複雑・ファジー小説

Re: 守護神アクセス ( No.75 )
日時: 2018/05/26 15:45
名前: 狒牙 ◆nadZQ.XKhM (ID: hgzyUMgo)

 僕は、『この国で警察になるために』生まれてきましたから。そう、力強い声で彼はそう言った。

「警察になるために生まれた、って随分大げさだな君」
「僕にも色々あるんですよ」

 胸を締め付けるようなポーチの紐をぎゅっと握りしめた。背中に潜む小さな黒い箱が、意思を持って自分のことを締め上げようとしているよう思えたからだ。自分で吐き出した言葉に囚われてしまいそうになる。僕は本当にそんな未来を望んでいるのかと。さらには、そんな未来が来てくれるとも限らない。
 何となく息苦しいけれど、無理に笑顔を作ってみる。痛みに、苦しみに耐えるのは慣れている。我慢なんてお手の物だ。どれだけ電流を流されても涙一つ流さずに済むように育てられた。努力しているのに誰も認めてくれない圧迫感も。
 目の前の捜査官はというと、得心のいかぬ様子で、穏やかにほほ笑む少年をじっと見つめていた。と言っても、それは疑念に近い感情からのものであった。
 こんな状況に至って、一介の高校生が平常心を保っているのが不可解だった。思えば、最上階に居た時も、エレベーターにいた時も、自分よりも他の者を優先させており、取り乱した様子は見られなかった。
 もしやこいつ、犯人と何かしらの繋がりがあるのではないか。それも疑ってしまうくらいに。そもそも制服を着たまま一人で来ているというのも変な話だと初対面の際に感じたではないかと振り返る。
 しかし奏白は、その疑念を強く否定した。そんな事があるはずがないだろうと。そもそもこの少年は、行きずりのひったくりに財布を奪われ駆けるほどには隙が多い。それが既にシナリオだったというなら大したものだが、今日奏白がここに訪れるとは誰も知らなかったろうし、知っていたところでアマデウスを呼べない今の彼を欺く必要性など無い。
 疑念の余地を全て捨てた奏白は、意識を切り替えるために、短く強く、息を吐き出した。閉じ込められた事実の方へと目を向ける。どうにかして脱出できはしないだろうかと。

「あの……」
「お、どした?」
「名前を訊いてもいいですか? 僕は知君っていうんですけど」

 いつまでも君、とお兄さん、ではやりにくいとのことだった。知君、全知の「知」と暴君の「君」、そう彼は教えた。どういう言葉の取り合わせだよと、奏白は破顔する。そのまま自分の名前は楽器を奏でる「奏」に、真っ白の「白」と書くことを教えた。警察手帳を開いて、名前を確認させる。

「これで、かなしろ、って読むんだ」
「へえ、綺麗な名前ですね」
「ありがとな、音也兄さんって呼んでもいいぜ」
「流石にそれは慣れ慣れしいですね……奏白さんでいいですか?」
「いいぜ、じゃあ知君はこれからどうする?」

 どうするもこうするも、知君はもう一度周囲の様子をぐるりと見まわして、頭を抱えた。出口らしい出口は粗方閉ざされている。非常口もあるらしいが、非常口を開けるのは電子ロックによって制御されている。わざわざ防火用シャッターを下ろしたことを考えれば、非常口は閉ざされているに違いない。

「うーん、参りましたね」
「もう逃げるって手段は取れないよなこれじゃ」
「外の警官達が突入してくるのを待つしかないでしょうね」
「でも、そうなると上の階の人質がどうなるか分かったものじゃないしなあ」

 確かにここに捕らえられているのは自分たちだけでは無いと知君は思い出す。上の階から逃げそびれた人はそれこそ、山ほどいるのだろう。

「でも……防火扉が下りたということは不味くないですか?」
「あー……やっぱ気づく?」
「ええ。エレベーターを動かした際には奪っていた管制が、また向こうに取り返されたんですよね」
「そうみたいだな。真凜からメール来てる」

 電波塔にハッキングするためのアクセス通路が閉ざされたせいで、この電波塔内部を支配している電子指令系統は、内部にいる者に完全に掌握されてしまった。外からの操作はもう受け付けていないのだとか。となるともう、この建物の壁を壊すくらいしか考えられないが、生身の人間二人にそんなことはできない。窓ガラスに至るまで全てのガラスは強化ガラス、鉄の骨組みなども折れる訳が無い。

「真凜さん……? 恋人ですか?」
「いや、妹だ」

 あいつも警察で働いているからと補足して、追加でやってきた情報に目を走らせる。犯人からの要求は未だとして無いようだったが、通信中の会話から分かったことがいくつかある。まず初めに、相手は犯罪グループなどではなく、たった一人の契約者であることだ。我々、という言い方を一度も使わず。私は、私は、と口にする様子から犯人へ尋ねてみたら自分一人の単独犯だと答えたらしい。
 動機を尋ねてもみたらしいが、それに関しては結局分からなかったらしい。

「理由など無い。私はせねばならないことがある。そのように運命づけられている。私の物語を推し進めるのは私だ、お前たちにページをめくる手を止める権利は無い」

 と、本人にしか理解できない使命感にかられた言葉が、やけに奇妙に胸に引っかかるくらいだったという。ただ、その犯人を突き動かす動機こそ分からなかったものの、犯人が主張している、たった一つの要求は明らかになったという。夜が更けるまで自由にさせろとのことだった。まるで夜この場にいることが何よりも大切だと言わんかの如く。

「この建物、特別大事なものなんて無いはずなんだよな」
「国最大の電波塔が奪われたというのは沽券に関わりそうですが」
「ああ、でも。それだけなんだよ」

 昼でも夜でもこの建物の重要性は変わらない。それなのに犯人は、夜半に何か目的を達成するつもりなのだろう。

「わり、電話来た」

 どうした真凜、通話を始めた奏白はまず初めにそう口にした。大事な情報源、それゆえ知君は二人の会話を黙って見守った。初めから真剣そうにしていた奏白だったが、段々と眉間に皺を寄せて神妙な面持ちになっていく。
 三分ほど経ち、親指を爪を噛みながら電話を切った彼に、知君は尋ねた。一体どうなっているのか教えて欲しいと。

「そうだな、君に教えない理由は無い」

 今聞いた話を、どうオブラートに包んだものだろうかと頭を抱える。しかし、目の前の自分よりも動じていない少年の姿から、別段隠し立てする必要などないと判断した。

「とりあえず今、外部から内部に干渉する方法は無い」
「厳しいですね……。中には誰も、何とかできそうな人なんて」
「そして犯人は人質をどう取り扱うかとかは教える気は無いみたいだ」

 けれども一応、死者は出ていないようではある。それだけは犯人が保証していた。一人でも死んでしまえばそれだけで警察が強硬手段に出てくる可能性を危惧しての事らしい。君らが大人しくしている間は誰も死人はでやしないからと、安心させているようだ。

「じゃあもう、やっぱり待つしか無いんですかね」
「駄目だ、夜になって目的を達成されてしまうと、人質がいる意味を失う。そうなれば何人が死んで何人が帰れたものか分からない。そもそも立てこもり犯の要求を飲んでしまったと知れたら、面目丸つぶれだしな。何とかしなくちゃいけない」
「じゃあ、どうやって……」
「俺がやる」
「そんな、phoneも無いのに!」
「しゃあねえよ、他に居合わせた警官もいねえし」
「此方と違って向こうは守護神がいるんですよ」

 大丈夫だと、確信を持った瞳で彼は目の前で初めて動揺した少年へと告げた。

「立てこもり犯の従えている守護神が分かった」

 Phoneが異世界と交信するために発する波長、それを解析すればアクセスナンバーは少なくとも知ることが出来る。それを元に署内の捜査官の守護神に心当たりが無いかを尋ねたところ、クラレッタという守護神を持つ者が知っていたという。

「今回現れた守護神、アクセスナンバーは666。ドルフコーストって名前らしい」

 能力の詳細を得ることはできなかったが、守護神としての肉体の器はそれほど強固な代物ではないとのことだった。

「多分取り押さえられる。てか最悪、アクセスが途絶えた瞬間に押さえちまえば生身での戦いだろ、余裕余裕」
「でも、どうやって近づくつもりなんですか?」
「あー、それに関しては知君には申し訳ないんだけどよ」

 続く言葉をわざわざ奏白が言う必要はあまりなかった。静まり返った広間に、チンと鐘の鳴る音。来ちまったかと頭を抱え、エレベーターのある方に目を向ける。

「奏白さん、あれって……」
「そうなんだよな、不味い事に」

 連中がついに動き始めやがった。エレベーターの上限いっぱい、三十人の追っ手が降り立った。老若男女様々で、本来人質だった面々が適当に選抜されたような具合だ。

「知君、逃げる準備はできてるか?」
「鬼ごっこは苦手なんですけどね」
「かくれんぼだったら得意なんじゃね?」
「割と人目を避けるのは得意ですよ」

 もう逃げることなどできそうにも無い。それゆえ二人は顔を見合わせてニッと笑った。そう、どうせ逃げられない。こちらの存在も監視カメラを通じてバレてしまった。とすればもう、立ち向かうしか残されていないではないか。

「高いところ苦手とかあるか?」
「いえ、別段問題ありません」
「オーケー、まずは四階から屋内階段を上って、十階の外に繋がる非常階段に出る、その後は……」
「一気に上まで駆け上がる! ……ですよね?」
「ああ。真凜伝いに上司からめっちゃくちゃな指示飛んで来やがった」
「警察官も大変ですね」
「お前も、そうなるために生まれてきたんだろ?」
「なりたいとは言ってないんですけどね」
「じゃあ何であんな事言ったんだよ」

 苦笑する奏白、しかし呑気にはしていられない。もうすぐ近くまで、我を失ったような人々が迫っていた。何となくその様子には、操られているような雰囲気は無かった。何らかの条件をつけて脅されているのだろうか。

「行くぜ知君、はぐれんなよ!」
「善処します」

 目指すは上空400メートル。誰が鳴らした訳でもない、スタートを告げる号砲。弾丸のように真っすぐ、奥へ奥へ、上へ上へと二人は全速力で駆け出した。