複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.73 )
日時: 2018/05/25 22:23
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 ひったくりの騒動の後、二人とも示し合わせた訳でもないのにまた、エレベーターの前で出会うこととなった。知君は会計を済まし、来る途中に買ったコンビニのパンを休憩所の空いた座席で食べた後、奏白は目当ての甘味を堪能した後のことだ。どうせここまで来たのなら地上800メートル地点の展望台まで登ってみようと、人の流れに従って直通のエレベーターの方へと向かった。
 当然のごとく大混雑だ。何せその展望台がこの電波塔を訪れる最大の目的と言って過言ではない。百メートルごとに見晴らしのいいテラスが存在し、階層に応じて値段が異なる。そのようにして、往復に時間がかかってしまう上部への来場者を減らし気味にしており、700メートル地点以上には直通の専用昇降機を用意していた。
 社会人であるというのも大きな理由ではあるが、普段稼いだ給料を使う暇も無いので、別段小遣いには困っていない。それゆえ何の気なしに最上階までのチケットを購入した。その時だ、すぐ隣で先ほどの子供が同じ切符を買っていた。一人で来るにしては珍しい奴だなと違和感を覚えた。高校生にとってこのチケットは高いだろうに。
 研究施設からの仕送りは、不自由しないようにと少々多めに送られていた。元々研究費用が莫大にあったため、小食で倹約家の彼には少し多すぎるほどだった。それをここで派手に使っても、預金の残高にはさしたる痛手にならない。
 祝日だというのに少年は、学校の制服を身に着けていた。彼はそれ以外に服を持っていないためである。しかしそんな事知る由も無い奏白は、午前授業でもあったのかと想像し、それならなおさら同級生と来ようとしなかったのかと訝しんだ。

 少年の方も隣がさっきの騒動でひったくりを取り押さえてくれた男と気が付いたようで、はにかみながら会釈した。他の客はほとんどが一番人気の500や600メートル地点の切符を買っているため、最上階まで向かうのは二人きりであった。何せ客足と、ついでにスペースの都合上最上階には売店の類が一つも無い。しかし600メートル地点はと言うと、そこでしか売っていない商品なども並んでおり、人気のフロアとなっている。
 元々はその高度が最も人気だからそれ相応に施設を充実させようとしていたはずなのに、今や目的がすり替わってしまった。近頃はそこで売られる商品に釣られ、ロクマルと称されるフロアに押し寄せる人が増えたのだとか。
 このタワーのマスコットキャラの着ぐるみもその階層にいるのだとか。様々な理由があり、そこがポピュラーなスポットになるというのは納得だった。それに、最上階へのチケットは驚くほどに高い。エレベーターの点検にメンテ、高ければ高いほど要所にお金がかかるせいか、景色を見るくらいしか楽しみは無いのに、片道3000円程する。ロクマルにいたってはその半額の1500円だというのに。家族連れも多いため、全員で最上階へ向かおうとするとそれだけで一家には痛すぎる出費だ。

「君もファンなのか?」

 自分の好きなバンドの名前を挙げて、少年へと問う。しかしそうではないと彼は首を横に振る。彼はと言うと、高ければ高いほど自分が鳥になったように思えそうだったから。そんな理由を口にしていた。少しメルヘンチックな言葉に、奏白も可笑しそうに微笑んだ。

「でも、どうしてその音楽グループのファンだなんて思ったんですか?」
「知らねえ? こないだそこのベーシストとボーカルがそこで撮った写真SNSに載っけててさ」
「なるほど、だからお兄さんは最上階に行こうとしてたんですね」
「そうそう。りっさんも言ったっていう展望台。ぜひとも行かないとな、って」
「他のファンたちはゴールデンウィークにもう行っちゃってそうですけどね」

 そうなんだよなあと、がっかりしながらため息を吐き出す青年。俺もどうせならりっさんのオーラが残ってる内に行きたかったもんだよと大げさな態度で悔しがる。そのせいか、さほど残念がっているようには見えなかった。

「ま、警官だからな。仕方ねえよ」
「そう言えばさっき警察手帳持ってらっしゃいましたね」
「そうそう、今日はこんな風だけど、普段はかっちりスーツ着てんだ」

 ヘッドフォンを首に下げ、涼し気な青のTシャツを着、キーホルダーをぶら下げたスマートフォンを掲げた彼が、普段は生真面目にスーツを着ているのだとは到底想像し辛かった。話すうちに年齢も二十七だと分かったが、それが信じられないくらいに肌も顔色もずっと若かった。大学生と言われればそのまま信じてしまいそうだ。目鼻立ちもよく整っており、どこかのアイドルだと言われても納得してしまうかもしれない。

「おっ、来たなエレベーター」

 守護神による建築技術の向上、それによって当然、こういった昇降機のグレードも以前より格段に上がっていた。今いる階層から700メートル以上高い位置にまで向かうというのに、ものの三十秒と少々で到着してしまうのだという。
 二人だけの乗せたエレベーターの扉が閉まる。箱の内側には、危険だから喋らないようにしろとの注意書き。仕方ないからと揃って口を閉じ、代わりにガラス張りの景色のその向こうを見た。
 動き始めたそのエレベーターは、すぐさま最高速度に到達した。目の前の景色が見ていられない。残像を残してあっと言う間に眼下へと消えていく。遠くの街並みを眺めると、ジオラマのような大きさだった街並みが途端に米粒のようになってしまった。かと思った頃にはもう、家屋の屋根などただの灰色のドットにしか見えないほどに、高く。
 気づけばもう、スカイツリーなど追い抜いていた。段々と上昇のスピードを落とし始める。二人きりの天国へ走る列車がついに止まった。開いたそこにはまばらな人影。やはりここまで登ってくる人は少ないのだろう。トイレくらいしか設備は無く、あまりに高すぎて逆に何も見えそうにない景色。さらには床さえもガラス張りになっており恐怖は足元からも這い寄ってくる。目の前で他の客が歩いているというに、自分が一歩踏み出せばそのまま虚空に投げ出されるのではないかという焦燥。

 ただ二人は、むしろその解放感に圧倒されていた。雲さえもすぐそこ、手を伸ばせば届くような距離にある高みに息を呑んだ。エレベーターから降りて真下を確認してみても、そこから見える景色はただひたすらに空と呼ぶにふさわしかった。下の様子なんて、何の意味もなさない点描にしか見えない。
 スカイリンクという名前を何より強く表していた。空と体とが直接つながったような一体感。決して怖くは無い、武者震いに似た衝動が体の芯から湧き上がる。身震いを一つすると共に、二人は旧知の仲でもないのに顔を見合わせた。その感動を共有するのに、800メートルの旅路は充分すぎる代物だった。

「凄かったですね!」
「やっべーな、これ! マジで爽快だわ」

 子供みたいにはしゃぐ二人、背後ではエレベーターがまた下へと向かっていた。何度も写真の撮影を重ねるシャッター音。それは奏白だけでなく、周囲の他の観光客も同様に自撮り並びに空の様子、あるいは見降ろした街並みをフィルムに収めていた。
 この時の二人はまだ気が付いていなかった。中心に近い階層、400メートル地点において大きな騒動が起こっている事実に。フェアリーテイルの事件が起こる少し前、ある守護神のその契約者一人によって引き起こされた未曽有の出来事、HSLジャックと呼ばれることとなる大惨事が起こったのである。


 一しきり上空からの眺めを味わった後、そろそろ帰ろうかと二人はエレベーターの方へと戻った。正直なところ、高いという一点以外に特徴的なものなどない。むしろよく、こんなにずっと居られたものだと呆れるほどにだ。気づけばさっきまで同じフロアにいた人の多くも降りて行ってしまった。特にその後昇ってきた人も居ない。
 新しくやってくる人がいなかった理由が、とある匿名の声明が原因であったとはこの二人は知らなかった。知君は琴割が生みだした者とはいえ、警察とのつながりは皆無。奏白もphoneを家に置き去りにしている。それゆえ、警察内部の情報は二人に届かない。
 下の方ではハイエストスカイリンクが急遽関係者以外立ち入り禁止となっていた。と言うのも、犯行予告が届いたからだ。今の世の中そんな事しようものなら今後逃げ切ることなどできないというのに。しかし元凶たる人間はそんな常識を打ち破ってこの電波塔全体を人質にしようと目論んだ。
 それゆえだ、それ以上被害を増やさないために、舌では人払いが行われたのは。では、肝心の電波塔内部に何も通知がいかないのはなぜか。単純だ。警察が動いていると、電波塔にこもっている元凶たる者に知られないようにだ。犯行声明によると、犯人はこの電波塔のどこかに立てこもっているとのことだった。それゆえ、警察も迂闊に手を出す訳には行かなかった。
 少しずつ、人々は帰って来ていた。しかし、一向に観光客が帰ってこようとしないフロアがいくつか見受けられた。それが、400メートル地点、500メートル地点、そして最後に最も人の多いはずのロクマル。むしろ最上階やその手前、高度700メートル展望台からは帰る者がいるというのに。
 おそらく犯人はその三つのフロアのいずれかにいること。そして最上部にいる者たちは無事だと警視庁は見切りを付けた。この時歩瀬という男が現場を指揮していたが、むやみに突入してはならないと躊躇っていた。守護神の能力が用いられる犯罪においては、何が起こるのか分かったものでは無い。そのため、下手に強硬手段に踏み切ると、上空にとどまっている多くの人質の命が一斉に損なわれてしまうかもしれない。それゆえの躊躇、断腸の思いで下した待機命令。
 実際、待っていたからこそ増えてしまう犠牲もあるだろう。しかし、犯人の能力も不明、人質に取られた人数も不明、そんな状況で踏み入る訳には行かなかった。相手からの要求もまだ聞いていない。
 愉快犯、そうに違いないという声が大多数だった。自身が逃げ切ることすら考えていない予告状、さらには要求を訊いても答えようとしないところ、以上二点からテロ、あるいは騒動を楽しんでいるに違いないと上層部は判断した。
 それゆえ、相手の能力が割れ次第早いところ中に警官を送り込めと言っていたが、頑として歩瀬警部補は聞き入れない。上には多くの人々が残されており、ただ腕力が強いだけの守護神が窓を突き破り、そこから人質を放られるだけで警察側の敗北なのだからと。
 そしてその判断は正しかったと言えるだろう。夜に至るまで誰も突入せず、中の様子を待ち続けようとする判断は何も間違っていなかった。

 何も要求など告げてこない立てこもり犯。しかしその者は着々と、己の目的に向かって邁進していた。その者と、守護神、両者が待ち望んでいたのは夜が更けること。その日の陽が沈んで後の天気は晴れ、そして欠けることの無い満月が昇ると。