。全体的な治安こそいいものの、軽犯罪は後を絶たない。それゆえいつの時代も警察が暇になってくれることは少ない。半径2キロなんて広範囲だと、毎日どこかしらで犯罪の声が聞こえてくる。
けれども、アマデウスと繋がっていない現状、身の回りの狭い範囲は驚くほどに平穏だった。すぐそこ、視界に映る範囲の物音ですら満足に聞こえてこない。雑踏のノイズがやけに五月蠅かった。いつも確かに人混みの足音だって耳に届いている。しかし、欲しい情報だけを処理することも容易であるし、さらには広い空間の音全てが入ってくるものだから、周囲だけの物音というのが今一実感しにくかった。
それゆえ、こうして歩くと強く自覚する。世の中は、自分の想像よりもずっと多くの人間が住んでいるのだと。もし自分が今まで捕えてきた凶悪犯、その内数名を取り逃がしていた時、ここにいる人間は、もっとずっと少なかったかもしれない。そう思うとぞっとした。売店の売り子の可愛い娘も、歩む速度の差で追い越した老人も、もしかしたら亡き人となっていたやもしれぬ。
そう思えば、日々平和を守っているというのは、やはり尊い仕事だと実感する。大学に入学した当初は、こんな仕事につくつもりではなかったのだがと思い返す。ひょんな出来事から目指すこととなった警官。アマデウスと出会ったのも不意に警察を目指し始めてからのことだ。思いの外適正があったようで……正確にはアマデウスの力なのだが、今では無くてはならない警視庁のエース。
人生何が起こるのかなんて分かったものではないな。暑くて汗がにじんできた。もう六月もすぐそこだ、コンクリートジャングルはもう夏の片鱗を覗かせている。どこかカフェにでも立ち寄ろうか、それともコンビニで飲み物だけでも買おうか。そう思案せども、すぐそこにはハイエストスカイリンク。確かに売店は混雑しているかもしれないが、せっかくならばまず目的地にたどり着いてから考えよう。
雲がちらほら浮かぶ水色の好天。今日、大きな事件が起きるだなんてこの時は想像することすらできなかった。
「すごい混雑ですね……」
日々の通学でしばしばラッシュに巻き込まれるが、観光地の混雑というものはそれとは熱気が違う。ただそこを通り過ぎるだけの通行人は自分と同じように歩いてくれるけれども、周囲を見て回る彼らは時折立ち止まり、時として牛のように歩む。そのせいか中々身動きが取れない。
けれども自分も半分観光目的に来ているものだから、これくらいが丁度いい。そう感じた知君は、ようやく地下一階の土産物屋にたどり着いた。この電波塔の手前二百メートル地点あたりから、急に歩みを進めるのが億劫なほどに人の密度が高まった。
人の波をかき分けて奥へと進んでいく。なまじ体が小さい分、こういったところを進むのは苦手ではない。荷物も、鞄を持って遠出してきた観光客と比べると、ポーチだけの知君はやけに身軽だった。
ストラップやキーホルダーだったり、色んな旅先で売られている龍をモチーフにした剣のアクセサリなどが並んでいる中にお目当ての代物があった。国民的なアニメのキャラクターとコラボした、背景がハイエストスカイリンクであるキーホルダー。
別に、このキャラクターの事はよく知らない。彼にとって大事なのはこの場所を訪れたという証。ここでしか買えない代物。自分がここに来たのだと、自分がいなくなっても知らしめることができる大事なもの。そしたらきっと、処分されても彼が様々な土地を歩き見て回ったという事実を残すことができる。
別に積極的に死にたい訳では無い。それでも、ずっと前から諦めていた。もう自分にはネロルキウスを呼ぶだけの覚悟も力も無い。琴割は常々、充電した状態でphoneを持ち歩いておけと口酸っぱく指示している。それゆえ肌身離さず持ち歩いてこそいるが、それを使うような有事の出来事など、そうそう起こらない。
レジも長蛇の列と呼ぶにふさわしい。もはやアナコンダみたいだと彼はぐねぐね折り曲げられた順番待ちの列を見て、アマゾンに蠢く一本の影を想起した。
商品が立ち並ぶ様子は密林と言えるだろう。だが知君はそれならば、密林には危険が多いとも想像しておくべきだった。密林には狩人が居るのだと。虎視眈々と狙いを定める二つの眼。気弱で小柄な少年が財布を取り出すと同時に、彼は無理やりに人を押しのけて知君の財布を掴んだ。そのまま来た道を戻り、泥の中を泳ぐように雑踏をかき分けて進んでいく。
ひったくりだ、そう判断するにはいささか強引過ぎた。もっと自分が逃げやすい場所でやるものではないかと知君は呆然とする。もう、泥棒の男がかき分けた道は閉じられており、追う事などできそうにない。確かにこれは効果的だ。逃げにくいが、追われづらくもある。
しかし、あれを盗まれては不味い。保険証などの偽造品が沢山入っている。役所に行っても再発行できないうえ、琴割に告げようものならもしかしたら厳罰だ。せめて追わなければ、そう判断したのは、酷く遅すぎた。
ただしそれでも、手遅れではなかった。
「ぶっ!」
鈍い呻き声と、拳が鼻っ柱を捉える低音。一拍置いて、苦しそうな男の悲鳴。急に人混みが、さっきとは違って自発的に空間を作り出した。まるで汚れたものから遠ざかるように。そして視界が明らかになる。そこには、先ほど知君の財布をひったくった男が、もう一人の男に組み伏せられているところだった。肩を掴み、地面に押し当てて、そのまま関節を締め上げている。ちょっとでも抵抗する素振りを示そうものならば、肩関節を外す勢いで締めあげた。
「まーったく、結局今日もこうなんのかよ」
呆れた顔で彼は嘆息している。大人びた風貌だけれど、まだまだ若い。明るいブラウンの髪の毛が気まずそうな顔つきと同じように項垂れているみたいだった。
「あっ、警備員さん。こいつひったくりだから連れてっちゃって」
持って来ておいて良かったと、捕まえたコソ泥を引き渡してから警察手帳を示した。それで身分は十分以上に証明されたため、奏白の言葉が正しいと認められた。捕まった男が握りしめていた財布が元の持ち主へと渡される。
「ちょっとばかしまだ背が小さいな、君」
今度から気をつけろよー。朗らかに笑って彼は、少年の髪をぽんぽんと叩くように撫でた。その手は、兄ができたかのように大きく、とても暖かかった。帰ってきた財布の中身は、当然というべきかまだ何も抜かれていなかった。あの人がいなければどうなっていたことだろうかと、知君はほっと溜息を吐き出す。
これこそが、知君と奏白との、出会いの物語。