複雑・ファジー小説
- Re: 守護神アクセス ( No.74 )
- 日時: 2018/05/26 13:08
- 名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)
「ん? エレベーター動いてねえのか?」
「おかしいですねえ……まだ明るいのに」
この電波塔のエレベーターは夜七時までは運航しているはずだ。それなのに、まだ陽も高いのに止まっているようであった。間違いなく先ほどまで動いていた、それなのにこれから下へと降りようとする二人の目の前で階層を示すオレンジ色したデジタルの数字がふっとこと切れるように消えてしまった。
「んー、定期メンテナンスとかか?」
「いや、するにしても営業時間にはしないと思います」
「だよなあ。何だろ? 下でトラブったかな」
「軽いものだといいんですけどね……。人身事故じゃないことを祈ります」
「怖い事言うなよ」
でも怪我人がいないのが一番だなと、奏白も頷く。出会って半日も経っていないというのに、もう二人はとっくに打ち解けていた。知君から見た奏白はというと、自分の思う正義を貫く警察の鑑であった。それゆえ容易に心を開き、十という歳の差を意に介することも無くすんなりと受け入れていた。逆から見ても、礼儀正しい可愛らしい学生だ。拒む理由などどこにも無い。
おそらく今日が終われば二度と会うことは無いだろうなどと考えていたためだろうか。今この瞬間だけは、一期一会の精神で楽しく過ごそうとお互いに考えていたのは。しかし、その短いはずだった交流の時は、予期せずして延長戦に突入することとなる。それも、随分と過酷な延長戦に。
二人がエレベーター前で問答している様子を怪訝に思い、残された数人の客もエレベーター前に寄ってきた。動いていない、などという不穏な言葉が聞こえてきたためである。帰ることができないのではないか、そう恐れた人々は群がるように二人の元へやってきた。
「動かないって本当ですか?」
「あー、おう。何かボタン押しても昇ってくる様子が無くてな」
かれこれ、一度目に押してから数分が経過している。ここに来たときはたかだか三十秒程度でやってきたというのにこれは異常だ。最高速度に至っては時速九十キロに達する超高速エレベーター、だというのに。
やって来たのは小学生らしい男の子とその父親、他地方から観光に訪れたらしい三人組の若い女性、それと一人でここに来たのであろう大学生らしいバックパッカーだ。初めに不安そうに尋ねたのは、三人組の女性の中でも最も背が低いリスのような女性だった。小動物らしく怯えている。
エレベーターが止まってしまった非常事態。しかし、伝える手段はどこにも無かった。何せ別にここは昇降機の内部という訳でもない。この電波塔自体が倒れない限り安全は保障されている。
何となく、理屈など何も無いが虫の報せが働いた。これは事件の臭いがすると、四年と少々の捜査官としての警官が告げている。携帯電話を開いてみると、サイレントゆえに気が付かなかったが、真凜から一件の着信。その後メールが送られていたようで、開いてみる。
文面は以下の通りだった。
『兄さん
つい先ほど、ハイエストスカイリンクで立てこもり事件が起きたようです。
犯人は歩瀬さんの見立てだと四階から六階のいずれかに潜伏中のようで、只今HSLは立ち入り禁止となっています。
兄さんも今はphoneを持っていないので、いつものように首を突っ込まずに家にお帰り下さい』
「悪いな真凜、首を突っ込む気は無かったんだ」
むしろただの被害者なんだよなと、奏白は項垂れた。項垂れると同時に、押し寄せる焦燥と不安。不安と言っても自分の身を案じる不安ではない。下では一体何が起こっているのだろうかと言った不安だった。それと同時に、ここにいる者を何とかして安全な地上へと送り届けなければならないという焦り。
しかしどうしたものかと頭を抱える。どうして急にエレベーターが止まったのか。おそらく管制が奪われたと考えるのが最も妥当だろう。仕事柄耳にしたことがある。最も電力供給が行き届いているのは五百メートル地点。そこでは自家発電までも行われているのだとか。その理由は一つ、この電波塔自体の管制室が存在しているためだ。
そのおフロアが乗っ取られたとなるとその部屋まで奪われたと考えるのが妥当だろう。いや、奪われている必要も無い。人質ならばいくらでも取れる。脅してしまえば容易いだろう。それにより、これ以上逃げる者が現れないようにとエレベーターを停止させた。
不味い事になった。職員用の階段通路は確かに外壁に存在しているだろう。しかし、ここにいる人間が歩いておりられるとは到底思えない。辛うじて可能性があるとしたらバックパッカーの彼くらいだろうかと推測する。知君はきっと怯えてしまうだろう、あれだけ気弱なのだから。同様に、女性三人にも期待はできない。父親の方は可能性があるが、子供を置いてはいけないだろう。あの小さな男の子は見る限り、あまりの高さに怯え始めている。そんな子を外に放り出す訳にもいかない。
「やっべえな、こりゃ……」
「どうかしましたか?」
「いや、それが、ちょっとなあ……」
この場で、今何が起きているのかを伝えたものかと奏白は思案する。自分の身分を知っているのは知君だけ、それゆえ他の者はまだ奏白が警官と知らない。彼が捜査官だと割れてしまえば、その彼が悩んでいるとはすなわち、ここで事件が起きたのではないかと結びつける者が現れてもおかしくない。
後から真凜に怒られる覚悟だけ決める。メールへの返事を打ち込む。正直に、元々訪れる予定だったことを含めて運悪く現場に居合わせていると伝えた。最上階にいるが、ここではそもそも下の階層で何が起こっているのか誰も知らないということも。
苦言や叱責が飛んでくるかと思えたが、流石に予期せぬ事件との邂逅だとは理解してくれたようで、その返事には驚きの言葉こそあれど、怒りの声など微塵も感じられなかった。むしろこちらの様子、特に居合わせた他の被害者たちを慮っているようである。
「何とかしてここの管制ハッキングしてくんねーか?」
そんな内容のメールを送信する。そして昇降機を動かしてくれなければここに居る者たちを逃がすだなんてできない。サイバー犯罪対策課には、ナカバヒョウエと呼ばれる守護神がついている。かつて、城を乗っ取るという大挙を成し遂げた軍師の魂が、ハンニバルというELEVENの統治する異世界にて転生した姿。居城などを乗っ取る能力を持っているのだが、コンピューターを乗っ取る使い方もできる。それにより、ここの指令塔を取り戻してもう一度昇降機を動かしてもらおうと。
返事は想像以上に早く来た。了解の旨が送られ、同時に上にいる人間には伝えておくべきだとの言葉。まだ時間はあるため、今のうちに真実を話して逃げることに集中させた方がいいだろうという考えのようだ。
確かに、下に降りてから逃げろというのも難しい話だろうし、万が一降りたところに危ない人間がいたりしたらたまったものではない。それゆえ、その場にいる者を改めて集めてから彼は今何が起こっているのかを手短に告げた。
「つまり今、ここは危険だということですか?」
「そうなるな」
男の子がどこかへ歩いていこうとするのを抱きかかえて引き留めながら、その父親は驚愕の色を露わにした。その会話の隙間を縫って、三人組の女性が割って入る。すっかり怯え切った様子で、縋るように一人堂々としている奏白の所に押し寄せた。
「えっ……ここは安全、なんですよね?」
「まあ、今のところはな」
犯人がいると思われるのは、ここよりも下の階層だ。もしかしたら既にこの場に犯人がいるのかもしれないが、その可能性は薄いと踏んでいた。守護神アクセスが行われている波長の観測によると、下の方で守護神が呼び出されている痕跡。この場にいる人間には、守護神特有のあのオーラを纏う者が居ない。
「なら、解決するまでここに居た方が……」
「駄目だ、ここに誰も来ない保証が無い」
「でも、エレベーターは動いてませんよ」
「管制が向こうにある以上、向こうからはいくらでも稼働させられる。そうなれば、誰とも分からぬテロリストの準備が終わってから、俺たちは下りるしかなくなる。飛んで火にいる夏の虫だ」
「それは……」
「なら、相手の意図していないタイミングで先に逃げるしかない」
まだ誰も動こうとする気配は無いらしい。犯人も自分が居るフロアの鎮圧に忙しいのだろうか、上の方まで気にかけている余裕はないのか。あるいは、別段ここの十名にも満たない人間に逃げられても問題は無いという事か。既に数百人は人質に取られている以上、それは十分にあり得る話だ。
ともすれば、別段何も問題なく逃がしてもらえるのではないか。少なくとも、ここにいる人々を無傷に逃がせそうな光明が見えてくる。いかに守護神の能力を持っているからと言って、警察への要求と、大暴動の人質の鎮圧、さらには元々勤務している作業員への脅迫など、ストレスも負担も半端では無いはずだ。
そう言った情報を、怯え切った者たちに一つ一つ説明する。大丈夫だ、むしろ今しか無いと。一番幼い子供は、今の状況を今一理解していないようであった。しかし、無理に怖がらせる必要も無いのでそのまま話を続ける。
「……絶対大丈夫、なんですよね」
「ああ。何かあったらできるだけ俺が皆を護るんで」
といっても今日はphoneを持って来ていない。犯人と鉢合わせたら、それこそ壁になる以外の用途が無い。だからこそ急がねばならない。まだ入り口が閉ざされてはいない。さらには、出入り口のある一階の様子を見る限り、そこには被害者は当然として立てこもり犯と思われる人影すらない。
今乗ろうとしているエレベーターは、一応一階までも行く事が出来る。チケットを購入するフロアは四階であるが、非常用の連絡通路として一階までつながっている。
全員が納得すると同時に、警視庁側のハッキングも成功したようだ。死んだように動きを止めていたエレベーターのパネルに再び光が灯る。モーターの駆動音、少し待つだけで、下からすさまじい勢いで鉄の箱がやってくる。ゆっくりとブレーキをかけながら目の前で停止、口を開き、乗り込めと指示しているようだった。
最大で三十人まで乗ることができるため、その場の人間は全員一斉に飛び乗った。下りる途中で700メートル地点に止まり、そこでも待ちぼうけをくらっていた十数名を回収した。もうそこでは説明するだけ手間だと判断したのか、ハイエストスカイリンクに凶悪犯が立てこもっているから早いところ入り口から逃げ出せとだけ指示した。狂言だと思われぬよう警察手帳だけ見せる。
途端に青ざめた人々が我先に扉の前に立とうとするが、慌てたら余計に逃げ遅れるぞと、鋭い声で一喝。静まり返った所に、今はまだ下は安全だと諭すように説く。警察である身分の証明、そしてその奏白の鬼気迫る表情に、大人しく人々は従った。
押したりせずに一人ずつ確実に降りろ。扉が開くと同時に奏白はそう指示した。その代わり、扉を出たらその後は一心不乱に外へ走れと言い添えて。
一人一人、その言いつけを護って通路へと出る。出ると同時に全力疾走。これ以上ない速さで入り口まで。とりあえず初めに、子供がいるならその親子と、走りにくいヒールの女性を降ろした。その後ろから追い抜くことができるような男たちが続く。
ただ、意外なことに最後まで残ったのは、さっきまでずっと仲良く談笑していた知君だった。
「おい、君もそこまで脚速くないだろ! 早く行け!」
「貴方も最後ですよ、急いでください」
「分かってるよ!」
無人のエレベーターを背中で見送り、先に出した人々の背中を追って走り出す。しかし、知君より前に立つ訳にもいかない奏白は、時折後ろを振り返りながら追っ手が居ないかを確かめていた。
前方では最初に飛び出した女性たちが塔の外へと脱出することに成功していた。その後を追うように、次々と生還者が。自分たちも早いところ行かないとなと、礼儀正しい少年の背中を押して急かした。
その時だ、今まで息を潜めていたテロリスト、その息遣いが二人にも聞こえてきたのは。機械の駆動する、ゴウンと鳴り響く低い音。何かと思えば、防火用のシャッターが下り始めていた。それも、この電波塔内部と外とを隔てるところで。
「やっべ! おい皆、閉まる前にさっさと飛び出せ!」
焦って足がもつれている者もいた。しかし、扉が閉まり切るまでにまだ猶予はある。普通に進めばまず逃げ切れるだろう。もう大丈夫だと、ホッと一息ついた所で、耳慣れぬ小さな金属音がこだました。
それは、小さな男の子のポケットから転がり落ちていた。このハイエストスカイリンクにしか売っていない、国民的アニメの人気キャラクターのイラストが描かれたキーホルダー。あっ、と小さな声を上げて立ち上がる男の子。しかし、その父親はその様子に気が付いていない。走りっぱなしの人々は皆、そのキーホルダーなぞ置き去りにしてしまった。当然、奏白とて同じだ。
そのキーホルダーを取りに少年が戻ったのは仕方の無い事だった。未だに、父を含むその場の者が急いでいる理由など完璧には呑み込めていなかった。しかもそこに描かれているキャラクターは彼にとって、大好きな登場人物。年端もいかない子供なら、引き返す理由になる。
もうすぐ出口、防火扉はもうすぐそこまで降りている。その時だ、Uターンして戻ってきた少年が、奏白の脇をすり抜けていったのは。
「ばっ……」
立ち止まろうと急ブレーキをかける奏白。キーホルダーはもう、かなりの後方だ。今からまた出口に走れば間に合うだろうが、あの位置まで戻るとそれは不可能だ。
何とかして引き留めないと。急いでその子を追いかけ、後ろから持ち上げる。暴れられてしまうが、それでも仕方ない。脇に抱えてそのまま入口へと走る。
「放してよ! あれ、ここでしか売ってないんだよ!」
「悪いな、今俺はもっと大事なもん抱えてんだよ」
「僕しか抱えてないじゃん!」
「それが大事だっつってんだよ」
ようやく気が付いたのか、出口の外で父親は顔を真っ青にしていた。シャッターはもう、額の辺りまで降りてきている。不味い、これ以上暴れられては間に合わない。そう思っていたその時だ、横から知君が手を出してきたのは。未開封の、自分で買っていた同じキーホルダーを少年に手渡す。
これでいい? そう尋ねる彼の顔は、この状況に似つかわしくなく、柔和な笑みを浮かべていた。どうして一般人だというのに、この現状にこれだけ落ち着いていられるのだろうか。
「じゃあもう、外に向かって自力で走れますか?」
「うん! ありがとうお兄ちゃん」
抱えていた少年を自分で立たせてやる。三人が出口にたどり着いた時、もう既に扉は奏白の膝の辺りまで降りていた。まだ小さい男の子はひょいと屈んで通り抜けていったが、知君と奏白には無理な相談だった。閉め切られてしまった電波塔に、二人だけが取り残される。
「てかさ君、何で引き返してんだよ。あんな事してなかったら外出られたろ」
「その……あのままだとあの子が間に合わない気がして……」
「とんだお人好しだな、お前」
「そうですね。……でも、仕方ないですよ僕たちは」
「僕たち?」
「警察の方ですよね?」
「俺はな。でも君は違うだろ? その制服、どっかの高校生だろ」
「それに間違いはありません、でも……」
僕は、『この国で警察になるために』生まれてきましたから。そう、力強い声で彼はそう言った。